『おまつりのなか』
 




 ――お祭りなんか、大っ嫌い……。



 浮かれ騒いでいる街並みを見ながら、私はそう思った。
 今、時間は正午を少し過ぎた位。
 日差しはそれほど暑くないけれども、生温く感じる空気に私の不快感を増す。



 交通整理に動いている警官を横目に見ながら、私は駅へ向かって歩く。
 道路には車両止めが置かれ、普段通りに駅前に向かっていた車が多数、立ち往生していた。
 排気ガスを撒き散らす車は大嫌いだ。
 だからちょっとばかりいい気味。
 そんな事を思いながらも、Uターンしていく車の排気を受けて咳込む。
 やっぱり車は大嫌いだ。
 目立つ色をした通行止めも。



 今は夏休みだった。
 子供の頃、夏休みといえば楽しい思い出が多かった。
 親の田舎とか遠くに行くことも、夏休みだからできた。
 毎日、友達と連れだって外にばかり出ていた。
 夏の陽光を浴びながら、日焼けすることも厭わずに汗をかきながら走り回っていたあの頃の自分。
 馬鹿みたい。
 ガキだった。


 夏休みがあるのは今でも嬉しい。
 うざったい学校がないのが。
 小うるさい教師と顔を合わせないのが。
 映え無い日常が途絶えるのが。


 けれども、逃れ切ることは出来ない。
 小うるさいのは親も存在する。
 いつまでも不出来な勉強を強いる宿題も山積みにされている。
 つまらない日常の本質は変わることはない。
 開放感はちっぽけなものだ。


 そして私は、望みもしないのに予備校に通っている。
 夏期講習というものだ。
 私のあまりにも成績の悪さに親が勝手に申し込み、私に通う事を強いていた。
 今はその帰りだった。
 普段の学校の授業とそれほど代わり映えのしない授業内容を、渡されたプリントの上に書いていく。
 わざわざノートを用意していたり、MDで授業内容を録音したりしている奴もいたけれど、そこまでする気にはなれなかった。
 話をキチンと聞く気にさえなれない私には。


 夏休みのこの期間、親しい友だちと会う回数も減っていた。
 リカとは毎日のように電話で喋っているが、彼女は進学予定が全くこれっぽっちもないらしい。彼女が言うには親も諦めているとのことだ。今はバイト三昧らしい。
 ユカリの方とはそれほど話せていない。彼女も別の予備校に通い始めたとのことで、夏休みの宿題を写させてもらう約束ぐらいしか取りつけていない。因みに彼女の方の予備校の方がずっとレベルが高いところらしい。
 どうやら大学か短大に三人一緒に通うと言うことはないようだ。
 人からは仲良し三人組と見られ、自分達も自然と集まっていた友達でさえ、所詮こんなものだ。
 このままただ過ぎ去っていくのだろうか。
 何もかも、私の前を。


 ――はぁーあ。


 面白くない。
 何もかにも面白くない。
 これだったら夏休みなんて無い方がいい。
 少なくても普段はこれほど憂鬱になる時間など、ほとんどない。
 毎日を消化することだけで忙しいから。


 駅に近づくにつれ、騒がしくなっていく。
 朝、予備校に行く時には見られなかった出店が路上に並んでいた。
 わざわざ別にスペースを取るでもなく、駅前の道路を閉鎖してせせこましい場所でお祭りなどというイベントをやる必要がどこにあると言うんだろう。


 視界に入るのでさえちょっと、ウンサリする。
 が、目を閉じて歩くわけにもいかない。


 露天商と言って良さそうなスペースにそれぞれガラクタが並んでいる。
 ありきたりな瀬戸物の茶碗。
 伊万里焼と書かれた汚れた皿。
 細目の若い男が店番の帽子をかぶった中年女性と交渉している。
 ご苦労なことだ。
 コップ、グラス、そしてその隣には何故か靴。
 小さな動物の置物。
 見る限り少しも可愛くない。
 動くのかどうかさえ怪しい古ぼけたラジオ。
 小さな箱に沢山入っている小さな仏像。
 埃が積もって動いているようには見えない懐中時計。
 ウクレレのケースの上には目が虚ろな西洋人形が座っている。
 気味が悪い。
 ハンガーに吊るしてある古着や紐で縛ったありきたりな古本。
 普段から売っている感じのダサマギのネクタイや時計それにアクセサリー。
 いつもは誰も目にくれそうも無い物さえ、皆足を止めて見ている。
 馬鹿みたい。


 駅前の広場が主軸らしかった。
 色々な食べ物の匂いが鼻につく。
 普通なら食欲を誘うものだが、今の私にはその混合されたその匂いは、胃の奥がつっかえるようなうずきをもたらしただけだった。
 最近、お腹の具合が良くない。
 お通じがあまり良くない。
 あっさり言えば便秘だ。
 そのせいだろうか。


 イカのぽっぽ焼きの看板が見える。
 ギョーザに半月焼き、かき氷が並んでいる。
 さっきから漂ってくる匂いは焼いているギョーザからかと思ったが違った。
 丁度、出店と反対側の元からある、駅前のビルのラーメン屋から漏れ出るシナチクの匂いだった。
 ちょっと笑える。


 ビールにジンジャーエールの飲み物が並んでいる。
 普段自販機で買うより割高だと思うが、皆それほど気にした素振りも無い。
 こっちではソーセージを焼いていた。
 アルゼンチンがどうたらという垂れ幕が見えたが、その繋がりが私には判らない。
 かと言ってわざわざ近寄って確かめるほど、興味はない。
 他の店と同様に、通り過ぎる。


 いつのまにか、小雨が降り出してきていた。
 無視できる程度のものだったが少しだけ足を速める。
 駅の前は宝くじ売り場だった。
 すっかり忘れていた。
 そしていつも通り、営業している。
 買う人もまばらだ。
 あまり、普段とかわりはない。
 気にとめていないから普段との差は判らないけれども。


 駅の中に入ろうとして入り口付近でおばさんに呼び止められる。
「ねぇあなた、ウコン茶って知ってる?」
「……ええ、まぁ」
「これはね、沖縄産のね……」
「私一度、飲んだことあるから」
 私の答えに構わず説明を始めようとしたおばさんに、私はそう言い捨てて駅の構内へと入っていった。
 便通にも良いらしい。
 私には利かなかったが。


  サァァ……


 同時に、雨の音がした。
 私は振り返る。


 すると、全然気にならない程度の雨だったのが、本格的に降り出してきていた。
 各露天が慌て出していた。
 閉じていた傘を引っ張り出して、商品である雑貨の上に掲げるもの。
 積み上げられた古本の上にビニールシートを被せるもの。
 Hビデオだけは雨曝しのままだったが。
 焼き上がってフランクフルトを所在なげに金串でいじくっている若い男。
 携帯電話でどこかに慌てて連絡をしだすハッピを着たおっさん。
 ちゃっかり軒下で雨宿りをしている警察官。
 右往左往する通行人。
 その光景がやけにおかしい。


 ――いい気味……。


 別に彼らに恨みなんか全く無いが、そんなことを思っていた。
 物産展を開いているのか「飛騨高山」の四文字がここからでも見えた。
 何気無しに少し歩いて立つ場所を変えてみる。
 出店がよく見えた。
 ワインが300円。
 60円のみたらし団子にしては牛串は200円は高い。
 飛騨牛ということだろうか。
 袋詰めで売っている山菜の漬物はデパートで見るのとあまり代わりはない。
 隣は水桶らしい。
 冷やしトマトと書かれた札が見えた。
 キュウリ3本100円と言う文字も見える。
 齧るのだろうか。
 キュウリをこの場で。


「……」


 私は何をしているんだろう。
 このまま帰るつもりだったのに。
 漫然と眺めている自分に気づいた。


「馬鹿らし……帰ろ……」


 雨は大分小雨になってきていた。
 気にしない程度ぐらいに、落ち着いてきたようだ。
 どっちにしろ私には関係ない。


 気を取り直したらしい威勢の良い呼び声と歓声に私は背を向ける。
 自分がそこにいてもいなくても全く変わりなく、楽しそうに騒いでいる。
 いつもポツリと眺めて、仲間はずれをされているような気分になる。
 私はお祭りが嫌い。


 放っておかれるのはつまらない。
 無視されるのは嫌。
 いてもいなくてもいい存在になんかなりたくない。
 そんなもの、なくなってしまえばいい。


 けど、なくなることはない。
 私がこうしてこの場を去り、いなくなっても全く……



「あれ、メグミじゃない?」
「あー、メグミやっと見つけたー」


「え?」


 声をかけられた方を見ると、見なれた顔が2人。
 ユカリと、リカだ。


「良かったぁ……てっきり行き違いになったかと思ったぁ。探したんだよー」
「松本は全然探してなかったじゃない。食べてばっかりで」
「もぅ、それは言わない約束だよ〜」
「約束って……もぅ」
 肉マンを頬張りながらリカが、そしていくつか食べ物の入ったパックを持ったユカリが小雨の中、私のいる方にやってくる。
「あ、あんた達、どうして?」
「それがね……」
「あのね、あのね、今日さ。ここでお祭りやってるんだって知ったんだー。それでね、私もユカリも暇だったからメグミを迎えに……」
「はぁ?」
 いつもながら、リカの説明では判ることもわからない。
 私はユカリを見た。
 これもまた、いつも通りだ。
「ええとね、この娘が暇だからって私の所に遊びに来たの。それで……」
「メグミがね、ここの予備校に通ってるってユカリから聞いたから、遊びに行く途中で迎えに行こうって話になったの」
「ちょっとアンタは黙ってて。じゃあ何? わざわざここまで私に会いに来たわけ、アンタ達?」
 そう言いながら私は手でリカを制したつもりだったが、この私の問いに答えるのもリカだった。
「そうなのー。本当は電話で連絡入れようと思ったんだけどさー、ユカリ携帯持ってないって言うんだもん。参っちゃったよ、あははー」
「だから松本がちょうどここでお祭りやってるってことを知って、それならここにいれば落ち合えるだろうって言い出したの。駅前だしね。私もまぁ、予備校の場所からしてここに張っていればまぁいいかなって思ってたんだけど……松本が……」
「だってぇ、折角色々お店あるんだもん。見てまわらないと損じゃん」
「危うく行き違いになるところだったじゃないの。もぅ……」
「でもこうしてメグミに会えたんだからめでたしめでたしってコトで、ね、メグミ」
「全く、アンタって娘は……」
 私は苦笑するしかない。
「あ、メグミ。お昼まだ食べてないよね?」
「え、ええ」
「じゃあこれ。さっき買ったばかりだからまだそんなに冷めてないと思うよ」
 そう言ってユカリから塩化ビニールのパックを2つ手渡される。
 見ると、ヤキソバと北京ダックがそれぞれ入っていた。
「あのね、これ、そこの店で買ったんだー。春巻とかも美味しいんだよー」
「あ、ありがと」
 ユカが指差す先は、さっき私がいた場所のすぐ側の出店だった。
「よーし、じゃあ三人揃ったところで改めて端から端まで見てまわろ。私まだ見てないところいっぱいあるんだ」
「食べるところばっかりだったからねー」
「そうなの♪ って違うってー 駅前しか見られなかったってことなの」
「その割には夢中になって忘れてたんじゃないの?」
「ぶー」
 リカはちょっとだけユカリに膨れた顔をしたが、
「あー、これかわいー」
 と、アクセサリー屋の前で立ち止まって覗き込んだ。
 自然、私達の足も止まる。
「岡田。ひょっとして何か用事あった?」
「う、ううん。何にもないけど」
 ユカリはいつもより口数の少ない私に気を使ったみたいだ。
「折角のお祭りなんだし、もっと楽しくスマイルスマイル」
「あんたはいつも楽しそうね」
 ユカリが苦笑する横で、私はあまり場を暗くしないように気を付けながら呟く。
「……私、お祭りとかあんまり好きじゃないのよね」
「そうなの?」
「えー、そうなんだ。私、凄っごい好きだよ」
 予想通りの答えがリカから返ってくる。
「何か嫌にならない? 自分がいなくてもいなくてもワイワイ騒いでいるっての」
 ここまでいうつもりはなかったが、リカの顔を見ていたら言いたくなってしまった。
 こんなことを言っても、意味が無いことぐらいは私にも判っているのに。
「うーん。いつも私、一緒に騒いでるから、気にならないなぁ……」
「メグミ、こいつに何か話しても無駄だと私は思うけど」
「あ、ユカリひっどーい。私だって色々といつも考えているんだからねー」
 リカを見ているといつまでたっても子供みたいだ。
 自分の子供の頃を思い出すようで、少し嫌だった。
 もう少し、落ち着きはあったけれども。
「まー、この時期、お祭りだ何だって騒いでいられるのは……先の悩みがない人に限られるわよね」
 ユカリを見ていると、いつも現実に引き戻される。
 嫌なことを忘れさせてくれない。
 子供の頃からこんな性格をしているのだろうか。
「メグミさぁ……」
「え?」
 リカの声で考え事を中断される。
 どうでもいい考え事だったが。
「つまらないつまらないって思ってるとどんなことでもつまらないよ。どんなことでもやってみたら楽しいって絶対」
「勉強は?」
 すかさずユカリがツッこむ。
「楽しいよ。全然内容判らないけど」
「それじゃ意味ないじゃない」
「まーまーまー、でも、勉強はともかく、お祭りは楽しいって絶対!」
「あっ!」
「あ、ゴメン!」
 勢い良く振り上げられたリカの手が、私の持っていた北京ダックのパックにぶつかり、北京ダックのタレが私の服についた。
「ゴッメ〜ン!!」
「……」
「馬鹿。謝るのはいいから……水……ハンカチ濡らしてきて」
 ユカリはバッグから素早くティッシュを取り出すと、シャツについたシミの部分を拭いてくれる。リカも機敏に動いてくれた。
「あ、ありがと……」
「もー、リカったら……でも大して付いてないよ。良かったね」
「う、うん……」
「あのさ、岡田」
 数度生地を擦るように拭いた後、使ったティッシュを手で丸めて握り締めるとユカリは私を見た。
「何?」
「私が言うのも変だけど……大丈夫?」
「え?」
「何だか落ち込んでいるように見えたんだけど……」
「そ、そんなこと……」
「今日ね、リカ本当はバイトある日なのよ、確か」
「え?」
「勿論、ただ単にサボりたくなっただけなのかも知れないけど、あの娘もあの娘なりに岡田のこと、心配してたんじゃないかな……」
「……」
 びっくりした。
 あの、リカが。
「あのさ、一応これでも私達……ほら……」
 ユカリが言いにくそうにしている言葉がわかった。
 リカなら躊躇いも無くあっさりと言いそうな台詞だ。


 所詮こんなもんだと、思っていた。
 学校がバラバラになればされまでかと思っていたのに。
 離れていたのは、私。
 私が疎外されていたんじゃなくて、私が近寄らなかっただけ。
 そんな事にも気がつかずに拗ねていたのか、私は。


「ごっめ〜ん! どこに行けばあるか判らなくて……」
 リカが走ってやってくる。
「もういいって。これ位のシミ何てことないから」
「でもー。いいからいいから。それよりまだ時間あるんだし、回ろうよ、ね。ユカリ」
「そうね。どうせリカもわざわざ誘ったぐらいしだし、暇なんでしょう?」
「うん、暇ー。今日はフリ〜♪」
「じゃ、行こう。一通り見たらどっかでお茶してもいいし」
「うん」


 私は2人の肩を引き寄せて、3人で肩を組むようにした。
 後ろを歩く人の邪魔になるかも知れなかったが、気にしなかった。
 ぐいと腕を絡めて、放すつもりはなかった。
 そう、私からは。


「よっしょー、それじゃガンガン行くわよー」
「何か急に乗り気〜 おーっ!!」
「岡田〜、無理しなくてもいーよ」
「いいって。折角2人して誘ってくれたんだからさ」
「うんうん。お祭りは皆といる方が楽しいしねー」
「調子いいわね……でも、そうだよね」
 ユカリの表情も和らいでいた。
「いつまでもこうしていられたらいいよねー」
 そう言ってからリカは何か思いついたようにこっちを見た。
「ねぇ、メグミ。お祭りは一度終わっても来年があるじゃない?」
「ええ」
「来年が終わってもまた再来年……ってずっと続いていくじゃない」
「うん」
「だからわ――
「私達の関係もいつまでも続いていくといいよねー……」
 勢い込んだリカの科白をユカリがサッと奪った。
「って言いたかった? もしかして?」
 しれっとした顔しているが、内心ではかなり笑いたいのを堪えている顔だった。
「うーっ! ず、狡い〜 ユカリ、意地悪〜」
 こちらは唖然としたような、ムッとしたような顔になっていた。
「あは……あはは……」
 堪えきれない。
 私は笑っていた。
「あはは、はははは……」
 ユカリも我慢しきれなかったようだ。
「あー、2人してー、もー」
 そう言うリカも一緒に笑っていた。



 本当にそうだ。
 リカは勿論、ユカリもそうなのだろう。
 そして、私も。



 ――こうして来年も、再来年も笑っていられるといい。
 ――この三人で。



 祭りの喧騒の中に混じるようにして、三人で歩きながらそんなことを思っていた。



 私はお祭りが、少しだけ好きになっていた。
 この三人と一緒に回れるお祭りが。




                           <完>