『俺を忘れた人』


1999/03/19



 英二さんが交通事故に遭った。

 新曲の構想に煮詰まって気分転換を兼ねて散歩をしている途中、近くの公園でボー
ル遊びをしていた子供が転がっていったボールを追って、車道に飛び出した所を丁度
大型トラックがやって来て、英二さんは子供を助けるべくガードレールを飛び越え、
子供を突き飛ばすように、飛び込んで助けたところ、代わりに自分が轢かれたのだ。
 少女漫画のヒロインの彼候補、勿論年上の立派ないい先輩なら間違いなく死んでし
まい、ヒロインは口げんかばかりしていた同級生に乗り換えるのだろうし、双子の弟
なら兄貴がかわりに新田を押さえきる快投を見せるのだろうが、幸いにも英二さんは
軽い打撲と骨折程度ですんだ。ブレーキがかなり利いた時点でぶつかったからだろう。
 ただ何故かその右手には幾度も轢かれてタイヤの跡がびっしり付いた一万円札紙幣
が握り締められていたのだそうだ。

 その件は箝口令が敷かれ、子供を救った若手プロデューサーの美談としてだけスポ
ーツ新聞に大々的に掲載されていた。
 そんな訳で、俺達はお見舞いに駆けつけた。
 今まで意識不明だったらしいが、ようやく意識を取り戻したらしく由綺と共に行く
ことにしたのだ。

 一般の人は立入禁止の病室に「関係者」として俺達は来て、ドアをノックする。
「はい。どうぞ」
「あ、理奈ちゃん」
「ああ、由綺……それに冬弥君も……」
 大勢のファンからの花束や見舞いの品が一角に置かれた病室で英二さんのベッドの
脇の椅子に理奈ちゃんが座っていた。
 最初の頃は取り乱していた彼女も、次第に経過が良くなるについて、「ったく、あ
の緒方英二が一万円に目が眩んで死んだりしたらいい物笑いよ」等と、仕事場で由綺
相手に軽口が叩けるようになっていたらしいが……

 今日の理奈ちゃんは心なしか、元気がないようだ。
「……英二さん、今寝てるの?」
 由綺は英二の様子を見て、理奈に聞く。
「うん。やっとね……」
「やっと?」
「あのね……実は……」
「あ、わかった!」
 由綺が手をぱちんと合わせて、大声を出す。
「記憶喪失でしょう!! こないだ、テレビドラマで見たんだ」
「……そんな生易しいもんじゃないわ」
 理奈ちゃんが疲れたような声で言う。
 由綺、そんな顔して言う台詞じゃないぞ。

 英二さんを轢いたのは、彼の前の事務所の後輩だった。英二さんは脳挫傷を負……
ってはいなかったが頭を打ち、奇跡的に命を取り留めたものの、過去の記憶を失って
しまったのだそうだ。ここまでなら由綺の言うとおりだが、英二さんはそれどころか、
自分を正義の味方で探偵の「長瀬英二」と勘違いしてしまったから、さあ大変。性格
は傍若無人になり、見舞いにやってきた女性を全て押し倒し、看護婦の尻に手を伸ば
してはトラブルを起こしたらしい。で、今回のメインテーマは「時を越える悲しい想
い」らしい。勿論、原作のゲームはしていないし、今回に限っては小説版も出ていな
いので読んでいないのだ。だから深くは突っ込まないで欲しい。

「やぁ!! 我が愛しの義理の妹、理奈よ。気持ちのいい朝だなっ!!」
 いきなり英二さんがばね仕掛けの人形のように起きあがると、理奈ちゃんに向かっ
て話し掛ける。
「兄さん……だから私は義理じゃなくて血が繋がってるの。それに今はもう夕方よ……」
 どうも今日まで色々あったらしく、疲れたような口調のまま、理奈ちゃんが英二さ
んに答える。
「はっはっは……姓が違うじゃないか。僕は長瀬、君は理奈。人呼んで「瘋癲の法螺
」。どうせ、おいらはやくざな兄貴。わかっちゃいるんだ妹よ。いくら実の兄妹のよ
うに同じ屋根の下で暮らしていてもダマされないぞ。メインヒロインだから攻略が一
番難しいのはわかってはいるがね」
「り、理奈は名前だと思うけどな……」
「ん? 理奈。この人達は誰だい?」
 俺の呟きに反応して、英二さんは俺達の方を向いて訊ねる。
「え……え、英二さん!?」
 由綺が驚いたように両手を口に当てる。ショックだったらしい。
「待て!! 当てて見せよう……その見窄らしい格好の君!」
「え、わ……私……ですか?」
 由綺を指差す英二さん。私服だからとはいえあんまりだ。

「君は……わかる。わかるぞ。君はアルバイトの面接の日にそこの男とぶつかり、胸
を触られたことと、下げていたペンダントを馬鹿にされたことで、喧嘩になった。そ
うだろう!!」
「……違いますけど」
「まあまあ。照れなくても良い。隠したいのもわからなくはない。何て言っても男の
親友の男や妹まで巻き込んでしまったり、Hシーンを見たらBADになるなんて、同
窓会の夏奈子以来だものなぁ……」
「だから違うんですけど……」
 そう言う由綺を英二さんはきっぱりと無視して今度は俺の方を向く。

「それでそこの君……」
「あ、俺ですか?」
「ああ。他に誰がいる」
「まぁ、そりゃそうですけど」
「君は恋人がいるにも関わらず、恋人の友達に色目を使ったり、先輩に目が眩んだり
、幼なじみにフラフラしたり、家庭教師先の子供に手を出そうとしたり、恋人のマネ
ージャーの誘惑に乗ったり、ホモ系の同人誌で小学校以来の友人と絡んだりしている
藤井冬弥だろう!!」
「ええ、まぁ……って違いますっ!! 違いますってばっ!!」
 危うく肯定するところだった。
 このままなし崩し的に藤田○之になってたまるかっ!!

「冬弥君、そうなの?」
「違うぞ、由綺!! 断じて違うっ!!」
「春が近くなってきたと思ったら……まだまだ冬ね……」
 ああ、理奈ちゃん……わざとらしく窓の景色を見てないで助けて。

「ふふふ……時には真実ほど残酷で過酷なものはない……」
 英二さんは中指で眼鏡を直しながら、含み笑いを浮かべる。

「それそーと以前の記憶がないんでしょーが、あんたはっ!!」
「ああ。そうだ。それがどうした」

 そんな、胸はって威張らなくても。

「いいかね。藤○浩之君」
「違うって!!」
「俺は探偵なのだよ。探偵なら何でもお見通しだ」
「それじゃあ超能力者だって!! 理奈ちゃんも何か言ってやってよ」
「あの窓の外の葉っぱが全部落ちたら……………………死ねばいいのに」

 何か物騒な事、口走ってる。

「と、冬弥くぅ〜んっ!!」
「って何、しているんですか!! アンタは!!」
 目を離した隙に、英二さんにベッドへ押し倒されている由綺。

「ん?」
「「ん?」じゃないっ!!」
 英二さんの手から由綺を助け出す。

「どうせ次の週末に人類は滅亡するんだし……この世で最後の約束をだな」
「何を言ってるっ!!」
「冬弥く〜ん……前が見えない」
「その眼鏡取れ、眼鏡……」
 押し倒された際に眼鏡を付けられたらしい。
「ヒロインなら眼鏡を……」
「あー。聞きたくない。聞きたくない」
「聞けっ!!」
「命令するようなことじゃねぇって!!」

「……へぇ、瑠璃子さんって言うんだ。可愛い名前だね。それで、その……」
 理奈ちゃん、窓を見ながら誰かと交信してないで何とかして。

「ふん。いちいち煩いなぁ……」
「あのなぁ……」
「この眼鏡どうしよう……」

 その時、ドアがノックされる。

「オレはメガネをかけてる女の子には目がねえんだ。わがままは承知だが、一歩もゆ
ずれない。オレはメガネをかけている女の子にこだわる男だ。メガネをかけたら男が
寄りつかないとおもったら大間違いだぞ。メガネをかけてる女の子は知的でおしゃれ
でかわいくていい感じだ。素顔とはまた違った魅力が出る。メガネをかけてる女の子、
あまりかけないが一応持ってる女の子、これからかけようと思っている女の子、連絡
下さい。オレは個性的でいい感じの男だ。オレと一緒に思いっ切りハメを外して楽し
く遊ぼう。たった一度の人生だから天下一幸せになろう。オレにとってもメガネは顔
の一部です。だから、つねったら痛い」
「ええっ!? そうだったんですか!!」
「ふぅん……屋上で知り合ったんだ……それで、その体育倉庫で何したの?」
「………………あ、はい。今開けます」
 英二さんは由綺と盛り上がってるし、理奈ちゃんは交信したままだし、仕方がない
ので、俺が返事をしてドアを開ける。

「はい」
「あら、藤井さんでしたか」
 弥生さんだった。
 弥生さんは俺を見て、それから周りを見て、

「これは一体……?」

 と訊ねる。


 ……いや、俺に聞かれても。


 俺は英二さんの容体と事情をかいつまんで説明する。
 そして、それ以外は……どうも言えなかった。

「そうですか、わかりました」
 が、弥生さんはそう言うと、おもむろに英二さんに近づく。

「ん? あ、君は……わかった!! 前世は鬼の一族の皇族で宇宙人な偽ぜ……」

  ゲシ

 弥生さんは何かを言いかける英二さんの脳天にチョップを叩き付けた。
 無表情に。

「フランダース……来てくれたのね……」

  ベシ

 そして外を見ていた理奈ちゃんの頬にビンタを入れる。
 無表情で。

「あ、弥生さん」

  ドカ

 弥生さんに気付いた由綺の頭に肘を落とす。
 当然無表情。

「あ、あの……弥生さん」
「皆さん、しっかりしてくれないと困ります」
「それはそーだけど」

 弥生さん、しれっとゆーな。

「お、青年。それに弥生姉さんじゃないか」
「あ、弥生さん……来てたの?」
「あれ、ここは何処?」
 それぞれすっとぼけたような事を言って、こちらを見る。
「皆さん、仕事の時間ですよ」
「そうか……そう言えば新曲書かないと……青年。そこのテーブルの引き出しから譜
面とペン出してくれないか」
「あ、そろそろ、スタジオ入りの時間ね……じゃあ、兄さん。私、行くから」
「私……誰?」
「ああ、理奈。頑張ってこい」
「あのぅ……弥生さん。由綺……?」
「では、英二さん。私たちも仕事に行きますのでお大事に」
「ああ。青年は暇なんだろう? もう少しゆっくりしていってくれ」
「あれ……あなた……誰?」
「じゃあ、行きますよ。由綺さん」
「あ、弥生さん。私も玄関まで一緒に行くわ。じゃあ、冬弥君、またね」
「あの……由綺……」
「それではご機嫌よう」
 弥生さんは焦点の合わない顔をした由綺を連れ、理奈ちゃんと一緒に病室を出てい
ってしまった。
 残されたのは俺と英二さんの二人。

「あのぅ……英二さん?」
「だから譜面取ってくれって」
「はぁ」


 それからしばらくして。
 俺は今、TVで由綺を見ている。
 色々な意味で遙か遠い人になってしまった由綺を。




                        <おしまい>


  (※ 作中の眼鏡論は大槻さんのコラムの台詞より拝借したものです)


BACK