『マナが来たりて息を吹く』


1999/03/01



「はい、冬弥クン、アーンして」
「え……あ……ちょっと恥ずかしいよ、由綺」
「ふふ……でも誰も見てないよ」
 そりゃそうだ。
 ここは俺の部屋だから。

 俺は今、風邪を引いて寝込んでいた。
 そして恋人な由綺が偶然にもオフと言うことでこうして見舞いに来てくれた訳だ。
 ベッドに横になりながら、傍らで看病してくれる由綺。
 良い光景だ。
 あるべき恋人達の姿だろう。

 それだけならば誰も文句は言うまい。
 だが、ちょっとだけ今の境遇に後ろめたいものがないわけでもない。
 これはマナちゃんシナリオで、実質最後の選択肢で由綺を選んでしまった俺なので
、由綺とはまだ大したことをしていない関係なのだ。実に残念。
 肉体的な毒々しく且つ生々しい18禁ゲームらしい展開にならずに来て全くもって
、可愛らしい関係が続いていた。
 参った参った。
 後ろめたいことこの上無い。
 それ目当てでプレイしていた人間にとっては。

 …………は、マナちゃん?

 ほら、まだ子供だし。
 家庭教師として教え子に手を出すのはいけないし。
 やっぱりここは「お兄ちゃん」として見守るのが人としてのベストだと。
 実のところ、BAD方面はただ何となく終焉に向かうまでは由綺と恋人でいよう的
な雰囲気だが今の俺は知ったこっちゃない。
 マナちゃんは何か卒業してくれたし、大学も受かったみたいだし、ほら勘違いした
のは向こうだし、俺は適当にあしらったら勝手に思ったらしいし……ん、誰だ?
「最低」と言うヤツは。おいおい、俺のせいじゃないって。俺悪くないぞ。
 第一、由綺と言う恋人もいるし。
 いくら小学生太股でも20歳を越えた訳だから、千葉県の条例も怖くないッチ。

 ……まだ何もしてないけど。

 まぁ、俺、奥手だしね。
 それにフラフラしちゃ由綺に悪いと思った訳さ。
 いくら会えないでいたからってそれを理由に捨てるなんて出来ないよ俺は、ウン。
 そう言うことだよ、多分。
 だから矛盾点は黙殺黙殺。

「?」
 ブツブツと心の中で世論と闘っていた俺に不思議そうな顔を向ける由綺。
「あ、いや……何でもないよ」
「変な冬弥クン。はい、アーンして」
 由綺はクスリと笑って、自分が作ったお粥を蓮華にすくって俺の口元に再び運ぶ。
「アーン……」
 口を開けて待ちかまえる俺。
 馬鹿みたいだが、ここには誰もいない。
 気にすることはないのである。
 俺、病人だし。

 フー フー

 その時、俺は妙な風を感じた。
 息だ。
 生き物の息を感じる。
 由綺が気を利かせて醒ましてくれている……訳ではない。
 何せ、風は俺達の横から吹いている。

 ……横から?

 俺は横を見る。

「マ……マナちゃん!?」
 気が付くと俺達のすぐ横にマナちゃんがいた。
「………」
 由綺も絶句して固まっている。

  フー フー

 マナちゃんは無表情で口をすぼめて息を吹きかけていた。
 スプーンに。
 スプーンに盛られた湯気の立つお粥に。

「あ……あの……マナ……ちゃん?」
 俺が何とか口を開いて訊ねようとすると、

「いいえ、わたしは通りすがりの『ふーふー屋』」

 そう一言言い残して、そのまま玄関から出ていってしまった。
 凍りついたようにそのまま固まる俺達二人。

 その日はそれで終わった。

・
・
・

「それでさぁ……俺、そこで言ってやったんだよ……」
「ははは……」
 風邪も本復した俺は大学で彰と話しながら学食に行く。
 騒がしい毎日が、そこそこ始まった。
 そう、いつも同じ様な毎日な日常。

 こぅれぇが青春なんだぁ〜♪

「おばちゃーん、俺ラーメン、メンマ抜きで」
「おばさん、僕はカレー」
「はいよ、カレーにラーメンお待ち!」
 早い。旨……くも不味くもない。それ程安くないの一三七拍子(ってあったなぁ
……中学生時代の応援団経験より)なそこそこな時代がかった学食で俺はラーメン、
彰はカレーを頼む。
 そう、早いのはいいことだ。男の尊厳以外なら。

「それでさぁ……俺、そこで言ってやったんだよ……」
「ははは……」
 お互い、丼と皿をトレーに乗せたまま近くのテーブルに腰を落ち着かせる。
 割り箸を取り、俺は備え付けの胡椒をふりかけ、彰は懐から取りだした漢方胃腸薬
をふりかけ、食事をしながら話を続ける。

「それでさぁ……俺、そこで言ってやったんだよ……」
「ははは……」
「ごほっごほっ……」
 胡椒が気管に入って咽せる俺。

「ははは……」
「話、聞いてたか?」
「ははは……」

「……ったく」
 床で鼻血の花を咲かせて大の字になって倒れている彰を無視しつつ、俺はラーメン
を食べようと麺を箸ですくう。
 そこで息を吹きかけようとすると、

  フー フー

 横から風がそよいでくる。
 同時に全身を寒気が襲う。

 …やべっ、風邪ぶりかえしたか!?

 そう思いたかったが、覚悟して顔を上げると目の前に……マナちゃんがいた。
 何か無表情。
 口をすぼめて硬直する俺のラーメンを冷ましてくれている。
 俺自身まで醒ましてくれなくてもいいのに。

 俺が正気に戻った時、マナちゃんはいなかった。
 ラーメンは伸びきっていた。

「あれ、僕のカレー……冬弥、酷いや」

 カレーは綺麗に平らげられていた。

・
・
・

 俺には恋人がいる。
 由綺だ。

 だが、由綺はアイドルだ。
 おちおち会うこともままならない。
 キスだってまだ舌入れてない。

 青い青春、青い山脈。青い珊瑚礁にあおい輝彦。

 だから俺はこの己の中で燃えさかる命の火を沈静化させるには、文明の利器を取り
入れるしかなかった。

 AV。
 アダルトビデオ。

 主演女優は「緒方美奈」。
 タイトルは「なんてったって愛奴隷」。

 ストーリーは兄貴のプロデューサーにダマされてTV局のお偉いさんに廻されてし
まい、すっかり淫乱になったヒロインが最後は兄貴をヤリ殺し、夜な夜な男を求めて
徘徊する末路を辿る……まっ、そんな話だ。現実にありそうなシチュエーションな
のが、特にいい。
 何よりヒロインが誰かにくりそつ。それがいい。胸はこっちの方が大きいかな?

 そんな訳で、俺の右手は真っ赤に燃える。
 スマッシュスマッシュ、ゴーゴー。
 熱を帯びてくる。
 そうだ、行け。
 行ってまえ。
 行ってこい、大霊界!!!!
 皇(マー)!!
 龍(ノー)!!!


  フー フー


「ゥォ(破)……」


 ……俺、硬直。



                         <おしまい>


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