墓守 〜食うか食われるか〜



 きっかけはただの思い付きだった。
 それぐらいしか、この俺にはできることはなかったから。
 そんなこんなで3月の14日。
 今日は朝からお菓子作りに忙しい。
 例年も作っていたが今年は更に数も量も多くなってきていて大変だ。

「シロウ、今日は朝から精が出ますね」
 皆からホワイトデーというのを聞いたのであろうセイバーはいつになく上機嫌で俺
の手つきを見守っている。自分からねだるなんてことははしたないのでできませんが、
シロウの方からくれると言うのであれば頂くことにやぶさかではありませんというか
是非とも欲しいですという顔をしていたので、ホワイトデーとはバレンタインデーの
お返しであって、貰わない限りはあげる義理はないのだということを説明してみたと
ころ、この世の終わりを告げられたかのような物凄い顔になった。道場で一人稽古の
竹刀の音が悲しく響く。
「どうしたのよ、彼女?」
 別段、招きもしなかった遠坂が入れ替わるようにして朝からわざわざやってくる。
 それには答えず今日は何の用かと尋ねると、赤くなったりしおらしくなったりうつ
むいたりして挙動不審になった挙句、最後にはいいでしょ別にと逆切れを起こしたの
で、まあまあと宥めながらお菓子作りの手を止めて、冷蔵庫から昨日買って置いた安
物の義理返し用に売られていたマシュマロの袋を差し出したところ、意味を理解する
のにたっぷり十秒以上はかけた後、プライドか何かを計りにかけたような逡巡を見せ
て、最後には青筋を立てた笑顔でお礼を言って去って行った。ドア壊れてないといい
けど。
「遠坂先輩、どうしたんですか?」
 普段は台所の所有権に関してはなかなか引くことのない桜だったが、今日に関して
は使いたい旨を伝えると、妙に浮かれた顔をしてどうぞどうぞと明け渡してくれ、い
つも人の作る様を眺めているのに、ちょっと離れていますとわざわざ俺に断りを入れ
て立ち去ったのにこうしてすぐに戻ってきたので、お腹が減ったんだなと昨日のご飯
の残りで作り置いたおにぎりを手渡すと、違います別にわたしはお腹がすいたわけじ
ゃありませんというのをいいからいいからと理解ある顔をして押し付けたら、俺の居
ない場所でいつもしているような沈んだ顔をしてありがとうございますと言ってまた
何処かに戻っていった。この家に桜一人でいる場所なんてあったか記憶にない。
「士郎〜♪」
「ないっス」
 藤ねえは、泣きながら俺を殴った。


 そんな朝の出来事のせいか、皆の機嫌がすこぶる悪かった。
 結構自信作の朝食だったのに、会話もなく空しくカチャカチャという食器の音しか
聞こえてこない。
 セイバーは己が浅ましいと自分を責め立て、桜は勇気のない己が嫌いと自分を苛み、
藤ねえは俺が悪いと自分を棚に上げる。
 お代わりの声もいつもより少なく、黙々と片付けられた食事が終わると、俺は食器
洗いを申し出た桜に甘えて、朝の続きに取り掛かる。
 殊更水を出して力を込めて食器を洗う桜に、道場で瞑想に耽ると出て行ったセイバ
ー、隙を見ては手を伸ばしてくる藤ねえを余所に、わざわざ買って来た包装紙で作り
終えたばかりのお菓子を丁寧に包んでいく。リボンまではやりすぎだろうか。
「ねえねえ誰にあげるのよ、ねえってば」
「煩いな、藤ねえには関係ないだろ」
「私は士郎の保護者よ!」
 虎というよりも猿のようにキイキイと咆える藤ねえをうんざりしながらあしらって
そのまま出掛ける準備をする。
 道場に居るはずのセイバーが廊下から顔半分だけ見えたり、蛇口からの水量を減ら
していた桜が背中を強張らせているように感じたりするが気にしない。

   市原式諜報術で監視するセイバー「お菓子……」


「それじゃあ、行ってくる」
 誰の見送りもなかったのに、何となく三人には聞こえている気がしてそう言うと、
ラッピングしたお菓子だけを持って外に出た。

 歩く歩く歩く。
 一人で歩いているのに、何故か足音が複数聞こえる気がする。
 立ち止まると少し遅れてから止まる音。
 首を傾げて振り返ると当然誰もいない。
 自意識過剰にも程があると、普段はわざわざ口には出さない独り言を呟くよりはち
ょっと大きめな声で言うと、再び歩くことにした。

 歩く歩く歩く。
 本当ならタクシーか自転車にでも乗った方が楽だし早いのだろうが別に急ぐわけで
もない。
 それに車だと俺じゃない人が大変そうな予感がしたので、徒歩にしておいた。
 障害物の少ない直線は振り向かないように心がけたり、すれ違う人の視線が俺の後
ろのような感じなのも深く考えない。

 歩く歩く歩く。
 すれ違う人がいなくなり、周りの景色も何もなくなってきた頃になって、背中から
の気配が薄くなっていくのが感じ取れた。
 どうやら、気づかれたみたいだ。

 そこから郊外の森を、草木を掻き分けながら踏み込んでいく。
 前に行った時はあれだけ長いと感じられた密林だったのにも関わらず、今日は迷う
こともなく休み必要も感じないままに通り抜け、見えてきた聳え立つ城を目指して歩
き抜いた。
 そのまま既に焼け落ちて焦げ臭い臭いすら消えかけている城の中庭へと向かうと、
俺と遠坂が作った墓標が見えてくる。
 それは墓標というにはあまりにあんまりな粗雑な作りのものだった。
 それでも何故か毎日手入れでもされているのか風化していないように見えるのは、
俺の思い込みだろうか。土埃で汚れているのに輝いて見える。

 助けたかったのに、助けられなかった。
 あの時の悔しさを思い出しながらも、大きく息を吐いた。
 今日はそういう日ではない。
 きっと笑顔と笑い声だけが相応しい。
 人はいつも笑っていて欲しい。泣き顔も苦しみの声も聞きたくない。

 俺はここで改めてさてと、と口に出して息を吐くことで気持ちを切り替える。
 そして恭しく、今日唯一の荷物をそこに置いた。
 向こうからはバレンタインのチョコは貰っていないからこれはサービスだ。


 暫く佇んでいると、少し離れた場所からさっきまで薄れていた気配がまた感じられ
るようになっていた。
 流石にここまで追って来られるのはそういないらしい。
 やれやれとそのお節介な居候のことを思う。
 ちょっとだけ縁があって、その縁も今は切れたのに彼女はこの世界に留まっている。
 俺と似たところのある彼女は、俺がかつて彼女を放っておけなかった気持ちと同じ
ぐらいに、今の俺を放っておけないらしい。
 全く生真面目というか、いじらしいというか。
 そんな彼女とは反対な小悪魔ちっくな笑みの似合っていた少女の姿を改めて思い浮
かべる。
 そんな悪戯好きそうな彼女から、今も見守っているだろう心配性の彼女をからかっ
てやれと言われたようにフト感じた、
 勿論、そんなのは俺の思い込みだ。
 けれども、今日一日いつもと違って意地悪をしたくてたまらないのは、彼女がそう
望んでいたからだと決めることにしていた。
 彼女とは血の繋がりもなければ、戸籍上も関係なく、成長過程も違うのだろうが、
俺とは兄妹にあたるらしい。どんな形であれ切嗣の娘を名乗るのであれば、俺にとっ
て他人じゃない。
 これも一つの供養だ。
 そんな詭弁を振るって、おおよそのことは知っていても詳しくは知らないだろう相
手にわざわざ聞かせるように、手を合わせて口を開いた。


「愛してたよ、バーサーカー」


「なっ!?」
 背後で激しく転倒する音がした。
 ガサガサガサと小枝が折れたり、葉っぱが千切れるような音が響く。
 クククククと腹を抱えて笑いたいのを我慢する。
 全く、素直にも程がある。
 改めてニヤリと笑ってから、振り返った。
「いや、冗談だけど」
「ふ、不謹慎にも程がありますよ……シロウ」
 セイバーはわたわたと慌てながらも俺に抗議をしてくる。
「あの子が、これ見て笑ってくれたらなって」
「……シロウ」
 言葉を向けたのは、俺が助けられなかった少女。
 深く知り合うこともなく、ろくに会話を交わすことさえなかった彼女への手向け。
 そしてここまでついてきた彼女への意地悪だ。
 心配してくれるのは嬉しいが、出来れば誰も居ないで欲しかったのだから。
 うん、俺は悪くないよな。
「それでも少し……」
「しんみりよりは、いいと思わないか?」
 転んだせいで薄汚れていたセイバーの服の汚れを手で叩きながら尋ねる。
 本当は少ししんみりしたかった部分もあるが、口には出さない。
 この俺なんかが感傷に浸るには百年早い。
「……」
 彼女は答えない。
 ここで、安易な言葉を口にしないところが彼女らしいと思う。
 さて、意地悪はここまでにしておこう。

「実はセイバーの分もある」
「えっ、ほ、本当ですかシロウっ!」
 即反応。見るからに物凄く嬉しそうだ。朝の言葉が効きすぎたかも知れない。
「昨晩作っておいたものが人数分冷蔵庫に」
「で、ですがそれらしきものは……」
「覗いたのか」
「い、いえ、それはサクラが……」
 ああ、無駄に何度も開け閉めしてたっけ。
「駅前の量販店で買ったマシュマロの袋に偽装してあるのが実はそうだ」
「え? ……あっ」
 思い当たったらしい。
「中は別になっていたり」
 遠坂にも渡したが、一応中を開けばすぐに気づくはずだ。
 そしてそのマシュマロはまた別に袋に詰めて置いてある。
 今度コペンハーゲンのバイトに行く時にでも持って行く予定。
「さて、昼に遅れる前に帰るかセイバー」
「はいっ。シロウ」
 ウキウキした彼女を顔を眺めつつ、俺は来た道を戻っていく。


 まあ、こんなのもいいと思う。
 命日に花束を贈るより、悔悟の言葉を述べるより。
 そう思わないかい、イ―――



「「「あ」」」


 振り返ると、長く森の中で暮らしていたかのように血と土で汚れ果てたメイドが俺
のお菓子を貪るようにして食べていた。
 口の周りをべとべとにしながら、表情を変えずに感想を述べる。


「これ、とてもおいしいです」
「……アンタ、誰?」



 それが俺衛宮士郎と、後に衛宮の貴婦人として名を馳せた我が愛妻リーゼリットと
の馴れ初めだったりするのだがそれは一先ず置いておく。
 何故なら、嘗て何者にも屈しなかった筈の少女がガクリと両膝をついたから。



「なんて――――コト」



 セイバー号泣五秒前。




                          <おしまい>



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