夏空の下で


2001/09/02

「あははー」  鼻から抜けるような能天気な笑い声。 「志貴〜 早く早く〜」  底無しに明るい笑顔をこっちに向けてくる。  全く、これがどっちが人外だか判りゃしない。  今日は前から約束をしていた新しく出来たばかりの遊園地に来ていた。  これまで一緒に出歩いた経験上、アルクェイドには例えそこがそれほど面白くなく ても今までとは違う場所、違うことの方が新鮮で楽しめるらしい。  知識として知っていても実際に見たりやったりするのとでは全然違うらしく、本当 にどんなことでも目新しいものに対しては目を輝かせてはしゃぎまわっている。  やれやれ。  親戚の子供を遊びに連れていっているような気分だ。  そんな経験は一度もないのだが。  昔、有間の家にいた頃は啓子さんの子供の小学生の都古ちゃんがいたけど、どうも 敬遠されているようで話をする機会もそれほどなかった。  ただ、時折不意をついて体当たりをしてくる癖があり、こちらが見事に突き倒され ると快心の笑顔を見せてくれた。  その笑顔を思い出せば、少し似ているかもしれない。  体力底無しの疲れ知らずと言う点も。 「ねぇ、次はどこ行く?」 「………」  しかし今日といい、昨日といい、殆ど毎日のようにこうして連れまわされるのも流 石に疲れる。  平日こそ、学校があるので大人しくしてくれて……いない時もあるが。  一応は平日と休日の区別ができてくれたようで、平日は夜だけ遊べる日、休日は一 日中遊べる日ということが大体は判ってくれたようだ。  ………かなり疲れている。  それに毎日毎日の周囲からの視線も痛い。  学校にアルクェイドが姿を表した時は、遠く離れた場所から鋭い視線が背中のあた りに突き刺さってくるのを感じる。  そんな目だけで人を殺せそうな視線の主の心当たりは、幸か不幸か一人しかいない のだが。  家に姿を表した時もまた別に、そりゃあもう痛いのなんのって。  秋葉の髪は真っ赤っ赤で戻らないわ、朝食の焼き魚が俺だけ黒焦げの鰯一匹だけだ わ、ベッドがさりげなく北枕になっているわと日々圧力が陰に陽に。  こうして遊びに行く度に秋葉の嫌味は激しくなる一方だし。 「かと言って開き直ると涙ぐむしなぁ…」 「え、何か言った?」 「いや、何でもない」  ため息と一緒に遂、愚痴が漏れてしまったようだ。  軽く否定すると、アルクェイドは「そう?」とあまり気にした素振りも見せずに、 次のアトラクションを決めるべくパンフレットに再び目を落とす。 「………」  狡いと思いつつも、八年間もほったらかしにしておいたという思いからどうしても 秋葉には引け目を感じてしまう。  アルクェイドからしてみれば「そんなの無視すればいーじゃない。もし屋敷に住め ないんだったら、一緒に暮らす?」という魅力的ではあるが、一生秋葉には顔向けで きそうも無い提案をするだけだし。  第一、そんなことを言い出した瞬間に俺の命が無くなりそうな気がする。  俺としてももっと秋葉を嬉しがらせたり、喜ばせたりしたいと日頃から思ってはい るのだが、普段から毎日顔を合わせていると、どうしてもからかいたくなってしまう。  それにたまに真っ当な話をしかけると、秋葉は自分の我を通した話し方しか出来な いからつまらないことでも衝突してしまって、そんな感謝の気持ちなんかなかなか出 せない場合が多い。  秋葉はそのお嬢様生活のせいで巷の一般常識やそのあたりの知識が幾分欠けている のだが、それを知られたり揶揄されたりするのを人一倍嫌う。  そして俺達の間では当たり前のことを当たり前だと認めない悪癖がある。  プライドが高いのも考えものだと思う。  詭弁で攻めれば、正論で返され、正論を通せば暴れてごり押しするので、どうやっ ても俺の意見が通った試しがない。  そんな俺と秋葉の争点の一つが、俺の小遣い問題だ。  これまでの徹底した倹約で溜め込んだ貯金と、秋葉を目を盗んでの短期のアルバイ トなど稼いだ雀の涙程度で今までは凌いでいるのだが、こうもほぼ毎日のように遊び に連れ回されてはたまらない。  実は今日もアルクェイドの財布からお金を出してもらっている。  改めてそのことを思うと、自然に詫びの言葉になる。 「悪いな。いつもいつも」 「え、何が?」 「いや、俺の分までいつも出させてしまっているだろ」 「どうして? わたしが志貴を誘っているんだし、当然じゃない」  一応、デートという形になると男が女にお金を出すのが一般的なのだが、それを説 明すべきかどうかは迷ったまま結局口には出さなかった。  それが正しいことなのかどうかという風にアルクェイドから突っ込まれた時に、納 得させるだけの答えが浮かばなかったのと、どっちにしろ俺がお金を持っていないと いう事態は変わらないので、自分の立場をわざわざ貶める事もないだろうという判断 からだが。 「しかしオマエ本当に金持ってるんだな」  だから話題をさり気なくずらした。  全然ずれていないかも。 「そう?」 「やっぱり城持ちともなると違うのか」  どんな城なんだか見たことはないが、真祖が住んでいた城なんだからさぞかし豪勢 だったのだろうと想像する。  欧米の貴族の持つ城なんかが脳裏に浮かぶ。  しかし吸血鬼なんだから寝床は棺桶だったりするのではないだろうか。  俺の見た限り一度もアルクェイドが棺桶に入っていたことはないし、棺桶自体も見 たことがない。  どっちにしろ死徒を狩る時以外は地下深く眠っていたのだろうから、そこが城だろ うが掘っ建て小屋だろうがあんまり変わらない気もする。  でも城ということは維持費とか大変なんじゃないだろうか。  税金とかどうなるんだろう。  やっぱり城のある国に支払っているのか。  死徒を倒しても誰かから報酬を貰うわけでもないだろうし、彼女を便利に使ってい た真祖達が皆殺しにされてしまっている今となっては、アルクェイドの金の流れが気 になる。 「なぁ、アルクェイド。お前の収入ってどうなっているんだ?」  だからそこのところを聞いてみる。 「うーんと、よくわからない」  その一言で片づけやがった。  と言うか、コイツに聞いたのが間違いだった。 「じゃあ、お前の持っている金はどこから入っているんだよ」 「銀行の預金口座」 「………」  何か超現実的。 「お金が入用の時は好きなだけ引き出して良いって言われてたから」 「誰に」 「えっと――――」  アルクェイドは真祖の一人なのか従者の一人なんだか良く判らないが、固有名詞を あげた。  勿論俺には誰の事だか判らない。  説明を受ける限りではどんな時代、どんな環境でも経理に明るい奴は一人はいると いうことぐらいしか。  しかし、神秘性の欠片も無い話で興ざめだ。  錬金術とかちょっと期待したのだが。 「でも志貴の家も凄いお屋敷じゃない。今のこの国であれだけのお屋敷を持つのって かなり凄いんでしょ?」 「まあな」  実際、相当の資産があるだろう。 「それに翡翠って言ったっけ? 個人付きのメイドまでいるんだから、志貴もお金持 ちなんじゃないの?」  個人付きと言っても屋敷の管理をする使用人を翡翠達は兼ねているのだから、俺だ けのメイドという程のものは――――少しはあるかも知れない。  どっちにしろ、メイドという単語は普通の家では聞くことは無い訳だから、遠野家 が特別であるという事は否定出来ない。 「ああ、それなんだがな。家督というか当主は秋葉が継いでいるんだ。俺は秋葉の都 合で本家に呼び戻されただけの存在だから、遠野の家に関しての力は全くないんだ。 あと、本当は俺、養子だったから元々後を継ぐ可能性は全くなかったし。それどころ か今の俺の手持ちって有間の家で貰っていた小遣いだけで、秋葉がバイトもさせてく れないから一人だけ貧乏なんだぜ」  実際、引っ越してから未だに一円も小遣いが貰えていない。  妹から小遣いを貰うという構図は凄く情けないが、アルバイト一つさせて貰えない のではどうしようもない。  有彦は金のことでは全く頼りにならないし。  無論、アルクェイドとのデート代並びにホテル代に使う為と聞いたら、貸してくれ るものもくれないだろうが。 「ふーん」 「今は何とかなってるけど、そろそろ何とかしてもらわないといい加減貯金も切れか かってるし……」  そう言うことで、ここで改めて俺がアルクェイドに奢られっぱなしという立場を納 得してもらうことにする。  気にしているのは俺だけで、アルクェイドの方は頓着していないようだったが。 「志貴、何か欲しいの?」 「はあ?」  何だか妙な勘違いをされてしまった。  いや、俺の言い方が悪かったせいなのかも知れないが。 「いいよ。志貴が欲しいものはわたしが買ってあげるから」 「いや、そういうことじゃなくて……」  その科白は実のところ既に秋葉にも言われている。  だが俺が欲しいのは自分が自由に使える遊興費である。  自分の欲しいものを他人に買い与えられるだけというのはほんの幼児か、ヒモのど っちかでしかない。  それに秋葉に対して「アルクェイドとデートに行くからデート代をくれ」と言う勇 気は俺にはない。  仮にあったとしてもそれは勇気でもなんでもなくて、ただの無謀な自殺行為でしか ない。蛮勇というやつだ。  何故か本気で怒る時の秋葉の髪の色は赤い。  遠野家の血のなせる業だそうだが、俺にはわざわざ怖く見せる為に赤くなっている のではないかという疑念があるぐらいに効果的で怖い。しかも何かイカの足みたいに くねくねとしていて跳ね上がるし。  正直、遠野四季やミハイル・ロア・バルダムヨォン、ネロ・カオスよりも遥かに怖 い。  睨まれるだけで命が削られていくようなそんな感覚に陥る。  あれは嫌だ。御免被りたい。  そうなるとヒモという二文字の汚名を甘んじてもまだ、アルクェイドに奢って貰う 方がマシである。  相手は無尽蔵のお大尽様だ。  多少の雑費など痛くも痒くもあるまい。  そう思うことにして、今日もまた目先の問題から逃げることにする。 「で、どうする。どっかで休憩するか?」 「うーん。ちょっと待って。その前にもう一つぐらい乗っておこうよ」  いつもコイツとブラブラ歩いていて思うことだが、アルクェイドは人目につき易い 外見をしている。  金髪に赤い瞳。  顔もスタイルも申し分なく、誰が見ても目立つタイプの美人だ。  モデルか何かだと思われてもおかしくないし、そう説明された方が納得がいくぐら いだ。  事実、並んで歩いていもいつのまにか前に出ていくアルクェイドに対して、時折周 りの人から注目を浴びているのが判る。  皆、アルクェイドを見ているのだろう。 ―――おかしなものだ。  そんなことに気づいたのは、随分後だった。  初めて会った時は何かにとり憑かれたような気分になっていて、そんなことを考え るゆとりはなかった。  二度目に会った時も恐ろしくて逃げることしか考えられないでいたから、やっぱり 覚えていない。  そんなことに気づくまでの余裕が、なかなかなかった。  嗚呼、アルクェイドはこんなにも綺麗だったんだ――と。  気を抜きながら、彼女の名前を呟く。 「アルクェイド―――」 「呼んだ?」 「うわっ!?」  いきなり耳元で返事が返ってくるから焦った。  どうやら、離れていたのに気付いて俺の横に戻って来ていたらしい。 「な、なによ。大声出して」  驚いた顔をして、そして少し膨れたような表情に変わる。  本当にコロコロと表情が変わって、感情豊かだ。  彼女が言うにこの感情の豊さは俺に一度解体されてから―――俺と出会ってからの ことだそうだが、俺にはこれが地としか思えない。  仮にそうでなかったとするなら、明るい性格を持っていた筈の彼女はずっと損をし てきたと思う。  起きていたのがたったの一年で、殆ど眠り続けていたというのだ。  寝顔ばかりで、この笑顔が見られないと言うのは残念に尽きる。 「わたしさ、殆ど寝てたから」 「蝉みたいだな」 「あー。その表現面白いー」 「笑うとこか?」 「うん。 「この程度で笑えるなら、もっともっと笑わせること出来るぞ」 「そっかーで、志貴」 「何だ?」 「蝉って何?」  思わずコケた。 「冗談だって。もう志貴ったら真面目過ぎ」 「あのなあ……」 「志貴ってば冗談上手すぎするよ。おかしすぎー」 「いや、オマエがあまりにも―――」  そこまで言ってから、言葉を止めた。  わざわざ言うほどの、つまらないことだったから。 ―――この笑顔をずっと見続けていたいだなんて。 「志貴」 「ん?」  アルクェイドが真剣な目をして俺を見つめる。 「な、なんだ……」  思わず、腰が引ける。  俺の考えていることでも察知したのだろうか。  だが、その表情はすぐに崩れた。  純真な笑顔が俺の前で花開く。  そして俺の手をぐいぐいと引っ張る。 「次あれ乗ろう、あれ!」 「おいおい……」  本当に元気なやつだ。  その元気を少し分けてもらいたい。 「えーと大人二枚……でいいんだっけ?」 「げ……」  思わず声が漏れる。  俺の手を引いてアルクェイドが並んだ場所は、またしてもジェットコースター乗り 場だったからだ。 「アルクェイド。さっきも乗ったじゃないか」 「えー、さっきのはレッドサイクロンでしょ? これはHANAYAMAの方」  遊園地のパンフレットを広げながら、要らん知識を蓄えたアルクェイドはそう俺の 言葉に反論した。  さっき乗ったレッドサイクロンとやらは橋桁からレールまで全て木造で、普通のジ ェットコースターの怖さに増して、ギシギシときしむ音が不安感を煽るコースターだ った。  そして今目の前に聳え立つのはこの遊園地の目玉の一つでもあるHANAYAMA というコースターで、最大速度など四項目もギネスブックに掲載されたほどのキング ・オブ・コースターで大人でも泣き出すほどの代物らしい。車体には何故か刺青の様 な模様が描かれているのが特徴だ。  わざわざ心臓の弱い方は勿論、この手のものが苦手な方はご遠慮下さいの看板がか かっているほどの代物で、一日に何人かは失神する人もいるとのことだ。 「………」  想像通りアルクェイドは絶叫マシ−ン系が大好きらしく、さっきからそんなものば かりを選んで俺を連れ回していた。  しかし俺は体が弱いせいなのか気が弱いだけなのか判らないが、この手のものは苦 手としていた。  お約束と言う莫れ。  今まではアルクェイドにつきあってきたが、流石にキツイ。 「お前にとっては大した速さじゃないんだろ?」  普通の人間が感じる恐怖感を感じるとは思えない。  さっきでだって終始笑っていたし。 「うーん、でも楽しいよ」 「ならいーんだが……」  しかしここで断固拒否できない俺もどうかと思わなくもない。  俺がキツく言うとがっかりした顔をするかもしれない。  そう考えると少しぐらい我慢しよう。  どうせ、死ぬわけじゃないしな。 ―――そんなことを思えたのはジェットコースターが動き始めた数秒までだった。  ぐるぐるとせかいがまわる。  たくさんのいろとりどりのもんようがめのまえをせんかいする。  あれはねろかおす。  たくさんのどうぶつのおともだちをひきつれてこちらにえがおをむけている。  となりでかんこーひーをのんでいるのはしきじゃないか。  あまくないかいそれ。  ああせんせい。  こんなところでせんせいにあえるなんておもいもよらなかったです。  なつかしいなゆみづか。  ゆくえふめいだとはきいていたけれどもどうしてそんなところに。  みんながまんげきょうのようにぐるぐるぐるぐるまわりだす。  せかいがまわるまわるまわるよちきゅうがまわる。  たのしそうにわになってまわってまわって…… 「志貴ー、楽しかったねぇ。志貴?」  あるくぇいどやっぱりちょっとこれはおれにはきつかったようなきがするよ。  おまえはわらってばっかりだけれども。  おれにはちょっとあわなくて………  し、志貴?  ど、どうしたの? 大丈夫!?  何をしているんですか、貴女はっ!!  ど、どーしてあなたがここにいるのよっ!!  そ、それはその……って、それどころじゃありません! 魂がっ、魂が遠野くんの 口からっ!!  志貴っ!? 逝っちゃ駄目ーっ!!  …………  ………  ……  …  何だか凄い夢を見ている気がする。  獰猛なグリズリー二頭が俺の体に跨り、交互に俺の胸をバシバシと掌の肉球の部分 で叩くそんな夢。  肋骨は砕け、肺は破れ、呼吸なんかできやしない。  やめてくれ。  殺すならせめて一思いにやってくれ。  これじゃあ……  こんなんじゃあ……  俺はお前らを…… ―――殺すしかないじゃないか…… 「っ!?」  危ういところで目が覚めた。 「こ、ここは……」  目で認識する前に、遊園地内で聴きつづけた音楽が聞こえてくる。  遊園地に来ていたことを思い出した。 「……あ、志貴。やっと起きたんだ」 「アルクェイド………俺寝てた?」 「うん。ずっと」  視界のアルクェイドは横に立っていた。  気がつくとベンチの上で横になっていたらしい。 「何だか気分悪そうだったけど……大丈夫?」 「いや、寝てたら大分良くなったよ」 「………」  体を起こして座り直してから、まだ立ったままのアルクェイドの方を見ると、しょ 気ているように体を縮こませていた。 「もう大丈夫だって。そんなに心配するなよ」  さっきまで気を失って寝ていたのだから説得力は無い。 「でも……」 「気にするなって。俺が倒れるのは最早宿命みたいなものなんだから」  言っていてやや情けないが、今はアルクェイドの笑顔を取り戻す方が先だった。 「折角楽しんでたのに、ごめんな」 「ううん。わたしこそ、志貴の身体のことも考えずに……」 「そんな顔するなって」  アルクェイドの頭に手を当てると、その金髪を掌で揉むように撫ででやる。  アルクェイドが困ったような照れたような顔をしたその瞬間、背後から凍るような 視線を感じた。  振返ると、慌てて黒鍵らしきものを背中に隠したシエル先輩がいた。  何だかその身体がボロボロになっていたように見えるのは気のせいだろうか。 「せ、先輩……」 「偶然ですね、遠野くん」 「絶対違う」  ニコニコとそう仰るシエル先輩の言葉を即座に否定した。 「どうして…」 「偶然です」  最後まで言わせないでそう繰り返した。  それで押し通すつもりらしい。 「でもわたしだけじゃないですよ。ホラ」 「へ?」  シエル先輩の指差す先を見ると、遠くで琥珀さんが笑顔で手を振っていた。  少しは気まずそうな顔ぐらいして欲しい。  着物は兎も角、割烹着は止めれ。 「あ、秋葉」  その横にはギョッとした顔で固まっている秋葉がいた。  一瞬だけ逃げようと顔をそらしたが、開き直ったらしくツカツカと靴音高く俺達の 前にやってきた。 「こんにちわ、兄さん」 「まさか秋葉も偶然なんて言うんじゃないだろうな」 「言いませんわ」  毅然と髪を手で梳くような仕草をして言い放つ秋葉。 「兄さんがそこの吸血鬼に誑かされていないか心配で尾行してきたんですから」 「秋葉さま。そうはっきり言うのもどうかと……」  そう言いながらも、一緒にいた翡翠もしっかりと側に控えている。  だから外に出る時はメイド服止めれ。 「おまえたち、何しに来たんだ」  聞くまでもないことだが、一応聞いておく。 「偶然です」 「監視です」 「付き添いです」 「………」  あ、この鉄面皮揃いの中、翡翠だけが気まずそうだ。  俺的翡翠ポイント+1。 「全く、みんな困ったものだ……」 「そう?」 「え?」  意外なところから、意外な言葉が漏れた。 「いいんじゃない。折角みんないるんだし、全員で遊ぼうよ」  驚いたことに、アルクェイドは平然としていた。  これにはシエル先輩達も驚いた顔をしてアルクェイドを見る。 「アルクェイドさん。どういう風の吹き回しですか」 「へ?」 「そうです。まさか何かたくらんでいるんじゃないでしょうね」 「企む? なんでわたしが?」 「だって……」 「ねぇ……」  だからって二人で俺に振るなよ。俺は知らないよ。 「それでみんなが楽しめるなら、楽しめば良いじゃない」  そう言うアルクェイドの姿は輝いて見えた。  服装が白いから、髪が金色だからじゃなく本当にそう見えた。  俺だけじゃない、シエル先輩や秋葉まではその輝きに目を奪われているようだった。  すごいぜ、アルクェイド。  お前、いつのまにそんな立派で分別ある大人に… 「だってわたしが志貴を一番に思えて、志貴がわたしを一番に思ってくれているのな ら、わたしはそれだけで満足だもの」  眩しい笑顔で、そう言いきるアルクェイドは本当に輝いて見えた。  そう真顔で言われると、めっちゃ恥ずかしい。 「………」 「………」  それに対してこちらの娘さん達は、非常に言葉では形容できない複雑な表情を浮か べていた。 「呆れました。よくもまあ恥ずかしくも無くはっきりと言えたものです」 「何だか毒気が抜けてしまいましたわ」 「それにわたしは志貴が一番誰よりも好きなだけで、シエルや妹も特に嫌いじゃない し。皆でやる方が楽しいことで、志貴もその方がいいならわたしは構わないよ」 「あははー 勝者の余裕と言うことでしょうか。秋葉さま、これは一本取られてしま いましたね」 「琥珀。随分と嬉しそうね」 「そんなことはないですよ」 「顔が笑ってるけど……ってもういいわ。あんまりねちっこくしているのもみっとも ないから」 「わたしも今日のところは帰ります。何だか疲れてしまいましたから」 「あら? シエルも帰るの」 「ええ。今日のところは引き下がります」  何故か笑顔のシエル先輩。  勿論俺に向けて。  剥き出しの刃をイメージさせて怖い。 「兄さん。早く帰って来てくださいね…」 「あ、う、うん……」  素直に寂しそうな顔を向ける秋葉。  これはこれでたまらない。  まるで罪でも犯しているような気分になる。  そんないくつもの感情を残しながらも、彼女達は去っていった。  明日から、いや早ければ今晩からの生命活動の維持が困難に陥る可能性もあるが、 事の大小は別として考えればいつものことだ。  そして俺達の休日の遊園地デートは色々合ったが再開する。  アルクェイドは俺が一度倒れたことで気を使ったらしく、大人しめの遊戯ばかりを 最初のうちは選んでいたが、やっぱり最後あたりでは激しいものばかりが続いた。  俺もあのジェットコースターほど凄まじいものではなかったので、一緒に楽しめる だけの余裕があった。  こうして散々遊び尽くしてから夕方近い時間になったのを見て、ようやく遊園地を 後にした。  三日分は遊び続けたような疲労感がある。 「しかしお前、恥ずかしいなあ」  話はいつのまにか、昼頃のアルクェイドの言葉の話になっていた。 「どうして? わたしは自分が思っていたことを言っただけだよ」 「いや、いいんだけどな」 「どうせ、志貴はわたしのものだもの。少しぐらいは譲ってあげるのに」 「………」  その言葉をさっき皆の前で言わなかったアルクェイドを誉めてあげたい。  言っていたら今頃はいつものドタバタだ。 「?」 「あ――いや、気にするな」 「どんなに邪魔が入ったって、志貴はわたしのことを一番に思ってくれているんだか ら、それさえ判っていれば多少のことは気にしないよ」 「………」 「そうでしょう?」 「う……」  だからその笑顔は非常に反則だというのに。  魔眼なんかよりもよっぽど遠野志貴には効き目がある。 「……志貴は、違うの?」  ちょっと拗ねたような、恐れるような顔。 「違わないよ。ただちょっと恥ずかしくてそう素直に言えないだけだ」 「恥ずかしい?」 「その、なんだ。日本人にはあんまり素直に感情表現する習慣とかないから――なの かな」  俺にもよく理由や因果関係は判らない。  判っていても説明できるほどじゃない。 「でも……」  右を向く。  よし。  左を向く。  よし。  誰も見ていない。 「アルクェイド」 「なに?」  俺が手招きをすると、何の疑問も躊躇いもなく近寄ってくる。  肩口までの金の髪に白い服。  細く長い眉と赤い瞳。  夏の陽が落ちるのには遅いけれど、闇に染まるのもその分早い。  赤い陽射しに染まった、貴重なアルクェイドの姿はそこにいた。  俺のすぐ目の前に。 「ん……」  唇を重ねる。  そして、熱っぽい目でアルクェイドを見つめることで、説明替わりにする。  数秒のことが数分に感じられる。  キスをする――たったこれだけのことなのに、気持ちが高ぶって仕方が無い。  自分でやっておいてなんだが。 「―――――志、貴」  見るとアルクェイドの目も潤み、頬はピンク色に染まっていて、何とも言えない雰 囲気を醸し出していた。  そこで俺の中の何かの線が切れる。  一度離してからもう一度唇を重ねつつ、右手でアルクェイドの胸の膨らみに触れて いた。  服の上からでもそのボリュームのある柔らかな感触を味わえることが出来る。 「ん……あ、ん……」  やばい。  止まらなくなりそうだ。  そう思った時、アルクェイドと目が合った。 「………」 「………」  唇が離れる。  一緒に手も離れた。 「………」 「………」 「ははは」 「あはは」 「ははははははは」 「あはははははは」  照れくさかったから、笑うしかなかった。 「志貴って奥手なのか大胆なのかちょっと判らないよね」  ボソっとアルクェイドが呟く。  俺もそう思う。 「あ、志貴」 「ん?」 「今日はどこでご飯食べようか」 「そうだな。今日はどこに行こうか……大帝都なんかどうだ?」  大帝都はここ隣街で一二を争うほどの有名な焼肉屋だ。  一級品の肉質とそれに似合わない低価格、そして月に一度の割合で食べ放題をやる のでこれで人気が出ないわけが無い。  食べ放題の日が先日過ぎたばかりなのは残念だが、その方が空いていて店に入りや すいとも言える。 「志貴に任せるー」  にぱーと笑いながら、そう言ってくれた。  それが全幅の信頼を置いてくれているからなのか、単に何も考えていないだけなの かは判らないが、 「よし、じゃあ今夜はごちそうだ!」  俺にはその満面の笑みを見るだけで満足してしまっていた。  そう言って歩き出すと、 「………!」  脳裏の奥で、俺が見たことのはずの無い風景が浮かぶ。  見たことの無いはずの場所で、  見たことの無いはずの景色の元で、  見たことも無いはずの姿のあいつが、 ―――月を、見ていた。  月下のあいつはただ美しくて、綺麗だった。  月の光を浴びて、輝いていた。  その姿は気高いようで、幻想的なものを感じさせた。 「ん? どうしたの志貴? またいきなり立ち止まっちゃって?」  空はまだ夕焼け。  この季節ではもう少し遅くならなければ暗くはならない。  目の前にはキョトンとした顔のアルクェイド。  そう、今の俺が知っているあいつがここにいる。  いや、俺はこいつしか知らないのだ。  遠野志貴にとってのアルクェイドは紛れも無く今、こうして不思議そうな顔を向け ているこいつに他ならない。 「ひょっとして立ちくらみでもした?」  一日中、平然と日の光を浴びている吸血鬼の姫君。  そいつは俺の横で、喜怒哀楽を隠そうともせずにありのままの自分を見せている。  それはきっと、夜が更けようとも変わることはないだろう。  どんな月夜の晩にでも、俺の前にいるこいつはきっとこいつのままだ。  そう思うと、無性に嬉しくなった。  空にはまだ、月は出ていない。  それでも数時間後には真円を描くような満月が浮かび上がることだろう。  その時は一緒に、笑いながらその月の光を浴びるのも悪くない。  二人でいれば、そんなことでさえ楽しめてしまうだろうから。 「なんでもないよ、心配するな」 「まあ志貴が大丈夫ならいいんだけど……あ」  そう言ってアルクェイドの手を引くと、驚いたような顔をして俺の手に掴まれた自 分の手を見た。 ―――お互いそれ以上のことを散々しているくせに、そんな顔をしてどうする。  笑いたくなったが、我慢した。 「さ、行くぞ」 「うん!」  俺はアルクェイドの手をとったまま、今度こそ真っ直ぐに歩き出す。  そしてアルクェイドも続いていた。  その二人の背中を照らすように陽がゆっくりと沈んでゆく。  そして月がそんな彼らを見守るべく、ゆっくりと登ろうとしていた。                             <完>