『バレンタインの贄』
 





 今週の日曜日はバレンタインだ。
 そう、日曜日なのだ。


 普通なら、


「学校で渡せないから……」


 とお嘆きの言葉もひとつやふたつ、漏れそうだが……。


 学校が違えば、これはあまり関係がない。
 そう、関係ないのだ。




「ふぅ……チョコぐらいで何よ。大騒ぎしちゃって……」
「――と、言いつつその紙袋はなんですか?」
「っ!?」

 学校帰りの商店街、女子高生が群がっている店から出てきた綾香の背後に忍び寄る
影がひとつ。


「セ、セリオ!?」

 平然と綾香の背後にピタっと立っているセリオの声に、飛び退く綾香。



「――匂いから判断するに……」


 その場に立ち尽くした姿勢で全く動かないでいたセリオの目だけが、飛び退いた綾
香の動きを冷静に捉える。



「――ベルギー王室御用達の……」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」


 綾香の大声が、街中に轟いた。


・
・
・


「こ、これはね……だから、道場の人とか、お父様とか、ほら、お世話になった人達
にね……日頃の感謝を込めてね……」

 街中の注目を浴びまくった綾香は、「私を見ないでぇぇぇぇぇぇぇ――っ!!」と
叫び、顔を覆いながら、その場を駿馬のような疾風怒濤な駆け足で逃げて場所を変え
ると、しっかりとついてきていたセリオ相手に聞かれもしないのに延々と言い訳を述
べ続けていた。

「ほらほら……見てみて。普通のチョコでしょ? 特に気合いが入っている訳じゃな
いし……ね。まぁ、ちょっと高いけど、ほら……家が家だから……ケチとか思われる
のも嫌だし……聞いてる!?」

 全く喋らないセリオ相手に、必死に説明をする綾香。顔を真っ赤にしている。


「――はい、聞いています」
「じゃあ、わかってくれた?」
「――はい。理解しました」


 しれっと答えるセリオ。
 その表情は変わらず、どう思っているのかは窺い知れない。



「まぁ……そーゆーことで、お菓子屋の陰謀にしろ何にしろ……風習になっちゃった
からねぇ……配っておかないと駄目な訳よ」

 綾香は参った参ったと言う顔をしながら、横目だけでセリオの反応を見る。
 勿論、セリオは無表情だ。


「…………ま、義理チョコって事よね」
「――……」


 綾香はホッとしたような顔をして、やれやれと言いながら、無反応でついてくるセ
リオと共に帰路に就いた。


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「……ふぅ」

 草木も寝静まった真夜中のキッチン。
「アーレキュイジーヌ」とでも言いたくなりそうな気分の広さをもった来栖川家の台
所に綾香がいる。
 家の専任シェフと深夜警備の人に頼み込んで、この時間にこの場所を貸して貰って
いる。


 買ってきたチョコを湯せんで溶かし、カタに流し込んで冷やすだけ。


 それだけなのでとっても簡単。




 ……ここに行き着くまで、もう血みどろになっていたが。




 まず、湯せんに入れることを知らずにそのままチョコを鍋に入れ、焦げた鍋を慌て
て持ち上げて左手を火傷。

 雑誌を読んで、湯せんの仕組みを知るが、なかなか溶けないチョコに業を煮やし、
油を混ぜたら火の手が上がり左手をあぶる。

 チョコは細かくした方がいいとその雑誌で読み、包丁で切ろうとして、力の加減を
間違え左手の中指を切る。

 木槌に切り替えるも、勢い余って火傷の包帯を巻いた左手の人差し指を強打。左手
がほぼ、使えなくする。

 溶けたチョコをカタに流し込もうとして、一気に傾けてしまい溢れたチョコで左手
を完全に使用不可にする。




 ……御免ね、左手。






 包帯の上から所々パリパリになったチョコの張り付いた左手を見ていると、ミイラ
男の腕を思い出す。
 何かもう自分の手ではないような感覚が愛おしい。


 無事、冷蔵庫に冷やされたチョコよりもよっぽど、愛おしさを感じる。



 取り敢えず、無傷な右手でさすってみる。
 申し訳なさそうに。
 痛みは何か麻痺していた。



「ふぅ……やっと終わったわ」
「――まだ油断は出来ませんよ」
「のわたぁぁぁぁ――――っ!?」


 背後にかけられた声に驚き、飛び上がる綾香。


 飛び退いて振り返ると、やっぱりセリオがいた。


「な、な、な、なんで……!?」
「――昼間の袋の中に生チョコがあったようなので……」


 相変わらずの無表情のままの発言だが、綾香にはその口元が歪んで見えた。
 いや、間違いなく歪んでいる。
 そして、首だけ動かして台所の惨状を見渡して、

「――熱心な義理チョコなのですね」

 と、宣う。
 当然と言うかやっぱりと言うか無表情で。



「おほほほほほほっ、そーよ。そーなのよ。もう、参ったわね、もうっ!!」


 腕組みして仁王立ちになって高笑いする綾香。
 開き直っている。



「――準備はこれで宜しいとして、肝心の渡し方は大丈夫ですか?」
「えっ!?」
「――大概こういうイベントに不慣れな方は、動揺し、舞い上がり、混乱した挙げ句
に、変な見栄や意地、プライドが邪魔をして渡せずに、夜、一人枕を濡らすオチにな
るパターンが多いのです」



 ………マジっすか?



「あ……その……で、でもさぁ……」
「――そんな哀れなヒロインにならないように、レクチャーするようにと先程、奥様
から申しつかりまして」
「はい!?……お、おっ!?」
 動揺して、言葉にならない。
「――世の中に、秘密なことなどないのです」
 そう言って、天井を指差す。



 監視カメラがある。
 しっかり固定され、捉えられている。
 何故かカメラに貼られた「全世界43カ国ネット完全生中継中」と言うシールが気に
なると言えばなる。



 綾香、半狂乱。



・
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 その場に泣き崩れた綾香に、母親が登場。
 頭を撫でながら、優しく諭し、慰め、励ます。
 芹香も現れ、反対側から一言二言何やら呟く。
 勿論、その間中、脇でセリオは突っ立っている。
 無表情で。



 んで、数分後。


 格闘技で培った鋼の精神力で持ち直し、這い上がった綾香にセリオは渡し方のレク
チャーをしていた。
 母親と芹香は退場していた。
 それぞれ、部屋のTVで応援していると言い残したのは綾香には聞こえていない。


「――まず、最初に発する科白は「あのぅ〜」です。この時、チョコは両手で後ろに
隠し持ちます」
「ふんふん……」
「――次が「良かったら…」この時相手に対して一旦背を向けるようにして、恥ずか
しそうにチョコを取り出します」
「ふぅぅん……」
「――そして「これ、食べて下さい!」と、顔を伏せて、おもむろにチョコを相手に
差し出す……これが極意です」
「……はぁ」
「――さぁ、レッツトライッ!」
「え、えーと……」


 ハート型の鉛の固まりを包装紙にくるんだ物を持って、練習する綾香。
 特に深い意味はないと思うが。


「……これ、食べて下さい!」
「――脇が甘いです」
「あぅ」


「良かったら……」
「――目つきが大人しいです。媚びが足りません」


 その特訓はバレンタインデー当日の午前中まで繰り返された。
 時には「頑張れ、綾香ちゃん」の鉢巻をした母親&姉が脇で応援し、父親も「頑張
ってるか?」と帰りが早いときには励ましに来てくれた。社長室で見ていたと漏らし
ていたのも綾香には聞こえなかった。
 嗚呼、麗しき家族愛。


「……食べて下さいっ!!」
「――合格です。免許皆伝です」
「よっしゃぁぁぁぁ、これでもう、完璧ねっ!!」
「――はい。後は今日、相手に渡すだけです」



「ふぅぅ……長かった……長かったよぅ……」
「綾香、良くやったわ!!」
「……」
「お母様、姉さん……私……私……」


 歓喜のあまり抱き合って母の胸で泣く綾香。
 芹香もそんな綾香の頭を撫でまくり、もう最高潮。
 カメラはその全てを相変わらず捉えていた。
 セリオもその一家を静かに見つめていた。無表情で。


「――これですね」
「ええ……包装紙も用意したし……後はラッピングするだけね……」
 低温な地下倉庫に厳重に保管されていたチョコレートを取り出し、数日振りの再会
に頬が綻ぶ綾香。
 だが、セリオはチョコレートを持ったまま、固まっている。
「ん? どしたの、セリオ?」



「――砂糖、入れましたか?」



 綾香、号泣。



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 やっぱり母親と芹香に励まされ、セリオに無表情で見下ろされつつ、立ち直った綾
香は徹夜のまま再びチョコを作り直す。と、言っても溶かして流し込むだけの作業な
のだが、それでもやっぱり左腕を数回苛めた結果になった。
 で、出来上がったのが午後の五時。


「で……できたよぅ……出来たんだよぉ……」
 ボロボロになりながらも、ラッピングされたチョコを胸に固く抱きしめる綾香。


「――余ったチョコ、戴いても宜しいですか?」
「?……いいけど」
「――ついでに、私も送ろうかと思いまして」
「いいわよ。でも、時間ないから……」
「――はい。車の準備はすぐに用意致しますので、着替えを……」
「そ、そーね」

 改めて自分の姿を備え付けの鏡で見る。
 まず、こんなんで家に行ったら逃げだされるような感じだ。


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「な、何かもう凄く緊張してきちゃった」
「――では、私から先に差し出しましょうか?」
「え、う〜ん……いいけど?」

 車内で綾香はセリオを見る。
 チョコを持っているように見えない。

「ま、いっか……」


 頭の中で渡す際のシミュレーションを繰り返す。
 ここまで盛り上がった以上、後には引けない。
 母も体験談混じりに、励ましてくれたし。
 だが、最後までカメラに貼られていたシールについての説明はなかった。




「――到着したようです」

 車が止まり、セリオがそう綾香に言う。
 勿論、行き着いた先は我らが主人公、藤田浩之が家。


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「ふぅ……もてる男も辛いねぇ……」

 浩之は居間に積み重なったチョコレートの山を見つめながら、ため息をついていた。

 オレにとって休日だろうがどうだろうが関係ない結果に終わった。
 毎回手作りのをくれるあかりは勿論、志保のヤツからも何だかんだ言いながら寄越
したし、委員長も「ちょっと、近くに用事あってな、ま、ついでってことで……」な
んて言いつつくれたし、葵ちゃんからもレミィからも貰ったし、琴音ちゃんからも手
作り貰ったし、理緒ちゃんからもチロルチョコを二つばかし……大変遠慮したのだが
くれたし、マルチのヤツからもチョコらしきものをくれたし……さっきは先輩からわ
ざわざ自分で届けに来てくれた。
 普段ならこれでほぼ打ち止めと思うのだが、その時先輩から「綾香も来ますから…
…」と言っていたので、オレはこうして待っている訳だ。


  ピンポーン


「お、来たか?」


 取り敢えずチロルチョコだけ食べていたオレはソファーから立ち上がる。




「よぉ、綾香……じゃなくて、セリオかっ!?」


 浩之がドアを開けたらセリオがいた。
 まだドキドキが治まらないとの理由から、先行を任されていた。


「――藤田さん。セントバレンタイン」
「…………あ、ああ」


 クリスマスじゃねーんだし、その物言いはどうかと思うぞ。


「――いえ、後の綾香様が目立つように、ここはボケておいた方が……」
「は?」
「――いえ、何も」
「……で、どーしたんだ?」


 わかっているくせに、そう訊ねる浩之。


「――私からチョコを藤田さんにあげたいと思い、参上しました」
「そ、そうか」
「――当然、世間しがらみからの、義理ですので、チョコに関してはこの後に渡す綾
香様のお気持ちを汲んであげていただけたらば、幸いです」
「……あ、ああ」


 浩之は良く解らなかったが、取り敢えずそう言う。


「――露払いと言う訳です」
「は、はぁ……」


「――では、どうぞ」

 差し出されるチョコ。
 掌にチョコボール大の大きさの丸いチョコが乗っている。


「あ、サンキュ」

 取り敢えず、受け取ろうとすると。


「――食べて、いただけないのですか?」


 と、追求する。


「え…あ、ああ。そっか?」


 ちょっと戸惑うが、一口サイズなので摘み上げて口に放り込む。


「――それは胡椒チョコ」


 のたうち回る浩之。


「――大丈夫ですか?」

 何か言いたげな顔をするが、声が出ないらしい。

「――では、これを」


 首を左右に振って拒否のゼスチャーをするも、その口にもう一つ、放り込む。


「――これは青汁チョコ」


 七転八倒する浩之。


「――大丈夫ですか?」
「お、おみゃげにゃぁ……」


 声が出ない。


「――では、これを」


 口を固く閉じて逃げ出そうとする浩之の顎を手で掴んでこじ開け、最後の一個を放
り込む。


「――最後は七味唐辛子チョコ」


 悶絶する浩之。


「――大丈夫ですか?」


 返事がない、ただのしかばねのようだ。


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 セリオが門を出て最初の曲がり角を曲がると、
「あ、セ、セリオ……どうだった?」
 普段の気丈さが嘘のように、おどおどしている綾香。情緒不安定気味だ。
「――これ以上なく、次のチョコが良く思える状態にしておきました。きっと甘いチ
ョコがとても喜ばれることでしょう」
「そ……そう?」
「――頑張って下さい、綾香様」
「あ……ええ」

 無表情ながらセリオに励まされ、頷く綾香。



「じゃあ、行ってくるわね」
「――はい」


 浩之の家に駆け足で向かう綾香。
 それを見送るセリオ。
 やっぱり、最後まで無表情。


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「あ、浩之ぃ――」


「帰れっ!!」





                        <おしまい>