『ESCAPE』


1998/07/13



「よう!、青年」
 今日、俺は英二さん直々に呼ばれてTV局に来ていた。


 …実は、君に相談したい事があるんだ。


 昨晩、いきなり俺の家の電話で英二さんは神妙な面持ちでそう言った。
 英二さんが俺の家の電話番号を知っていない筈。
 それを調べてかけてきたということは、きっと重大な用件なのだろう。
 そんな口調だった。


 だが、TV局の一室で待ちかまえていた彼はいつも通り、いや、いつにも増して明
るく元気よく、楽しそうな彼だった。

 ――いや、これは俺をリラックスさせるためのカモフラージュだろう……

 あの時の切羽詰まった声、間違ってもADが足りなくなったとか、マネージャーの
代役を務めて欲しいとかそんなものではないだろう。

「英二さん……相談って……」
 さっそくそう聞こうとした俺を手で制す。

「まあ待て」

 焦るなと言わないばかりだ。
 いや、万が一にも誰が聞いているかわからないと言うことで、もっと小声で喋れと
の合図だろうか。

「もう少し、待ってくれ。まだ皆、集まってないから……」

 どうやら、俺以外にも誰かが来る予定になっているようだ。


 まず、考えられるのが由綺だ。

 あいつは俺の彼女であり、問題が彼女の事なら尚更、俺を呼んだ理由がわかるって
ものだ。売れっ子アイドルには障害はつきものだ。陰湿な先輩のいじめ。狂信的なフ
ァンの独善的行為。数え上げたらキリがない。脅迫の一つや二つ、あるほうが当然で
ある。だから俺にも注意しろとの事なら、俺も協力どころかこっちからお願いします
だ。彼らにとっての商品は俺にとって掛け替えのない人なのだから。少なくても親戚
の子供に頼まれた色紙三百枚を捌いて貰わない限り、無事でいてくれなくては困る。
俺のステータスを維持するためにも、今はまだ森川由綺は十二分に利用価値のある彼
女なのだ。


 次に、弥生さんだ。

 由綺の事なら由綺以上に調べ上げている程の由綺オタクだ。その問題が由綺に知ら
れると悪い事なら十分に考えられる。俺と弥生さんで由綺を護ってやるような事態な
のかも知れない。由綺はああ見えて、やっぱり見たとおりのボケ子だ。落とし穴があ
れば落ち、バナナの皮があれば滑り、買い物に行けば財布を忘れる女だ。それを正し
く間違った方向に行かないようにするのが弥生さんだ。由綺を変な壺を買わされない
ように、合同結婚式に参加させないように目を見張るのが弥生さんの義務であり、勤
めであり、生き甲斐でもある。そんな彼女を無視して由綺がらみの話を進めたら後で
どうなるかわからない。目が覚めたら細切れ300グラムなんて運命は御免だ。


 もしくは理奈ちゃん。

 英二さんの妹であり、トップアイドル。彼女自身も色々な問題が起きていてもおか
しくない。彼女のかなり親密な友人である俺に手助けを求める事はこれまた考えられ
る。もしくは、由綺関連でもわからなくない。どうしても弥生さんではわからない、
アイドルとして気付いたことを俺達に秘密裏に相談したい事があってもおかしくない
だろう。もしかしたら俺に買収を持ちかけてくるかも知れない。後輩の追い上げはや
はり彼女にとっても気がかりな事だろう。さり気なく俺に彼女の引退を持ちかけるよ
うにするのかも知れない。報酬はやっぱりキス一つだったりするのだろうか? だが
、英二さんがそれを許すわけもない。彼にとって由綺は自分に逆らわない格好の玩具
だ。彼の疲れた心を癒すオアシスだ。もしかしたら俺の前で交互に交渉をする約束な
のかも知れない。だとしたら、俺はどこでセリ落とされるべきだろうか? 


 でなくば……俺の知らない人。

 もし知っていたら電話の時点で誰それも一緒だと言う可能性がある。お互いに知ら
ないからこそ、今まで伏せていたのかも知れない。だとしたら考えられるのは何だろ
う。まさか、今更由綺の事ではないだろうし、TV局の人が俺にアルバイトでなく正
社員にならないかとの誘いか? だが、それに英二さんが関わるのはおかしい。もし
かしたら、プロダクション関連の人が俺をスカウトしに来たのだろうか? 以前、俺
の声は優秀だと英二さん自身が言っていたような気がする。それならば、理解できる
。だが、それは俺は承諾出来ない。俺までアイドルになってしまったら、ますます由
綺と会えなくなってしまう。しかもすぐにスキャンダルとかに巻き込まれると厄介だ
。いや、しかし……逆に同じ所属に入れば……だが……。

 そうこう俺が考えているうちにドアがガチャリと開いた。

「よう」
「あ……」
「冬弥君!!」
「……藤井さん、こんにちわ」

 入ってきたのは由綺と弥生さんの二人だった。


 ――やはり、問題は由綺の事か。


 内心でアイドル化計画の為にアパ○○トを何処で買うか考えていたその考えをうち
消す。チッ。


「これで皆、揃ったようだな」
 英二さんが勿体つけるように座ったまま、その場に立つ俺達を見る。
 パイプ椅子のくせに。


「冬弥君も呼ばれたの?」
 何故か小声で隣に立つ俺に囁く由綺。
「ああ、由綺も?」
「うん。今日の仕事が終わったらって……」
「私も呼ばれました」
 聞いてないよ、あんたには。


 気のせいか最初の頃よりすっかり荒んでしまった自分の心に苦笑しつつ、
「それで英二さん。俺達に一体何のようですか?」
 そう訊ねる。
 横をチラと見ると由綺も聞かされていないらしく、身を微かに乗り出していた。
 転ぶぞ。平衡感覚ないんだから。
 そのデコが赤くなったら困るだろ。弥生さんが。


 その弥生さんはいつも通り「私は空気」とばかりに澄ました顔をして俺達よりやや
後方に控えている。
 相変わらず、何を考えているか分からない。
 きっと由綺が転びかけたらどう支えようか考えているに違いない。
 彼女の事だ。どさくさに紛れて俺を突き飛ばす事ぐらい、当たり前過ぎてボツ案に
も入っていないだろう。ここは墨谷二中のイガラシばりのヘッドスライディングで英
二さんを夜空の星にするに一票を投じよう。


「それはだな……」
 相変わらず、勿体つけたまま俺達を見る英二さん。
 その言葉の切り方に、事の重大性を位置づけるようなものを感じた。


 …――はっ!!


 その瞬間、俺は気付いた。

 …ここはきっと下らないギャグが落ちるに違いない。


 きっとここで真面目くさって勿体つけて、

「フルーツバスケットをやろうと思ってな」

 とか、

「世界征服をしよう」

 とか、

「ただ、呼んでみたかっただけだ」

 などと下らないオチを用意して、

 ドッカーン〜!!

 等の擬音で、チャンチャン と終わるに違いない。


 …そう上手く乗せられてたまるか!!


「皆に集まって貰ったのは理奈のことな……」
「トランプはやりませんよ!!」
「事務所の旅行なら沖縄がいいな」
「私の取り分は南極大陸で結構です」
 

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 全員が押し黙る。


「……君たち、俺がそんないつも下らない事言う男だと思う?」
 最初に発言したのは「ちょっぴり傷ついちゃったな、俺」っぽい顔をしてみせた英
二さんだった。似合わねえ〜。
「はい」
「予算、無いんですか?」
「貴方の存在価値では?」
 はっきりきっぱりそれぞれ言う俺達。


「…………」
 しばらく、英二さんは下を俯いたまま、震えていた。


「ふふふ……ははは……」
 そして笑い出した。
 予想通りだ。


「ははははははははははははは……思った通り!、思った通りだよ、君たち!!」
 手まで叩いて笑って見せた。


「そんな君たちを見込んで呼んだんだ」
「見込んで?」
「褒められてる……私、褒められてる……」
「誉めても何も出ませんよ。せめて、出すものを出してからでないと……」


 数分の後……。


「理奈……浮いてると思わないか?」
 左目に青あざを作った英二さんがそう切り出した。眼鏡はいつの間にか無くなって
いた。が、用意してあったのか眼鏡ケースをポケットから取りだして予備の眼鏡をか
ける。
「浮いてる?」
 欠けた奥歯のカケラを手で弄りながら、俺が応じる。腫れ上がった頬が痛む。
「弥生しゃん、ここにひゃった誰きゃの飲み残しのおしゃ(お茶)、飲むぅ?」
「ありがとうございます」
 両鼻に丸めたちり紙を突っ込んだ由綺が、脚が一部曲がったパイプ椅子に優雅に座
っている弥生さんに訊ねていた。由綺の赤く鮮血に染まったシャツのまま、床下の缶
を拾い上げる姿が似合っているのが少し怖い。
「由綺さんが拾ってくれたお茶、美味しいです」
 そして、その缶は灰皿代わりに使っていたらしく、煙草のニコチン色を唇の端に滲
ませながら、笑顔で応じる弥生さんにプロを俺は感じた。


「俺達のようなユーモアのセンス、無いと思わないか?」
 英二さんが言う。

「そうですね……」
「理奈ちゃん……可哀想……」
「エジソンの言葉にあります。ユーモアは99%の努力と1%の才能だと」


「で、俺達が特訓をだな……」
「特訓ですか……なるほど……」
「特訓ね……私も出来ることは……」
「特訓、特訓、トックン……心臓の鼓音」




 その後、緒方理奈は失踪した……。



                         <おしまい>


written by 久々野 彰 『Thoughtless Homepage』

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