『あなたに贈る右ストレート』


2000/05/15



 その日、緒方兄妹は揃ってのオフを自宅で満喫していた。
 そして明朝まで映画のロケが続いていた理奈が起きだしたのは、昼過ぎだった。

「おはよ、兄さん」
 まだ眠いのか目を擦りながら理奈が居間に現われる。
 彼女が着ているウサギがプリントされた少し大き目のパジャマは、由綺から貰った
ものだった。冬用でもないのに生地が少し厚めなので、少し寒い日には意外と重宝し
ていた。普段の理奈の雰囲気とはミスマッチなその格好は非常に可愛らしい。
「理奈。ちゃんと顔洗ったか」
 ソファーで寛いでいる英二は読んでいる新聞から顔も上げずに、そんな事を言う。
 理奈は軽く抗議をしようとして口を開けかけるが、何かを思い出したようにハッと
して声を掛ける。
「兄さん」
「ん、何だ?」
「今度の兄さんの誕生日だけどさ」
「おー、覚えていてくれたんだ」
 そこで英二は初めて新聞から顔を上げた。
 やや喜色混じり。
「そりゃ、一週間前からずっと私の枕に「5/10」って書いた紙が挟まれていれば
……って、ホント! いい加減にしてちょうだいよ。毎年毎年!!」
 言っているうちに腹が立ってきたらしく、後半から声のトーンが上がる。
 やや激怒混じり。
「やっぱり夢って見るものだよな」
 遠い目をして呟く英二に、ジト目で理奈が割り込む。
「言っておくけど、夢で見たわけじゃないわよ」
「なんだ。折角趣向を凝らしたのに」
「凝らさなくていいのっ! それ以前に気付くわよ、普通っ!!」
「いや、布団の中に縫い付けた方はまだ見てないんだろう」
「ちょっと、他にもやってたのっ!?」
「最大限の努力をしてこそ、成果は得られるものだからな」
「こういう事に努力してどうするのよっ!」
「ほら俺、何事にも手を抜けない性格だし」
「……」
「……」
 ツッコミを入れるのも疲れたらしい理奈は、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰
り返してから表情を戻して話しはじめる。
「ま、まぁ……話はそこじゃないのよ。それで10日だけど……仕事入ってるでしょ
、確か。何か欲しいものとかあったらリクエスト聞いておこうかなって思って」
「そういうのは本人には黙って驚かせようとかするものだぞ」
 そう言う英二に、落ち着きを取り戻した理奈が肩を竦めるようにして笑う。
「まーね。でも、私じゃもう、ネタがきれちゃって。毎年だから。それでね、冬弥君
にも聞いてみたんだけど……」
 そこまで言うと、大袈裟に手を振った英二が断ずるように言う。
「ああ、青年じゃ駄目だ。青年と俺との趣味は違い過ぎる」
「そうよね。冬弥君の方が趣味良いもの」
「なっ!?」
 そこで驚愕して英二が目を見開く。
 パラリと手にしていた新聞を落とすのはやややり過ぎ。
「もしかして自覚してない?」
「お、俺のどこが……」
 フラフラとよろめく演技が白々しい。
「その今来ている浅草で買った怪しげな原色のTシャツが何よりの証拠よ」
 そんな英二にビシッと指を突きつける理奈。
 確かに黒地に赤で「和」と描かれたプリント文字と金色の刺繍で北斎風の波を描い
ているTシャツは悪趣味この上ない。
「これはだな、ほら……舶来文化と古典文化を融合することで、幅広い支持層に訴え
かけた意欲の結晶が詰まった……」
「ただの外国人観光客のウケ狙いなだけじゃない。間違ってもそんなの着て外出たり
しないでよね」
「斬新で奇抜な前衛的なこのセンスが判らないとは……」
 その真摯な表情はどこまで冗談でどこまで本気かわからない。
「兄さんの頭の中の方が判らないわっ!」
「そう怒鳴るなよ、喉に悪いぞ」
「誰がさせてるのよっ!」
「青年か? 彼も罪作りな男だ……」
「あんただあんたっ!」
「理奈。仮にも実の兄に向かってあんたとは何ていう言い草だ!?」
「兄さん……本当にあたし、まだ疲れているんだから止めてよね」
「わかった」
「……」
「……」
 あっさりとそう言って顔色を平常に戻る英二に、理奈は暫く動けないでいたが、何
か諦めたように首を微かに左右に振る。
「で……兄さんは何が欲しい訳」
「んー、そうだな……」
 英二は自分の白髪を指で梳くようにしながら考えている。
「あんまり高いものは無理だからね」
 そう付け加える理奈に、英二は苦笑する。
「それくらい、わかってる」
「どーだか」
 再びジト目の理奈。
「じゃあ……今、一番欲しいものが」
 が、英二は気にした様子も無く、何か思い付いたようにピタリと髪を梳いていた手
を止める。
「何?」
 軽く身を乗り出す理奈に英二は一言短く告げる。
「由綺」
「は?」
「由綺だよ、由綺。俺は由綺が欲しいな」
 ようやく英二の言葉の意味を理解した理奈は、徐々に顔を般若モードに変貌させて
いく。
「に〜い〜さ〜ん」
「駄目か?」
「素面で聞き返すなっ!!」
「うーん、駄目かー」
「あのねっ!!」
 何時の間にか理奈と英二の距離は縮まっていた。
 後少しで理奈の拳が届く距離だった。
「じゃあ青年でもいいぞ」
「……」
「既にお前、ほぼ手中にしたんだろ? 譲ってくれよ、独り占めはよくないぞ」
「してないわよっ! それにそういうものじゃないでしょーがっ!!」
「由綺が泣いてたぞ。信じてたのに裏切られたって」
「嘘おっしゃい!」
「何だ、じゃあまだバレてないのか」
「バレるもなにもなんにもないわよっ!」
「意外に奥手だな」
「兄さん……そろそろ我慢の限界、きてるんだけど」
「もうちょっとだけ」
「駄目っ!!」
 人差し指と親指で5センチぐらいの「ちょっと」の長さを作って見せるが、理奈は
一言で却下する。
「じゃあ、欲しいというより希望があるんだがいいか?」
「希望?」
「ああ」
「どーせまたくだらないこと考えついたんでしょ?」
 もうウンザリという風に大きく両手を広げたジェスチャーとしてみせる理奈。
「理奈。お前はどうも俺の事を誤解しているようだが……」
「私以上に兄さんの本性を知っているのもいないと思うわよ」
「いや、一人いる」
 即答する英二に、理奈が少し慌てる。
「だ、誰よ?」
「弥生姉さん」
「どーして!?」
「何となく」
「……」
「……」
 理奈はちょっと想像してみたらしい。
「……今、ちょっと否定出来なかった自分がいたわ」
「まぁ、世の中上には上がいる。そう気を落とすな」
 ポンと理奈の肩を叩く英二。
「そうじゃなくて……はぁ。どーして兄さんと話すとこんなに疲れる訳?」
「そりゃアレだ。売れっ子アイドルの宿命……職業病だ」
「絶対違うわ」
「そんな我侭な」
「誰がよっ!」
「……で、俺が誕生日に望むことだが」
「急に話を戻さないでっ!!」
「理奈……お前、自分勝手だなぁ……」
「あんたが言うかっ!!」
「でさ……本題に入るが」
「さっさと入りなさいよ。で、希望って何? 何かして欲しいことがあるの?」
「欲しいというか、やってみたいこと、かな」
「何?」
 何処から取り出したのか、コードレスのマイクを出してきて理奈に見せる英二。
「え? マイク……え?」
 暫く訳が分からずにいたが、そのマイクの意味を指す事柄に行き当たり、驚きの表
情に変わる。
「たまにはお前と二人でやってみたくなってな……いいか?」
「は? 二人って?」
「俺と緒方理奈ちゃんと二人でさ。緒方兄妹奇跡の男女ユニット」
「へ? ユ、ユニット……って何、私達が一緒に?」
「ああ。実は10日、国営放送の生放送で既にデビューを決めていたり」
「何よそれ!? じゃあ既に手回ししてあるんじゃないって……え? じゃ、じゃあ
本当にやる訳?」
「話題性としてはこれ以上のものはあるまい」
「で、でも……大丈夫なの?」
「ん?」
「兄さん、一線退いてからもうかなり経つでしょ?」
 理奈の目の前のかつてのカリスマミュージシャンも、もうプロダクションオーナー
業の方が長くなっている。復帰するにしても相当のブランクがある。
「まぁ、何とかなるだろ……」
「兄さん……」
「ん?」
「一つだけ訊いておきたいんだけど」
 気楽な顔をしている英二に、理奈は真面目な顔をして詰め寄る。
「何だ?」
「兄さんは仕事としてやろうと考えたの? それとも兄さんが私とやってみたいの?」
「勿論、俺がお前とやってみたくなっただけさ」
「ふぅん……」
「悪いか?」
 理奈はそう答えた英二を暫く意味ありげに見るが、
「そう思うんだったら国営放送に謝りなさいよ。どーせゴリ押ししたんでしょうから
?」
 楽しげに笑った。
「何だか、嬉しそうだな」
「そう? 気のせいよ、気のせい」
「じゃあ早速コンビ名を……」
 既に始めからそのつもりだったらしく、用意してあった企画書を取り出す英二。
「コンビって……漫才やるんじゃないんだから。それより曲の方とか準備出来てるの
? 練習とかもしないといけないし……」
 その手際の良さに苦笑しながらも、気分は悪くない理奈がそう言うと、
「は?」
 英二はキョトンとした表情をしてそんな彼女を見る。
「まさか、まだ作ってないとか言うんじゃないでしょうね……」
「へ? い、いや……脚本は用意してあるが……」
「脚本? ちょっと……兄さん、何やらせる気なのよ……」
 理奈が英二の手から企画書をもぎ取るようにして覗き込む。







『第327回お笑いショートコント漫談「みんないっしょやがな、ボケ」 企画書』











「理奈っ!! 本気で殴るのは反則だぞっ!!」







                          <おしまい>


BACK