『聖人達の夏』  その手の筋の友人の話では、ここは戦場なのだそうだ。  行列をすること数時間、  入場するもロクに身動きも取れずに大勢の人の流れに呑み込まれ、  やっと落ち着いて現在位置を確認するも目指す場所は遥か彼方。  肉塊と悪臭の海を泳ぎ渡って目的地に辿り着いた頃には、自分のものか他人のもの か判らない汗水で全身がびしょ濡れになっていた。  そう、ここはこみっくパーティー会場。  この季節に行われる時は略して「夏こみ」と呼ばれ、普段の数倍の規模で行われる のだそうだ。  俺のような全く無知の輩が本来は立ち入るべきではない、場所なのだろう。  俺としても興味なんぞない。  だが、俺は今日、行かなければならなかったのである。  ある噂を確かめる為に。  ゆっくりとした足取りで目的地に近づいていく。  他の場所に比べて、やや閑散としているように感じたが、途中で捕まえて道を尋ね た会場スタッフによると、「完売」したからなのだそうだ。  そのスタッフが言うには、そこはいつも昼頃には大概全て売り尽くしてしまうのだ そうだ。  だが、そうだとすれば俺にとっても都合がいい。  邪魔が入らない方がいい。  もし、噂が本当なら……  本当なら……  俺は……  俺はこの拳を奮うことを抑えられるかどうか自信がない。 「よう、青年じゃないか」 「てりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!!!!!!!」   ゲシィッ!!  俺のスクリューフックが英二さんの顎を捉える。  眼鏡が吹き飛び、キリモミしながら英二さんの身体は壁に激突してめり込んだ。 「まさか……」  俺は煙をあげながら遥か彼方に移動した英二さんに向かって、呆然と呟いていた。 「まさかとは思ったが、本当だったなんて……」  そしてそのまま、一つのサークルの前に立つ。  開け放たれたシャッターのすぐ脇に机と椅子があり、壁には大きなポスターが貼ら れている下で、一人の男の子が下を向いて何やらスケッチブックに絵を描いていた。  夢中になっているのか、こっちに気付いていないようだったので声をかける。 「すみません。『SOUND OF DESTINY』はここですよね」 「ええ。でもゴメンなさい。新刊も既刊も完売です。スケブの受け付けも締め切っち ゃって……え? と、冬弥君っ!?」 「って、……へ? 理、理奈ちゃん!!」  キャップと変な形の眼鏡を外したら、そこから出てきた顔は理奈ちゃんだった。  世界にはばたく緒方理奈ここにあり。 「と、冬弥君……どうして……?」  理奈ちゃんはガタンと描いていたスケッチブックを落として、立ち上がっていた。  殺人現場を見られたばかりの犯罪者のように動揺している。  これだけ動揺している彼女を見ると、俺としても見てはいけないものを見てしまっ たような、気まずい思いを抱えざるを得ない。 「その…お、俺……美咲さんから英二さんに似た人達が、本を大々的に売り出してい るって聞いて……」  そう説明しながら、チラチラと上目遣いで彼女の表情を見る。  まだ彼女は立ちあがった姿勢で固まったまま、動かなかった。 「由綺も売り子に狩り出されているととか聞いて……英二さんならやりかねないと思 いつつも、冗談だと思ってた……笑い飛ばしたんだ、その時は」 「……」  罪状を読み上げるような心境。  自分で言っていて辛くなっていく。  こんな青ざめた顔をした理奈ちゃんの顔を見たくは無かった。  このまま、「なーんてね」とか言って誤魔化せるのであれば、誤魔化してしまいた い。  見てなかったことに出来るのであれば、そうしたい。  だけれども、俺は見てしまった。知ってしまった。 「で、でも他の方面からもそんな噂が流れて……人気アイドルに酷似した売り子を使 って、落書きを書き散らして荒稼ぎしているサークルがあるって」  だから後は目の前で罪を請うように項垂れている理奈ちゃんを前に、時折唾を飲み こみながらも、憑かれたように喋り続けることしか出来なかった。 「それが聞けば聞くほど気になって……でも、由綺には怖くて聞けないし……それで 今日、確かめに来たんだ」  信じたかった。  本当のことであって欲しくなかった。  なのに、  現実は残酷だ。 「あ、あのね……」 「英二さんはともかく、俺、理奈ちゃんだけはマトモだと思ってた」  そう、信じていたのだ。  例え英二さんが由綺を巻きこんで馬鹿なことをやらかそうとしても、きっと理奈ち ゃんや弥生さんが阻止してくれるって。  それなのに彼女はここにいる。  見事にこの場に同化していて。 「………」  目の前の現実をそのまま受け入れられるだけの度量が今の俺にはない。  慌てる彼女の顔を見るのが辛くて、自然と俯いていた。 「き、聞いて、冬弥君!」 「どうして……どうしてこんなことまで……」  どうしてなんだ。  緒方プロダクションは業界でも屈指の大手プロダクションに成長していたのではな いのか。  それなのになんでこんなことを……  そう思っていると、理奈ちゃんが耐えきれなくなったように大声で叫んだ。 「聞いてっ!!」  その声に俺だけでなく、近くにいた人全員が彼女に注目した。  流石、一流歌手。本気になった時の声量は半端じゃない。  泣きそうで、でも決して涙を見せることの無い彼女の必死な表情が、彼女の感情が そこにあった。  でも格好は水森亜○モドキ。 「わ、わたし……私ね、本当は……漫画家になりたかったの!!」 「え?」  思わぬ告白に、頭が真っ白になる。 「ずっとそう! 子供の頃からの夢だったの!!」 「ええっ!?」  花○勝お兄ちゃんのような新事実。  だったら最初からその道進めよ。 「………」 「………」  あまりのことで、何も言えなくなった俺と、大声で告白をしてしまった理奈ちゃん はお互いを見る事もできず、向かい合ったままで互いに俯いていた。  そんな煮詰まってしまった状況の俺達の前に誰かが近付いてくるのを感じた。 「理奈さん、どうかなさいましたか?」  その声に振り返ると一人ビシッといつものスーツを着こなしている弥生さんが、汗 一つかかずに平然と立っていた。 「弥生さんっ!」  思わず、叫んでしまう。  ブルータス、貴女もか。 「あら、自恋さん。こんにちわ」 「じこい?」 「自称恋人さんの略語です」  しれっと言う。 「おいっ!」 「ここでは全ての言葉が略化されたり、暗号化されたりする場所なのです」 「嘘つけ! それよりも、一体どうしてこんなことを!!」  理奈ちゃんがああでも、弥生さんだけは由綺のことを大事にしてくれるものと信じ ていたのに――そう言いかける俺の目の前に1冊の帳面を差し出す。 「この帳簿をご覧ください」  それはどこの文房具屋でも売っているものだった。 「帳簿ってこれ、ジャ○ニカのおこずかいちょう……って、へ?」 「そしてこちらが今日一日の売り上げです」  弥生さんはノートを開いてその記述を俺に見せ、片手で手慣れた手つきで卓上にあ った大きな電卓で数字をはじき出し、それも俺の前に差し出すようにしてきた。  そこからはじき出される一つのもの。  本日の収入。 「どーして、本業の半年分くらいの売り上げになってるんだよっ!?」 「さぁ?」 「「さぁ?」じゃないでしょうがっ!!」 「とにかく私が反対する理由がありません」  大仰に首を振る弥生さん。  その表情は相変わらず、いつもと何も変わらない弥生さんだった。 「反対する理由がないって……アンタ由綺を立派なアイドルにするのが夢じゃなかっ たんかぃ!」  金かよ。  所詮は金もうけの道具かよ。  これだから汚い大人って……  ……って、由綺は?  由綺はどうした。  ここまでいたら間違いなく由綺も…… 「あ〜、冬弥君。来てくれてたんだ、嬉しい!」  ……やっぱし。 「由綺……って、お前!? 何て格好をしてるんだ!?」  由綺は髪を金髪ポニーテールにして、何処かの学校の制服のような服を着ていた。  が、俺の知る限り、俺たちの母校の制服ではなかった。 「あ、これ? これね、「魔尾観鈴ちゃん」って言うんだよ」 「はぁ?」 「本当はね、私、「近野美凪ちゃん」をやりたかったの。でも、それだと雰囲気が似 合わないからやめとけって英二さんが言うから、こっちにしたの」 「は、はぁ」  俺には何の事だか全然判らない。  というか、そんなことを知っている由綺を俺は遠くに感じた。  アイドルになってTVでしかその姿を見ることが出来ない日々が続いた時よりも、 ずっと遠くっぽい。 「で、見てて見てて」  そんな俺の感慨にも気付かずそう言うと、由綺はコホンと軽く咳をしてから、ピン と背筋を伸ばした。  表情が変わった。  流石、歌手としてだけでなく、役者としての稽古も積んでいる。  そう思わせるような一瞬だった。  こんなことにその才能浪費してどうするとかも同時に思いながら。 「『ただ、もうひとりの私がそこにいる。そんな気がして』」 「へ?」 「ねぇ、どう? 今の? 冬弥君」  言い終わるとすぐにキャハとばかりにはしゃいだ顔になった由綺は、俺にまとわり 付いていくる。 「え、えっと……」 「今のがね、この一ヶ月英二さんとの特訓で、練習し続けた成果なんだ。そのせいか コスプレ会場では凄い人気だったんだよ」 「……」  ア、アンタは自分トコのアイドルに何やらせてんだぁーっ!!  遥か彼方にいる筈の英二さんを目で追うが、人型にへこんだ壁があるだけで、撤収 されたのか、かのトッププロディーサーの姿は見えなかった。  俺が漠然と立ち尽くしている横で、由綺はこちらも同じ制服を着た女の子に声をか けられていた。 「あ、写真いいですかー?」 「うん、いいよ」 「じゃ、隣の貴方も一緒にお願いしますー」 「うん、冬弥君。そのままでね」 「へ?」 「ぶぃ!」  由綺は何故か俺の腕を取り、にぱーっと笑い顔をしてピースサインをする。  相手の写真の取り方の角度からして、俺の顔は多分写ってなさそうな感じだった。 「でも凄い立派な衣装ですね。生地もいいし……自分で縫ったんですか?」 「うん。弥生さんに手伝ってもらったりもしたんだけど……」 「それじゃあ写真出来たら送りますから住所を……」 「うん、いいよ……はい。これでいいかな?」 「……って、あっさり住所を教えるなよ、お前!?」  呆然とやりとりを見ていたが、ハタと気がついてスラスラと自分のマンションの住 所を書く由綺を止める。 「え? でも、みんな教えあいっこしてるよ」  怪訝そうに言うな。  お前は一般人とは違うだろうが!!  その後も次から次ぎに写真を頼まれる由綺から、そっと離れて立ち尽くす。  見ると、理奈ちゃんはさっきからずっとスケッチブックや色紙にサラサラとペンを 走らせ、弥生さんは手提げ金庫を開け、万札の束を一枚一枚数え始めていた。  これでいいのか緒方プロダクション!!  そんな俺の肩を誰かが後ろからポンと叩く。  振り返ると、笑顔を浮かべた英二さんがいた。  何か自信満々。 「どうだね、青年」  どてっ腹に一撃。 ・ ・ ・ 「やだぁ、藤井さん。こみパなんか行ったの!? ヲタク! 最低! 近寄らないで 、シッシッ!! ……って、なに。藤井さん、泣いてるの? そ、そんなちょ、ちょ っと言い過ぎたかな… 御免ね。あたし、べ、別に……だから、ね! ごめんね!!」  うう、その純真さが眩しくて……  マナちゃん、せめてキミは綺麗なままで…… 「そ、そうだ! 今度ね、由綺お姉ちゃんから「ザンクリ」とか言うイベントに誘わ れてるの。一緒に行きましょ! 噂では緒方理奈とか英二さんとかも出てい……ふ、 藤井さんっ!?」   ダッ!!  美咲さん、愛してます!  今すぐ、ラヴ!!  俺は駆け出していた。  愛しの先輩の元へと。  そして俺はまだ知らなかった。  彼女が今、次回のイベントに向け、探偵榎○津総受け本を作っていることを…… 「美咲、これ絶対に売れるよ」 「そ、そう……かな……」 「うん! それじゃあ次いでにコピー本の方もこの調子で」 「で、でも……」 「ほら、前、ウチの部の方の仕事をいろいろ手伝ってくれたって殊勝な美咲の彼? あの彼も呼んでさ、一気に200部ぐらい作ろうよ」 「え、あ、そ、の……か、彼とかじゃ……」 「照れない照れない。きっと美咲が電話すれば喜んで飛んでくるって」  電話しなくても、もうすぐ来ます。  きっとすぐに泣きながら帰りますけど。                          <おしまい>