『なんてったってアイドル』


1998/09/28



「あ、冬弥クン」
「理奈ちゃん……」

 由綺と付き合いつつもADのアルバイトを続けていた俺が休憩時間に通路を歩いて
いると、丁度控え室に入る直前の理奈ちゃんに出会う。

「冬弥クンも休憩?」
「あ、うん」
「それだったら、ちょっとお話しない?」
「うん、いいよ」

 と、招かれるまま理奈ちゃんの控え室に入る。


 そして、五分ほど、自民党の派閥政治について議論していたところ、ノックと共に、
英二さんが入ってくる。手には湯気の立ったままのコーヒーがあった。

「お、青年も居たのか。由綺の目を盗んでやるなぁ……」
「ちょっと兄さん、冬弥クンは私が呼んだの。余計なこと言わないでよ」

 そう言いつつも、ちょっと楽しそうな理奈ちゃん。
 相変わらずの英二さん。
 そんな二人にも馴れていた俺だったので、そのまま穏やかな会話が続く。


「すまんな、理奈。由綺にと頼まれていた仕事なんだが……どうしてもスケジュール
の都合上、お前にやって貰うことにした」
 話の途中で、思いだしたように英二さんがそう言うと、
「えぇ〜。これって、深夜番組じゃない……」
 と、理奈ちゃんが、差し出された詳細を見て、愚痴をこぼす。
「十五分枠だからそんなに手間はとらせない。基本は生だが、場合によっては録画で
もいいらしいから……ちょっとだけ、無理してくれ」
「無理ばっかさせているくせに……どうも由綺程、大切にされてないように思えるん
だけど……どう思う、冬弥クン」
「え……」
 ちょっぴり拗ねたような口調で、悪戯っぽく俺を見る理奈ちゃん。急に振られても
……。
「はは……止めておけ、理奈。青年が困っているぞ」
 そう英二さんが笑った所で、今度は備え付けの電話がなる。

「はい。緒方ですけど……ああ、由綺ちゃん」

 どうやら相手は由綺らしい。そして、俺の方をちょっとだけ見てウインクする。

「ははは……由綺は超能力者だからな。浮気したらお見通しだ」
「冗談言わないで下さいよ……」

 英二さんが俺の肩を叩きながら、そんな他愛もないことを言う。


『……だったの。ふぅん……』

 途中から由綺の声が電話機本体のスピーカーからも聞こえてくる。

  クス……

 理奈ちゃんの方を見ると笑っていたので、どうやら理奈ちゃんが俺に気を利かせて
声を聞かせてくれているらしい。

「それでさぁ……兄さんったら、由綺宛てに来た仕事まで私に押しつけるのよ……大
した仕事でもないのに、断らないで……」

 英二さんが苦笑ともつかない顔をする。
 目の前に本人がいるというのに、理奈ちゃんはくったくがない。


『うわぁー、凄いね理奈ちゃん』

 感心したような声が電話の向こうから聞こえてくる。



『私なんか、大きい仕事がちょこっとあるだけで……そんなちまちまとした仕事、
なかなか出来ないんだ』



 ………へ?

 ピキッ

 理奈ちゃんの額にヒビが数本はいる。

「………」

 思わず、英二さんを見るが微動だにしない。


『理奈ちゃんなら、きっと何でもできるんだね。着ぐるみのアトラクションとか……
私、一度やってみたいなって思ってるんだけど……』


 …アイドルの仕事じゃないって。それにその言い方だと理奈ちゃんの仕事と同列に
聞こえるじゃないか……。


『やっぱり……理奈ちゃんって凄いよ。何でもこなせちゃうんだね』

 相変わらず電話の向こうからはいつもと変わらないトーンで、由綺の感嘆したよう
な声が続く。

「そんなことないわよ……」

 …あ、ちょっと声が震えてる。

『だってなかなか出来ないじゃない。普通、スケジュールがかなり詰まっているし、
少しは開けてあっても、臨時にいつ大事な仕事が入るかわからないから、細かい仕事
って簡単には受けにくいでしょう?……あ、私はそうみたいなんだけど……』

 …もしもーし、由綺さぁ〜ん……

 理奈ちゃんの受話器を握る手に力が入っているのがわかる。


『それでね、口の悪い人なんか、仕事選んでいると「あら、もう大女優気取り?」な
んて嫌み言われるし……細かい仕事を受ければ受けたで「あら、もう落ち目?」な
んて、言うのよね……理奈ちゃん、こんなに頑張ってるのに』

 …由綺。最後、余計だぞ……

「そ、そんなに大して……頑張ってないわ」

『そんな事ないよ……理奈ちゃんは凄いよ。だって○○さん(落ち目の大物女優の名
前)の後がまなんでしょ? まだ若いのに……』

 本人は「まだ若いのに。大物しか選ばれないような番組に……」と続けるような口
調だが、この部屋では「まだ若いのに。もう「○ってい○とも」の万年レギュラー?
お気の毒」的な風が吹き付けていた。

「………」
『――――――……』


 …あぅ、無言が痛いッス。


『あ、御免なさい。弥生さんが呼んでて……え?』
『「由綺さん、長電話するほど私たちは暇ではありませんよ」』


 …由綺、受話器を押さえろって……丸聞こえだぞ。


『あ、御免ね。私から電話したのに……』

「ううん。全っぜん!!、気にしないわ」

『それじゃあ、理奈ちゃんもお仕事頑張ってね』

「うん。頑張るわ」

『私、夜だから見ること出来ないかも知れないけど……』

「気にしないで」

『御免ね。夜は出来るだけ寝ておかないと、肌荒れとかして弥生さんやスタッフに迷
惑がかかるから……私ぐらいの歳だと……』

  ペキ……

 理奈ちゃんがしきりなしに指で回していた、メモ帳の脇に置かれていたペンスタン
ドから抜き取ったボールペンが二つに折れ、床に落ちる。

『それじゃあ、夜のお仕事も頑張ってね』

「うん。ありがとう」

『じゃあ……』

「じゃあ、またね」

 理奈ちゃんは俺のことを由綺に言うのも完全に忘れていたらしく、強ばった笑みの
まま、受話器をゆっくりと置く。


  ガチャ……


「………」
「………」

 部屋に、沈黙が漂う。


「………」
「………」

 ゆっくりと理奈ちゃんが、こっちを向いた。


「あ……あっはっは……由綺ったら、全く……」

 「由綺」の単語が出ただけで、理奈ちゃんの頬の端がピクとつり上がる。

 …やばい。

「む、昔からことわざというか、慣用句というか……そういうのよく解らないで使っ
てたヤツだったから……」

 適当なことを口にしながら助けを求めるような目で、英二さんの方を見ると、飲み
残した紙コップのコーヒーだけが、そこにあった。

 …ずるいっ!!

「り、理奈ちゃんっ!!」

 その「このやるせない怒りをどこにぶつけたらいいのかな?、冬弥クン。私、その
お腹ぐらいなら蹴れそうな気がするの」な視線に耐えきれなくなり、困った俺は思わ
ず、


「け、結婚しようっ!!……今すぐ!!」


 などと何故か口走っていた。



 後日、英二さんのヤクザ蹴りと由綺の「私が仕事ばっかりしていて……」の作り笑
顔を貰い、俺は理奈ちゃんと結婚してしまった。



 ……よくわかんないけど、由綺の馬鹿。




                        <おしまい>


written by 久々野 彰 『Thoughtless Homepage』

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