輪になって踊ろう



「それじゃ先に行くけど。一人だからって遅刻しちゃだめよ」
「はいはい。藤ねえこそ朝のお勤め、頑張ってくれ」
「うん。ありがとね、士郎。朝ごはんおいしかったよ」
 ぺこり、とお辞儀をして学校に向かう藤ねえ。

「――――さて」
 こっちはまだあと三十分ほどある。
 朝食の後片づけも済ませたし、昨日の取り決めを実行しよう。
 そう思って踵を返した瞬間、ガラリと再び玄関の戸が開いた。
「何、藤ねえ忘れも―――」


 再び振り返るとそこにはキャスターがいた。


「ごきげんよう」
「なっ……」
「昨晩は大丈夫だったかしら?」
「なっ……」
 そんないきなり玄関から普通になんて。
「キャ、キャスター……」
「そんな驚いたような顔をしてどうしたのかしら」
 俺の狼狽する様が可笑しいのかフフフと口元に手を当てて微笑むキャスター。
 だが、そんなことはどうでもいい。
 くそ、何て油断だ。
 昼間からやりあうことなんて無いと思い込んでいたから、咄嗟の反応ができない。
「き、さ……」
「こんにちわ、坊や」
 余裕綽々のキャスターを前に俺はまだ一歩も身動きをすることができないでいた。
 何せ昨日の今日だ。
 嫌でも昨晩の出来事を思い出してしまう。
「何しに来た!」
 腹に力を込めて声を出して、ようやく体の緊縛が解ける。
 別に昨晩のように術を使っているわけでもなく、こっちで固くなっていただけだっ
た。
「そんなに身構えなくても大丈夫よ、とって食べたりなんかしないわ」
「くっ……」
 俺の心境を見透かしたような、嘲りを含んだ声。
 沸々と怒りが込み上げてくるが、ここでいきなり飛びかかることなんてできない。
「昨晩はごめんなさいね」
「何を今更……」
「でも今日は貴方を殺しに来たんじゃないわ」
 そう言いながらキャスターは入り口を通って玄関の内に入る。
「くっ」
 相手との距離が一歩近づくにつれ、思わず足が一歩引き下がりかけているのに気づ
いて、何とか踏み止まった。
 そんな俺の様子を見たからか、キャスターはそれ以上は近寄ってこなかった。
「今日は貴方に提案があって来たの」
「提案だと?」
 街の人間を全て意のままにできる魔女の言葉など信用ができない。
 できない筈なのだが、何か抗えないような迫力が今のキャスターにはあった。
「そう力まないで。お互いの力関係は昨晩ではっきりした筈よ」
「っ! そんな話なら……」
「いえ、ごめんなさい。今のは失言だったわ」
「ん?」
 慌てて否定するその口調に気を削がれる。
 同時に急に相手の気配が変わるのがわかった。
 さっきまでの迫力が消えて、空気が軽くなる。
「今日は貴方にお願いがあって来たの」
「……」
 フードに隠れた顔からはその表情は窺い知れない。
 だがさっきまでの昨晩の空気を引き摺っていたものとは違い、親近感とまではいか
ないがとっつき安さを感じさせるようになっていた。
「お願いとは随分な話だな」
 それでも警戒は解かずに身構えたまま向き合う。
「……ええ。その、さっきは言い方が悪かったと思う。ごめんなさい」
「え? あ、うん」
 何だか一気に弱腰になってしまって面食らう。
 情緒不安定なのだろうか。
 先ほどまでの自信たっぷりの人を見下したような態度と違って、何だかうろたえて
いる様な落ち着きのなさっぷりだ。
「それでお願いって……」
 つられてこっちの口調も柔らかくなってしまう。
 甘いと自分でも思うがこればっかりは仕方がない。
「え、ええ。あの……柳洞一成に聞いたのだけど」
 不意に聞きなれた固有名詞が飛び込んできた。
「っ!? お前一体一成に何を――


「貴方……和食が得意なんですって?」


 したんだっ! ……って、え? 何?」
「ですから、お料理」
「えーと、え?」
 力んだ感情の行き場を失い慌ててしまう。
 なんですと?
「彼に聞いたら自分の知っている限り和食は貴方が一番美味しいって……」
 何故か恐る恐る聞いてくるキャスター。
 昨晩と同一人物とは思えない変貌っぷりだ。
「その、まあ、一応得意と言えば得意かも……」
 何か我ながら間抜けな感じだなぁと思いつつも答えた。
 幾らなんでも聖杯戦争に和食が関係するとは思えない。
「良かった……昨晩殺してしまわなくて」
 ホッと胸を撫で下ろしながらぶっそうなことをのたまうキャスター。
「ちょっと話がわからないんだけど……」


「お願い! 私に和食を教えてっ!」
「………え?」



「……シロウ」
「言わないでくれ」
「ですが、これは一体」
「俺も良く判らないんだ」
「先生! 宜しくお願いしますっ!」
 キッチンには腕まくりに襷掛けをしたローブの上に割烹着を着たキャスターがやる
気満々で控えている。
「キャスター! これは一体何の企みですか!」
「企みだなんてとんでもない! ……これは……ポッ」
 何故か答えず頬を染めるキャスター。
「言えないような事を考えているのですね!」
「止めろセイバー!」
 そんなキャスターに剣を振りかざそうとするセイバーを止める。
「離してください、シロウ! 敵陣に一人ノコノコと乗り込んできたのが運の尽き!
 ここで一気に片をつけてしまいますっ」
「そんな野蛮な」
 セイバーが怒るのもわからなくもないが、それでもここは止めなくてはならない。
 当のキャスターはまだ何か夢でも見ているのか、頬を染めたままこちらのやりとり
には反応を示そうとしなかった。
 本気で昨日と同じ奴だろうか。
 顔見てないし、入れ替わっていてもおかしくない。
 そう疑うほどに最早昨晩の気配の欠片も無かった。
「何を悠長なことを言っているのですか、貴方は!」
「だってキャスターも襲わないって約束してるし」
「そんな口約束を信じる馬鹿は貴方ぐらいです!」
「なんだよ、馬鹿って言うなよ!」
「馬鹿です! どう見ても、どう考えても! 貴方のしている事は愚か者の所業でし
かないっ!」
「そんなこと言うなよ、わかんないじゃないかっ!」
「シロウっ!」
「あの、お取り込み中悪いんですけど……」
 一人頬を両手で押さえながらくねくね踊っていたキャスターが割って入る。
 やっと気を取り直したらしい。
 というか憤るセイバーに剣を向けられても全く動じないのは流石というべきなのか
も知れない。
「坊やの言ったことは本当よ」
「それ見ろ」
「馬鹿ですか貴方は!」
 得意げに胸を張るも更に罵倒するセイバー。
 むむ、なんだよそんなにムキになっちゃって。
「私は貴方達から魔力を吸い上げることよりも大事なものを見つけたの。だからもう
聖杯なんかには興味はないわ」
「そんな口からでまかせを。聖杯を追い求める為に存在するサーヴァントが、聖杯よ
りも大事なものがあるなんてことは有り得ない!」
「あら、それを言ったら貴方のマスターは聖杯が欲しくてこの聖杯戦争に参加したわ
けじゃないんでしょう?」
「シロウは別です!」
「私が坊やを騙そうと思ったらこんな正面から来たりしない。遠くからしか仕掛けら
れないサーヴァント中最弱の私が、近距離では無類の強さを誇るサーヴァント中最強
の貴女の前に、出たりすると思って?」
「だからこそ企みが……」
「じゃあ貴女の言うとおり企みでもいいわ。信じる信じないは水掛け論ですものね。
私は坊やに和食料理を教えてもらう。その代わり私は今日から必要最低限しか街の住
人達から魔力を吸い上げない。妥当どころかそっちに有利な取引じゃなくて?」
「そんな話こそ信用できるものではないでしょう、キャスター。魔力の吸い上げは今
の貴女の力の全てといっていい。それが料理の伝授で止めるなんて考えられない」
「それは価値観の相違よ、セイバー。貴女にしてみれば話にならないことかもしれな
いけれど、私にとっては大事なことなの。もし坊やが望むのなら二度と争わないと誓
ってもいい。それも私の意に叶うことだから」
「なっ。本気ですか、キャスター」
 絶句するセイバー。
 彼女もここまできてようやくキャスターの本気に気づいたらしい。
 まあ、これが普通の反応だろう。
「ええ。でなければこんな危険なこと、いいえ、馬鹿なことをしたりしない。貴女の
言うとおりよ、セイバー。でもね、私は知ってしまったの。私の望みを。それは今得
ているもので、これから得られるものじゃない。だから、いいの」
 昨晩の今朝で一体何があったというのか。
 だが別人格というわけでもないし、騙しているようにも感じられない。
 何より和食を教えて貰うということにここまで必死になって騙すものではない。
「だから、疑われるのを覚悟で、恥を忍んで私は来たの」
「キャスター……」
 顔は見えないが、両手で胸を押さえる様はまるで大事なものを抱えているような感
じさえした。
「教えてくれる、衛宮士郎?」
「シロウ……」
 セイバーが不安げに俺を見る。
 いや、セイバーだけじゃない。
 当のキャスターも不安げに俺を見ていた。
 どうやら理由は兎も角、本気で俺に和食を教えてもらいたいらしい。
 だが、本当にいいのか。
 これで解決できることなのか。
 何か間違っていないのか。
 幾度も考える。
 それでも結論は出なかった。
 そうなると最初に信じた直感に委ねることにする。
 俺はそこまで考えると、


「ああ、俺にできることなら」


 そう頷いていた。


「ありがとう……」
「それじゃあまず米を研いで」
「はいっ」
「シロウっ!」
「セイバーの危惧は判る。だが俺は……」
「ですが……」
「そうですよ、先輩!」
 いきなり前触れも無くセイバーに加勢が加わった。
「うおっ、桜!?」
「サクラ!? 貴女は暫くはここには来ない筈では……」
「何か悪い予感がして立ち寄ってみたんです!」
「そ、そうか……それでも俺は決めたんだ。理由は知らない。それでも目の前に困っ
ている人がいる以上放っておけない」
「ですけど……」
「ごめん。俺も甘いと思う。でも、いいんだ。今のキャスターは真剣だから」
「……シロウがそう、言うのでしたら」
 しぶしぶという形で、セイバーが引き下がる。
「桜、その。事情は話せないけどこれは大事なことなんだ」
「先輩……」
 途中から来た桜には詳しい事情は話せない。
 だから抽象的な言葉で謝るしかなかった。
「でしたら……その……わたし……っ!」
「桜!」
「サクラ?」
 桜が駆け出す。
 やっぱりいい加減な扱いが悪かったのだろうか。
 そんな後悔が沸いたが、聖杯戦争のことを話せないのだから仕方がない。
 後で謝ることに―――


「おい、桜! やっぱりここにいやがっ……な、なんだ、その目は!」
「兄さん、丁度良かった」
「な、何だよ、お前なんかが俺をそんな目で見ていいと思って……うわぁぁぁっ!」


 ガタンバタンと玄関の方で音がした。
 何か慎二の声が聞こえたみたいっぽかったが気のせいだと思う。
 いや何か不気味な予感がして足がすくんで動けなかったとかじゃなくて。


「お待たせしました先輩」
「なっ」
「え?」
 戻ってきた桜は一人の女を従えていた。
「この人、ライダーって言うんです」
「…っ」
 セイバーが剣を構えるが、桜は気にした様子も無い。
「お米、研ぎ終わりましたっ!」
 あの、キャスターさん。殺気とか感じなかったのですか?
 既に若奥様奮闘中っぽいオーラが滲み出ていた。
 しかし今だけはそんな彼女に構っていられる状況ではなかった。
「……」
 視線を戻す。
 桜の連れてきた人物は妙な目隠しが気になる背の高い女性だった。
 一目見て普通の人間じゃないとわかる。
 というかライダーって呼んだし。
「この人も日本食を先輩に教わりたいって言っていたんですよ」
「え、サクラ……」
 ライダーはそんな桜に困ったような目を向けるが、
「言ってたんですよね」
「……はい」
 そんな迫力満点の声と共に桜の手の甲が赤く光ったことで押し切られた。
 こんなことで令呪使わなくても。

「あの……シロウ。どうしましょうか」
 目の前の状況の展開についていけないセイバーがうろたえる。
「先生。この後はどうしたら……」
 恋する乙女っぽいキャスターが状況を無視して尋ねる。
「えーと、じゃあもうその、なんだ」
 桜がマスターだったことのショックとか、もう何が何やらとか色々ぐるぐると思考
が回っていく。
「そういうことで、わたしも先輩のお手伝いをしますっ!」
「あの、学校は?」
「しますっ!」
「……はい」
 こんな桜、はじめて見た。



「なんかやけにサーヴァントの気配が集まっていると思ったら……こりゃあ、一体何
の騒ぎだ?」
 庭の方から現れ、そう呆れた声を出すランサーに答えるのは居間で腕を組んで不貞
腐れているセイバーだった。
「シロウのお料理教室だそうです」
「へーえ。でもどうして?」
「さあ? 彼らの考えることは私には理解不能ですから」
 セイバーはギスギスとした口調で、不機嫌を隠そうともしないで答える。
「で、お前さんは何してるんだ」
「シロウに危害が加えられないか監視しているのですっ! それ以外に何があるとい
うのですっ!」
「ふーん」
 ランサーはその割には敵である自分と会話していることの矛盾に気づいたが、敢え
てその事には触れなかった。


「これはどういうことだ、凛」
「わたしに聞かないで」
 その隣では学校に士郎と間桐兄妹が来ないことに不審を抱いた凛が来ていた。
「なんなのよ、これ。頭、痛い……」
 呆れ顔のアーチャーを引き連れた凛は、顔面を手で覆うように頭を抱えていた。

「シロウっ バーサーカーも参加するって!」
「よっしゃ! もうどんと来い!」
「■■■■■■■■■――っ!!」
 キッチンから庭に舞台が移る。
 料理教室というよりも和気藹々としたキャンプ料理の様相を呈してきた。

「あ、いたんだ、リン」
「イリヤ……」
「いるだけなら邪魔だから帰ったら?」
「なっ」
「シロ〜ウ♪」
「……」
「どうするのだ?」
「行くわよ、アーチャー」
「凛!?」
「何かこのまま突っ立ってると何かに負ける気がするから」
「だからって……」
「貴方も手慰みの一つや二つできるんでしょう。だったら手伝いなさい」
「て、手慰みとは……凛……」

 誰が用意したのか庭の中央には煉瓦が組まれ、即席の竈が拵えられていた。
 その上には豚が丸ごと串刺しにされて吊るされている。
 その周りを士郎と中心に、雑談しながらそれぞれ手を動かしあっていた。

「これはどうやるのですか、サクラ」
「あ、それはですね右手でヘタのところを……」
「凛先生っ! できました」
「あ、ご苦労様。キャスター」
「シ〜ロウ♪」
「イリヤ! とと、ちょ、ちょっと待った!」
「衝撃で切れたか。どうやらこの桂剥きの勝負は俺の勝ちのようだな」
「待てよアーチャー。今のはなし!」



「これが……これが聖杯戦争で争うマスターとサーヴァント達だと言うのですか……」
 この世の悪夢とばかりにうち震えるセイバー。


「まあ、命のやり取りの世界じゃねーな」
 隣で柱に寄りかかりながら、肩を竦めるランサーが半眼でそれに応じる。
「こんなことに私は……私は……」
「アンタは仲間に入らないのか?」
「巫山戯るにもほどがありますよっ、ランサー!」
「そっか。まー、女で料理できないのは肩身が狭いわな」
「なっ。そんなことは……」
「無いと言えるのか」
「お、王には不必要なことです! 大体料理は料理人が作るものですし、食事とは食
べられるものさえあればそれで問題は無……」
「はいはい」
「聞いているのですか、ランサーっ!」
 激昂していて、自分の正体をバラしているのに気がつかないセイバー。
「ま、イングランド人に料理の話をするだけ野暮か」
「それは偏見ですっ!」
「んじゃ、俺もちょっくら加わってくるか」
「ラ、ランサーっ!?」
「ん? 俺も魚を捌くぐらいはできるぞ」
「なっ……」
「おーい。俺も仲間に入れてくれ」
 呆然とするセイバーと余所に、ランサーもキャンプの輪に加わる。


「な、な、な……」
 取り残されるセイバーを余所に、宴はたけなわに大いに盛り上がる。
 この日を境にサーヴァント達の結束は固まり、士郎の望んだ聖杯戦争における平和
解決の道が作られたのはまた別の話。






「ぐすん」
「その、なんだ……いい加減、元気を出せ」



 いなくなったことすら気づいてもらえず、山門に居つくアサシンに慰められるセイ
バーを除いて。




                          <おしまい>