『魔女になりたい』
 





「あら?」
 駅前の本屋で雑誌を買って帰る途中、繁華街側の通りのパチンコ店の前で姉さんと
見覚えのある女性が話しているのを偶然見かけた。
 姉さんが一人で行動しているのも珍しいし、あんな路上で立ち話をしていることな
どもっと珍しいことだ。

 ――ええと……誰だっけ?

 記憶力には自信が有るのだが、距離があるせいかはっきり相手の姿が見えずに思い
出せない。
 髪は金髪。着ている薄手のノースリーブのセーターは身体のラインがはっきりと出
ていて、そのモデルのようなスタイルの良さを後ろからでも顕示している。手には買
い物袋にしては小さい茶色い紙袋を抱えていた。
 私は相手の正体の確認と、二人が何を話しているのか内容が気になって、忍び足で
すぐ近くの電柱まで接近した。
 小声が聴き取れる距離まで近づいたのだが幸い、話している二人は気付かれていな
いようだ。
 息を潜めて聞き耳を立てる。


「え?……魔女になりたい?」
「……」
 どうやら姉さんの言葉を繰り返したらしい彼女に対して、いつもの表情でコクコク
と首を振る姉さん。
 姉さんの声は普通に間近で聞いていても聴き取ることが難しい。
 姉さんと付き合う上で、彼女の声を聴き取れるかどうかというのは重要なポイント
だし、慣れている人ほど自然と姉さんの言葉を聞き返す癖がついてしまう。
 だからこの距離では私も姉さんの相手をしている人物の声を聞いて会話内容を判断するしかない。

 ――あ、思い出した! 確かあの人間外軍団の一員だったわね。

 声を聞いてやっと思い出した、
 夏に別荘で姉さんが誤って召喚してしまったラルヴァとかいう化け物を退治する為
に臨時に現地で雇ってみた自称吸血鬼ら、女性版怪物君一味の一人だった事を思い出
した。
 人数がほぼ固まった戦闘終盤からの参加だったせいか助っ人としてはあまり存在感
を見出すことも出来ず、終始影が薄かったので印象に残り辛い連中だった。
 その後、姉さんの酔狂で暫くはウチの屋敷の地下で居候させていたりもしたようだ
ったがいつの間にか出ていっていなくなっていたのだが、まだこの街にいたようだ。

 ――確か、メイフィアとか言ったわよね……。

 彼女はその中で自称魔女とか言う女性だった。
 屋敷の地下に引き取っていた頃の印象では常識知らずで騒動ばかり起こす連中の中
では、調整役として一番マトモだった存在だった記憶がある。つまり目立たないから
憶えていない存在でもある。
 ただ、それは控えめと言うより何事にも面倒臭がりやな面であろうと思うが。
 そんな事をあらかた思い出しながら、二人の会話に耳を澄ます。
 聞きようによっては一方的に女が一人で喋り続けているように聞こえなくもないの
だが、気にはならない。
 野次馬根性丸だしだったが、どんな話をしているのか興味があった。


「でもねー、お嬢ちゃん。一口に魔女って言っても……色々あるわよ。どんなのがい
いわけ?」
「……」
「え? 「ジャンヌダルクのような」そ、それはちょっと……第一あれって魔女だっ
たっけ?」
「……」
「「違いましたか?」……えーと、多分」
「……」
「そ、そんな目で見られても……」
「……」
「「ちょっとがっかりです」ってそんなの私、知らないわよー」
「……」
「「具体的には火で炙られても平気で槍で突かれても痛くなくて石抱いて手足縛られ
て水に沈められても浮かんでこられる人」……って本当にそれがいーの?」
「……」
「「本当は魔法が使えればそれでいいです」……って、あーたね」
「……」
「「兎に角教えて下さい」って言われても……そーねー」
「……」
「「お金で解決する事なら何でもします」……お金じゃ解決できない事ばかりよ」
「……」
「「生け贄が必要なら年頃の娘が丁度身内に一人います。多分、処女」……あ、あの
……妹さんの事?」
「……」
「ちょ、ちょっとナイフ出されても!? え?「無骨だから肉とか固いかもしれませ
んが構いませんよね?」そ、そのー」
「……」
「「人間的魅力が欠けてても平気ですか?」って……えーとね」


・
・
・


 ……気がついたら私は、人気の無い公園のブランコに座りながら黄昏ていた。


 夕焼けがやけに眩しく、赤く感じられた。


「よぅ、綾香じゃねーか」
 浩之がいつもの能天気な顔をして近づいて来る。
 よく見渡してみたら、ここは浩之達の家の近所の公園だった。
 が、今日の私には相手をする元気も無い。
 無言でやり過ごす。
「どーしたんだ、元気ねーじゃねーか」
「……ほっといてよ」
 私の無反応が気になったのだろう、浩之は私の顔を見ながら隣のブランコに腰を下
ろす。
 浩之のこういう気の廻り方が今の私には鬱陶しく感じる。
 普段は何事にも無関心な部分も多く鈍いくせに、こういう時に限って妙にカンが鋭
かったりする。
 まぁ、今の私を見れば浩之でなくてもおかしく感じるだろう。
 そこまで自分で判っていながら、何もする気がおきなかった。
 浩之が話しかけていても、耳に届かない。

 姉さんが身も心も魔女になろうとしていると知ったこのショックは大きい。
 私はどうしたらいいのだろう。

「先輩がお前の事、探してたぞ」
「……」
 私より先に姉さんに会ったらしい。
 さっきの場所の近くでだろうか。

 私より姉さんなのか。

 そんな言い掛かりの感情も沸いたりする自分が嫌になる。
「何かあったのか?」
「……別に」
 わかってて聞いているのか、そうでないのか。
 どちらでもいい。
 不快なことには変わりはない。
「別にってことはないだろう?」
「いいじゃないのよ、別に。浩之には関係ないわ」
 放っておいて欲しい。
 そう言ったところで、素直に引き下がってくれるヤツとは思えなかったが。
「ま、そりゃあ、実も蓋も無くそうだけどさ……」
「……」
「でもさ、その……なんだ……」
「……」
 浩之は上手い言葉が見付からないらしい。
 もどかしそうに舌打ちをしたり首を振ったりする。
「その……俺たち友達だろっ!」
「違うわ」
「……」
「……」
「……」
「……」
 即座に否定した私に、叫んで立ち上がった浩之はショックを受けたのか黙り込んだ
まま動かなくなる。

「……冗談よ」
「あ……はは。そっか……ははは」
 ホッとしたような表情を浮かべる浩之に私は苦笑するしかなかった。
 追い払うことすらできやしない。
 いつだって浩之はそうなのだ。
 そしてそれは誰に対しても等しい。
 それが、藤田浩之という男だ。
 だからこそ、誰もが彼を好きになる。
 心が無防備になる。
 罪な男だ。

「でも、本当に……先輩、心配してたぞ」
「姉さんは魔女になりたいのよ」
「え?」
「……」
「あ、ああ……そうだよな。先輩、そうらしいよな」
「……」
 私の言葉の意味が通じていない。
 勿論、普通はそうだろう。
 私だって姉さんの思いがあんなに歪なものとは思っても見なかった。
 冗談を言うタイプではない。
 逆にどんなに高ぶっていても表面的に変わった様子は見えない。
 いつだって姉さんは真剣だ。
 付き合いの長い家族である私がそれは誰よりも知っている。
 だからこそ、あの言葉はショックだった。
「……?」
「……浩之は、何かなりたいものってある」
「え?」
「……その為なら何でも犠牲に出来る程なりたいものとか、誰かを押しのけてまでし
たいこととかって、浩之にはある?」
「いや、ねーな。今の所は」
 少しも迷わずに答える。
 これが浩之のいい所だ。
「……」
「あの……綾香?」
「……は……」
「へ?」
「私は……貝になりたいわ」
「はぁ?」
 浩之は私の言葉に心底わからないような顔をして首を傾げていた。
 全てを話してしまいそうになり、咄嗟に誤魔化してしまった。
 私は逆にいつだってこんな半端な強がりをしてしまう。
 浩之ほど真っ直ぐには生きられない。
「ううん。何でもないわ。じゃ、私はこれで帰るから……」
「え? あ……ああ」
 このままいたら浩之に全てを話してしまいそうで恐い。
 だから逃げるように離れることにした。
 幸い、事態を把握していない浩之は追ってくる様子はない。
 だが、
「……」
「あ、先輩っ!!」


 ――姉さん!?


 私は立ち止まった。
 立ち止まってしまった。
 どうしていいのか判らない。
 その場で固まってしまった。

 不意に背中から気配が近づいてくる。
 振り向くまでもない。
 この気配は姉さんに間違い無い。
 そんなことは判っていた。
 だって……

 ――だって、大好きな姉さんだから。

 だから、こんなにも辛かった。
 動転し、戸惑ってしまった。
 信じたくなかった。
 私は何も考える事も出来なくなっていた。
 ゆっくりと近づいてくる姉さんを待つ。

  ポムッ

 どうしようもないほど、たまらない気持ちになって動けないでいる私を後ろから抱
きしめるようにして姉さんがしがみついていた。
 それでも、私は振り返れない。

「……」

 ――とても心配しました。か……

 姉さんの声。
 どんな顔をしているのだろう。
 どんな気持ちでいるのだろう。
 私には姉さんがわからない。

「……」

 ――メイフィアさんが、追いかけた方がいいって言うから…私……。って……

 やっぱり、姉さんはそうなのだろうか。
 私が必要だから、こうしているだけなのか。
 浩之の前だから、こうしているだけなのか。
 先ほどの姉を信じていいのか、今の姉を信じていいのか。
 今までの姉を信じていいのか、信じていた自分を信じていいのか。
 何一つ、判らない。
 だから私は動けなかった。
 背中には胸を押し付けるようにして抱きしめている姉さん。
 傍らには声をかけるのを躊躇っているような浩之。
 そして、その中心にいる私は……

 私の心は……


 ――つまりは、魔女っていうのはこういう奴もいるのよ。


「えっ?」
 不意に私の耳に声が届いた。
 この声は……


 ――驚きましたか? ――ってウフフ。

 !?
 姉さんの声と、彼女――メイフィアの声が重なった。
 違う。
 メイフィアが姉さんの声で……


「やほー」
「あ――メ、メイフィア!」
「……」
 カサという茂みがかき分けられた音がして、メイフィアが現れた。
「ちょっとやり過ぎちゃったわねー」
「え、それってどういうことだよ……」
 事態が全くわからない浩之が、姉さんと私、そしてメイフィアを交互に見る。
 私も良く判らない。
「……」
「……」
 御免御免と言って片手で拝む仕種をするメイフィアに不思議そうな顔をする浩之。
 私は固まったまま動けなかった。

 抱きしめる姉を振り向いて見た。
 いつもの姉がそこにいる。
 私を心配そうにしながらも、安心させようと微笑んでいる姉さんがそこにいる。
 そして自分の声だけ私の耳元で聞かせて、本人は遠くから現れたメイフィア。

 ――何となく、判ってきた。


 その後、メイフィアからやはりあれが全て彼女の悪戯だったことを暴露した。
 私が電柱の陰に隠れて様子を窺っているのに気づいて、私の耳にだけあんな会話が
聞こえるように仕組んだらしい。
 単純にメイフィアは魔女というものがいかに底意地が悪く悪質な存在で、憧れたり
なろうとしたりするものではないということを姉さんに教えたかったらしい。
 だったら姉さん本人にそういう真似はして貰いたい。私に向けるものではないだろ
う。そう思ったのだが、私と姉さんはただ呆気に取られてしまったので、浩之が一人
代わって怒ってくれていたのだが、メイフィアに体よくあしらわれてしまった。

「こういう性格にでもならないと、魔女でい続ける事なんて難しいわよ。それにね…
…肉親の生け贄云々ってのも全くの嘘という訳でもないんだから……」

 逸らかされたような気がするが、そんな事を言って笑いながら「私は、貴女がなり
たいと思ってるものは……魔女なんかじゃないと思うわよ」と勝手なことを言い残し
て立ち去ってしまった。
 浩之は最後まで悪ふざけにも度が過ぎるとか言って怒っていたが、最後はやっぱり
笑って、

「ま、誤解というか……何事も無くて良かったな、二人共」

 そう言って先に帰っていった。
 近くまで送ると言ってくれたが、私が断った。



 そして二人きりになって家を目指してのんびりと歩きだした。
 姉さんの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。
 こうして二人して徒歩で家に帰る機会などそう滅多にない。
 一緒の家にする二人きりの姉妹だというのにだ。

「やれやれ……本当に、独り合点しちゃったわねー」
 恥ずかしいような、照れくさいような不思議な気分だ。
「……」
「え?「御免なさい」って謝るのは私の方よ……本当に御免!」

 姉さんの事を信じてあげられなかったと思うと、胸が痛む。
 それだけ、自分の心に「魔女」という言葉が突き刺さっていた。
 メイフィアが言う通り、魔女という存在はやっぱり薄気味悪いものだ。
 姉が望む「魔女」という存在を私はやっぱり言葉のイメージで捉えていた。

「ねぇ……」
「……?」
「姉さん……どうして魔女になりたいの?」
「……」
 きっかけは知っていたけれども、今も尚これほどまでに強く思い続けている理由が
知りたかった。

「……」
「え?」


 ――魔法を使えたら……


「……え」


 ――いっぱい、色々な人を喜ばせる事が出来ると思いますから……


「……」


 ――幸せにすることが、できると思いましたから……


「……」
 私は、メイフィアの言った事を思い出した。
 彼女の言う事は、間違っていなかったと思う。
 だって姉さんは……
 姉さんが本当になりたいものは……



 魔法使いなんかじゃない。
 魔法なんかいらない。



 少なくても、私には。
 だから、


「姉さん!」


  ボムッ


 今度は私が姉さんを抱きしめる番だった。





                             <完>