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『セリオの留守番』


「じゃあ、留守番頼んだよ」
「――畏まりました」
「そうそう、もしかしたら留守中、電話あるかも知れないけど、出なくて良いから」
「――はい」
「んじゃ、夕方には戻るから」


  ガチャ


 そう仰有って、私のマスターは自宅を出て行かれました。

 緒方英二さん。
 私のマスターです。
 芸能プロダクションのオーナーで、かなり忙しい毎日を送っているようです。

 この家にやって来たのは、マスターの妹の緒方理奈さんが、自立して一人暮らしを
始めてからでした。
 それまでマスターは無頓着な性格のようでして、身の回りや部屋のことは全て妹さ
んに任せきりにしていらっしゃったらしく、部屋の中は散らかし放題汚し放題と、散
々な状態でした。
 自分一人なら別に構わないと笑っていらっしゃいましたが、来客なども多いこの環
境では、この有様ではいけないと感じたのでしょう。
 それがきっと、私がこの家に買われてきた理由でしょう。

 そんなことを考えていると、早速電話が鳴りました。
 勿論、言いつけ通り取ったりせずに放置してきます。
 そうすると、

「はい、緒方です。大変申し訳ありませんが、留守にしております。伝言や連絡事項
は発信音の後にお願いします」

 機械の合成音声がそう、告げます。
 普通の留守番電話です。


  ピ――


『ブジTVの大谷です。企画書、読んで戴けたでしょうか?』


 今、一番売れているタレントを二人も抱えているだけに、仕事関係の電話がひっき
りなしにかかってきます。
 次から、次へと。


  ピ――


『あ、英二さんですか。四谷プロダクションのものですが……』
『緒方さん。今日の由綺さんのスケジュール、順調に消化しております』
『山形です。スタジオFAXの……えっと……こないだの件ですが……』
『ご連絡いただいた場所の都合ですが、取れました。それでですが……』
『理奈さんの出演依頼のことですが……どうなっているでしょうか?』
『お貸しした撮影機材、まだ届いてません。至急郵送して下さい』


 数分おきにかかってくる電話に対して私は無反応を装っていましたが、やはりかな
り忙しい方だと、実感いたしました。
 そしてかなりの仕事の多さに、マスターの健康管理を憂う立場上、少し心配になり
ます。


  ピ――


『英二さん。先週の温泉旅行楽しかったですね。また、暇があったら行きましょう』
『九条です。こないだは打ち上げにまで参加していただきありがとうございました。
これからも宜しくお願いします』
『英二さん。「夕月」の晶子です。そろそろツケの分、払って下さいね』
『緒方さん。ボーリング大会の後、筋肉痛が出たって本当ですか?』
『…橋田ギャラリーの三田です。お持ちいただいたガレの水差しの件ですが、無事に
売り手が現れましたのでご報告いたします』
『…エイジシャチョー、マタミセニキテクダサイ。シンディデシタ』


 それでも、その合間にこうした息抜きをしているのを知ると、何故かホッとしてし
まいます。
 普段から楽しい雰囲気を醸し出しているだけに、交友関係も広いのでしょうか。


  ピ――


『緒方ちゃん。美奈で〜す。また今度、飲みに行きましょうね』
『英二さん。沙織です。また電話しま〜す』
『緒方さん。留守ぅ〜? 暇が出来たら、また呼んで下さいね〜。恵美子でした』
『英二ぃ……アタシィ。小百合よぅ……どーしていないのよ』
『英ちゃ〜ん。ゆみりんだよぉ〜。またしようねぇ〜』
『ハァイ、エイジ。アィム、カレン アイウォンチュー アイ、ラーヴィュー!』
『緒方先輩……良かったです』
『英二さん。あの日のことは忘れて下さい。私も、忘れます』



 ……女性関係もそれなりに多いようです。



  ピ――



『英二さん……ウチの娘を宜しく頼みます。不束な娘ですが立派な嫁に……』
『ミニッツの沢木美由紀です……。引き替えに、仕事くれるって言ったじゃないです
か……騙したんですか!! 私を弄んだんですか!?』
『絵理奈です。あの、三ヶ月ですって……あの日、覚えてますか。連絡下さい』
『ホテル「ラブファントム」の支配人の坂下です。以前、緒方様といらした高田様が
浴室で手首を切っているのを発見しました。遺書にお名前がありますので……』
『緒方英二!! 僕の母さんを返せ!!』


 ……まぁ、それなりに問題もあるようですが……。



  ピ――



『ラナリーシャ教補。カナリア真理教の上陽です。先日の寄付金の運用方法ですが一
度直接お話を……』
『現地の沢田であります。反政府ゲリラの拠点と見られる基地を発見いたしました如
何致しましょうか、緒方司令官殿!!』
『緒方さんですか? 事務次官の竹内です。宮崎大蔵大臣の今度の補正予算案の件で
すが、大至急連絡下さい』
『さきだつふこうを、ごめんなさい。ぼくをいじめたのはえいじくんです』
『やりました、英二さん!! 俺、手から炎出せるようになりましたっ!!』
『――任務完了。……報酬はスイス銀行に振り込んでおいてくれ』
『英二ぃぃぃぃぃ、よくもこの俺の腕を……覚えてやがれ!!』
『緒方よ。例の地球支配計画はどうなっているのじゃ!! 儂の我慢にも限度という
ものが……』
『あ、エッジー? 御免、預かってたキメラだけどさ、餌忘れたら死んじゃった』
『緒方さん……今から……だんだん……あなたはしにたくなーる……』
『緒方さん!! 貴方の歴史観は間違ってる!! 陸遜は憤死したんですよ!!』
『英二若頭! この度の不始末は指ぃ、詰めて……』
『きんぎょーぉ、金魚!! やぁーきたてぇー あー 金魚っ!! 美味しい美味し
い金魚はいらんかねぇ……』
『その時、僕は叫びました。「このチン○ス野郎っ!!」と、そうしたら……』



  ピ――


『テープがもう、いっぱいです』



 ……私は、どうしたらいいのでしょう。



 迂闊なことに私はしばらく、呆然とその場に立ち尽くしていました。
 更に、追い討ちをかけるように電話がかかってきました。
 もう、録音は出来ません。
 ですが、それに気付いているのかいないのか、相手の人は構わず喋っています。


「兄さん……私……今……ダ○エー池袋店の屋上の柵の向こう側にいるの……。信じ
たくなかった……あの野外パーティーの夜……暗がりで押し倒したの……あんなこと
したの……兄さんだったなんて……。冬弥君だとばっかり思ってた……。さっきね、
冬弥君ね……その、死んじゃったみたい。刺したから……私が……刺しちゃったから
……だから……もう……引き返せな…… グシャッ ガシャ ツー ツー ツー」



 ……………………………………。



  ガチャ ガチャガチャ

「いやぁ……参った参った……由綺のヤツ、なかなか離してくれないから……ただい
ま。何か変わったこと、あったかい?」




「――いいえ。特に」




「そっか……いやぁ……あっはっは……毎日が楽しいねぇ」



・
・
・



「こんばんわ。ニュースキャスターの朝比奈です。今日は通常の番組予定を変更した
しまして、緊急特別報道番組『緒方英二密室殺人事件』の謎についてお送り致します」




                          <おしまい>

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