『皆ヘンだよ、日本人』
 





「冬弥君……」
「み、美咲さん……」



 金網越しに重ねる手と手、見詰め合う訳でもなく互いに目を伏せる男と女。
 互いの瞳の奥に隠れているのは後ろめたさと、罪悪感。
 それぞれが咎人の様に、罪人の様に、金網を檻として己を糾弾する。





「ふーん、略奪愛かぁ……」



 珍しく、あたし――坂下好恵はTVのドラマを観ていた。
 冬には映画かもされるという結構、好視聴率を取っている番組なのだそうだ。
 あたしは普段、ドラマなど観たことがない。
 ただ、これを観ろと言われたので観ているだけだ。


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「よ、坂下」
「あら、藤田じゃないの」



 偶然、道端で藤田と出会ったのは昨日のことだ。



「こんな朝早く何をしてる?」
「え? あー、まぁーちょっとな」


 そう聞きながらも、あたしは藤田が普段着ではなさそうな仕立ての良さそうな服装
をしているのでおおよその推測は付いていた.


「ふーん。朝っぱらデートとはいい身分だな」
 あたしは腕を組んで、やれやれと言った顔を作る。
「いやま、そんなんじゃねーよ。先輩がさ、いやホラ綾香の姉の来栖川芹香先輩が昼
食会に一緒に来てくれって言うから……」


 綾香の姉はよく知っている。が、一度も言葉を交わしたことはない。同じ学校だが
特に親しくはしていない。
 それは別にあたしがそうというよりも、彼女の雰囲気が異様とも言える程独特で、
ちょっと周囲を引かせるような雰囲気を持っていたからだと思う。
 同時に綾香のヤツもその辺を気にしていたのを思い出す。



 …ふぅん……。



 葵にあれだけ執心しているような素振りを見せておいて、よくやる。



「昼食食べるのに、こんな早朝からねぇ……?」
「その前に色々とちょっとな……」


 あたしの胡散臭げな視線に、藤田はちょっと照れたような表情をしながらも、堂々
としていた。
 その様子を見て、あたしはちょっと気分が悪くなる。


 口の悪い男子生徒から『高校生ジゴロ』などと言われている目の前の男は、喩えそ
れが軽薄な軟派な目的であっても、それなりに青春を謳歌している。
 いつもならただ、嫌悪して終わるだけなのに今日は無性に寂しくなった。



 それに引き換え、あたしは何なのだろう。



 今日も別に何の疑問も持たずに胴着に着替えて、こうして早朝のランニングを行っ
ている。
 幼い頃から厳格な両親に心身ともに鍛え上げられ、物心ついた頃から始めた空手が
今もあたしの全てだった。
 それしかなかった。




「じゃあ、そろそろオレ、行くから……」
「え? あ、ああ……」
「じゃあな。お前もトレーニング頑張れよ」
「フン。大きなお世話よ。とっとと行きなさい」



 肩を竦めた浩之はそう言って歩きかけるが振り向いて、



「そうそう……今日のお前、綺麗だぜ。坂下」



 そう付け加える。



「…………ふぅ……」



 あたしは藤田が立ち去った後、暫くその場に立ち竦んだままだった。
 藤田は別に他意が無くてジゴロとして言ったのだろうが、あたしには結構気になっ
ていた。



 …あたし程度はこれが、お似合いなんだよな、結局……。



 もう一度、自分の胴着を見る。
 何年も見慣れている格好だ。
 勿論、ずっと同じ胴着を着ている訳ではないが、新しいものも基本的に同じものな
のだからずっと代わり映えしない代物と言って差し支えなかった。



 …そして、これが……あたしの象徴……。



 あたしにあるのは空手にまつわる知識と、偉大なる大山先生の教えと、一般の高校
生程度の基礎学力知識だけ。
 あたしは何も知らない。
 世の中は何が流行していて、何がもてはやされていて、何が面白くて、何が男に好
かれるのか……



 …普通の女の子の幸せなんて、あたしには無縁のものなんだ……



 あたしは不意にちょっと悲しくなった。



「そんなあなた! 諦めるのはまだ早いっ!!」
「のわっ!?」


 不意に女性が飛び出して来る。
 今まで気配のカケラも悟らせなかった事といい、その身のこなしといい、只者とは
思えなかった。
 ただ、どう見ても普通の主婦の様に思えたが。


「チェイッ!!」
「うわぁっ!?」


 まるで鉈の様に重そうなキックがあたしの頭の上をギリギリ通過する。
 咄嗟に屈まなければ、あたしの頭は吹っ飛んでいただろう。
 そんな感じだ。


「私のことはお姉さんと呼びなさいっ!!」
「……っていうか、あんた誰?」
「呼びなさいっ!!」
「ひゃ…ひゃい」



 …頬っぺたを引っ張りあげられたそれは脅迫だと思う。



「それでね、私はそんな人並みの幸せも逃してしまいそうな可哀相な好恵ちゃんに降
りてきた天女みたいなものよ」
「て、天女……って、それよりどうしてあたしの名前を!?」
 仕方なく公園のベンチに腰掛けたあたしに、横に座った彼女が話し掛けて来る。
「天女だから」
「…………」
「…………」
「ああ〜ん。冗談よ、好恵ちゃん。そんな顔しないの」
「あのですね……」
 男ならはっ倒している。女なら怒鳴り込んでいる。
 何も出来ないのは相手が一応、年が離れているからだ。



「っとりゃぁっ!!」
「うごほっ!?」



 間一髪。
 ベンチが真っ二つになった。




「それでね……まずは好恵ちゃんに最新のファッションを教えてあげようと……」
「べ、別にあたしは……それにこれから稽古が……」
「稽古が何を教えてくれるの?」
「そ、それは己の……」
「稽古がカレシを運んでくれるの?」
「い、いや、それは……」
「稽古が美貌を惹きたたせてくれるの?」
「い、いや……その……」
「ケイコとマナブって雑誌、どうなったの?」
「知りません」
「兎に角、貴女だけに特別に舞い下りてきた天女なんだから、素直に言うことを聞く
の、ね?」
「ね? って言われても……」
 傍迷惑な。
「まずは厚底ブーツっ!!」
「話聞いてくれないし……」
 あたしの抗議を無視するようにそう言って、彼女は底の部分だけが異様にブ厚いブ
ーツを取り出してきた。
「あの……これって、何です?」
「今、大流行の靴よ」
「……これが? 本当に?」
「人間、行き着くところまで行き着くと本当に馬鹿な真似しかしないものよ」
「はぁ……」
「でもね、好恵ちゃん」


 そう言って、彼女はあたしの手をぎゅっと両手で握ってきた。
 あたしの目を見て言う。


「そんな個性のカケラもない猿真似こそが、流行というものなのよ」
「は、はぁ……」
「いくら馬鹿馬鹿しくて、人類から遠ざかって行こうとしてもそれが流行なら追随し
ていかなくちゃ駄目なのよ」


 …そ、そこまでしなければならないのだろうか。


「そう……流行とは茨の道……ファッションとは所詮はただのまやかし……」


 あたしの内心に気づいたのか、彼女はそう言ってそっと目の端に浮かんだ涙を手の
甲で拭う。
 そしてあたしの肩を掴んで言う。


「頑張りましょうね」
「は、はぁ……」
「さて、次はこれ!!」
「……毛抜き あ、あのあたしは……」
「ふふ。無駄毛処理じゃなくて眉抜き!」
「へ? へ?」
「さぁ、レッツトライ!!」
「え、何? ちょ、ちょっと待っ……」


・
・
・


「う〜ん。迫力あるわね〜」
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
「広域指定暴力団幹部でもこんな迫力出せないわね〜」
「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく」
「ほらほらほら、めそめそしない。今、描いてあげるから」
 完全に両方の眉を抜かれてしまって茫然自失のあたしに、彼女はスーパーモデルと
同じに出来るとか言ってクラスの女子が持っていた眉定規を持って来る。
「さぁ、描いてあげるから動かないでよー」
「えぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐえぐ」



 …明日から山篭もりに行こう。そして誰にも会わないで過ごそう。



 そう、あたしは眉を書かれながら心に誓う。



「一部流行が終わりつつあるけど、まだまだ特に足首が存在しない人には重宝されて
いるルーズソックス!!」
「ああ、これも見たことはある……」
 これも履いているのを見ただけなんだけど。



「ほら、グッチのバッグにプラダのポーチ。シャネルにベネトン、カルバンクライン
にラルフローレン、ineもあるから好きなの選んでね! ローンは私が組んであげ
たから」
「え"? え"?」
「今はカードがあるから便利よね」
「ちょ、ちょっと……なんでそのカードの名義が私の名前に……」
「細かいことは気にしないの」
「しますってばっ!!」
「必要ないのはお姉さんが貰ってあげるねー」
「ちょっと、ちょっとぉっ!!」



「折角だからネイルアート」
「それラッカーじゃあ!?」
「安いから女子高生じゃ結構、利用しているのよ〜」


「ガングロの為の日焼けサロン」
「止めて、お願いですっ!!」
「いいから、いいから。映画ブッシュマンを彷彿とさせるほど、焼き上げてらっしゃ
い♪」
「ちょ……ちょっとぉっ!?」


「ちょっと茶色っぽく染めて一部メッシュにして……はい、付け毛」
「……へ?」
「これを後ろの方に絡ませるだけでほら、自然の仕上がりになるのよー。安いし、断
然可愛らしくなるわよ」
「は、はぁ……」



 …もう、好きにして下さい……神様。




「天女だってば♪」






 そして恋愛の手口を学ぶ為に片っ端からチェックのついたドラマを見ていた。
 何か人として流されることを選べば、酷く楽に生きて行けることを憶えた今日この
頃なあたし。
 そんなあたしは忘れない。





 部活から帰ってきた妹(坂下恵子)の一言を。







「マ、ママ!? 何でゾマホ○が家に!?」







                          <おしまい>



 ○オマケ○ 「姉さん……来てたんだ。あれ? 随分今日はご機嫌だね」 「あ、まーくん。見て見て、ヴィトンのバック。前から欲しかったんだ〜♪」 「へぇ、高かったんじゃない? 大丈夫なの?」 「今日ね、いかにも正月のお年玉を物心ついた時からずっと貯金してますーって雰囲 気の人を見つけてね……」 「姉さん、たかりは良くないって、義兄さんに言われてたじゃない……」 「そんなことしてないよー。受講料なんだからー」 「受講料? その他の紙袋も……」 「うん。色々とねー」
 ○オマケ2○ 「せ、先輩……」 「……」 「昼食会じゃなかったのか?」 「……」 「え、園遊会!?」  日本の象徴とされている老夫婦が握手をしながら、列に並んだこちら側と談笑して いる。  今、二人の前の綾香とその老人が話している。 「ほぅ……エクストリームの世界大会の金メダルですか。それは……」 「……ええ。それでですね……」  次は先輩で、心霊学における論文を高校生乍らに発表したのが国際的に評価された のだそうだ。  その次は……  …何を話せば!?