『素直な、想い…』

 2月もようやく半ばに差し掛かろうとする頃、その一日の授業が終わった一年生の
クラスでは帰り支度が済んでいたものから順次教室で出て、帰路へと付いていた。
 その人の流れに混ざって、教室を出て下駄箱で上履きから学生靴に履き替えていた
セリオの元に、遅れた分走ってやってきたらしい田沢圭子がやってきた。
「ねぇ、セリオ♪」
「田沢さん、何か御用でしょうか?」
「えっとさ、セリオって、今度誕生日だよね」
「誕生日、ですか?」
「ほら、セリオが生まれた日って2月12日でしょ」
「生まれたという言い方が正しいのかは判りませんが、初起動日はそのように記録さ
れております」
「うーん……」
 そのまま二人で並んで歩いて外に出ながら寺女のセリオのクラスメイトAこと、田
沢圭子はその時、セリオが生まれた姿を想像する。


 カバーオールでくるまれた赤ん坊サイズのセリオ(勿論耳カバー付き)が白衣を着
た馬の顔をした男に抱きかかえられ、それを取り囲まむようにして他の白衣の男達が
見守っている。何故か被っている帽子はサンローランのブランド品。
「――オギャァ! オギャァ!」
「おーよしよし。お前の名前はセリオだぞ〜 セリオー」
「オギャァ! オギャァ!」
「あっはっは。かわいいなぁ」
「あ、主任ズルい。俺にも抱かせて下さいよ」
「俺も俺も」
「私も次!」
「馬鹿、順番だったら!」
「オギャァ! オギャァ!」


 ……なんてことはないよね。


 一見信じられないがこれでもセリオは女の子よ――じゃなくて、ロボットなのだ。
 そんな赤ん坊時代などある筈がない。


「パイが欲しいです」
「パイ?」
 意外な単語に戸惑う圭子。
 が、セリオはあっさりと頷いた。
「はい」
「食べる……パイだよね。アップルパイとかカスタードパイとかビーフパイとかの」
「はい。食べられなくてもいいですが……」
 セリオらメイドロボットは物が食べられない。
 これは圭子でなくても知っていることだ。
「でもどうして?」
「投げるからです」
「へ?」
「パイを投げてみたいからです」
「……」
「……」
「……」
「駄目ですか?」
「駄目もなにも……投げるって?」
「先日、綾香様がご覧になっていたTV番組でパイを投げているのを見まして」
「投げてみたくなった……と」
「はい」
 じっと圭子はセリオの顔を覗き込むようにして眺める。
 全く変わりの無いいつものセリオの顔がそこにある。
 人間なら額に手を当てて熱を測るところだ。
「え、で、でもどうして折角のお誕生日プレゼントに?」
「私はメイドロボットです」
「うん」
 そのセリオの言葉に圭子は居住まいを正してしまう。
 その一言が彼女にとっては重かったから。
 彼女の頭にセリオとの出会いから葛藤、喧嘩、仲直りのきっかけ、涙、色々なもの
が思い出される。
 人間とメイドロボット――そんな二人が親友となるまでには長い道程があった。
 が、セリオはその圭子の感慨に気づくことなくいつも通り淡々と言葉を続ける。
「そのメイドロボットが食べ物を粗末にすることなど出来ません」
「う、うん」
 気圧されたまま頷く圭子。
 主導権はセリオが握りっぱなしのようだった。
「ですから私の所有物にしてしまえば、どう扱おうと私の自由だと判断致しました」
「は、はぁ」
「ですので、私のパイを私が田沢さんに投げようとも私の勝手だと思いまして…」
「そっかぁ……へ? わ、私に!?」
「はい」
「は、はいって、何で!?」
「投げたいからですが」
 あっさりと言ってのけるセリオ。
 それが真理とばかりに。
「からって……」
「いけませんか?」
「………」
「そうですか。ならいいです。諦めます」
 あっさりと言って前を向いて歩き出す。
 一瞬立ち止まっていた圭子は慌てて後を追って再び横に並ぶ。
「……あ、あのさあのさ、セリオ」
「はい」
 顔だけ圭子の方に向けるセリオ。
「冗談……だよね?」
「冗談と言うのは?」
「私にパイなんか……その、投げないよね?」
「もういいのです。諦めましたから」
 表情こそ全く変わることはなかったが、心なしか声のトーンが落ちているように圭
子には感じられた。
「………」
「………」
「あ、あのさ」
「はい」
「他に何か欲しいものは――」
「ありません。お気遣いありがとうございます」
「………」
「………」
「それではご機嫌よう」
「あ、えっと……うん」


  ブロロロロ…


 セリオはいつも通り、バスに乗り帰っていった。
 それを見送るというより取り残されたような形で佇む圭子の思考は、複雑に絡み合
ったまま解きほぐされることはなかった。
 圭子はその後、二時間ほどその場に佇んでいた。



 セリオはバスで研究所に立ち寄り、そこで簡単な検査を終えるとそのまま来栖川邸
へと帰宅する。
 そこへ日課のトレーニングを済ませて風呂上がりらしい綾香が、紙パック牛乳片手
に玄関まで出迎えた。
「セ〜リオ☆」
「綾香様、只今戻りました」
 ニコニコ上機嫌でセリオの背中から抱き着いてくる綾香に対して、彼女は普段通り
冷静に挨拶をする。
 が、綾香も慣れているのか気にした素振りも無く、笑いながら片手でセリオにしが
みついたまま、もう片手で僅かに残っていただけの紙パックの牛乳を飲み干す。
「ねぇねぇ、セリオ」
「はい」
「明日はセリオの誕生日よね」
「そういうものだと田沢様からも伺っております」
 産みの親である筈の研究所内ではそういう話題は一切無かった。
 全員が全員白衣を着た男達がいつもと変わらず淡々と黙々と、決められた作業だけ
をこなすだけだった。よくよく見ると誰一人としてセリオに対して声もかけなかった
し、目すら合わせていなかった。まるで腫れ物に触るような扱いだった。
 が、セリオにはそれがいつも通りと判断するに留まった。
 主任であり、一人浮いた感じのする長瀬源五郎がいない時は大概そうであったから。
 従ってセリオは圭子の名前だけを出して綾香に答えた。
 綾香は一人で勝手に納得したようにうんうんと頷くと、
「じゃあさ、明日一緒に買い物に行きましょうよ」
 片手で紙パックを握り潰すと、そうセリオに提案した。
「判りました。綾香様の買い物のお付き合いをすれば宜しいのですね」
「違うってば。そうじゃないわよ」
 そこで漸く綾香はセリオの身体から離れると、前に回り込むようにして手を横に振
った。
「そう仰いますと?」
「だからセリオにプレゼントを選んであげるってこと」
「それでしたら……」
 そう言いかけるセリオを制するように、綾香はセリオの胸元に彼女を押し留めるよ
うに掌をあてた。
「いーの。いーの。遠慮しなくても」
「遠慮はしておりません」
「いいのよ、判ってるから」
 うんうんと頷く綾香と、更に否定しようとするセリオ。
 と、言うより綾香にはセリオの言葉の真意に気付いていなかったようだった。
「いえ、そうではなくてですね…」
「あ、もしかして既に欲しいものあったりする」
 そこまでセリオが言った時、初めて綾香はセリオの言葉がいつもの謙遜一辺倒でな
いことに気が付いた。
 全く予想していなかったらしく、ちょっと驚いた顔になる。
「………」
「あ、あるんだ。へぇー、そうなんだ」
 さすがに付き合いが長いせいか綾香にはそのセリオの沈黙だけで判ったらしい。
 その割には最初は全然気付かないで独り決めしていたところもあったが、そんな事
を気にする綾香ではないらしく、沈黙したセリオを見つめて更に問いただす。
「意外だったわー ふーん、で? 何が欲しいの?」
「………」
 表情は全く変わらないものの、その沈黙の長さで彼女が躊躇っているのがわかる。
 だから綾香は重ねて言う。
「いいって。何でも言ってみなさいよ」
「ですが……」
「何?」
「綾香様お一人ではどうしても……」
 綾香は目を丸くする。
「何? そんなスゴいもの?」
「スゴいと言えば、そうなるのかも知れません」
「へぇー 何か凄く気になるわね。ね、何? 聞くだけ聞かせて頂戴」
 これで興味を持たない方が嘘だろう。


「綾香、廊下で何をしているんだね」


 恰幅の良い一見壮年とも初老とも取れる威厳のある中年男性が、玄関のドアから秘
書らしき女性を従えて綾香達を見つけて声をかける。
「あ、お父さん」
「――旦那様」
「ん? セリオと二人で何をしているのだね」
 頭の固い祖父とは違い、綾香の生活にある程度理解を示しているのと同時に、彼女
が友達と称しているこのメイドロボットにも自社の試作品というだけでない扱いをし
ていた。
「あのね、今、セリオの明日の誕生日プレゼントの話をしてたんだけどね」
 家族の語らいということを意識してか、父親の傍らに控えていた美人秘書が数歩下
がって、無関心を装った。その表情はまるでマネキンのようで感情が見えなかった。


「……ふぅん。それは気になるだろうな」
「そうなのよ。ほら、父さんもいることだし言ってみなさいよ。仮に私には無理でも
お父さんなら可能かもしれないでしょ」
「はい」
「じゃあさ、ね、言いなさいよ」
「……はい」
 セリオは何か決意をしたように頷くと、一歩足を踏み出して綾香の父親の前に出た。


「私は――


 そこで間が開いた。
 一瞬躊躇ったような雰囲気だったが、セリオは続けて言葉を紡いだ。




「綾香様が欲しいのです」




「は?」
「……なに?」
 来栖川親子、父娘揃ってぽかんと口を開けてセリオを見る。
 後方に控える美人秘書だけが微動だにしなかった。
「旦那様。セリオ、一世一代の御願いです。綾香様をこの私に下さらないでしょうか」
 セリオは更に父親の前に出ると懇願せんばかりに頼み込んだ。
「ちょ、ちょっとセリオ!?」
「セリオ……本気かね?」
「はい」
「って、こらぁっ!!」
「ふぅむ………」
 さすがに奔放な娘にもロボットにも理解を示す父親だけあってか、そのセリオの発
言に怒ることも無く困ったように顎に手を当てただけであった。
「何馬鹿なこと言ってるのよ。アンタは!」
 代りに綾香が怒っていた。
 当然だったが。
「セリオ」
「――はい」
 が、そんな怒れる綾香を無視して父親はセリオに呼び掛けた。
 そして遠く控えている美人秘書の方をチラと見てから、納得したように頷いてから
言った。
「躾はきっちりするんだぞ」
「ぇ?」
「――は、はいっ!」


 父親はこのメイドロボットが笑ったのを初めて見た。
 そして喜びの余り泣き崩れるのも。


・
・
・


  パチパチパチ


 既に親父は美人秘書と共に去っていて、その場に取り残される格好で真っ白になっ
て動けないでいた綾香としゃがみ込んで泣き続けるセリオの前に、どこに潜んでいた
のか長瀬源五郎がゆっくりとした拍手と共にやってきた。


「良かったな、セリオ」
「長瀬主任……」
 長瀬の声に顔を上げて反応したのはセリオだった。
 その両目は涙で濡れていた。
「この一年、ずっと我々は君の成長を見守ってきた」
「はい」
 そのセリオに長瀬は淡々と語り出した。
「マルチのように我々が与え、過去の多数の類例から組み上げられた押付けの感情で
はなく、君は素のまま、ありのままで回りから影響を受けるまま、身近で学んで身に
つけるままにしてきたHMX−13型ことセリオの感情は今ここで完成を見た」
「………」
「おめでとう、セリオ」
 そう言って長瀬は微笑んだ。
「主任……」
「正直、環境が環境だけにどうなるものかと心配していたが……今のセリオを見る限
りもう安心だ。きっとこの経験はこれからのHM−13シリーズにも生かされること
になるだろう」
「後継機……妹達にもこの私の思いが引き継がれるのでしょうか?」
「いや、そうじゃない。彼女達の思いは彼女達でまた別に育むのだ。今のセリオの気
持ちが【HMX−13型『セリオ』の気持ち】として同じ物が二つと無いように…」
「………」
「悲しむことはない。今のセリオに出来たんだ。同じ下地を持つ彼女達が出来ない筈
はないじゃないか……」
「しゅ、主任……」
「セリオ。ここではロボットとしての体裁を取り繕う必要はない。君の今の感情を隠
すこと見せてくれ!」
「主任っ!!」
「セリオ!!」
 泣きながら長瀬の胸に飛び込むセリオ。
 一年前の彼女を見て、誰がここまで予測しただろう。
 この一年で赤ん坊だった彼女のココロは、ここまで成長を遂げたのだった。
 長瀬の眼鏡の奥で光るものがある。
 か弱そうに胸の中で震えるセリオの身体をそっと抱きしめていた。



「御取り込み中、悪いんだけどさ」



「綾香様…… もとい、綾香」
「ああ、そうそう。セリオ。これは僕からのプレゼントだ」
「首輪に鞭ですか。有り難うございます!」
「いやいや、可愛い娘へのプレゼントだ。これくらい軽い軽い……」
「………」




 その日、来栖川邸の庭に二体の女性型メイドロボットと、二人の中年男性が数珠繋
ぎにされて縛られ、捨てられていた。


「ピー、ガガガ……
「メ、メイドロボットにココロは……
「じ、実の父親に手を上げるとは……
「――残念です」
「そこ、悔しがるなっ!!」



 こうしてセリオの長い長い運用期間は一年の月日を経てここに完結した。



 12日当日、来栖川邸に自ら持参したパイを顔面から被った田沢圭子が、公園の水
飲み場で泣きながら顔を洗っていたことを最後に付け加えて。




                         <おしまい>