『神岸あかりの誕生日』
 





「あかりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――――っ!!!!!!」




「わっ!? な、何、浩之ちゃん!?」



 放課後、授業終了のチャイムと共に大声を上げて目の前にやってきた浩之に、当の
あかりは勿論、周りのクラスメイト、教室を出て行こうとしていた教師までもが面食
らってその大声の主を見つめる。


「あかりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「な、何……!?」


 思わず、浩之から仰け反るようにしてしまうあかり。
 目つきの悪い男が喉の奥で唸るような声を出して、目の前に来ているのだ。
 ビビらない方がどうかしている。



「今日は何日だ」
「あ、あの……え?」
「今日は何月何日だ?」
「え、ええと……2月19日だけど……」
「じゃあ、明日か」
「……え、あ……う、うん……」


 浩之の言葉の意味を理解して、微笑みを浮かべるあかり。


「浩之ちゃん。憶えていてくれたんだ」
 だが、そのあかりの微笑みにも浩之は不機嫌そうな表情を崩す事無く、


「あかり」


 と、ようやく落ち着きて呼びかける。
 周囲も人心地ついたようで、喧騒が戻りつつあった。


「何、浩之ちゃん?」


 あかりはいつもの調子を取り戻したようにのほほんとした表情を作る。
 心なしか、頬が緩んでいるようにも見えるが。
 そんなあかりに、浩之はあっさりと言った。





「お前の誕生日、今年は3月にしろ」





「……へ?」



 浩之の言葉の意味がわからなかったので、聞き返すあかり。





「だから……今年、一ヶ月だけ誕生日ずらしてくれ」
「え? え? え?」




「さっきな、オレ気づいたんだ」
「……」


 浩之の言葉にも、呆然として反応しないあかり。
 まだ、さっきの意味を判りかねているらしい。


「さっきまで殆ど眠っていたんだがな……ウトウトしながらも、もう直ぐ何か強制イ
ベントがあるような気がしてしょうがなかったんだ。すっかり忘れてたぜ」
「…………」
「でさ、オレ、今、金がねーんだ。いや、昨日まではあったんだ。だけどよ、昨日…
…あかりの誕生日のプレゼントを買ったら金、使い果たしちまってよ……」
「……………え?」
 呆然として固まっていたあかりだったが、誕生日のプレゼント付近の単語で表情に
生気が戻る。
「いや、使う前までは何か使う用事があるから取っとかなくちゃいけないとか思って
いた筈だったのに……何かすっかり忘れていたんだよ」
「…………?」
「で、このままだと明日のお前の誕生日に買うプレゼントの金がねぇ。だからって何
もやらない訳にはいかねえだろ、一応な」
「あ、あの……あれ?」
 自分が聞いた事が間違っているのではないかと言う自信の無さが、あかりを戸惑わ
せる。



「だから一ヶ月延期な。これ決定。皆にも宜しく伝えておいてくれ」
「…………あ、あの……浩之ちゃん」
「心配すんなって。今年だけだから。来年からはまた二月に戻して構わないぜ」
 言うだけ言って、自分の席に戻って荷物を鞄にしまい出す浩之にあかりが慌てて、
浩之の席に行く。


「ひ、浩之ちゃん……その……どうして……?」
「だーかーらー、聞いてなかったのか?」
 呆れたような顔をして、大袈裟にため息を吐く浩之。
「う、ううん……多分。聞いていたと思うけど……その……」
 あかりはそんな浩之を前に、何をどう言ったらいいのか判らずに、言いよどむ。
「いいか。今、オレはあかりの誕生日プレゼントを買っちまったお陰で、お前の誕生
日プレゼントを買う金がないんだ。だから、誕生日も一ヶ月延期。いいな?」
 浩之は鞄に筆記用具をしまいながら、子供を諭すように、ひとつひとつゆっくりと
言ってゆく。
 あかりも素直に、指折り様に一つ一つ自分の中で咀嚼するように理解しながら、改
めて呆然となる。
「どうして……私の誕生日を浩之ちゃんが……」
「何だ、お前。誕生日、オレに祝って欲しくないのか?」
 ギロッと睨むその顔はヤクザそのものだ。本人は意識していないのだろうが。
 慣れているあかりでさえも、何かを躊躇わせる迫力がある。
「う、ううん……そうじゃなくて……」
「気持ちだけで何も要らないって言うのか? それだとオレの気が済まねえからな」
「……そ、そのぅ……どうして浩之ちゃんが延期とか決められるの? それにそうい
う風に動かせるものじゃないと思うよ、誕生日って……」
 あかりが言うそう間も、浩之は帰り支度をして最後に鞄をしめると立ち上がる。
「仕方ねーだろ。今、誕生日プレゼントを買うだけの金がねーんだから。それとも何
か? 借金してでも用意しろって言うのか?」
「そ、そうじゃなくてぇ……」
 あかりはオロオロとするだけで、そんな浩之を見つめる事しか出来ない。
「そりゃ、どーせそんなに高いものはハナから買えねーし、買う気もねーけどよ……
やっぱりそれなりのものは用意してやんねーと……オレの面子もあるしさ」
「じゃ…じゃあ……」
 あかりはその方面の疑問の解読を諦めて、もう一つの疑問点の方を聞こうとする。
「ん? 判ったか?」
「浩之ちゃん……私の誕生日プレゼント買ったって……」
「だから、金がなくて買ってねぇって言っただろ。あかりの誕生日プレゼント買っち
まって金がねーんだ」
「その……あかりって……」
「神岸あかりに決まってるだろうが」
「???」
「いいな、あかり。そういうことだから一ヶ月誕生日伸ばせよ。勝手に祝ってるんじ
ゃねーぞ。おばさんにもキチンとそう言って置けよ」
「あ、ひ……浩之ちゃん……」
「じゃ、オレは来月までに金溜めねーといけねーから。雅史達にはお前から言ってお
いてくれや。じゃ……」
「あ、浩之ちゃーん……」


 浩之はあかりに軽く手を振って教室を出ていってしまった。



 …………。



 …な、何?
 …何がどうなっているの!?


 …あ、あれ?
 …私が間違っているのかな?



 …浩之ちゃんは私の誕生日プレゼントを買ってお金がなくなって、
 …私の誕生日プレゼントが買えなくなったって……?


 …神岸あかり……
 …私の名前だよね。



「ほ、保科さん……」
「何や?」
「私、神岸あかりだよね」
「はぁ?」
「う、ううん……何でもないの。御免ね」
「何、アホな事、抜かしてるんや。当たり前やないの」
「ううー、そうだけど……」
「他に誰がおるねん」



 …でも、あれ……
 …あれれれれー



「ほ、保科さん……」
「今度は何や?」
「誕生日って……動かせないよね」
「何、アホな事、抜かしてるんや。当たり前やないの」
「ううー、そうだけど……」
「じゃ、私は予備校があるさかい……お先に」
「あ、う……うん……」




 …訳が分かんなくなちゃったよー。



 …やっぱり浩之ちゃんがおかしいんだよね。
 …で、でも浩之ちゃん、出ていっちゃったし……。
 …わ、私どうしたら……。




「あ、あかりちゃん」
「雅史ちゃん」
「聞いてたよ。大変な事になっちゃったね」
「う、うん……雅……」
「じゃあ、誕生日会は来月だね」
「……え?」
「志保には僕から伝えておくから……ははは、参ったね……」
「あ、あの……ま、雅史ちゃん」
「その、浩之も悪気はないんだよ。あかりちゃんの誕生日プレゼントを買ったまでは
良かったんだけどね……そのお陰であかりちゃんの誕生日プレゼントの事忘れちゃっ
たんだよ、きっと」
「え? え? え?」
「それじゃあ、あかりちゃん。僕も部活行くから……また明日ね」
「あ、ま、雅史ちゃーん」



 …ますます、訳が分からないよー。
 …どうして雅史ちゃんも普通に対応しているの?
 …もしかして、判ってないのって私だけー!?



・
・
・



 翌日。



「ううー、全然眠れなかったよ。お父さんも変な顔してたし……」


 浩之を起こしに行くことも忘れ、ヨロヨロとしながら、あかりはやつれた顔をして、
教室の扉をあけて入る。



「よ、あかり。今日は迎えに来なかったな」
「あかりちゃん。あとちょっとで遅刻だったね。大丈夫だった?」


 教室には既に浩之と雅史がいた。


「今、丁度お前の誕生日会の話をしてた所なんだ……」
「そう……」
 昨日、遅くまで怪訝がる両親を自分でも分からないまま説得して疲れ果てていたあ
かりはげんなりとした顔をして自分の席につく。
「うん。でさ、浩之とも話したんだけど、今日、このまま直接あかりちゃんの家に皆
で行くって事にしたんだけれども、いいよね?」
「うん……って、え? 私の誕生日……一ヶ月延長したんじゃなかったの!?」
 雅史の言葉に、愕然とした表情になって二人の元に駆け寄るあかり。
「……はぁ? あかり、お前大丈夫か?」
「あ、あかりちゃん?」
 そんなあかりの行動に浩之と雅史は戸惑った顔をする。
「だ、だって……浩之ちゃん。昨日、私の誕生日来月にするって……」
「バーカ。来月はあかりの誕生日の事だろ。お前の誕生日は今日じゃねーか」
 呆れたように言う浩之にあかりは混乱する。
「な、何で……何で? 何で?」
「あかりちゃん……どうかしたの?」
「だ、だって……」
 わなわなと震えるあかりに、浩之は、
「一昨日、誕生日プレゼントだってしっかり買って用意してあんだから……今更何言
ってるんだよ」
 と、多少照れくさそうに言う。
「え!? え!? えーっ!?」
「そのお陰であかりちゃんの誕生日プレゼントの事、忘れちゃんだよね」
「ああ、あかりには悪い事したけどな」
 そう言って二人で苦笑する姿をあかりは半分しか目に入っていなかった。


「ひ、浩之ちゃん……雅史ちゃんでもいいけど……」
「何だよ?」
「大丈夫。顔色が悪いけど……?」
 青ざめた顔をして、あかりが自分を指差す。
「私、神岸あかりだよね」
「はぁ〜。他に誰がいるんだよ」
「あかりちゃん……具合が悪いなら無理しない方が……」
 苦笑する浩之に、心配そうにあかりに声をかける雅史。
「私って二人いないよね」
「いたら見てみたい気もちょっとするけどな」
「同姓同名の人はいるかも……僕は知らないけど……」
「浩之ちゃんはわた……ううん。神岸あかりの誕生日プレゼントを一昨日買ったっ
て言ったんだよね」
「あ、ああ」
 殺気じみた病的なオーラをあかりから感じ取った浩之は戸惑いながらも答える。
「それでそのお陰で神岸あかりの誕生日プレゼントを買う事が出来なくなったって昨
日言ったんだよね」
「あ、ああ。それがどうした」
 そんなあかりの迫力に徐々に、浩之は気圧されて行く。
「もう一人の神岸あかりって誰?」
「……はぁ?」
「だ、だって……今……」
 わなわなと全身を震わせるあかりに、浩之は雅史に目配せする。
「お、おい……雅史……」
「う、うん……凄く顔色も悪いし……目の下にもくまが見えるし……あかりちゃん。
ちょっと休んだ方がいいと思うよ」
「あかり……その……な。悪い事は言わないから今日は休んだ方が……」
「だから浩之ちゃん!! もう一人のあかりって一体誰なのっ!!」
「だからこの世にお前はお前しかいねーって。雅史……先生に……」
「う、うん……じゃあ、浩之は取り敢えず保健室に……」
「答えてっ!! 浩之ちゃんっ!!」
 あかりは大声で叫ぶ。



「神岸あかりって一体誰!?」
「あかり……お前はお前だって……な? ほら……」
「だーかーらぁーっ!!」



・
・
・



 そして来月。



「あかりー。今日はお前の……」
「うきゃーっ!!」
「うわぁ――っ!?」





                          <おしまい>