奴はとんでもないものを殺していきました


2003/11/16

「……っと。なんとかここまで連れてこれたな」  倒れてしまったシオンをベンチで休ませる。  彼女は苦しげな顔のまま意識を失っていた。  ……シオンは持病持ちなのかもしれない。  会う度に顔色は悪くなっていくし、さっきだって倒れそうになっていたし。 「……さて、これからどうしたものか。シオンの寝床なんて知らないし、かといってこの ままにしておくっていのも問題あるしな……」  シオンが起きるまでここで付き添っているのは当然だとしても、出来れば場所は移した い。  何故なら──── 「……深夜、この場所にいて良かった試しがない。さっきだってアルクェイドと一波乱あ ったばっかりだっていうのに」  しかし、かといってシオンを連れて行ける場所はなかった。  うちは……当然、大却下。  秋葉、翡翠、琥珀さんにどんな目で見られるか知れたもんじゃない。  アルクェイドの部屋も同意。  そうなると…… 「そういうことでお邪魔します」 「遠野くん……」  俺は気を失っていたシオンを抱えて住宅街にあるシエル先輩のアパートにやってきてい た。 「どういうことですかこれは」 「見ての通り、シオンの具合が悪いらしくて……」 「ですからどうして私の家に連れてきたんですか」 「近かったから、じゃあ駄目ですか」 「駄目です!」 「うちは秋葉が怖いから駄目。アルクェイドのマンションもバレたら厄介なことになって 拙い。まさか有彦の家に連れ込むわけにもいかないし、そうなると選択肢としては先輩の 家しかなかったんだ」 「もしかして遠野くんは私を馬鹿にしているんですか?」  さっきから何故かシエル先輩はカンカンだった。 「そんなことはないよ。話しても話が通じない奴や聞いてくれない奴、事情を理解してく れても感情だけで反発する奴、とにかく俺の周りにはちゃんと会話が成立できる奴が殆ど いないなかで、先輩だけは違う。だから選んだんだ」 「あのですね、遠野くん。一度言いましたが、その人は魔術協会からの要請で教会の方か らも指名手配されている人なんですよ。見て見ぬフリをすることだって良くないのに、そ んな私の家に匿うようなことを許せるとでも思っているんですか?」  理解の悪い子に向かって言うようにため息を一つついて、 「女の子に甘いのにも度が過ぎます。その上見境もないだなんて……」  そんなことを言ってくれる。全く、酷い誤解だ。 「それは酷いな。俺は先輩のこともちゃんと考えてるよ」 「考えてて、この仕打ちですか?」 「いやー、……その、ですね。俺は、俺がシオンに優しくしてあげたいから、こうしてい るんです。シエル先輩の事情はあまり関係ありません。先輩にとっては迷惑でしょうけど、 たちの悪い後輩に関わってしまったと思って観念してください」 「観念できますかっ!」  あ、怒った。  まあ当然か。 「志貴――」 「ああ、シオン。目が覚めたかい?」 「ここは何処でしょうか?」 「シエル先輩の部屋」 「――っ!?」 「あ、そんなに慌てなくて良いから。別に引き渡したりするわけじゃない」 「……」  シオンは俺と膨れっ面のシエル先輩の顔を交互に見て、何か納得したようだった。 「志貴。その申し訳ないのですが、この姿勢はちょっと」  シエル先輩がシオンを自分のベッドに寝かせることを拒否した為、彼女の体が恐ろしく 軽かったこともあって、今まで抱きかかえた状態でいたのだ。 「ああ、ごめんごめん。シエル先ぱ――」 「駄目です。とっとと帰ってください」 「自分で立てますから」 「そう?」 「はい」  シオンは漸くお姫様だっこ状態から解放される。  顔が赤い。  まだ具合が良くないのだろうか。 「いえ、体調は問題ありません。少し寝不足だっただけです」 「寝不足だって? そう言えばシオン。君は今までどこで――」 「問題ありません」 「問題大有りです」  シオンの言葉をシエル先輩が被せるように言う。なるほど、先輩がベッドの明渡しを拒 否した理由はこれか。 「そうだね。問題だらけだ」 「志貴、貴方まで何を言い出すのですか。自分の体は自分が――」 「取り合えず、お風呂だ」  そう言って俺は立ち上がる。 「は?」 「突然何を言い出すんですか、志貴」 「ちょ……遠野くん!?」  怪訝がる二人を余所に、俺は部屋を歩き回って必要なものを集める。 「これ洗面器。バスタオル。着替えは……先輩。制服のシャツ一枚借りますね。夏だから まあいいでしょ?」 「あの――」 「いいからいいから。だいぶ汚れてるし、その服も洗濯したほうがいい。理由は敢えては 言わないよ、女の子だからね。脱いだ服はこの紙袋に詰めておいて。後で近所のコインラ ンドリーで洗っておくから。石鹸とシャンプーは中にあるから……ガスのつけ方は判る?  じゃあ入っておいて」 「ですが――」 「いーのいーの。話はひとっ風呂浴びた後でということで、ね」  戸惑うシオンの背中を教えて浴室の方へ押し込んだ。 「さ、て、と」 「とーのくん」  先輩は一層ご機嫌な斜めだ。 「御免ね、先輩。迷惑かけちゃって」 「少しも悪びれずに言わないで下さいっ!」  笑顔で謝ったのに、先輩は噴火してしまった。うむむ、カルシウムが足りないな。 「だいたい、なんで遠野くんが私の部屋の何処に何があるかを知ってるんですか! そし てどうしてあの人にウチのお風呂を勧めるんですか! そして何より私の言う事なんか一 つも聞いてくれないのに、何であんなに優しいんですか、貴方は!」  まだまだ言いたいことは沢山ありますという顔をしながら、ハアハアと荒い息をつく先 輩。 「シオンが困っているみたいだったから、かな」 「ですが」 「こう口に出して言うと、偽善者みたいで厭らしく聞こえるだろうけど……あんな顔をし てる子は放っておけないんだ」 「そうでしょうともそうでしょうとも。彼女は可愛いですからね。私と違って!」  嫌味たっぷりに繰り返す先輩。 「そんな尖らないでよ、先輩」 「ええええ。わかってます、わかってますよ。僻むなんてみっともないと思ってるんでし ょう。わかってますよ」 「先輩ってば」 「つまんないことで拗ねてて可愛くない性格だとか思ってるんでしょう」  そんな諍いというには随分と可愛い会話を先輩としていると、すっとシオンが割り込ん できた。 「先ほどの志貴の言葉に訂正を求めます。私はそんな顔は――」 「早っ!?」 「というかまさかまだ入っていないんじゃないか?」 「いいえ、シャワーを使わせてもらいました。代行者、有難う御座います」 「服も変えていないし」 「これは私の――志貴、何をしているんですか!」 「遠野くんっ!」  俺がシオンの体に鼻を近づけで臭いを嗅いでいるので、二人とも真っ赤になって叫ぶ。 「シオンっ!!」 「な、何を……」 「いいか。最低限じゃなくて今度はちゃんと入るんだ。時間を賭けて垢を落として、体を ほぐして、髪も解いて念入りに。もし次に出た時にそうしてなかったら俺が洗うからな!」  このままでは何の解決にもならない。そう思ったので厳しめに言った。 「なっ!? と、遠野くん」 「あ、あ、洗う……」 「それが嫌ならちゃんと入ること。どうせ今日はもう何もないんだし、一日の疲れを落と すぐらいに確り入るんだ。いいね」 「……わかりました」 「じゃあこれにその服入れて。君が入っている間に行ってくるから」 「……」  俺の迫力に押されたのか、幾分素直になったシオンはコクリと頷くと紙袋を持って再び 浴室に消える。  そしてすぐに手だけ伸ばして、自分の衣服を詰めた紙袋を差し出す。 「そ、その……変なことをしないようにお願いします」 「しないって。先輩に殺されちゃうよ」  笑って受け取ると、シオンはドアを閉めた。 「――はぁ」  その一連のことを見守ると、シエル先輩が呆れたようにため息をついていた。 「本っっっっっ当に、優しいんですね。遠野くんは」 「勿論さ。俺が優しくないのはアルクェイドだけさ」 「嘘ばっかり。それにその名前は今、聞きたくないです」  拗ねたように口を尖らせる先輩。 「じゃあ俺はちょっと小走りでコインランドリーまで行って来ますが、先輩はどうします?」 「ムカつくんでここで待ってます」 「帰りに下着も買ってきますんでコンビニにでも寄るつもりですが、何かついでに買って おきたいものでもありますか?」 「何もありません。さっさと消えてください」 「あはは。本当に迷惑かけるね、先輩」 「こんなたちの悪い後輩を持つだなんて相当に不幸です。これはちょっとやそっとの借り じゃ済みませんよ」  そういいながらも、既に現状に流されて問題が有耶無耶にされてしまっていることに気 づかないのが先輩のいいところだ。俺にとって。 「ところで下着まで洗ったのですか、遠野くんは」  コンランドリーから戻ってきた俺に先輩はおずおずと尋ねてくる。変なことを聞くと思 うが、一応頷いておいた。 「アルクェイドも先輩のも洗ってるんで特に抵抗は無いですよ」 「――なっ!?」  押入れに溜まっている先輩の汚れ物を洗濯しに行ったことは一度や二度じゃない。その お陰でコインランドリーの場所も覚えた訳だし。因みにアルクェイドはマンションに洗濯 機があるので随分と楽だった。 「そりゃあ、二人に比べれば知っている仲じゃない人のだから意識しなくはないけど…… 下着は所詮下着だから」  これは健全な男子としての公式見解ではないだろうが、下手に本音を言っても面倒にな るだけなのでしれっと嘘をつく。この辺は琥珀さん譲りだ。そしてその嘘を自分で信じき って喋ることで相手を疑わせないのは先生の教えだった。少し違うのかもしれないけど。 「どう対応すればいいのかわからないことを平気で言わないでください」  箪笥を漁って鹿に刺し殺されたり、追い掛け回されたりしたのは夢の中の出来事だった のでシエル先輩は知る由も無い。勿論、あれも夢だからこそした蛮行だ。 「――志貴、これで満足でしょうか」  今度こそ、ちゃんとお風呂上がりになったシオンが顔を出してきた。  濡れた髪からはリンスの香りがする。  脅しが効いたのか、本当に丁寧に洗いこんだらしく肌も綺麗だった。  それでも不機嫌そうなのは羞恥からなのか、怒りからなのかはわからない。  結局、コンビニで買ってきた下着と、シエル先輩が渋々出してくれた寝巻きを着て俺の 横にちょこんと座った。 「綺麗になったようだね、シオン」 「失礼な。元から私は綺麗です」  そう言うものの言葉に勢いは無い。 「でもまあこの数日動き詰めだったみたいだし、少しは気が紛れたんじゃないかな」 「それは貴方はそうかも知れませんが私は――」  そこでシオンはシエルの顔を見て黙った。 「ええ、ええ。そうでしょうとも。でも安心していいですよ、アトラスの錬金術師シオン ・エルトナム。私はこの人にいいように扱われるお人よしで便利な存在なだけですから」  まだ拗ねてる。秋葉ほどじゃないけど、先輩もしつこいところがある。 「まあそんなわけで、これでみんな仲良し仲良し」 「無理です」 「不可能なことを言わないで下さい」  む、同時攻撃。  どうして俺の周りはこう強情なやつが多いんだ。  物分りが良いのは……なんてこった。  アルクェイドしかいないじゃないか。  まあアイツも相当気紛れで、そうさせるには苦労するが俺が絶対とする一線は大体守っ てくれる。大体程度で満足しないといけないという点で、他の面子の強情っぷりがわかろ うものだ。 「私は強情ではありません。常に計算式で導き出した正答に従っているだけです。それに こんな状況を前にして真祖のことなんか考えていないで下さい!」  シオンが文句を言ってくる。全くいくら考えていることが判りやすい顔をしているから といって何から何まで言い当てることは無いだろうに。 「……」  その時、シエル先輩は無言で立ち上がった。 「? 先輩?」  俺の声も無視して、押入れの引き出しを開ける。  そしてその場に屈んで下から第七聖典を取り出した――て、ちょっと待った。 「な、何で!?」  そんなアルクェイドのことをちょっと考えたぐらいで、いきなりそれですか!? 「シオン・エルトナム」  しかし、その矛先は俺ではなくシオンに向けられた。 「あれ? え?」 「遠野くんにエーテライトを使っていますね」 「……」  エーテライト? なんだ、それ? 「そうですか。それが貴女のやり方ですか」  なんだかよくわからないけど、先輩は本気で怒っていた。  俺に対する怒りとは違う次元で、相手を憎んでいるみたいだった。 「ちょ――先輩!?」 「遠野くんは私なんかよりも底抜けにお人よしですからきっと全てを知っても許すことで しょう。この人はどうしようもない人ですから」  そう言って軽く肩を竦めた。 「ですが、私は許せません。今すぐそれを外しなさい。遠野くんは見ての通り愚鈍さんで すからまだ気づいていないようですけど、私を一緒にしないことです」  そして、今度こそ彼女は戦闘モードになっていた。 「ちょ、ちょっと先輩……」 「……わかりました。今となっては言い訳になりますが――」  そう言ってシオンは何かをした。  それが何かはわからない。別に目に見える動作があったわけではない。  けれども、不意にシオンとの繋がりがなくなったような気になった。 「外すきっかけを失っていただけです」 「シオン?」 「大したことではありません。脳に接続していたエーテライトを外しただけです」  目を閉じて何事でもないようなその言い方がシエル先輩には癪に障るらしく、歯が鳴る 音がした。しかし俺にはシオンがわざと突っ張っているようにしか見えない。 「脳って……?」 「エーテライトと呼ばれる擬似神経。貴方でも判るように言うのでしたら、ミクロン単位 の繊維です。肉眼では捕えられない細い糸、とイメージするのが最適でしょう」 「簡単に言えば、その女はそのエーテライトを使って遠野くんの考えていることや、過去 の思い出や記憶を引き出して好き勝手に見ていたってことです。どうですか、誠意を尽く して親切にしていた相手に裏切られた気分は?」  棘たっぷりに言う先輩。少し余裕が出てきたのかもしれない。 「私は志貴を裏切ったりなどしていません。代行者、今の発言に訂正を願います」 「相手に許可も得ず勝手にその人を覗き見するということが、どういう意味を持つかは流 石の遠野くんでもわかりますよね」  先輩はもうシオンを相手にしていない。俺の許可を貰い次第、戦闘に入る気満々だった。 「そりゃあ判るけど……」 「けど? けどなんです。まさかこの期に及んでその女の肩を持つ気ですか。どこまで愚 かなんですか、貴方は」 「いや、そりゃあ吃驚したさ。それに納得もした。確かに幾らなんでも読まれ過ぎてると は思ったんだ」  というか物凄く先輩には悪いんだけど、先輩がこんな形で暴露していなかったらもうち ょっと感情を害していた気がする。なんだか、妙に落ち着けてしまった。 「つまり、シオンは俺を通してアルクェイドのことを知りたかったんだろ」 「その理由が最大ですが、無論それだけではありません。遠野志貴という存在に対しても 興味はありましたから。あの真祖と対等に交渉できた人間はいませんから」 「そりゃどうも」  苦笑するしかない。 「遠野くん!」 「だったら黙って読み取ろうとしないで素直に聞けば良かったんだよ」 「ですが、それでは正確な情報は掴めません。断片的で不確かで志貴の主観でのみ語られ るあやふやなものではなく――」 「違う違う」  軽く手を振った。 「そのエーデルワイスだっけ?」 「エーテライトです!」  まあ、わざと間違えてみたわけだが。想像通りの反応が可笑しい。 「何が可笑しいのですか。間違ったことを口にしたのは貴方の方じゃないですか」 「いや、シオンは可愛いなぁと思ってさ」 「な……なんという適当な。今の会話の何処に私の容姿性格に関する情報があったという のですか!」 「どうやら私はまた貧乏くじを引いたようですね」  成り行きが予想できたのだろう。  シエル先輩は先ほどまで身に纏っていた殺気を解いて、肩を落としていた。 「今度、何か驕りますから」 「ええ。どうせ私はそんなキャラですからね」  どうやらいじけが入ってきてかなり重症っぽい。 「志貴! 先ほどの軽率な言葉を訂正してください!」 「いいや、できないね」 「何故です!」 「シオンが可愛いのか事実だからさ」 「なっ……貴方は私をからかっているのですか!」 「可愛い可愛い」 「志貴!」  その物言いこそが俺が彼女を可愛いと感じる部分で、向こうにとっては腹立つことなの だろうが、今はそういう問題じゃない。 「さて、さっきの誤解を解こうか」 「私に誤解など――」 「いやさ、素直に聞けばいいって言うのはアルクェイドや俺の話じゃない。シオンが言う 通り、シオンが知りたいことを上手くいえないかもしれないし。だからそうじゃないんだ。 つまり、そのエーテライトを使って知りたかったのならそう言えばいいんだ」 「な――」  シオンがそんなことを言うなんて想像もできないという表情をする。 「何を言っているのですかって顔だね」 「……」  何か言おうとして口を動かしただけやめている。どうも言葉にならないみたいだ。 「喜んでとは勿論いかないだろうけど、言ってくれたら協力はできたと思うよ」 「それはどうでしょうか」  固まってしまったシオンに代わって、再び押入れに第七聖典をしまったシエル先輩が口 を挟んできた。 「遠野くんの考えていることが全てわかる上、心も体もその女に支配されるわけですし、 それを知っては快く協力できたかどうかは怪しいんじゃないですか?」 「魔眼みたいなものかな?」 「どちらかと言えば真祖と死徒の関係に近いのかも知れませんよ。昔のコード付きリモコ ンの玩具と、今のラジコンの差みたいな」 「その喩えは不明瞭な上、不愉快です」  ようやく立ち直ったのか、シオンが小声で抗議してきた。 「まあそのなんだ。確かに快く――というのはできなかったかも知れない。けれど、黙っ てやるのはどうかと思う。言ってみればレイプされたようなものだし」 「――っ!」  抗議しかけるか、自分でも違うとは言えなかったのだろう。結局、何も言い返しては来 なかった。 「だろう? 合意の上でのセックスじゃなきゃ、それは強姦だ。たとえこっちに気づかれ ないからといってやっていいというものじゃない。まあ例えるなら、寝ている間に犯した みたいな」 「と、遠野くん、さっきからその例えは……」  シエル先輩が赤面して口を挟む。 「御免御免。他にいい例えが思いつかなくて」 「もしかして経験が……」 「ないない」  その、犯されそうになったことは……とと、慌てて思考を打ち消した。 「だからこそ、シオン。君にも言い分はあるだろう。自分の信じる理論もあるんだろう。 けれど、やっぱりそれは――」 「わかっています。だったらどうするのですか」 「え?」 「志貴は私をどうするんですか」  開き直ったような自棄になったような物言い。 「シオンは俺にどうかされたいの?」 「え……」 「シオンは俺に何かされることを望んでいるの?」 「で、ですから……私が志貴に無許可でエーテライトを繋いだことに対して、志貴は私に 罰を求めたいのではないのですか!」 「シオンがそうしたいならするけど……俺は興味ないから」 「嘘ばっかり」 「シエル先輩……」 「ふーんだ。遠野くんのエッチ」 「なんでですか!?」 「志貴。それでは聞きますが貴方は一体、何を考えているのですか」 「俺? 俺は大したことは考えていないよ。俺はただシオンが心配なだけさ」 「な――何を馬鹿なことを言っているのですか。私は志貴に心配されるような――」 「でも倒れたじゃないか」 「それは!」 「吸血鬼化が進んでいるから、ですね」 「「!?」」  俺とシオンは揃ってシエル先輩を見た。 「タタリことワラキアの夜は何年かに一度現れた夜にのみ、吸血鬼として活動する吸血鬼 でありながら吸血鬼でない半端な存在。ですからまだワラキアの夜に噛まれた貴女は完全 に吸血鬼化していない」 「そうか、それでシオンは吸血鬼化の治療法を探したり、タタリに対して……」 「そうです。その人は自分の為にアトラス協会の掟に背き、遠野くんを騙し、一人勝手に ……」 「先輩。もういいから」 「今度こそ言わせてください!」 「いいって」 「いい加減にしてください。私は悪役ですか? 遠野くんの為を思って、こんなに言って いるのにどうしてわかってくれないんですか!」 「今はシオンの体の方が大事だ」 「ですがそれは――」 「俺なら何とかできる」 「え?」 「志貴。それはどういう――」 「こうすればいい」  気障に前髪をかきあげ、返す手首で眼鏡を外した。 「え?」 「ちょ……遠野くん?」  もう一方の手でポケットを探ってナイフを取り出す。 「すぐ済む。楽にしててくれ」 「志貴……」 「え? あ、あの、遠野くん」  ツギハギだらけの視界のなか、シオンの姿を捉えた。  かつて、弓塚に噛まれた時、琥珀さんの手入れする庭で毒蟲に襲われた時、琥珀さんの 毒物を誤って服用してしまった時、琥珀さんを驚かせて注射を打たれた時……いやもう最 初の以外は違う気がするとか、全部琥珀さん絡みかよとか色々あるが、そのつまるところ ……  俺の体内に混ざった弓塚の血液や琥珀さんの毒物を“殺せた”のなら、彼女の体内の吸 血鬼の血液だって、殺せる筈だ。 「―――――――――――く」  頭痛が激しい。  ギチギチと音をたてて、こめかみからカッターの刃が刺しこんでくるような頭痛。  それは、痛みで目を開けていられないほど。 「……ちょ、遠野くん!」  慌てるシエル先輩を手で制する。 「―――――――――――っ」  明らかに自身の能力を超えていると、脳髄は痛みを警告にして伝えてくる。 「あ――――――は、あ」  呼吸が発狂する。  だらしなく開けられた口から、ボコボコと泡が零れていく。 「志貴!」  そう叫ぶシオンの体を押さえつけたまま、視界が赤くなっていく。  体中の体液が消毒液に変わってしまったかのような、灼熱の痛覚が迸る。 「き―――――ギギ、ギ―――――」 「遠野くん!」  シエル先輩が俺の手を払い除け、止めようと前に出る。 「――――見えた!」  目の毛細血管が破裂する音を聞きながら、俺は彼女の体めがけてナイフを突き出してい た。自分の体じゃないので難しかったが原理は一緒だ。  俺の名は遠野志貴。  子宮の中の受精した卵子さえ殺せる男。 「ふんっ!」  迷わず躊躇わず、振るったナイフでシエルの体を切り裂いた。 「え」              シ  エ  ル  ? 「……」  呆然とする俺。 「……」  唖然とするシオン。 「……」  物言わぬ肉塊。 「……」  愕然とする俺。 「……」  憤然とするシオン。 「……」  物言わぬ肉塊。 「それではまた来週」 「すっ惚けないでくださいっ!」 「それじゃあ俺は家がこっちだから。ばいばい、また明日路上でね」 「モノマネして済ませないで下さい!」  シオンが抗議する。  うむぅ。元はといえば俺はシオンの為に。 「それじゃあ……遠野くん。私を殺した責任、ちぁゃんととってもらいますからね」  肉塊がシエル先輩と呼ばれるものになってそう揺らめいた。 「こっちも全然似てません」 「うわ、本気だ」 「勿論です。ここまでコケにされて我慢できますかっ!」 「さあ、シオン。今こそ俺たちの友情パワーが試されるときが来た!」 「わ、私もですか!?」 「元はといえば貴女が元凶です。二人纏めて葬って差し上げます」 「それは八つ当たりです! 私は志貴の保護者ではありません!」 「あ、そうだ!」 「この状況下で一体なんですか、志貴!」 「先輩聞いてくれ! 実は先輩にタタリがとり憑い…… ―――この日の惨事は後に「エレイシアの夜」と語り継がれることと成る。  そうアトラスの錬金術師シオン・エルトナム・アトラシアは語った。 「全く遠野くんは……」 「まあまあ、今日は財布の許す限り奢りますから」 「本当ですよ! 絶対ですよっ!」 「ええ」  あの後、改めてシオンの中の吸血鬼の血を殺し、ワラキアの夜をアルクェイドの協力も あって倒し、この真夏の夜の夢は終わりを告げた。  けれども先輩の怒りは未だ収まらず、やっと宥められたのは何度目の交渉だったか覚え ていないほどだった。  というか、先輩が金欠でのたうち回っていた頃を見計らって、奢る約束を履行すると言 うことで、解決したのだが。  行き先はこれまた有彦が見つけ出したカレー専門店に決定。メシアンを抜かすと、俺の 今の手持ちでシエル先輩が味と量で文句を言わない店はここぐらいだった。  寂れたビルの立ち並ぶ表通りを抜けた路地裏にひっそりとあるその店は、流行っていな いのかいつもそれほど人がいない。その日も俺達以外には昼飯時だというのに三人しか客 はいなかった。 「相変わらず、人少ないな」 「静かに落ち着いて食べるにはいいんですけどね」  さっきまでの不機嫌は忘れてしまったかのように、うきうきとした表情で先輩はカレー を待っている。何故か最近スパゲティーばかりでカレーを食べる機会がなかったらしく、 カレーに飢えていたのだと頬を赤らめながら告白してくる。いや、そんなこと聞かされて も。 「お待たせしましたー」  とん、とアルバイト店員が俺達のテーブルにカレー皿を置く。俺は普通のビーフカレー、 先輩はその三倍の量の大盛ルーだくという一時期の何かのブームに乗っかろうとした名残 っぽいカレーを頼んでいる。名前はアレだが、量の割に値段が安いので先輩には評判が良 い。メニューに書かれたルー○柴の似顔絵はかなり不評のようだが。  恐らくはこれを何杯お代わりするかという展開になるんだろうなと思いながら、備え付 けの籠からスプーンを取り出した。 「え? ええ? え……えぇええええええええええええええ―――――――っ!?」  既に食べ始めていたシエル先輩が突如、奇声をあげる。 「ど、どうしました、先輩?」 「こ、こ、こ、これは、何ですか!?」 「何って、先輩のよく食べるカレーじゃないですか」  一通りメニューを制覇した後、この店はこのカレーが一番美味しいと言っていたポーク カレーの大盛ルーだくの筈だが、何か違ったのだろうか。 「で、でもこれは……」 「え? 何か変?」  もしかして味が変わったとか。 「いえ、そ、その、何か味がしないんですが……」 「へ?」  呆然とする先輩に俺は「ちょっと失礼」と先輩の皿からスプーンでひとすくい、カレー を取って食べてみる。うん。俺のと同じで程よい辛さのカレーだった。 「ど、ど、どど、ど、どうして、ですか?」 「そんなこと俺にも……っ!?」  そう言いかけて、フト先日のことを思い出した。  吸血衝動を引き起こすシエルの中の吸血鬼の血を殺す代わりに、あの時俺がシエル先輩 の中で殺したもの、それは、まさか……  いや、まさか。そんな、だって、ありえない。  でも、その人にとっての比重の重さとかその色々と……まさか、ねえ? 「どうして!? どうして味がしないんですか!?」  半狂乱になりながら、彼女にとっては味のしないカレーを食べているのを見て、俺は覚 悟を決める。取り合えず、  だ、黙ってよっと。 「うきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!!!!」  断末魔のような悲鳴が響き渡るなか、俺は手早く自分のカレーを口に運び続けた。  騒ぎを聞きつけた店員が駆け寄ってくるのが見える。  そうして俺は口元を拭い、耳を塞ぎ、逃げ足は慣らしていつでも準備OK。  店員が何か言いながら、吼える先輩の肩に手をかけた。  店崩壊まで……あと3秒。                             <おしまい>