『一日署長と二階級昇進』


1999/12/06



 由綺が一日署長をやるそうだ。
 いいのかとも思うが、まぁ、大したことをやるわけではない。
 制服を着て「交通事故撲滅キャンペーン」とか何とかなたすきをかけて、風船を配
ったり、パレードをしたりとそんな他愛もないものだ。
 個人的には、弥生さんの方が制服は似合っていると思う。
 ……。
 そうだ、今度の逢い引きの日には制服プレイってのもなかなかおつかも知れない。
 前回はスクール水着というミスマッチな選択も妙に面白かったが、そのまま填って
いる格好をさせるのもなかなか楽しい。

 ……まぁ、それはそれとして。
 俺はのんびりとせんべいを齧りながらTVをつける。
 適当にチャンネルを回そうとすると、各局とも全部同じ放送をしている。
 事件だ、事件があったらしい。

 銃声がTVの向こう側から響いてきた。
 続いて男の声。
『てめぇら、これ以上、近づいたらこのガキの命はねーぞっ!!』
 あ、立て籠もり事件だ。
 若くて狂暴そうなサングラスをかけた男が、幼稚園児ぐらいの男の子を抱えて、散
弾銃を構えている。
 これは最近のレベルでは大した事はないが一応、事件だ。
 俺はそう思いながら、せんべいに噛り付く。
 所詮、他人事だし。
 そう思ってTVを見ていると、
『貴方は完全に包囲されています。出てこないとダメですよ』
 まるでドラマのようなお約束な台詞が聞こえてくる。
 が、何故か女性の声だった。

 …はて? この声に聞き覚えが……

『うるせー!!』
 パトカーに銃弾が撃ち込まれる。
 周囲を取り囲む警官やマスコミ、野次馬達の悲鳴が激しくなる。
 だが、彼女は少しも怯むことなく
『故郷のお母さんも悲しむよ、きっと……』
 そう言うと、
『うーさーぎーおーいしーかーのやーまー』
 と、歌い出した。

 おお、流石にプロ。
 発声がしっかりしている。

 ……って、感心している場合じゃない。

 何故に由綺が!?

 TVを見ると拡声器を持った由綺が何故か陣頭指揮を執っている。
 何だかミニスカポリス。
 弥生さんの方がと思っていたが、これはこれでなかなかにグゥ。
 今度、デートの時はこんな感じの服を着させてみよう。
 太股が強調されていて最高だぜ、ベイベー。

 ……コホン。

 そんな俺の思惑を余所に、生中継されている現場から由綺と弥生さんの声がTVを
通じて聞こえてくる。

「こうなったら私自身が説得役として……」
「由綺さん、お止めください!!」
「離して弥生さん!! 小さい子供が……ほら、あんなに怯えて……私、放っておけ
ないっ!!」
「で、ですがっ!!」
 いつもの大人しさが不思議なほどの力で、しがみつく弥生さんを振り払って、由綺
は犯人のいるビルへと単身、歩いていく。
「ゆ、由綺さぁぁぁぁ――んっ!!」
 涙と共に、崩れる弥生さん。
 カメラマンも心得ているのか、その弥生さんの後ろ姿を捕えたアングルは最高だっ
た。
 ビルの前で由綺が両手を広げながら、イエスタディを口ずさみながら子どもに銃を
つきつけたままの犯人に近寄る。
「さぁ、私は手ぶらよ……人質交換して、その子供を離してあげて!!」
「誰だ、てめぇっ!」
 そう訊ねる犯人。
 制服を着ているのに、警官には見えないらしい。
 俺も見えないけど。
「東京都知事と関係ない名前の森川由綺よっ!!」
「だから誰だよ」
「一日署長よっ!!」
「一日署長〜?」
「そうっ! だから子どもを放してあげてっ!」
「一日署長って……あれか?、芸能人とかスポーツ選手とかがする……シートベルト
はキチンとしめましょうとか、パレードしたりとかする……」
「そーよっ!」
「でも、何でそんなのがここに……」
 犯人の方が、はるかに良識を持ち合わせているようだ。

「だって……一日署長だからっ!!」
「…………」
「さぁ、子どもを解放してっ!」

 その後、CMを挟んだ為にVTRであったが、何処からか謎の人間が脇から飛び込
んで来て犯人を蹴倒し、もみ合いつつ暴れまわり、数発の銃声の後で慌てて配備され
ていた機動隊が突入し、犯人は取り押さえられ、無事、人質も解放された。
 その一部始終をせんべいを齧りながら、俺は呆然とTVを見ていた。
 後日、いくら何を見たり聞いたりしても謎の人物については一切、全く触れられて
いなかった。

 由綺はその日以来、アイドルどころか英雄に奉り上げられた。
 日本中が注目するような人になってしまって、何かもうおいそれと近付けない存在
にまでのぼり詰めた。
 人気も留まる事を知らず上がり続け、外国からも「ゲイシャ・ナガシマ・ユキモリ
カワ」と三大名物に取り上げられ、ニューヨークタイム○の社説には「アキ○トに過
ぎたるものがふたつあり。千代田の住まいにユキモリカワ」と書いた為に右翼が騒ぎ
を起こすという一幕もあった。
 TV各局のニュース番組では「今日の由綺さん」というコーナーを作って毎日流し
ている。T○Sは「森川アルバム」という番組を日曜日の早朝流しはじめた。
 新聞によると親が自分の子供に付ける名前が女の子の場合は「由綺」がダントツで
一位になり(因みに男の場合でも十位に入っていた)、親戚が勝手に違う名前で届け
出をしてしまったとかで傷害事件が起きたという事もあった。
 子供の将来なりたい職業に歌手が一位、次いで警察署長、無効票で一日署長が隠れ
一位だったりもして、警察官を目指す若者と芸能人を目指す若者がそれぞれに集まっ
て抗争を起こすという不穏な話もあった。
 難民の子供たちにワクチン代を出そうという募金の名前を「森川由綺募金」と名付
けたら3日で国家予算を超えてしまった。
 由綺の悪口を言った少年が学校全体から総スカンを食い、エアガンを乱射する事件
に対しては誰も少年を弁護しなかった。
 由綺がこけた瞬間を隠し撮りしたパパラッチの写真が一枚数千万円で売れたという
噂が立った。
 最新の技術を使ってビー○ルズをコーラスバックに彼女のソロで歌う曲が発売数分
後に歴代の販売記録を塗り替え、作っている工場の前に行列が出来た。
 イギ○スのチャー○ズ皇太子から「後妻に」とラブレターが届いたが読まれもしな
かった。
 近○の球団社長が「土下座してでも欲しい」と言い、ドラフト一位で指名して実際
に土下座したが入団しなかった。
 巨○が彼女をFAで獲得する為に清○以下中心選手を殆ど解雇して数十億の大金を
作ったが、見向きもされなかった。ただ、彼女と監督との交渉に立ち会った球団幹部
は精神病院に通い詰めて今も後遺症が残っている。
 由綺の偽者が街中で大量発生して、治安部隊が取り締まって「非常事態宣言」が発
令された。
 いつも「私は由綺さんの声が……」と言っていた代表の宗教団体「由綺の科学」が
摘発され、「森川由綺」を商標登録しようとした総会屋崩れの申請が却下され、由綺
のマンションの改築に当たっての引越し先の誘致合戦に破れた市長が莫大な賄賂を贈
っていた事がばれて逮捕されたり、由綺の全国ツアーに漏れた県知事が責任を感じて
自殺未遂を起こすなど、由綺の名前を聞かない日はなかった。
 彼女を時期総理大臣に推す事を公約にした国会議員が当選したり、彼女が寄ったこ
ともない店が「森川由綺御公認の店」として行列が出来たりするような騒ぎに、俺は
ただ黙って見ていることしか出来なかった。
 世界が由綺で覆われてしまうほどの錯覚を覚えるほどに全てで加熱していった。

 だから、あの日以来消えた篠塚弥生という人物を憶えている者は誰も居なかった。

「………」
 毎週の水曜日の夜、誰も来ないカウンター席を寂しく見つめる俺以外に。




                          <おしまい>


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