『きみの側で』


1999/04/02



 夕方から夜になるまでの中途半端な時間、俺はいつもバイトをしている喫茶店「エ
コーズ」でグラスなどを磨きながらのんびりしていると、ドアに付けた鐘の音がカラ
ンとなる。

「あ、いらっしゃいま……ゆ、由綺?」
 慌ててグラスと布巾をカウンターの下に隠し、客を見ると見覚えのある笑顔が飛び
込んできた。
 俺の慌て振りに可笑しいのか、それがいつも通りの由綺の仕草だから笑っているの
か、ニコリと笑っている。変わらない由綺だ。
 だが、明らかに今までの由綺と違うところがあった。
「ゆ、由綺……それ?」
「えへへー、似合うかな?」
 俺の視線に照れたように、自分の髪を摘む。
 バッサリと短く切り揃えられていた。
 印象がまるで違っていた。
「あのね、今度の新曲のビデオ撮影の時、曲のイメージに合うからって……切ったん
だ」
「切ったんだって……」
 軽い口調で言う由綺に、俺は声に動揺を残したまま、改めて由綺の顔を全体的に見
つめ直す。
 今までも子供っぽい雰囲気があったが、ショートカットにしたことでそれに輪をか
けるように子供っぽく見える。
 俺の視線に照れて下を見る由綺は子供そのものだ。
「……おかしい……かな?」
「いや、そんなことはないけど……」
 その先が続かない。
 正直に「子供みたいに見える」と言うべきかどうか躊躇する。
 別に言って怒る由綺ではないが、わざわざ言うことではない気がする。
 この印象はきっと誰もが少なからず、持つとすれば既に誰かが言っている可能性が
ある。
 下手に強調させるような事を言って落ち込ませたりさせるべきではないと思う。
「やっぱり、幼く見えるかな? 英二さんは「若返った魅力がいい感じ出てる」なん
て言ってたけど……」

 …やっぱり、気にしているし。

「いや……ちょっと驚いたけど、これはこれで似合うと思うよ」
 嘘は言っていない。
 子供っぽく見えることも事実なら、それが似合っている事も事実だと思うから。
「へへ……冬弥君も、そう言ってくれるんだ」
「え……あ……まぁ……」
 由綺がそう口元を綻ばせて、俺は少ししどろもどろになる。
 嘘は言っていないが、何故か気まずさを覚える。
「スタイリストさんも、弥生さんもそう言ってくれたから、これで三対一」
「はぁ?」
「ふふふ……この髪型の感想」
 そこでようやくカウンター席に座る。丁度俺の前に。
 いつもと変わらないのに、いつもと違うような気がして少し動揺する。
「実は冬弥君の感想、聞きたくて……」
「それで来たんだ」
「うん」
 その気持ちに至るまでの過程は判らなくても、由綺の根本の気持ちは漠然と理解す
る。
 やっぱり、こんな所が幼っぽくて可愛い。
「それで……あ、由綺、オーダー取ってなかったな。何にする?」
「えっと……」
 由綺はいつもこうしてメニューを見る。
 もう常連と呼ぶに相応しい回数を来ていて、尚かつ頼む物はいつもそうかわりない
のだから、別に見なくても構わないと思うのだが。
 多分、本人に聞いても、「そう言われてみると、そうかな?」と言いつつ結局、見
ないと落ち着かないのだろう。だから、何も言わないで水を出して待つ。

・
・
・

「今日はこのまま?」
「……ううん……夜に入ってるから……これ食べたら行かなきゃ」
 珍しく誰も邪魔に入らず、のんびり食べている由綺に俺はそう尋ねる。
 いつもなら、弥生さんが来て急かしにくる。
 由綺は元々食べるのが早いほうではない。多分、かなり遅いほうだろう。時間に追
われる仕事をしているのだから、食べると言う事に時間をかけてしまうのはマイナス
だろう。だが、昔から食べる速さが変わった感じはしない。
 俺の方が「良く噛まないと消化に悪いよ」と言われる始末だ。
 そんな由綺だから、弥生さんは少し早めに来て、急かさないと由綺は食べる速度が
あがらない。
「でも迎え、少し遅くなるみたい」
「ふぅん……」
 どう返事をして良いのか困る。
 嬉しくない訳ではないが、だからといって何か出来るわけではない。
 そんな俺に食事を終えた由綺が誘った。
「ねぇ、ちょっと外に出られないかな?」
「え……えっと……」
 俺は目でカウンターの奥のマスターの姿を捜す。
 奥にいるマスターが顔を上げる。
「……」
「……」
 どういう意志表示だか、わからないが少なくても止めた雰囲気には感じられなかっ
たから由綺に手を引かれるまま、外に出る。
 他に客が来ないので、少しぐらいいいだろうと自分で言い訳をして。

 濃蒼とした画面に、電灯の光が点々と存在を自己主張している。
 そんな別段普段と変わりない外の世界が広がっている。
 周囲に建っている建物から、走っていく車から、歩道に設置されている電灯から、
それぞれに夜の景色に単色の光を彩っていた。
「空気が冷たいね」
「ああ。大丈夫か?」
 目を閉じて、ゆっくりと伸びをする。
 気持ちが落ち着いているようだ。
 目を瞑り共に没頭する気持ちを、車の音が時折邪魔をする。
 目の前の車道はそう車は多くないが、俺達の立っている同じく人通りのそれ程多く
ない歩道同様、自然とか荘厳とか、そんな厳粛な、心地よい気分になれる条件にはほ
ど遠い。
 でも、落ち着くのは由綺の様子同様、頷ける。
 そう認めたとき、

 その一瞬、寂しさが沸いてくる。
 目を閉じると、由綺がいなくなってしまうようなそんな不安に襲われる。
 俺の横に立つ由綺が、実はいないようなそんな気持ちに。

 俺は慌てて目を開けて、改めて由綺を見る。
 はっきり離れていく距離を感じたから。
 俺と由綺に。

 隣にいた筈なのに、距離を感じた。

 由綺はまだ、目を閉じていた。
 俺が閉じたのを知って、改めて閉じたのかも知れないが。
 それを思うと、安堵する。
 すぐ隣にいることに。

 …あ、そうか……。

 改めて、由綺が髪を切ったことに気付く。
 さっきからの距離感の理由の一つが思い当たる。
 柳の幽霊。

 …どっちが子供っぽいんだか……。

 自分の幼染みた錯覚に苦笑する。

 改めて、由綺を見る。
 由綺はアイドルとして、俺の想像も付かない厳しい世界を、殺伐とした空気に身を
置いている。
 子供っぽいだなんて、微塵も感じられない。
 そして、外見や容姿からは想像も付かない、しっかりとして精神が根付いている。
 いい加減な生活を送っている俺なんかよりよっぽど。
 それなのに。

 今の由綺は……
 俺の隣にいる由綺は……

「やっぱり、髪切っちゃったから少し寒いかな」
 由綺は目を開けると俺を見て、ペロリと悪戯っぽく舌を出した。

 …やっぱり変わらない、いつもの由綺だ。

 何か、嬉しくなる。
 いつでも、由綺は戻ってくる。
 こうして目を開けていれば。
 由綺から、近づいてきてくれる。

「……? 冬弥君、どうし……あ……」
「?」
 車のクラクションが鳴っていることに気付いた。
 振り返ると見馴れた車種。
 あれは……

「あ、弥生さんだ……」
「……」
「じゃあ、冬弥君……私、行くね」
「ああ」
 俺は軽く手を挙げて由綺に答える。

 弥生さんの車が近づいて停まった。
 そして由綺を待つ。

 俺と由綺との距離を作るように。
 その距離を知らしめるように。
 そんな気がした。

「由綺」
「ん?」
 弥生さんの車に行こうとした由綺が立ち止まり、振り返る。
 いつだって、止まってくる。
 俺が、呼べば。

「頑張れよ! 応援しか出来ないけど」
「うんっ!!」
 にっこりと笑って頷いた由綺は、やっぱり子供っぽかった。
 きっと、髪を切ったせいで。





                            <完>


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