『かわらない関係』


1998/12/29



 最近、急に寒さが増してきたと思う。
 一昔前はエルニーニョとか何とか言って誤魔化してきたが、この状態が普通だと開
き直ってしまったらしく、ただただ暑い日から、ただただ寒い日へといきなりの変更
だった。
 このまま、日本も四季と言う区切りが失われていくのかと考えると、寂しい気持ち
にもなるが、これが普通の国や地域があると考えれば、今までが贅沢だったのかも知
れない。
 しかし、今の自分にはどうでもいいことだ。

 寒い。
 この一言こそ、真理であり、宇宙である。
 意味が分かっていっているわけではないのであしからず。
 雰囲気だけで言っている。
 フィーリングって奴だ。

 今、俺は大学の屋上のベンチに腰掛けている。
 夏の日差しが厳しいこの場所は、冬の木枯らしも厳しい場所だった。

 だが、俺はここに座っている。

 意味があるわけでもない。
 誰かを待っているわけでもない。
 理由はない。
 ただ、座りたくて座っていた。

 何か、なにもしたくないなぁ……。

 大きくため息を付いてベンチに座ってから、気付いたら座りっぱなしだったと言う
わけだ。
 何も考えずに。

 幾度目かのチャイムが鳴る。
 時間の概念もなかった。
 こうしているといつもぼーっとしている幼なじみの気持ちがわか……る訳はない
な。第一、今の俺は何も考えていない。
 ふと、目が覚めたように、今、頭が動き出したのだから。

 そして、今までの自分を振り返る。
 憶えていない。
 終わり。
 ……。
 と、まぁ……そうなってしまう訳だが……。

 今頃、由綺はどうしているかなぁ……。

 そこでようやく別れた恋人の事を思い返す。
 いや、正式には別れたわけではない。
 ただ、何となく疎遠になって、ただ、何となく気まずい思いをしているだけだ。
 お互いに。

 俺が望めば、由綺は待っていてくれているだろう。
 だが、それはあまりに不遜な話だ。

 俺と、由綺の関係。
 ただ、何となくつきあい始めて……。
 いや、もしかしたら何となくではなかったのかも知れない。
 俺に告白してきた由綺は、真剣だったような気がする。
 その性格で誤魔化されてきたが、彼女なりにずっと真剣だったのかも知れない。
 ただ、俺は疲れを覚えていた。
 そう、由綺との関係に。
 疲れを覚えるほど、付き合っているわけでもないとは思うし、それ程深い関係にな
った覚えもないが、どこか今、この気持ちを表す言葉を捜すならば、

 「疲れた」

 しか思い当たらない。

 いくら弥生さんがムキになってこようとも、英二さんが焚き付けようとも、虚しさ
しか感じなかった。
 いくら彰や美咲さんが心配しようとも、俺には関係について積極的になる気分には
なれなかった。

 はるかは……。

 そう、はるか。
 河島はるか。
 俺の幼なじみで、一番の長い付き合い。
 あいつの反応はなかった。
 きっと、世界滅亡のカウントダウンが始まっても、きっとあいつはかわらないまま
、マイペースに過ごすんだろう、きっと。
 あいつだけが、俺達の異変にも一切、反応しなかった。

「冬弥」
 そう、そんな気怠いような声でいきなり俺の思考を混乱させるのだ。
「冬弥ってば」
 それは、変わらない。
 いつも、変わらない。

  ペチッ

「痛っ!!」
 いきなり、指でおでこを叩かれる。
 デコピンというやつだ。
「何するんだっ!!」
 はるかのくせに。
 いや、はるかだからか。
「生きてた」
「死んでるわけねーだろっ!!……って、はるか」
「ん」
 目の前にはるかが立っている。
「ん……」
「熱っ!!」
 ようやく事態が飲み込めた俺の頬に缶紅茶を押しつけてくる。
「これ、あげるから」
「え……あ……ああ。サンキュ」
 完全にペースが掴めないまま、差し出された缶紅茶を受け取り、プルトップを開け
る。
「しかし、冷えるな……」
 当たり障りのない言葉で場を繋いでから、一口紅茶を啜る。
「ふぅ……って、座らないのか?」
 はるかは、俺の前に立ったまま、俺が飲むのを見ている。
「ん……」
「?」
 俺を指差す。
「な、なんだよ?」
「そこ、私の場所」
「………」
「………」
「………」
「………」
 俺は、ベンチの真ん中から右端による。
 何か、負けた気分がしないでもなかった。
「ほら……」
「うん……」
 まるで当然のように、俺がさっきまで座っていた場所に腰を下ろす。
「しかし、珍しいな。今日は今までしっかり授業受けてきたのか?」
「……うん」
 返答に、間があった。
「その予定」
 俺の視線に、はるかは答える。
「今から、来たのか……」
 苦笑しながら、缶紅茶を傾ける。
「………ふぅ……」
「美味しい?」
「え? あ、ああ……」
 見ると、はるかは手ぶらだ。
「ひょっとして、これ、お前飲もうと買ってきたやつか?」
「うん」
 缶紅茶を指差すと、首を縦に動かして肯定するはるか。
「だって、何かあげないと冬弥、ゴネそうだったから」
「俺は強情な餓鬼かっ!! ったく、ちょっと待ってろ。何か買ってくるからっ!!」

――「これあげるから」ってのは場所の事だったのか……

 席を立とうとする俺に、
「……いいよ。これ、貰うから」
 そう言って、俺を押しとどめるように座らせると、俺の手にあった飲み残しの缶紅
茶を取って飲み干す。
「……間接キスだね」
「かっ……ば、馬鹿言ってるんじゃねえ」
 いきなり何を言い出す、この女。
「照れる?」
「俺が照れてどうする」
「じゃあ、冬弥も口だけつける?」
「残ってないのにか?」
「数滴分くらいなら……」
「おい……」
 そう言って缶を差し出す。
 俺は時計を見てから……缶を受け取ると、立ち上がる。
 構内にある、屑箱に捨てに。
「………じゃあ、俺は行くぜ」
 この時間なら、今日の最後の講義には間に合いそうな時間だった。
 はるかは俺を座ったまま、見ていたが、
「冬弥、ありがと」
 そう言った。
「何が?」
「紅茶」
「元々はお前が買ってきたんだろーが……」
「でも、ありがと」
「………」
 元々、はるかとのつきあいはこんな感じだ。
 その、繰り返しの日々が、もうかなり長いこと続いている。
 その安らぎに似た、疲れを覚えない関係はいつの間にか作られてきた。
 それは俺と由綺が付き合いだすずっと前から、事実上消滅してしまっている今でも
変わりない。
 お互いを変に意識しないこんな関係が続くのは、自然に作られた訳ではない。
 はるかが今のはるかになっていったのは自然になった訳じゃないのと同じ様に、こ
の関係の持続にはそれなりの理由がある。
 ただ、その理由を詮索したことはないし、知ろうとも思わない。
 今の状況に甘えている訳じゃなくて、詮索しないように作られた関係だから。
 見失わない程度の意識で、十分だと、今は考えている。
 かなり昔、こんな関係じゃなかったように、いつか先にはこんな関係じゃなくなる
のかも知れない。
 ただ、その時が来るまではこのままでいいと思う。
 その裏側で葛藤があっても、そんな思い込み自体が俺の思い上がりの図式だったと
しても、俺は俺を続けていきたいし、はるかははるかを続けていくのだろうから。

 どうやら、俺は本当に由綺と別れたらしい。

 こんな風にはるかを思うことは、考えることは今までなかった筈だから。
 忘れていなくても、確認しようだなんて思いもしなかった筈だから。

 俺は、今、人を好きになることをしていない。
 疲れてしまったから。

 ただ、それがいつまでのことかは判らない。
 俺はまだ、全てを達観できる程、強くはないから。
 そしてそれは、俺だけに限ったことじゃないと思っているから。

 空き缶をゴミ箱に捨てた俺は、そのままはるかを無理矢理にでも連れ戻すべく、屋
上へ戻る鋼鉄製のドアを開けて、
「なぁ、はるか……午後の授業、お前も出ろよ」
 と、言うと
「ん……」
 微かに、ベンチに座ったままだったはるかは頷いているようだった。




                          <完>


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