『私の姉さん』
 





 それは私がまだ子供の頃のことだった。
 初めて日本に来て、初めて「姉さん」に会った時のことだ。


 両親から聞かされていた「姉さん」。
 実際会ってみて、話してみた「姉さん」。


 全然違うと思ったものだ。


 私と似ているところなんて、一つも無かったし、
 それ以上にこういう人を見るのは私は初めてだった。


 本当にこの人が「姉さん」と言う人なんだろうか。
 もしかしたら、みんな気付かないだけで、
 間違っているんじゃないか。
 そんな馬鹿げた事まで考えてしまうほど、不思議で、判らなかった。


 無愛想な人も知っている。
 無口な人も知っている。
 無関心な人も知っている。
 無愛想な人も知っている。
 おどおどした人も、引込み思案な人も知っている。


 けれど、「姉さん」のような人は知らなかった。
 何を考えているのか、全くわからない。
「姉さん」はどんな事をしても表情を変えなかった。
 面白い事を話して聞かせても、笑わない。
 どんな悪戯をしてみせても、泣かない。
 悪口を言ってみせても、怒らない。


 だから困ってしまった。
「どうしたら、いいんだろう」と。
 詰まらないなら、そう言って欲しい。
 鬱陶しいなら、そう言って欲しい。
 何でもいいから、伝えて欲しかった。


 そう悩みだしたのは、長い間のようでもあったし、
 ほんの短い時期だったようにも感じる。


 いつの頃からか、私は気付いていた。
 姉さんはいつでも笑っていた。
 いつでも泣いていた。
 いつでも怒っていた。
 そして戸惑う私を気遣ってくれていた。
 今まで、私が気付かなかっただけで。


 優しい、大好きな私の「姉さん」



・
・
・



「ふっふっふ……今度は負けないわよ」
「何だよ綾香。急に呼び出したりして……」
「リベンジよ、リベンジ」
「リベンジぃ……?」
「そーよ」


 寒風吹き荒む河川敷で、寒くないのかコートも着ずに制服姿で立つ綾香とセリオ。
 そして対峙するように立っている浩之がいた。


 こちらは薄茶色のフード付きのオーバーコートを羽織り、両手をポケットに突っ込
んで風の冷たさに閉口していた。


「それで前回の勝負は一応、私の得意分野だったじゃない」
「まーな」


 浩之の顔は「適当に話を合わせてさっさと帰ろう」というものだったが、意気込む
綾香は気付かない。
 付き添うセリオは当然気付いていて黙っている。



「だから今回は浩之の得意分野で勝負しよって訳よ」
「そうか……だからセリオを連れてきたんだな」
「そう、セリ……って、え? どーして?」
「だって、どっちがセリオをイカせ――」



  ゲシッ!! ビキィッ!! ゴキィッ!! 



「ギニョェェェェェェーっ!! か、肩がっ……肩がっ……!!」
「もー、浩之ったら。笑えない冗談は止めてよね。思わず関節外したくなるじゃない」
「――外れてますが」
「ひててててててててててててててててててててててててててててててててててて」
「もう煩いわねー。はい。入ったわよ」
「あうー。ててて……」
「まぁ、これで寒くなくなったでしょう?」
「……で、何だよ、一体」
「前回も立会人として連れてきたでしょ? だからよ」
「あー、そうかよ。で、何なんだ? 勝負ってのは?」
「今回の勝負は……これよっ!!」



 そう言って、綾香は懐から写真の束を取り出す。



 ぴゅぅぅぅぅぅぅぅ……



 強い風が吹き、写真が舞う。
 遠く、
 遠く、
 川の向こうに。



「…………」
「…………」
「――……」


 風に飛ばされて行く、写真の束を見つめる三人。


「…………」
「…………」
「今日は……中止。また明日ね」
「おいっ!!」



 そんで翌日。


「昨日は御免なさいね。今日は大丈夫よ」
「……で、どーしてここなんだ?」
「ここなら風も吹かないし、雨も降らないし、次いで言えば泣こうが叫ぼうが誰も駆
けつけてきたりしないから……かしら」
「おいっ!!」
「冗談よ」


 放課後、校門を出た浩之はそのまま黒服の男達に車の中に拉致され、そのまま拘束
されて建設途中のビルの中ほどの階に連行されていた。
 そこには案の定と言うか、やっぱりと言うか、当然の様に綾香がいたりする。
 今回もセリオも一緒だ。


「で、どんな勝負をするつもりなんだ。昨日は確か写真みたいなのを持っていたよう
だったが……」
「そう、浩之。貴方が得意にしているものの一つで……」
「48の寝業か? それなら今ここで……」
「奇遇ねぇ。私も52の関節技を持ってるけど?」
「い、いや……」
「関節は外す為にあるのよ。そして骨は折る為にあるの!!」


 ッゴキキッッ!!


「ぐぼおっ――!?」
「でね……貴方、姉さんの表情読むの得意でしょう?」
「あ、ああ……」
「だからその表情当てで勝負しようって訳」
「あ、ああ……」
「でね、ここに姉さんの顔を隠し取りした写真があるからどんな時の顔か当てるの。
簡単でしょ?」
「あ、ああ……」
「聞いてる?」
「あ、ああ……」
「――泡を噴いていますが」
「あら」



・
・
・



「まずは腕試しよ」
「おうっ!!」
「この四枚、当てて見なさいっ!!」


 シャッ


 そう言って綾香は浩之の鼻先に四枚の写真を突き付ける。
 どれもが芹香の顔アップの写真で、どれも同じ様な顔をしていた。


「ふん」
 腕組みをしたまま鼻で笑う浩之。
「どう?」
「これが怒った顔、困った顔、嬉しい顔、そしてこれは悲しんだ顔。楽勝だな」
 浩之は一つ一つ、写真に指をつけて答える。
「ふぅん……やるじゃない」
「この程度、基本だろ」
「まーね。じゃあ、これからが勝負よ」
「かかってきな」



「これっ!!」
「宿題を忘れて途方に暮れている顔っ!!」


 綾香が写真を突き出すと瞬時に答える浩之。


「……や、やるわね」
「まさかこれで参るだなんて思ってたんじゃねーだろーな」
「言うじゃない。じゃあこれはっ!?」
「古本屋でずっと欲しかった魔術書を見つけて感極まっている顔っ!!」
「次のこれは!?」
「朝食のパンをバターを塗った側を下にして落としてしまって呆然としている顔っ!
!」


 勿論、写真は全て芹香の顔のアップのみ。
 どうやって撮ったのかさえ謎だった。


「これっ!!」
「セバスの小言に対して内心不機嫌な顔っ!!」
「じゃあこれっ!!」
「生け贄の猫が切れて困っている時の顔っ!!」
「こいつはっ!?」
「橋本を呪っている時の愉悦の顔っ!!」
「こいつはどーだっ!」
「お気に入りのマントにカビが生えていたのを見て悲しんだ顔っ!!」
「今度はこれっ!!」
「狭くて暗くてじとじとした場所を見つけてご機嫌な顔っ!!」



「はぁはぁはぁ……」
「ほ、本気でやるじゃない……」
「へっ、伊達に先輩の彼氏面している訳じゃねーんだぜ」


「これはどうっ!?」
「マルチの顔を見て、頭の中で髪を青く染めた様を想像している顔っ!!」
「これとこれは難しいわよっ!!」
「朝起きた瞬間の顔と寝る寸前の顔っ!!」
「ぐぬぬ……じゃ、じゃあこれはっ!!」
「セン○メンタルグラフティのOPを見ている顔っ!!」
「あぅ……じゃあ、じゃあこれも判っちゃう?」
「えへへ……お前の物まねをしているつもりの自信満々な顔だろ?」
「うう……」
「何だ何だ、綾香。自信たっぷりだったくせにその程度かよ」
「ま、まだ……まだ取っておきがあるんだから……」
「ほーお。どんなんだよ? ま、一発で当てて見せるがな」



「じゃあこれが勝負よっ!! この顔は!?」
「これは「俺とシタ直後の恍惚の表じょ……いや待てっ!! 違うっ!!」


 ズバリ言いかけて、踏みとどまる。


「どう?」
「こ、これは……」
 初めて迷った顔を見せる浩之に、優位を感じて微笑む綾香。
「ふふふ、降参?」
「いやっ……判った。「寝ている間にお前に襲われたけど満足」の顔だろうっ!!
 どうだ!? 違うか?」


 浩之がそう言い切ると同時に、綾香は衝撃を受けたように膝から崩れ落ち蹲る。


「なっ……、そ、その通りよ……流石ね……私の負けよ……」
「ははは、まだまだだな」
「……」
「ちぇー、この勝負なら勝てると思ったのになー。でも本当に良く判るわねー」
 負けたショックから立ち直って立ちあがる綾香に、手を貸しながら
「先輩の表情研究家を名乗っている身としてはやっぱりこれ位はなー」
 等と宣う浩之。
「……」
「私だってこの違いを判るのに結構、苦労したんだから……」
「それは単に、勉強不足だ」
「……」
「何よ、その勉強不足ってのは」
「オレぐらいに社会経験が豊富だと、ウブなネンネな先輩の表情ぐらい……」
「……」
「社会経験って……ただ口が達者で手が早いだけでしょうが」
「いや、これでも苦労してんだぞ。琴音ちゃんなんか、心と反対の顔をしたりするか
らな」
「……」
「何よ、セリオ。さっきから……ってあれ?」



 綾香が振り返るがセリオはいなかった。
 その代わりに、セリオが立ってた位置に別の人物が立っていた。



「……へ?」




 ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご




「ひ、浩之っ! この顔……この顔は!!」
「わ、わからいでかっ!! 「超激怒」に決まってるっ!!」
「わ、私もそう思うわっ!!」





  カァッ!!





 その日、工事現場のビルに落雷があったと人は言う。





                         <おしまい>