『脚本 澤倉美咲』



「あ、美咲さん……これから帰り?」
「ふ、藤井君…………うん……」
 大学の出入り口付近で偶然美咲さんを見つけ、一緒に帰ることにした。


「…………」
「どうしたの、美咲さん?」
 ずっと美咲さんは黙りこくったまま、俯きがちでいた。
 ちょっと心配になる。


「何か悩みでもあるんだったら……」
「藤井君……」
 相談に乗るよと言いかける俺の前に、美咲さんが思い詰めた顔をして俺を見つめて
きた。
 その顔は「くぅぅぅ、たまらんぜよ」とばかりに俺を興奮させるが、必死に自制す
る。


「な……何……?」
「その……実は……えっと……」
 美咲さんはかなり躊躇った素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。




「私……私……とんでもないものを拾っちゃったみたいなの……」




 そのまま、俺達はエコーズに入り、座りながら詳しい話を聞くことにした。
 幸いというか何というか店にはマスターだけで彰はいなかった。
「その……とんでもないものって……」
「うん……」
 ずっと黙ったままだったが、俺が催促するように聞くと、美咲さんはおずおずと持
っていたファイルケースから一冊の手帳らしきものを取り出す。
 いや、手帳にしては薄い。小冊子と呼ぶよりもCDの歌詞カードのような正方形の
形をした代物だ。
 これを「手帳らしきもの」と表現したのはなんでもない、表に「memobook
」と書かれていたからだ。


「あの……これ……?」
「うん……」


 何が「うん」なのかよく解らない。


「これ……ね……その……大学で拾ったの」


 人気の高い講師の授業の時で、出席率も高く人の多いその時間が終わった時、最後
までノートを丁寧に書き上げていたらしい美咲さんが教室を最後に出ようとしたら、
扉のすぐ近くに頁が開いたまま、裏向きに落ちているのを見つけたらしい。
 当然、誰かの落とし物と思って拾い上げて、閉じようとしたら……思いがけず、自
分の名前が書かれていたのが目に入ったらしい。


「その……決して、読むつもりじゃなかったんだけど……」


 美咲さんはそう、しどろもどろになって言い訳しているが、俺だって自分の名前が
そこに出ているのを見てしまった以上、無関心のまま、手帳を届けるなんて真似は出
来やしないだろう。
 美咲さんも悪いと思いながら、自分の名前が書かれている付近を読んでしまったの
だそうだ。



 澤倉美咲(さわくらみさき)
 4月7日生まれ。
 21歳。A型。

 主人公達とは高校時代からつきあいがあり、今も同じ大学に通う一つ年上の先輩。
 読書と料理が大好きで、常に慎ましく控えめ。
 いろんなことに器用だけど、時々不器用な一面も。
 誰にでも優しく、誰からも愛される、おっとりした、そんな暖かいお姉さん。
 特に由綺からは本当の姉のように慕われている。



 …おいおい、なんだよ、これ。


 適切な観察眼なのか、どうだかはわからないが、美咲さんの一口メモがそこには書
かれていた。
 それだけでない、頁を捲るとはるかが同じ様に書かれていて、結局、俺の周りの人
間はあらかたこんな感じで書かれていた。
 しかし……


「あれ? 俺は……書いてないのか……?」


 気になっていたが、俺がいない。
 英二さんやマナちゃんといった列挙からして、俺の周囲だということになる筈なの
だが……。


「うん。私の知らない人もいるんだけども……」
「ああ。あの……この「主人公」ってもしかしたら……」
「私も……藤井君じゃないかなって思って……由綺ちゃんのところを見たらそんな感
じに書かれていたし……」


 確かに。
「主人公とは高校時代からの恋人同士で、現在でも同じ大学に通う」
 のは俺達の関係そのままだ。


 しかし、これは一体なんなんだ?
 そして誰がこんなものを……?



「その……それでね……誰のものか気になっちゃって……最後の方を見たら……」


 名前が書いてないかどうかと思ったんだろう。
 俺もそう思いながら、最後の方を見ると……


 主人公

 藤井冬弥(ふじいとうや)
 ○月X日生まれ。
 19歳。◇型。

(デフォルトですので、変更可能)



 …へ、変更可能って……ヲヒ……なんだよ、この扱いは。



 しかも一行も書かれていない。
 どうとでもなるとでも言うのか?



「あ……あの……それでね……怒らないで……聞いてくれる?」
「え……ああ。うん……」
 美咲さんは更に縮こまっている。
 美咲さんが恐縮することはないと思うのだが。


「藤井君について何も書いていないのが寂しいから……その……ちょっと私が知って
いる限りのことだけでも……その……」
 そう言われてみると、うっすらと何か余白の部分に文字らしきものが書かれ、消さ
れていた。
 何か書いてあげないといけないと思ってしまったのだろう。


 …美咲さん、俺のこと気遣って……。



「それでね……間違えちゃって……その字を消そうとして消しゴムをかけたの……」


 美咲さんは下を向いたまま、俺の顔を見ない。
 だが、その話とはこうだ。
 消しゴムをかけたら勢いついでに俺の名前の冬弥の弥の部分を消してしまったらし
い。そして、慌てて書き直そうとした瞬間、俺の名前を思い出せなくなったというの
だ。いや、そればかりか「藤井冬」と言う名前のような気がしてきたのだという。


 俺はまさかと笑ったが、美咲さんは真剣だった。


 美咲さんは気になりながらも、そのままでいいのかと思おうとした時、振り仮名が
とうやになっているのと、よく見たらうっすらと弥の字が残っていたので、なぞるよ
うに書いたところ、その瞬間、冬弥だと思い出したと言うのだ。


「その……藤井君……これ……見てて……」
 いくら美咲さんの言葉でも、にわかには信じられないでいた俺に、美咲さんは紙ナ
プキンを取って、その上に「藤井冬弥」と俺の名前を書く。
 そうしてから手帳の俺の名前の「藤」の部分にゆっくりと消しゴムをかけていく。


「あっ!?」


 すると、手帳の消しゴムがけされている字の部分と同じように、ナプキンの文字も
消えかかる。



「…井君、自分の名前判る?」
「井冬弥だけど?」
「でもホラ、これ見て?」
「ん……うっすらと字が見える……藤の字がってあ!? 俺藤井じゃん」
「うん」
 美咲さんが微かに残っていた「藤」の部分をなぞるように書き足すと同時に記憶が
鮮明に蘇える。何が「井冬弥」だ。「伊藤屋」じゃないんだから。


 しかしこれで証明されたとおり、恐ろしい代物だ。


「で、こ、これは…」
「藤井君。どうしたらいいと思う?」
「うーん」
 学生課に届けるのは危険だし、警察に届けるような代物とも思えない。
 第一、普通の人間の落とし物とは思えない。
 普通の人間の預かり知らぬ世界へ繋がっている底知れぬ怖さが、この一枚の手帳に
しては薄っぺらいCDの歌詞カードのようなものからあふれ出ている。


「何だか、怖いの」
「………」


 確かに。
 その効果が実証されただけに俺も怖さを感じている。
 どうしたらいいのだろう。
 何かヤバいものに関わりあってしまったとしたら。
 一体どうしたら。
 どうしたら美咲さんを、



 ――俺の彼女を助けてやれるだろうか。



「でも……例えどんなことがあっても、俺が美咲さんを守るから」
「あ……」
 そう言って俺は美咲さんの身体を抱きしめた。
 細くて折れてしまいそうな腰に手をまわす。
 彼女が、愛しかった。


「絶対に護って見せるから」
「うん……」


 そして俺達は互いを包み込むように抱きしめたままゆっくりと口付けを交した。



 ――彼女が、愛しい。



 そんな思いが俺の胸を占めていた。



 澤倉美咲(さわくらみさき)
 4月7日生まれ。
 21歳。A型。

 主人公達とは高校時代からこうさいがあり、今も同じ大学に通う一つ年上の先輩。
 読書と料理が大好きで、常に慎ましく控えめ。
 いろんなことに器用だけど、時々不器用な一面も。
 誰にでも優しく、誰からも愛される、おっとりした、そんな暖かいお姉さん。
 特に由綺からは本当の姉のように慕われている。


 藤井冬弥(ふじいとうや)
 ○月X日生まれ。
 19歳。◇型。

 本作品の主人公。
 美咲とは誰もが羨む相思相愛の恋人同士。
 日々深まる愛情を胸に、慎まやかに尚且つ情熱的に愛を語る誠実な青年。
 いかなる困難にもめげず、どんな理不尽も受け入れる大らかな心を持っている。
 卒業後、美咲と結婚予定。




「愛してるよ、美咲さん」
「あ、あ……」


 再び強く抱きしめると、彼女の手からボールペンが滑るように落ち、床に跳ねた。




 そんな二人のホワイトアルバム。





                         <おしまい>




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