『作り話』
 





 昼休みも半ばに差し掛かろうとする時間、浩之は屋上へ出る扉を開けた。
 授業終了直後に駆け込んだ学食で買ったパンを、自動販売機で買ったカフェオレで
流し込むいつもの昼食を終え、ダラダラと暫くその場で知り合いと雑談を交した後、
風にでも当たって一息つきたくなったのだ。
 更に特にそうしたい訳じゃなかったが、誰もいない場所に行きたくなった。
 誰からも注視されない場所へ。
 その心当たりの一つが屋上だった。


 今日は風が強い。
 しかも午後から雨が降るかも知れないという天気予報の通り、晴天とは程遠い雲行
きのせいで、特に屋上へ昼食をとったり、ボール遊びに来ている者はいなかった。
 ここまでは浩之の想像の通りだった。


「……あ」
「……ん? よぅ」


 ただ、煙草を吸っているものが一人、屋上の四方を囲ってある金網に寄り掛るよう
にして立っていた。
 出入り口のドアの丁度裏手にいたせいで、回り込むまで暫く気がつかなかった。


「橋本先輩……校則違反ですよ」
「ん? あ、ああ……」


 浩之が苦笑いを浮かべて橋本の指先を見つめると、彼は初めて気がついたような声
を出す。
 そして胸ポケットから煙草の箱を取り出し、浩之に差し出す。
 浩之が手と首を横に振ると、そのまま取り出した時と同じ仕種で再びしまった。


「全く……先生にでも見つかったらどうすんですか。停学は間違い無いですよ」
「そーだな」


 そのまま隣で金網を手で掴んで、それに体重をかけて寄り掛る浩之の指摘に橋本は
力無く笑う。
 そこで橋本は浩之の名前を確認するように聞いた。
 どうやら向こうも浩之の事を少しは知っているらしい。


「先輩、どーかしたんですか?」


 目の前にいる橋本に対して浩之はそう訊ねていた。
 今まで噂などで見聞きしていた、自信過剰で女に対して手の早いと言われている橋
本の姿はそこにないように感じられた。
 橋本は浩之の言葉には反応せず、携帯用の灰皿をズボンのポケットから取り出して
煙草の火を消してその中にしまった。
 慣れた手つきなのだが、やけにのんびりしているように浩之には感じられた。


「……丁度いい。なぁ、藤田」
「はい」


 橋本の身体が金網から離れる。
 同時に、浩之も反動をつけるようにして金網から手を放した。
 そして橋本はのんびりと屋上の階段口の裏手の方へ歩き出す。
 浩之もそれに習った。
 そして寄り掛るようにして二人、座った。


「お前さぁ……」


 きっと普段はここで煙草を吸っているのではないか、浩之はそんな事を意味も無く
思いながら橋本の言葉を聞く。


「結構、モテるよな」
「……は?」


 いきなり、橋本が浩之に変なことを訊いてきた。
 彼にとっては、あまりこういう事を聞かれるとは予期していなかった。


「結構、女子に人気、あるんだろ……」
「別にそんなことは……雅史なら別ですが……」
「ああ、サッカー部の佐藤か。あいつは……まぁ、そうだな」
 そう言いながらも橋本はあまり関心を持った雰囲気ではなかった。
 どうでもいいらしかった。


「でも……お前だって……人気、あるんだろ」
「人気って……」
「いつも誰か二三人の女子と仲良くしているじゃんか」
「あれは特に……友達ですよ、ただの」


 そう言いながらも、浩之は少ししかめ面に変わっていた。
 どう言った所で橋本が浩之をどんな目で見ているか、釈明した所で無駄だと感じた
からだ。
 同時に、もうこの場所にはあまりいたくもなかった。


「ま、友達なら友達でもいいんだ」
「はぁ……」


 少し浩之が思っていたのとは違う反応のようだった。
 相変わらずあまり関心を持っているような顔には見えなかったが。


「まさか誰かを紹介してくれとか言うんじゃ……」
「別に……そこまで不自由はしてねえ」
「……」


 そう言い切る橋本に浩之はやや嫌悪感が湧く。
 悪意はないのだろうが、女性に対する見方で同意できる相手とは思えなかったから
だ。


「結構、最近は……お前のことも噂になってるみたいだぜ」
「へぇ……」
「顔の割に良い奴だとか、意外に親切だとか……人の為に真剣に行動してくれるとか
頼り甲斐があるとか……まぁ、一部の間だけどな」
「はぁ……」
 橋本が何を言いたいのかわからない。
 浩之はインネンをつけられるのかと思うぐらいしか考えが浮かばなかった。
 予め買ってあったらしく、地面に置いてあった口の開いた牛乳の容器を持って飲む
橋本を横目で見るが、判断がつかなかった。
「ま、男子の間ではそうでもないがな」
「……はは」
 そう言われると苦笑するしかない。
「まぁ、他の男のやっかみはモテる男の勲章みたいなもんだろ。気にすんな」
 自分から言い出しておいて、そう締めるのもどうかと浩之は思ったが口にはしなか
った。


 今まで特に親しい相手でもない。
 それどころか、直接会話を交すのもこれが初めてに近いのではないだろうか。
 浩之が橋本を知るほど、橋本が浩之を知っているとは思ってもいなかった。


 チャイムが鳴る。
 何故か遠く霞んだように鳴っている。
 ここが屋上だからか。


「あ、先輩……次の授業が始まりますから俺はこれで」
 浩之は居心地が余り良くないこの場所から立ち去れそうなことにホッとしながら、
そう言って立ち上がろうとすると、


「少し……つきあってくれねーか?」


 立ち上がる気配すら見せずに、橋本はそう言った。
 その顔は初めて屋上で見つけた時の顔のままだった。


「でも……」
「いや……いーんだ。別に強制しようとか思っちゃいねーし。悪ぃ」


 橋本は気を取り直したようにバタバタと手を振って、そう言うと気にすんなとばか
りに苦笑に似た笑い顔を浮かべて見せた。
 強がりにもなっていなかったが、特に寂しそうにも見えなかった。


「……」
「……」


 浩之は少し迷って、再び腰を下ろした。
 このまま立ち去っていくことを許さない自分がいた。
 自分でも厄介な性格だと思うが、治るものでもなかった。


「いや、別に気にすんな。いーって」
「先輩はこのままサボる気でしょ?」
「……そうなるかもな」
「なら、今日だけ付き合いますよ」
「……」


 聞く気が無ければ初めから近寄ったりはしない。
 浩之はそう思っていた。
 居心地は相変わらず良くないし、立ち去りたいとも思っているのに、
 浩之は動かなかった。



「オマエって本当に噂通りのやつなんだな」
「先輩の方は、いつもの先輩らしくないんじゃねーですか?」
「噂によると、か?」
「ええ」
 浩之は苦笑して見せるしかない。
「ま、たまにはそうなるかも知れねーな。けど、特に何も変わっちゃいねーぜ」
「……」


 橋本は自分の胸ポケットに手を当てて、入っている煙草の箱を指でなぞるように触
っていた。
 が、それ以上することなく、再びその手を地面につける。
 顔を微かに上げ、雨がいつでも降りそうな、かといって一向に降る様子も無い空を
見上げていた。
 浩之もそれにならった。
 授業開始のチャイムが鳴った。



「俺はな……女の我侭が嫌いなんだ」
「はぁ」


 暫くして橋本が口を開いた。
 淡々とした口調だった。
 浩之は適当な相づちをうつ。


「特にちょっと構ってやるとあれこれと勝手な事を望みたがる女ってのが大嫌いなん
だ」
「はぁ」


 変な話になりそうだった。
 こんな話を聞くことになるとは浩之は思っていなかった。


「あれが欲しいとかこれが欲しいとかいう奴とか、何事も自分の意のままにならない
と我慢できない奴とか、ちょっと相手してやっただけで人のことを自分のモノになっ
たと思い上がる奴とか……」
「……」


 あまり面白い話になりそうもなかった。
 同時に女性観の違いもあった。
 橋本の言う事はそのまま自分自身の我侭でしかない。
 彼は自分の都合の良い女しか求めていない。
 それは彼に対する噂通りのことでしかなかった。


「……ま、それが良いとか悪いとかは俺の知ったこっちゃない。俺は我侭な女は嫌い
だし、だからそういう女とは深く付き合いたいとは思ってねぇ」


 浅く、広くは付き合っているということだろう。
 そしてそういう関係は浩之は好きではない。


「あの、先輩……」
「ああ、つまんねー話しちまったな」


 …お前みたいな奴には相容れないんだろーが、俺は俺だ。お前じゃない。


 橋本の顔は淡々としてさっきから全く変化がないくせに、そんな事を言われている
ような錯覚を浩之は感じた。
 開き直りに似た感覚を。
 それは浩之自身の勝手な錯覚だと自覚しながらも、しこりのようなものを感じた。


「……」
「まぁ、特にここから面白くなる訳でもねーんだが……」


 そこで橋本は手を後ろに伸ばして後頭部を指で掻いた。
 浩之は一瞬、立ち上がるべききっかけなのかどうか躊躇した。
 まだ、十分ほどしか経っていない。
 今戻れば教師の小言程度で済む。
 トイレに行っていたと言ってもいい。
 けど、実際は座ったままだった。
 腰が重く感じていた。


「少し前のことだ。帰る時に俺の下駄箱に手紙が入ってたんだ」


 同級生か仲の良い相手だったらここで「ラブレターか?」と言いたくなる所だった
が、浩之は黙って座ったままでいた。


「別に珍しくはねぇ。ラブレターだ。藤田、お前もそういうことあんだろ?」
「い、いや……そーゆーのは」


 不意に話を振られて浩之は動揺する。


「そーか? お前みたいな奴の方がそういうの多そうだけどな」
「先輩。俺のこと誤解してませんか?」
「……ま、いいか。で、俺はいつもの通り指示された通りに会いに行った訳だ」
「はぁ……」
「別に珍しくはねぇ。ただのラブレターだ。ただ、字は下手だったな。本当に下手だ
った」
「……」
「男の字ではないとはわかったし、逆にそういうもんなら丁寧に書く筈だからまぁ、
本物だろうとは思っていた。便箋に一枚だけ。名前も書いてなかったけど、そういう
事もあるし、特に変な点も見当たらなかったから行ったわけだ」
「……」

 浩之は手に汗をかいているのが自分でも分かった。
 いつのまにか拳を固めていた。
 顔も強張っていたかもしれない。
 別に心当たりがあるわけでもなかった。
 実際、橋本が悪戯を疑うということも理解できない訳じゃない。
 けれど、胸の奥が熱くなっている自分を自覚していた。
 そのラブレターを書いた相手の事を考えると、こんな風に今、まるで相手を馬鹿に
しているように語っている橋本を許せないような、憎むような気持ちになっていた。


「で、その待ち合わせ場所に手紙の女がいたんだ。かなりちっちゃかった。違う高校
に通っているとか言ってたけど、あれは中学生に見られてもしょうがねーな」
「……」
「真っ赤になってさ、真剣な顔して必死になってんだよ……何か痛ましい気分になっ
ちまう程だった。そういう顔されて告白されて……断れるか?」
「……」
 浩之は自分を堪えるだけで、特に返事はしなかった。
 橋本の言い方の一つ一つが、自分の中にあるものを蓄積させていくような錯覚を感
じながら。


 橋本の話は続く。
「結局、あんまり考えないでそのまま軽い付き合いを始めたんだけど……まー、何て
いうか変な女だった。別に悪い意味じゃねーんだが……何やってもさ、嬉しそうに笑
ってるだけなんだよ。これがさ。そして自分からは何一つ主張しない。どこか行こう
と誘っても嬉しそうにするだけで行き先も希望しないし、何か飲むかって聞いてもお
任せしますって言うだけだし……遊園地に行っても乗り物も俺が一方的に決めるだけ
で……本当、それでどう思ってんだかって思ってるとニコニコしてんだよな、これが
。本気で嬉しそうにしてるんだ」
 聞きようによってはノロケにあたるのかも知れないが、そう言う橋本の表情は言葉
と同じく淡々としたものでしかなかったし、聞く浩之もそんな風に感じ取ることは出
来なかった。


「何かあれこれ言う女はうざってーとか思って今もそう思ってはいるんだが、これは
これでさ、何か気持ち悪いんだよな」
 いちいち腹立たしい言い方をすると浩之は思っていた。
 自分を怒らせる為に橋本はこんな話をしているのではないかと思うほど。


「一切自己主張しないしさ、そのくせ俺が何かしようっていうとついてきて嬉しそう
にしてるんだ。そーゆーのが続くとどーしても何かしたくならねーか?」
「……別に」
 自分でも怒りを隠し切れていないと浩之は思っていたが、身勝手な話を続ける橋本
は気にした素振りもなかった。


 気付いていないのだろうか、
 ただ、淡々と話しているようにしかまだ見えない。



「その女が俺のことどう思ってるか聞いても「大好きです」としか答えないから試し
てみたくなったんだ」
「……」
「その女には特に興味があった訳でもないし、逃げられたら逃げられたで構わねーと
思ってたし」
「……」


 浩之は嫌な予感がした。
 あまりこの先は聞きたくなかった。



「でさ、連れ込んでみた訳だ……ラブホテルに」
「っ!!」



 気がついたら、手が出ていた。
 殴っていた。
 座った姿勢から半腰になった時だったからそれ程威力があったとは思わないが、そ
れでも精一杯の力を込めていた。
 橋本の顔が大きく揺らぐのが分かった。



「あ……あんた……最低だ」
「……」


 立ち上がって思わず口走っていた。



「あんたなぁ……その娘のこと、本当に考えてやったことあんのかよっ!!」
「……」


 自分の身勝手な理屈で、
 自分の身勝手な見方で、
 自分の身勝手な論理で、


 行動した橋本が浩之には許せなかった。


「なぁっ! 先輩っ!!」
「……」
「先輩は……」
「は……」


 襟首を掴んだ時、浩之は気づいた。



「ははは……はははは……」



 橋本は笑っていた。
 初めて、淡々とした顔を崩して。
 思い切り笑っていた。


「はははは……悪い。悪い悪い……」


 笑いながら、そんな事を言っていた。


「……え?」


 虚を衝かれた浩之は咄嗟の判断がつかなかった。



「はははは……悪い。いや、本当に……」
「……」
「嘘だよ、嘘。ジョーダン」
「……なっ!?」
「いや、本当にお前ってやつは……噂通りのやつだな……ははは……」


 あまりの事に動転する浩之。
 橋本は爆笑しているようで、いつまでも笑い続けていた。
 あまりに可笑しいのか涙まで流しながら。


「せ、先輩っ!」
「ははは……悪い。いやー、お前って本当に他人の事まで真剣に考える奴なんだな。
いや、悪い意味じゃねーよ。珍しいよ、でも……そーゆー奴」
「先輩っ!!」
 浩之は再び真っ赤になる。
 今度は羞恥でだ。
「いやー、本当に……参った参った……」
「た……ったくっ!! 冗談もいい加減にしてくださいよっ!」
 一応目上相手なので気を使った言葉遣いになっていたが、せいぜい気を使えるのは
この程度だった。
「ははは……悪ぃな。でも、思い切り殴られたしこれでアイコってことにしてくれよ」
「言っておきますけど、謝りませんからね!」
「あー、判ってる。判ってる」
「もうっ、俺、行きますからっ!!」
「……」


 いつまでも笑いが止まらないらしい橋本を後にして、浩之はカッカしながらぐるり
と階段に通じる扉の方へ向かった。
 今教室戻れば非常に注目を浴びることになるが、どうでもよかった。



「もう悪ふざけもいい加減にして下さいよ、先輩!」



 今更遅いが、笑いながらのろのろと後について来る橋本に、そう言い捨てることで
自分の羞恥を忘れようと浩之は努力する。
 そして、ドアを開けて出て行こうとする浩之の耳に、橋本の呟きが耳に入った。






「……こないだな、死んじまったらしいんだ」






 ドアが閉まった。
 重い鋼鉄性のドアだったので、閉まるまでに時間が掛かる。
 大きな音を立てて、焦らすようにゆっくりと閉まった。






 橋本は屋上にいた。
 浩之も、いた。
 浩之は振り返って橋本を見ていた。
 橋本は頬こそ浩之に殴られて腫れかけていたが、さっきまでの笑みは消え淡々とし
た表情に戻っていた。




「また、冗談……ですか?」
「あいつはな……何しても逆らう事がなかった。俺も流石に戸惑うほどにだ」
「あの……先輩?」
「別に急に気が咎めたとかいうこともないんだが、流石にやっぱり気になるだろ。そ
ーゆー態度だと」
「えっと……」
「でな、終わった後、聞いたんだ。痛がってたくせに笑おうとしてるあいつによ」
「……」
「「嬉しい」「幸せ」「ありがとう」……だぜ?」
「……」
「聞けば聞くほどウンザリしてきやがる。あいつは俺が好きだという。で、こうして
抱いてもらえたことが嬉しいんだとさ。で、言うに事欠いてありがとうだぜ。本当に
参っちまった」
「……」
「で……あんまりムカついたんで怒鳴っちまった。ふざけるなとか言って……手こそ
出さなかったけど、まー結構怒鳴り散らしてそのままあいつを置いて出ていった訳だ
。あ、金はフロントに払ったぜ。色々と面倒なことになると嫌だしな」
「……」
 浩之はそんな橋本の言葉を聞いても先ほどのようにあまり腹が立たなかった。
 腹が立つよりもまだ、驚きの余韻が残っていた。
 そして橋本は変わらず、淡々としたまま語っていた。
 彼の感情は表情からは窺い知れない。


「それで終われば、馬鹿話の一つで終わる筈だった。俺はそのつもりだった。万一あ
いつが怒って何かしてくればそれはそれで面白かった気もするけどな……そーゆー事
も起こらなかった。ただ……」
 そこで間が開いた。
 浩之が聞き返すぐらいの間が。
「ただ?」
「手紙が一通、届いた」
「手紙……」
「ああ。今度は下駄箱じゃなくて俺の家にだったがな」
「そ、それ……で……?」
 浩之は喉が乾いていた。
 声が引っかかる。
 唾をゴクリと飲んだ。
 上手く、飲めなかった。



「勿論、あいつからだった。あいつの下手糞な字で今度は数通、別に剃刀なんかもな
く、普通に入っていた」
「……」
「その最初が「ごめんなさい」と書き出してる。正直、うざいから読むのを止めよう
と思った程だったが……読んでみれば、まぁ、変な手紙じゃなかった。ご迷惑をおか
けしましたとかも書いてあったけどな……ま、そういう事情を手紙で細々と説明して
くれた」
「説明って……」
「そんなに変な事じゃねえ。前のラブレターの続編みたいな感じもしたしな。一目惚
れだったけど、それは実はずっと前からだったとか。つき合ってくれたことが本当に
嬉しかったとか。一緒に遊びに行けたことが本当に感激しただとか……抱いてくれて
感謝しているとか。私の身勝手な行為を受け入れてくれたことが嬉しいんですとか何
とかってな」
「……」
「ん? 世の中には変な奴もいるもんだとか思ったか? 俺みたいな奴にそう思う人
間がいるものかとか」
「い、いえ……」
 そうは思わなかったが、その人は不幸だったのではないかと浩之は思った。
 橋本のように身勝手な考えを押し通す人を好きになる――しかも橋本の本性を本当
に知った上で好きになったのかどうかも疑問だった。


「で、住所は書いて無かったんだが消印とあいつの名前であいつの家に行ってみたん
だ。苛々したしな。後、これ以上関わり合いになりたくないからはっきり言っておこ
うと考えたのもある。でも本当は……」
「……?」
「何か変な気がしたんだ。その手紙が」
 虫の知らせとでも言いたいような口調だった。
「……」
「で、行ってみたら案の上というか何と言うか……つまんねーもんを見せられる羽目
になっちまった」
「……」
「葬式だよ、葬式。あいつのな」
「……っ!」
「俺も焦って周りの人間に聞いてみれば、難病を抱えてて手術をしたけどやっぱり駄
目でしたなもんだったんだと」
「……」
「後は実に可哀相な中学生でしたとさ」
「っ!!」
「……言うなよ。俺もかなりビックリはしてるんだからな」
「……」
「本当にふざけたやつだよ、最後までよ」
 そこで初めて橋本の言葉の端に苛立ちが混じっていることに浩之は気づいた。
「馬鹿じゃねーのか。あんなんで満足とか思ってたんだぜ。俺が勝手に誘って勝手に
連れ回して……それだけだぜ。別にあいつの為に何かしてやった訳でもないし、何か
考えてやった訳でもねぇ。そんなんで本気で喜ぶ馬鹿いるか?」
「……」
「そんで挙げ句の果てにそれで私は満足ですとばかりに書き残して死んじまって……
何だ? 本気で俺のこと好きだとそんなんで言う気かよ……」
 本気で好きだったのかと橋本が問う。
 勿論、浩之には答えられない。
 判る訳が無い。


「なぁ藤田……今更どーしよーもねーけどさ、俺はどうしたら良かったと思う?」
「え?」
「もっと優しく振る舞っていればよかったのか? つきあう以上、あいつを真剣に愛
してやれば良かったとでも言うのか?」
「え、ええと……」
「それともあまり興味が無いのなら最初から関わるべきではなかったというのか?」
「……」
「……お前はどー思う?」
 橋本の苛立ちは表面的には消えているように感じた。
 そのせいか浩之には少し、怖く感じた。
 そしてその問いも浩之には恐怖を感じるものだった。
「……」
「……」
「……」
「いーよ」
「え?」
 考えがまとまらない内に、急に橋本が口を開く。
「わかんねーなら、それでいい。ただ、もしどっちかだって思うんならそう言えよ」
「……」
「……」
「……」


 やはり浩之には答えは出なかった。
 もっと優しく接するべきだとは……言えない。
 今、そう言うことは卑怯で無責任な気がする。
 こういうことがあったから、そう言うみたいに聞こえてしまう。
 それにそれは本当の橋本の姿ではない。
 身勝手で都合の良い考えでしかないにせよ、偽って接するよりはずっといい。


 相手にするべきではなかったとも……言えない。
 そうすれば彼女の思い出はそこで終わってしまうことになっていた。
 例え端から見てどう思おうと彼女は橋本の一連の行為を全て喜んでいたのだ。
 それが本当の意味で彼女の為になるとか、ならないとかはわからない。
 が、彼女は幸せだと言っていたのだとすれば、それを否定する事になる。


 そうすると自分は橋本の事を肯定するしかないのかと浩之は思う。
 それはとても嫌なことだった。
 反吐が出るほど、嫌だった。


 自分だったら、どうしていただろうか。
 彼女に対して、どうしていただろうか。
 そう考えることを浩之は拒否した。
 考えたくなかった。


「そっか。わかんねーか」
「あ……」
「いや、いーんだ。ただ、もしお前がどっちかだとか言ってたら……」
「言ってたら?」
「さっきのお返しをするつもりだったんだがな」


 そう言って橋本は浩之に拳を作って見せてニヤリと笑いかけた。
 橋本も彼なりに、浩之が考えていたような事を考えていたらしい。
 当然だ。
 彼は今日までずっと考えていたのだ。きっと。




「そいつが俺に一目惚れするきっかけって何だと思う?」
 授業終了のチャイムを聞きながらドアを開け、階段を降りながら橋本は浩之にそう
問い掛ける。
「何ですか?」
「昔、公園で泣いている所を慰められたことがあるんだと」
「……先輩にですか?」
 浩之は思わず聞き返していた。
 らしくないと思っては失礼だろうか。
「そうなんじゃねーか?」
「お、覚えてないんですか?」
「ああ。覚えてねえ。人違いかも知れねーな」
「なっ!?」
「……ほんと、馬鹿な話だ。なぁ、藤田」
「……はい」
「藤田こそ、心当たりねーのか?」
「え?」
 心臓が止まるようなそんな瞬間だった。
「そーゆーの、オメーみたいなタイプがしそうなことのような気がしてな。そういう
事、心当たりねーか?」
「……た、多分ないと思いますけど……」
 多分、だ。
 あまりそういう事は記憶に残ってない。
「そっか」
「……あ、あのっ!」
 嫌な想像が浩之の頭に浮かぶ。
 あっさりと話を打ち切って更に階段を降りようとする橋本に慌てて声をかけた。
 が、橋本はその浩之の気持ちを読んだのかそうでないのか、振り返りもせずに軽く
手を振った。



「冗談だ。実は覚えてる。気まぐれだよ、気まぐれ。殆ど記憶にもないがな」
「……」



 そこで漸く橋本は立ち止まって、浩之を見た。



「次の授業には間に合うだろ。つまんねー作り話に付き合わせて悪かったな」



 そう言って再び橋本は階段を降りていった。
 浩之はその場に立ったまま、動けなかった。




 浩之は橋本というタイプの男が嫌いだった。
 それは今も変わることはない。
 そして、橋本もまた自分みたいなタイプが嫌いなんだろうと浩之は思った。
 それでいいと浩之は思った。




 そのまま浩之は休み時間に入ったせいで騒がしい廊下を歩きながら、皆にどう言い
訳をしようかと考えていた。
 そして忘れることにした。
 つまらない作り話のことを。





                             <完>