あなざあず
このSSは『Another’s』のパロディ作品です。

「悪いけど、こういうことだから」
「―――ちょっと待ってください。リン。あと一時間、いや三十分時間を下さい!」
「はあ? セイバー往生際が悪いわよ」
「貴女はシロウを倒したくて倒したのでしょう。遺憾ですが、シロウはあまりに愚鈍すぎた。その間抜け面を見続けるのはイヤだったかもしれません。サーヴァントとして己のマスターの愚かさを責めることは出来ませんが、同調は出来ます。残念ですが、今回は諦めましょう」
「ふぅ……だったらこのまま終わらせていいのね」
「いや、まだです。せめてもの名残にこの戸棚の奥にしまわれたお茶菓子と思われる類を食い尽くすまではっ……なんとかっ……慈悲をっ……」
「あなたがあたしのサーヴァントでなくて良かったわ」
「私も、そう思います。金持ちの癖にケチそうですから」
「わたしは魔力が十分にあるから良いのよっ。食事なんていらないでしょうが」
「食事とは栄養補給だけのものではなく、人としての娯楽であり――リ、リン。待ってください。せめてこの麩菓子なるものだけでも――っ」

 それは夢だったのだろう。
 聞いたこともない筈の二人の声を聞いていた。
 一度も耳にした記憶のない会話だったのに、酷く懐が締め付けられる声だった。
 藤ねえの餌付け用の菓子がなくなっていたのはそんな理由があったからなのかよ。


「最近は知っての通り物騒だからな。言うまでもないが皆もくれぐれも注意するように」
 今日最後の授業の教師は、終業のチャイムが鳴るとチョークを置いて、最近では聞き飽きた注意事項を述べてから教室を後にした。
 帰り道が同じ者はなるべく一緒に帰るようにとも付け加えたが、流石に小中学生相手ではないので集団下校とまでは言えなかったらしい。
 冬木市は今、原因不明の災厄に見舞われていた。
 謎の長身の目隠し美女が手当たり次第に女生徒を襲っているらしい。謎?
 首筋を噛まれたと証言する者もいるので、すわ吸血鬼かという話も出たが今は下火になっていた。更に警察や町内会の見回りの大人たちが犯人らしき女性を見つけて捕まえようとすると、ママチャリに跨って信じられないスピードで逃げたというので、眉唾物の話だ。白馬に乗って天に昇ったと証言した生徒はシンナーがバレて停学処分に陥っている。ジュリアナで死んだ女性の怨霊がどうとかそれはきっと舞野舞だとか言う人はちょっと後で話し合おう。年齢詐称の疑いがある。
 そんな恥女騒動から部活動も休止されているせいで、殆どの生徒が足早に帰宅していく。
 生徒会長の一成は、真っ先に教室を後にしていた。彼の場合は、ここ連日行われている緊急会議の為であって帰宅のためではないが。なんでも執心していた葛木教諭との間に間女が現れたとかで、家にはあまり帰りたくないのだそうだ。苦労がしのばれる。だからって俺に乗り換えようとするな。

「ああ……うん、うん、わかった」
 家に来ることはないという桜の家の者からの電話にも慣れてきた。
 別にわざわざ電話を貰う必要もないのだが、電話越しで彼女が家に来ないでくれるという報告を聴くとホッとするのも否定できない。
 ある日突然お腹を膨らませて認知を迫ってきたのにはマジ引いた。
 前日まで普通だっただけに想像妊娠か偽装を当然疑ったのだが、あまりに切羽詰った表情と手にした出刃包丁の前に為す術がなかったのだが彼女の家のものだと名乗る右手が長い髑髏仮面に黒タイツ男がやってきて彼女を気絶させ、運んで行ってくれた時はホッとした。あの人は今度から白金バットと呼ぶことにしよう。今では拘束具に包まれて家の地下室に封印されているというが、まあそれは冗談だろう。冗談だと思うことで俺の責任の所在を有耶無耶にしているつもりではありませんよ。

 その翌日も、前日までと変わりがなかった。
 慌しく朝食をかっこんでいった藤ねえを見送り、いつも通りの時間に家を出て学校につく。学校も相変わらずだが、皆徐々に異常に慣れてきたのか、一つ一つの問題に対する反応が鈍くなっているようだった。ただ精神の方は蝕まれているらしく、欠席者も常時居て、全員揃う日はなかった。登校している生徒も疲れ気味だと零したり、顔色が優れない者も少なく無い。皆噂の恥女を見たいのだ。
 欠席者と言えば、桜発狂事件の前の日を境に慎二も学校に来なくなっていた。
 そう言えばあの日桜の重箱の中にわかめご飯があったような。しかもご飯は赤飯で妙に肉ばっかりだったようなのも気になるようなならないような。うんならない。

 今日の授業も教師が黒板に書くことをただ、ノートに写すだけだった。
 元から勉強が出来るわけではない俺や大多数の生徒達はこれ幸いと精神的な不調を訴えることで勉学の遅れを正当化する手段をとっていたが、学校側もそれに気づいてきた節がある。そろそろ対策が出されそうな気がするが、今はまだだらだらだ。
 授業の無気力ぶりとは対照的に、休み時間や放課後はあるところではわいわいと、また別の場所ではひそひそとそれぞれ情報交換を行うグループが出来ていた。
 他人の動静についてあれこれといい加減な憶測を交えた話をする連中を余所目に、荷物を手早く纏めると、近くに居た知り合い数人に挨拶をして教室を出た。
 廊下でも似たような光景が広まっている。
 男女構わずといったところか。
 時折通行の邪魔になる連中を避けながら、下駄箱に向かう。
 今日はいつもより若干人が多いようだ。
 何か噂だか何かに新ネタが入ったのだろうか。
 どっちにしろ興味はないので、いつも以上に早足で潜り抜けていく。
 ただその際、一際声の大きかったグループ連中の声は俺の心境などお構いなしに耳に届いていた。
「そうそう」
 誰かが言う。
 誰かに対して。

「遠坂、転校したんだっ――「嘘だッ!!!」」
 女の叫びが群集の合間を木霊していった…。
 それに驚いた生徒たちが慌てて逃げ出していく。
「ゲ、美綴……」
「逃げろ逃げろ」
 声の主を知った生徒達は慌ててその場を立ち去っていく。
 俺も続こうとするが逃げられない。
 いつの間にかつかまっていたから。
「衛宮くんは転校したりしないよね」
「も、勿論だとも」
 手を鉤のように丸めながら、空ろな目で問いかけるのは美綴綾子。
 例の恥女事件の被害者の一人でもある。
 その後、授業中に卑猥な言葉を発して両手で自分の顔を引っかいたとかで、顔に巻かれた包帯が痛々しい。
「凛ちゃんはね、転校したんだよ」
「さっき嘘だってお前言ってなかったか?」
「転校」
「は、はい」
 鷹の目だ。逆らわない方がいい。
「決して綾子がお持ち帰りしたわけじゃないんだよ」
「ウン、ソウダネ」
 兎にも角にも、遠坂凛はいなくなった。探すのは怖いので止めておこう。

「キャスターさん。いいですか、宗兄のお弁当作りはいいですが少しはバランスというものをですね。鰻に鼈にトロロなんて何考えてる―――おお、衛宮。今日の弁当のおかずはなんだ? て、何処に行く!?」
 生徒会室に入ると一成がフードを被って顔を隠した女性を前にネチネチと嫌味を言っているのを見つけた。戻るか。
「屋上」
 ここじゃあ物が壊れる。
「俺を捨てないでくれ。悪いところがあったら直す。予算の横領でも単位の売買でも何でもする。だからお願いだ、お前まで俺を嫌いにならないでくださいっ」
「ええい、裾を掴むな鬱陶しい」
「じゃあ私はこれで」
「待ちなさい。キャスターさん、話は終わって……ああ、待ってください。御主人様」
 二兎追うものはではないが、結局俺とキャスターは揃って生徒会室を抜け出す事に成功した。念の為外から封印しておこう。あと御主人様言うな。
「有難う坊や。あら、あなたも魔術師なの?」
「そういう貴女もですか」
 生徒会室の扉に魔術で封を二人して施しているのを見て、互いの正体に気づく。
「私は葛木キャスター。どこにでもいる普通の主婦です」
「俺は衛宮士郎。正義の味方になるために、悪の組織を捜してます」
「それなら心当たりが」
「なんて偶然だ。これも運命の出会いかも知れない」
「いけませんわ。私には夫が……」
「そう言うが奥さん、ここはそう言ってないぜ」
「だめ、だめです」


「そうか、遠坂は衰弱死したのか……」
 聖杯戦争なんかどうでもいい。
 セイバーには悪いが、今の俺にとって一番悔いが残るのは遠坂のことだった。
「ええ。お持ち帰られたまま戻ってこないというのはそういうことよ」
 屋上の真ん中にポツンと置かれたベッドの上で、紫煙をくゆらせながら初恋の女性の姿を思い浮かべる。あの髪を使った妄想はいいズリネタだったのに。
「そっか先越されたか……痛っ なんだよ」
「もう知りません ツーン」
 頬を膨らませてそっぽを向くキャスター。全く一度寝たぐらいで以下略。

「あー、まだ腰がギシギシいってるような気がする……」
 アンアン部分は敢えて省いて呟き、岐路に着く。中年はねちっこくていけない。いつもは物足りんなの一言でリードする俺もうんざりだ。次に未練がましく迫られたら風呂にでも沈めよう。
「士郎様、お帰りなさいませ」
「お帰りなさい、御主人様」
 家に戻ると二人の家人が門の前で俺を待っていた。
「今日は疲れたから先に風呂だ」
「はい。かしこまりました」
 執事服を着たバゼットとか言う女が鞄を受け取りながら、恭しく頭を下げる。
 彼女ともう一人メイド服を着たルヴィアゼリッタエーデルなんとかは次の新作に出たかったら、わかっているだろうねと独り言をもらしただけでホイホイと従ってきた新キャラ共だ。彼女達の躾はバーサーカーの戦いの後白い少女から戦利品として受け取ったメイド長に任せてあるせいか、見る見るうちに立派な淫乱肉奴隷に早代わりしていった。エロゲがエロアニメDVDになったかの如く。作画とか塗りは忘れて。
 まあなんだかんだあって彼女達とも「?… やっぱり新作出演はあきらめろ?」という展開に張るのは確定済みなんだけど。やっぱ正義の味方の俺がいくらメール送ったって無理なものは無理だなあ。
『ちょっアナタ… ゲーム関係の仕事しててTYPEMOONにも顔がきくっていってたじゃない。それを信じて… ホントはこんな事イヤなのに… さんざんルヴィの体をもてあそんでおいてひどいわぁ!!』
「どうなさいました、御主人様?」
「いや、ちょっと未来の幻聴をな」
『ウソツキ!! ウソ… ツキ…』
 今から想像するだけでぞくぞくする。というかおっきした。
「□□□□□□!?」
「□□□□□□□□□□□□□□。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□、□□」
 そんな謎めいた言葉を聞きながら、俺の意識は暗転した。
 目覚めた時、バゼットの腕を無理矢理掴んで浴室に連れ込んだような気がするということしか覚えていなかった。記憶にございません。主人公なのだから当然と言えよう。

 今月が終われば、冬も完全に終わる。
 三月を迎えれば最上級生は卒業し、俺たちはそれからの一年間で進学か就職かという人生の最初の大きな選択を迫られる。
 夢を持とうが、大志を抱こうが、その一年間は目先の問題を一つ一つ片付けていかなくてはならない時期になる。無論、気にせず擲つことも出来るだろう。それは周囲から外れることを選択したというだけのことだ。

 一年後の俺はどうしているのだろう。
 どうやっているのだろう。
 まずはヒモだ。
 正義の味方は公共機関によって養われる義務があるとはいえ、まだ仮免の俺としては金づるを見つけなくてはならない。遠坂家には一度行って見たが防犯設備が厳しくて断念した。危うく空き巣扱いされるところだった。主人不在の財産管理をしてやろうって思っただけなのになんて扱いだ。こうなると第一候補の間桐家が駄目になったのが痛い。ボケ老人とおぼこ一人に若芽一茎のあの家は狙いやすかったのだが。
 元はと言えば王族なら金目のものがザックザックと呼び出したサーヴァントが外れだったのが痛い。ネコ型ロボットを欲して無駄飯お化けを召還してしまったようだ。
 聖杯とやらを手に入れれば巨万の富がどうとかいう話も立ち消えになってしまったが、これはこれでいいことがあった。白い少女を土蔵で飼うのは楽しい。「このロリコンどもめ」と責める目玉はセイバーで勝てたし。俺は彼女だけのお兄ちゃんでいたいという思いは固まりつつある。
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
「そう。いいことがあったなぁ。早く家に帰ろう」
 お前のお兄ちゃんは今何処にいるんだろうとかは考えない。俺も一口貰ったし。
「――――先輩。好きでした。今も、これからも。そして、誰よりも」
 包丁もって一直線。頑張れ徒競走。
 君の世界はあっち。俺の世界はこっち。
 だから踏み越えてくるのは反則だってば。
「フォ――――――ゥ!!」
「何かヘンな格好してるのは無視して助けて藤ねぇ!」
「HGって言うなぁ〜〜〜っ!」
「言ってねぇ!」
 思っただけ。思っただけだ。
「また明日ねーっ!」
 しかもそのままにぶんぶんと手が千切れそうな程に手を振って、勢い良く逃げ去っていくし。役にたたねぇ!
「先輩、一緒に――」
「待て。話せば分かる」
 青年将校をも止められなかった言葉をもってしても桜は止まらない。
 だがその瞬間、誰かが路地から飛び込むようにして現れる。
「美綴。どうしてここに……」
「衛宮くんっ」
「―――っ!」
 爆ぜる。
 重く鈍い音と共に、それは起きた。
 俺の目の前、先ほどまで俺の体に触れかかっていた彼女の左腕。
 その腕を切り裂き、中ほどまで貫いた何かは、その刃によって傷つけた彼女の腕を爆発させたかのように抉り込むようにして叩き切り、四散させた。
 呆気なく。
 人の躰が欠けていく。
 抉られた穴が膨らみ、鋼鉄の刃によって穴を維持できなくなった肉と皮が引き裂かれる。
 詰められていた血肉は、勢いにまかせて散らばった。
 骨は既にその意味を成さず、吹き飛んだ破片を構成する一部と変わり果てる。
 指が、甲が、骨が、皮が、肉が、思い思いに分裂し、好き勝手に吹き飛んだ。
 光の残像と等しくなりながら。
 霰のように、花火のように。
 血。血。血。
 赤いものが、赤黒いものが、赤白いものが、粒となる。
 霧のように、粉末のように。
 それが全てかつては彼女の五体を構成していたものだと理解できた瞬間、悲鳴が飛び込んだ。
「が、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――っ!!」
 手にしたナタが見る見るうちに桜を解体していく。
「……え? あれ?」
「あの胸が憎かったんだよ。後悔はしていないよ」
「しろよ、少しは」
「あはは、あはははははははははははははははははははははということで。あとヨロ」
 そう行ってバタンとその場で彼女は倒れた。まるで自分のもう一人の人格がやったことだから無罪とか言いたげに。

 美綴を置き捨てて、間桐家に向かう。白金バットに真実を伝えて現場に向かわせ、その隙に家財一式を頂こうという紳士的振る舞いである。美綴のお陰で桜の手首もとい拇印は確保してあるので押印は思いのままだ。そんなホクホクと懐勘定していると突如全身に衝撃が走る。
「いてー! あんた気をつけろよ!」
「それはこっちの言い分だ、勝手にぶつかっておいて言う台詞がそれか!」
「うるさい。ぼやっとしているそっちがあまり…って、衛宮じゃん」
 完全犯罪は脆くも費え去った。目撃者は致命的だ。だがそれよりも何かトンデモがまた目の前に存在した。したが故に係わり合いにはなりたくなかった。
「えーと誰?」
「あっはっは、冗談キツいな。つうかマジ怒るぞ」
「俺の知り合いに全裸で街を疾走する変態はいない」
 仮にそういうプレイでも街の皆に迷惑をかけない為にも厚手のコートぐらいは準備するのが、思いやりのある男というものだ。
「ぎゃはははは」
 何故だか蒔寺大笑い。ヘンな奴だとは思っていたが思っていた以上のようだ。
「やっぱり衛宮は馬鹿だったんだな」
「はぁ?」
 馬鹿はお前だ。むしろお前以外の誰を指すというんだ。
「この服はな、馬鹿には見えな―――」
 この先は聞く必要はないだろう。まあ馬鹿ではあるが桜や美綴のようにあっちの世界に行ったわけではないのが救いか。いやこれはこれで十分救われないかも。
「それじゃあまあ、頑張れよ」
「あっはっは。まあ気を落とすな」
 馬鹿に馬鹿扱いされたんだ、それは無理な注文だ。
 この目の前の女を殺してバラして並べて揃えて晒してやりたい衝動を抑えつつ、その場を後にした。
「ふぅ……」
 安堵感だけが残る。そして変な緊張が体を強張らせたていた。
「さて……」
 肩の力を抜いて、腕時計を見る。
 頃合いだ。
「行くの?」
「ああ」
 当たり前のことのように頷く。
 実際、当たり前のことを聞かれたようにしか思えなかった。
「言うまでも無いけど相手は痴呆老人と出番皆無なサーヴァントよ」
「知ってる」
 だからこそだ。そんな連中に正義の味方が負けるわけがない。
「戦えば、いいえ。戦いになる前にあの二人、死ぬわよ」
「それはそれで結構だけどな」
 足を速める。
 踵がつかない程度に小走りに。
 ちょっとやそっとじゃ追いつかれないように。
 詰まらない所から遅れを取らないように。
「どうしてあなたが貰うわけ?」
「それは―――」
 そんなことは決まっている。

「俺は、正義の味方になるんだ」

 まだ未熟者だけど。
 半人前だけど。
 出来ることなんかたかが知れてるかも知れないけど。

 それが―――何もしないことへの言い訳にはならない。
 正義の味方にとって見ず知らずの家の箪笥や壷の中を探すのは義務であり権利だ。
 知り合いなら尚更だ。
「私はね、自己チュー男が大嫌いなの」
「あっそ。聞いていないし興味もないから」
「そして自分から誘っておいてポイ捨てしようとする男なんかもそう」
 何が言いたい。
 そう問うべきなのだろうが、声には出さなかった。
 耳をそばだててると思われたくなかったから。
「一つ根本的なことを聞くけど貴方、逃げられるとでも思っているの?」
「謝罪謝罪って結局幾ら欲しいんだよ」
「あら、そんなこと言うわけ?」
 全く、とんだ火遊びだ。
「どっか行けよ」
「あら、どうして?」
 揶揄するような声。
 くそっ。わかってて言ってやがる。
「………」
「行くのね」
「うるさい。たまたま行き先が一緒なだけだ」
「そうね。本当に偶然ね」
 可笑しそうに笑う。
 その笑顔を見て、ふと思い出す。
 何故俺はこいつと馴れ合っているのだ?
 いつから、そうなってる?
 何度か出た筈なのに消えていた疑問がまた浮かび、そしてこの時もまた消えていった。
 二人して坂道を上っていく。
「7:3。これで手を打とうじゃないか」
 あんただって旦那に知られたくないだろ。
「私の8:2。譲れないわ」
「6:4」
「私の7:3」
「私も一枚噛んで二人とお前で6:4.それでいいだろう」
「「!?」」
「来たか、衛宮」
「く、葛木……」
 そして、そこには葛木が居た。
「そ、宗一郎様……」
 キャスターも動転しているようだった。彼がここにいるのは彼女にとって予想外のことだったらしい。
「ど、どこから話を……」
「すまんな。謝罪がどうとかいう辺からだ」
「セーフっ」
 両手を大きく広げるキャスター。あはは、お前面白いよ。
「本当は?」
「盗聴器を仕掛けておいたので最初からだ」
「私と同じことをしていたなんて、やっぱり私達は運命の二人だったのですねっ」
 うわ、信じ合ってねぇこの夫婦。しかもこの期に及んで誤魔化そうとしているキャスターすげぇ。
「何気にするな。美人局は男の生き甲斐だ」
「うっ……」
 ヒモ予備軍としてその生き様は目標であり憧れだが、姦夫としての立場としては喝采しきれないのが辛いところだ。
「で、私達二人が7でお前が3。文句はないな」
「……はい」
 眼鏡を取って構える先生には逆らえない。死ぬし。
「ふふふ、最後は夫婦の愛が物をいったわね」
「キャスター、後で話がある」
「あはは……宗一郎様が6で私が1でいいです」
「ならばよし」
 いいのかっ!
「本当にいいんだな」
「ええ、問題ないわ」
 何はともあれ間桐邸。
 そこはかつて桜と慎二が住んでいた家だった。
 今はちょっと呆けたお爺ちゃんと、黒タイツの変態が棲んでいる。
「もし。なにか、この家に用があるのかね」
 いつからそこにいたのか、門を潜ったすぐ先の庭先に、その人物は立っていた。
「消防署の方から来た者です。消火器の点検に参りました」
 しれっと嘘をつく葛木。言い慣れている感ありありだった。大人だなぁ。
「税務署の方から来たのだけど、貴方の家の資産管理について話があるわ」
 更にキャスターが話しかける。あんた達いいコンビだよ。
「消火器……? 資産……? はて、そういうことは浅進さんに任せているでな……浅進さん。浅進さんは……」
「お呼びでござるか」
「―――Ατλασ―――」
「あぎゃー」
 勝負は一瞬。いやまあその、ひどいぜ。
「はて、浅進さんはいずこに」
「手品ですよ、御老人」
「すぐ貴方もそちらに逝けますから安心してくださいな」
 見てないから知らない。俺はただその場に居合わせただけの被害者ですから。

「兎に角お金よ。地獄の沙汰も何とやら、宗一郎様は一階、坊やは二階の子供部屋を漁りなさい。私は地下室や書斎を中心に見て回るから」
 貯金箱一つ見逃さないようにねという指示があったが、油断ならない。魔術師であるこの家で一番財産価値があるのは間違いなくキャスターが自分で分担すると言っている二つの場所だ。
「――――――――小細工が過ぎたな、キャスター」
 何故か葛木が口を開いた。
 俺の心を見通したように。
「な―――っ 宗一郎様、それは一体……」
「ああ。そうだな」
 俺も答える。自然と口が開いていた。
「な―――それは、どういう……」
「お前が自分から言い出した時点でどこに一番金目のものがあるか白状しちまっているというもんだ」
「――――っ」
「お前はいつもそうだ。俺の知らないところで策謀ばかりし過ぎる。思えばこの街全ての異変がお前のせいだと決め付けても問題ない」
「ちょ…それは――」
「うむ。遺憾だが異議はない」
「総一郎様っ」
「そしてこれからの悪事全てもお前が黒幕」
「うむ。信じたくないがきっとそうだろう」
「このアンリマユめっ!」
「うむ。アンリマユ……か……」
「違うっ! 私はそんなこと……」
「ア・ン・リ」
「ア・ン・リ」
「ア・ン・リ」
「ア・ン・リ」
 まず俺が迫り、葛木が応じた。
 もしくは葛木が仕掛けていたのかも知れない。
 分け前を必要とするのはむしろ葛木。
「ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ……」
 キャスターが笑う。
 口だけで延々と笑い続ける。
 おかしいから。とてもおかしいから笑う。
「どうやら壊れてしまったようだ」
 空ろな目をして笑い続けるキャスターを覚めた目で見つめる俺達。案外脆いな。
「育ちがいいのは泥仕合に弱い」
「あんたは強いのか」
「さて、どうする。独り占めを狙うのか」
「あんたとは争いたくないな」
「………」
 だが相手は違うようだ。そんなに金が欲しいのか。

 俺はその道を選ばざるを得なかった。
 十年前、助けられた時に押し付けられた道。
 けれども妥協や誤魔化しも通用しない、強制的な境地。

―――借金を背負ってしまったから。

 正義の味方になろうと思った時と同じように。
 切嗣が俺に差し出した救出費用の借用書を見て以来、俺はこうだ。
 正義の味方はボランティアじゃないんだよと言い放ち、払えないうちはと肉体労働でそのツケを支払わされた。
 俺の為に必死になる女がいるのはいいが、幸せになる資格の無い外道が幸せになるのは許し難い。ムカツク。
 だからこそ裏で俺を苛んだ切嗣は自分の手を汚さず退場させ、女は道具と大事な人など作らなかった。
 強迫観念と使命感。
 ただ、染み付いてしまった意地汚さと貧乏性が、俺をもう変えさせない。
 我侭?
 ああ、我侭さ。
 開き直り?
 そうなのだろう。
 けれど俺は―――

「――――っ!」

 気がつくと、そこに美綴綾子はいた。
 葛木を倒してきたのだろうか。きっとそうなのだろう。
「お、おまえ……」
 いつからそこにいたのだろう。
 少なくても俺はずっと呆けていたわけで、いくらでも隙はあった筈だ。
「そっか」
 やっぱり、そういうことだった。
「ありがとう、本当にお前には迷惑かけっぱなしだった」
 最後の最後まで面倒を見てもらった。
 助けられてばっかりだった。
 どうしてこいつがここまで俺の面倒を見てくれたのかはわからない。
 だからこそ、謝罪の言葉だけは出さなかった。
「本当に、ありがとう」
「………」
 美綴綾子。
 血の気を失い、その表情からは狂気の色が失せている。
 その茫洋とした顔からは感情が読み取れない。
 いつそんなことになって、どうしてそんなことができたのか。
 キ印さん特有の理由なきものによるものだと思うのが妥当なのだろうが、俺はあいつの俺に対する慕情ではないかと思うことにする。
「だって、その方がヒロインらしいし」
 笑顔を向けた。
 自己完結して一人で勝手に喋る馬鹿がここにいる。
 主人公として独り言は必須条件だ。寒くなんかない。
「………」
 喋る事すら思いつかないように、ただその葛木の返り血を浴びたままの彼女はこちらを見続けている。
 暫くすると、足音が聞こえてきた。
 警察か?
「なっ……」
 やってきたのは―――


 さぁぁと、木立が風に揺れる音がする。

 薄着をしても肌寒さを感じない季節。
 目に付いた公園のベンチはあらかた占拠されていたこともあって、生い茂った草木の上に体を投げ出すようにして寝転がる。魔力か何かの影響なのか、十年放置された場所にしては草の生えは良くないが、寝転がるに不都合なほどではない。
 美綴宅から奇跡的に救出された遠坂凛ーはあれから2年後に死んだ。
 あの事件から2年たった今じゃ思い出す回数もずいぶんと減った。
 学園のみんなとは卒業してからはなかなか会えていない。
 最後に会ったのはもう1年も前かな。
 蒔寺楓は脚を買われてにゃにゃ彩というメーカーに入社した。穂群原学園初の実業団選手だと思われていたが違った。その脚を判型にしてマネキンを作るだけらしい。
 キャスターは網走で服役囚やってる。精神鑑定は駄目だったそうだ。
 カレンは帰国後ママになっちまってオメデトウというかなんというか……がんばれ。それは俺の子じゃねえ。
 ルヴィアゼリッタはロンドンで魔術師さんだ。
 今でも俺と絶賛文通中、財布ちゃんというやつだ。
 1ユーロ1円を信じて両替してくれるカワイイ兼業女子プロレスラーだ。
 一成は家業の寺を潰して山を売り払ったらしい。貰えるものは貰って捨てた。
 由紀香ちゃんは別の短大でまたマネージャーをやってる。俺の現地妻だ。
 バゼットは東京の錦糸町という所でホストをやっている。
 チョイ役のくせに生意気だが大都会でぜひ一旗揚げてほしい。俺の為にも。
 慎二はやっぱり墓ん中だ。まあ奴ならそう珍しいことでもねえ。
 ライダーはトラックころがしてる。足がつかないように現地で色々してるらしい。
 イリヤは当主になって全財産をゆずってくれる使えるヤツだ。
 それともう一人藤ねえ……は知らん。

 そして俺は今……いろいろあって正義の味方やってる。
 冬木にはまたホストクラブ『シロウ』ができた。
 俺にあこがれるのはわかるがちょっとうっとおしい。

「―――よっ」

 急に日差しが閉ざされる。
 俺の顔の前に誰かが立った。
 誰かなんて勿体つけた言い方をすることもないのだが、今はそうしたい気分だ。
 相手は賞金までかけられた指名手配犯だ。気がつかなかったの一言の為にも。
「隣、いいか?」
「ああ」
 短く答えたが、その前に相手は隣に腰を下ろしていた。一応聞いただけだろう。
「衛宮は昼飯、もう食ったか?」
「―――いいや、まだだ」
 少し遅めの朝食だったこともあって、あまり昼のことは考えていなかった。
 もう少ししたら何かおやつ代わりに軽めのものでも腹に入れて、夕飯を多めにとればそれで十分と目論んでいる。
「ふーん」
 そう言いながらガサガサとビニール袋を漁る耳障りな音を立てる。
 取り出されるは太陽の光を鈍く反射する鋼鉄の塊。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
 間桐桜の許婚にして惨劇の目撃者として数多の悲劇に見舞われた被害者である俺は、桜の血縁上の姉として遠坂凛がいて、彼女もまた二年後に謎の惨殺死を遂げて亡くなった事で、一気に両家の遺産を相続することが出来た。とある相棒のお陰で。
 俺はそれから目立った形で女漁りはやっていない。バレたらしいが。
 ……でもさ、遠坂。俺は熱烈に思うんだ……
 まだ お持ち帰られたくねー

 隣で呟いたその言葉も、風にかき消される。少し風が強くなってきたようだ。
 もう一度だけ薄目を開けて、すぐに閉じた。
 視界に入れたものを瞼の奥に残すように、思いながら。
 柔らかく、暖かい休日。


 雲は流れ、時は休むことなく刻まれていく。
 すべてが真っ赤に染まり、黒く見えなくなるまで……。




                           <おしまい>