第十六回お題 “寒”
 

「彼女にそんな超能力(ちから)はない」


Written by 久々野 彰







 姫川琴音は超能力者であると同時に、一人の男性に恋する女子高生である。

 以前は超能力と気付かないまま起った、普通の人間には持ち合えない力の暴走のお
陰で回りからは敬遠されていて、彼女はいつもひとりぼっちでいた。
 だからそんな彼女に対して一人気にせずに普通に話し掛け付きまとい、最後は彼女
の力の本質を教えてくれた、彼女より一つ年上の目つきの悪い先輩を彼女が慕うよう
になったのは必然であろう。
 そして元々彼女の境遇に同情し、いつも気にかけていたその先輩は彼女のことを今
でも大切し、親しく付き合ってくれていたが今の所それ以上の伸展はなかった。
 そんな彼女にとってはじれったさが残る日々が続いて、季節は春から夏へと、そし
て秋となり冬が訪れていた。



 日曜日の昼間、週明けにテストを控えていた琴音は自分の部屋で参考書とノートを
机の隅に置き、本を片手に何やら可愛らしい便箋にピンクの蛍光ペンでチマチマと記
号やら数字やらを書いていた。


「姫川琴音と藤田浩之の相性は……あら? えっと、やりなおりやりなおし」


 琴音はさっきまでは丁寧に心を込めてじっくりとペンで書いていた筈のその紙を、
一刻も早く処分しないと危険な物の様に慌てて両手で丸めると、彼女の部屋の隅にあ
るゴミ箱へと椅子に座ったまま勢い良く投げ入れた。
 が、狙いを外した紙屑はごみ箱の縁に当たって床に落ちた。
「あっ……」
 彼女は投擲に失敗したことに気付くと、その可愛らしい眉と口を歪めて軽く睨む。
 自分の想いが上手く行かないことへの苛立ちを重ねているようだった。
「もぅっ」
 そう呟くと片手をその紙屑に対して差し出すように構えた。
「んっ……」
 暫くするとヨロヨロと傷ついた格闘漫画の主人公のように頼りなげに、丸まった紙
屑が揺れ動く。
 そしてゆっくりと浮き上がりかけて、力無く床に落ちた。
「あ」
 今日は集中力が今一つらしい。
 元々完全に制御しきったのは浩之の前だけだ。
 しかしまだ自分一人では失敗も多いが、この程度はいつでも出来るぐらいの自信は
つけていた琴音にとってこの失敗は苛立ちを増す結果となった。
「くっ……」
 再びピンと指先一本一本に力を込めた掌を紙屑に構える。
 が、今度はピクリとも動かない。
「…っ」
 力が入りすぎて構えた腕全体が震え出す。
 が、やはり紙屑は動きだそうとはしなかった。
「このっ!!」
 琴音がそう叫んだ瞬間、



  ガシャ――――ン
  ガシャガシャガシャ――ン



「…………」


 琴音は手を紙屑に向けたままの姿勢で凍りついた。
 指を曲げればそのままガチョ――ンをしているようにも見えなくもない。
 彼女の心境としてはそんなところだろう。
 部屋の窓ガラスが見事に窓枠だけを残して木っ端微塵に砕け散っていた。


  ビュゥゥゥゥゥゥゥゥ


 その状態に追い討ちをかけるように外から入ってくる寒風が、容赦無く座ったまま
ドアの方を向いて手を翳していた琴音の背中を襲う。
 彼女の机の上に置いてあった書き直し用の新しい便箋が一枚風に舞い、偶然にも見
事に彼女の見守るごみ箱の中へと約束されたように入っていった。


「………」


 姫川琴音、自然界の前に完敗。


・
・
・


「行ってきます」
 琴音は部屋の中で着ていたセーターの上にコートとマフラーを着込み、毛糸の帽子
と御揃いの手袋に厚底のブーツを履いて寒さへの対策を済まし、誰もいない家を出た。
 ガラス窓の件は近所の野球少年のせいにすることにした。
 パートから戻ってくる母親に聞かれたら「誰が打ったの? 私のチームに入らない
?」と誤魔化す科白を二三度玄関で練習した。
 この住宅街で野球が出来る空き地がないことなど、琴音が知る由も無い。
 それ以前に琴音の母親がそんな言い訳を信じてくれる保証は全く無いのだが。
 だが、琴音としてはこれで対策を練ったつもりだった。

「まだ寒い……」
 家を出た琴音は、風が吹く度に不服そうに小さな口を尖らせた。
「北海道の方がこんな底冷えすることなかったのに…これだから東京の冬は嫌いです」
 原因は明らかにその短いスカートのせいなのだが、琴音は地理のせいにした。
「でも少しぐらい冷えた方が……



 藤田家のインターフォンが弱々しく鳴り、TVを見ていた浩之が怪訝がりながら玄
関の鍵を外して、ドアを開ける。
「はい。どなたですか? ……って、琴音ちゃん!?」
 浩之の目の前には寒さではだをかさつかせ、プルプルと震えた琴音が立っている。
「ふ、藤田さん……」
「どうしたんだよ!? 一体……」
 驚いて尋ねる浩之の問いに琴音は下を向いて俯いたまま答えない。
「………」
「ほら、こんなに体を冷やして……」
「あっ」
 浩之はその琴音の頬など肌の露出した部分を掌で触りながら琴音の身体が冷え切っ
ていることを確認すると、
「取り敢えず家に入って……話はそれからだ」
 と、琴音の手を引いて玄関に誘う。
「で、でも……」
「いいから……な?」
「はい……」
 躊躇する琴音だが、最後は浩之の言葉にゆっくりと頷いた。


 居間のソファーの隅っこに座ったまま、俯いて動こうとしない琴音の前に浴室から
浩之が出てくる。浴槽の蛇口から勢い良くお湯が流れ出している音が聞えてくる。
「今、風呂沸かしたから」
「………」
 浩之のその言葉にも琴音は反応を見せないでいる。
「そのままでいると本当に風邪引くぞ」
「でも……」
 琴音は再び躊躇うように呟くが、
「「でも」じゃない。ほら、着替えは用意っしておくから入った入った」
 そう言って浩之は琴音の手を持って立たせると、バスタオルを彼女に握らせて背中
を押すようにして浴室へと案内する。
「オレのことは気にしないでいいからゆっくりあったまるんだぞ」
 そう言って浩之は浴室のドアを締めた。


「あの、これ……」
 居間で雑誌を読んで待っていた浩之の前に、浩之のトレーナーを着た琴音がおずお
ずとやってくる。
「ああ。ちょっと大きかったか?」
 恐らく下着一枚の上に羽織っているだけだろうその琴音の姿に、浩之は照れたよう
に視線を反らしながらそう聞いた。
「はい。でも……藤田さんの匂い……」
 琴音はトレーナーの襟元を摘まんで鼻に近付けて匂いを嗅ぐ。
 自然、持ち上がったトレーナーの裾から彼女の腿の付け根が覗く格好になる。
「よ、よせよ。照れるって」
「す、すいません…」
 浩之が二重の意味で顔を赤くして止めさせるように手を振ると、その慌てる仕種が
面白かったのか琴音はクスリと笑った。
「おっ」
「え?」
 浩之のその呟きの理由が分らず、琴音は不思議そうな顔をする。
「琴音ちゃん。やっと笑ったな」
「あ、はい……」
 その浩之の優しい微笑みに、琴音も釣られように照れくさそうに微笑んだ。
「え、あ。そのえっと……」
 今度はその琴音の笑顔にあたられた浩之の方が、照れてしまう。
「………」
 その塗れた髪と同じ様に濡れた琴音の瞳が浩之を捕える。
「……そ、そうだ。お湯沸かしてるから。コーヒーじゃなくて紅茶の方がいいか?」
 沈黙に耐え切れずに立ち上がって、テーブルの上に既に用意してあったティーカッ
プとスプーンを持って琴音のその視線を躱そうとする。
「………」
 同時に琴音の身体がすっと動く。
「砂糖はどうす――! 琴音ちゃ……っ」
 顔を上げた浩之の正面に琴音の顔が現われ、
「………」
「………」
 絨毯の上に落ちて転がるティーカップとスプーン。
 つま先立ちの素足。
 そしてその白い脚の先――重なっている唇と唇。
「んぁっ……藤田さ……ん……」


 切なそうな声。
 乱れる息。
 乾いた布どおしが擦れ合う音。


「寒い…んです……暖めて……暖めて下さい………藤田さんで…私を……」
「琴音ちゃ……はぁ……はぁっ、んん……んぐ……ぁ…」


 唾が互いの舌の上で絡み合い、下品な音を立てる。
 人のものとは思えない荒い息が絶え間無く続き、
 そして漏れ出す興奮した、声にならない喘ぎ。


「あん……んぁっ……はぁん…ん……んぁ……」
「はぁっ……ああぁ……はぁっ……」


 布をまさぐるような、生地の上を撫でるような音。
 ドンと押し付けられるような音がして室内が微かに揺れる。


「はぁ……ああぁ……あぁっ……あっ……」


 激しい動悸の中、やっとの想いで琴音は声を発した。


『ここじゃ……駄目……へ、部屋……部屋で……


 そこまで言った時、急に視界が真っ白にぼやけ、光で全てを照らされたように眩し
さが琴音を襲っていた。


・
・
・


「ふ、藤田さん。私を暖め…………………ってあれ?」
「琴音っ!! 琴音っ!!」
「琴音ちゃん!!」
 眩しさで開くことが出来なかった筈の目を琴音はゆっくりと開くと、急に辺りが騒
がしい事に気付いた。
「あれ? 私……どうして……」
「琴音、覚えていないの!?」
「道の真ん中で倒れていたんだよ!」
 見ると、仲良くなれたクラスメートの女の子が3人、揃って泣きはらしながら側に
立っているのが理解出来た。
 琴音は部屋を見回して浩之の姿を探すが、いないようだった。
「え? どうし……て?」


 …私、藤田さんのベッドの上で……あれ?


 殺風景なその部屋はどう見ても浩之の部屋のようには見えなかった。
 付け加えるなら彼女自身の部屋でも。
 どう見ても彼女が寝ていたのは病院のベッドに他ならないようだった。


 …もしかして、力の使いすぎ?


 が、琴音のそんな混乱を余所に、目覚めた彼女に対して友人達は矢継ぎ早に質問を
浴びせた。
「どうしてこんな寒い季節に道路なんかで寝てたのよ! 昼間でなかったら凍死して
たわよっ!」
「え、えっと……」
「それに寝言でずっと「藤田さん」って言ってたけど一体何があったの?」
「あ、それはえっと……」
「決まってるじゃない。琴音は藤田先輩に捨てられたのよっ!」
「え、そ、その……」
「そうに決まってるわ! もう琴音みたいないい娘を……許せないんだから!」
「あ、そ、その……」
「琴音。仇はきっと討つからね」
「そ、その……」
 何故か友人の一人は金属バットを肩に担いでいた。
「ちょっと永地さん。何する気よ?」
「森本さん、決まってるじゃない! 琴音は死ぬところだったのよ! アイツにもそ
れ相応の…」
「やっ やめて!」
 琴音は起き上がってその友人を止めようとするが、全身が麻痺したように身体が重
くて動かなかった。
「琴音。大丈夫。全てアタシの一存でやるから」
「そうじゃない、そうじゃないから……だから……」
「でもこのまま黙ってるだなんて……


「聞いて! 御願いだから!!」


 琴音は思わず叫んでいた。
 その言葉に、バットを持っていた友人をはじめ、全員が琴音を見る。
「え、えーと……」
 自分を心配してくれる友人達の純粋な瞳を前に、琴音は素早く考えを巡らした。


 脳裏には爽やかな微笑みを浮かべる美化3割増しの浩之の顔が浮かぶ。
 愛する彼を誤解から守らなくてはいけない。
 だって友人をけしかけて襲わせたと思われたら嫌われてしまうではないか。
 告白前に終わる恋なんて惨め極まりない。

 しかし、本当のことを言う訳にはいかなかった。
 苦労して今の自分の地位を築いた琴音である。
 ここで彼女達に見捨てられ、友達を失うわけにはいかない。
 彼氏が出来るまではモテない同性の友人というのは掛替えのない存在なのだから。


 琴音は悩んだ。


 ――この時こそ、この時こそ私の力が試される時……


「えっと……」


 長い沈黙は更なる誤解の元だ。
 見つめる三人の目の前に手をかざしながら琴音はゆっくりと口を開いた。




「あ、あなたは段々眠くなーる」





 ならなかった。





                        <おしまい>