『かわいそうなセバス』
 





 私は来栖川家執事のセバスチャンでございます。
 私がこの家にお仕えしてもうどれくらいの年月が経つのでございましょう。
 恐らく、この屋敷については誰よりも詳しく、誰よりも深い知識を持ち合わせてい
ることでありましょう。


 そんな私が、今日もいつも通りに誰よりも早く起床し、日課となった早朝トレーニ
ングを終え、朝食の時間に控えていた時、旦那様に呼び止められました。
 その時に気付きました。
 旦那様は年頃のお嬢様をお連れになっておられたのです。


 旦那様には二人のお嬢様がおられます。
 生まれた時から私がお仕えしている芹香様と、妹の綾香様。
 お二人はそれぞれ正反対な環境に置かれたせいか、それとも生まれつきなのか、見
事なまでに性格に違いが生じられておりましたが、どちらも旦那様にとっても私にと
って大切なお嬢様に違いはありませぬ。
 ですが、連れているお嬢様は芹香様でも、綾香様でもありませぬ。

 …はて……。

 ひょっとしたら旦那様が海外で買ってきた愛人か隠し子とも一瞬思いましたが、旦
那様の性格と、話の常識上、ありえないことでございます。第一、平然と屋敷に連れ
込めるほど旦那様はお強い方でもございません。奥様や綾香様の方がこの家ではお強
うございます。


「長瀬……」
「セバスチャンにござります」
 私の物言いに、旦那様は苦笑しつつ、

「大事な話がある。このまま私の書斎までついてきてくれないか」

 と、仰有られました。

「畏まりました」

 私は即答致しました。
 旦那様の命令に逆らう理由などございません。
 例えいきなり「死ね」と命じられたところで、私は従うつもりでございます。
 まあ、旦那様はそんな理不尽な真似をなさるお方ではありませぬが。


「…………」


 その時、旦那様が連れている少女が笑ったように見えたのは私の気のせいだったの
でしょうか。


「長瀬……長い間……ご苦労だったな」
 書斎に旦那様はそう仰有られました。
「いえ。大旦那様に拾われた身。大した恩返しも出来ず、日々、心苦しく思っている
次第でありまして……苦労など……」
「いや。本当にお前はよくやってくれた。私からも、感謝する」
「もったいのうございます」
 旦那様は傍らにその少女を控えさせたまま、書斎で自分の椅子に座ると、直立不動
の私を労って下さいました。
「そこでだ……」
 どうやら、話が本題にはいるようでございます。


 …この長瀬、いかなる事でも命がけで致す所存……。


「今日から、芹香の世話はこのセリオに任せることにする」


 そう、切り出されました。


 ………は?


「な、なんですと!?」
 私は慌ててしまいました。見ると、旦那様の脇にいるのは愚息が開発に力を入れて
いたメイドロボットとか何とかいうものであったようでございます。耳飾りがついて
いて、そこからもっと早く気付くべきでしたが。第一、私はこんな人ならざる創造物
に人の形をさせることはあまり好きではなく、いや、私の趣向は関係ないとしてその
……

「実は重工の方の開発部の方からこのプロトタイプの一機を見せられてな、これなら
ば女性しか入れないところでも芹香を守ってやる事が出来る……」

 私は、呆然とするまま、旦那様と、その隣で微笑しているように見えるセリオとや
らを見つめることしか出来ませんでした。

「今まで、ご苦労だったな。長瀬、これは少ないが餞別だ。取っておくがいい」


 私は男らしく抗弁をせず、旦那様の言葉を受け入れ、謝辞の礼を述べたつもりでご
ざいましたが、正直なところ、何も覚えていないと言うのが事実でございます。


・
・
・

 皆様が朝食をとっている時間、私は、屋敷を追い出され……もとい、出ました。
 荷物は全くと言っていいほどなかったので、私物は風呂敷包み一枚分で済んでしま
いました。
 芹香お嬢様に最後の挨拶をしたかったのでございますが、そこまで気が回らなかっ
たのでございます。それに、学校へ行く時間を遅らせては申し訳がありません。
 老兵は黙って去るのが一番でございます。


 さて、これから私はどうしたらよいのでしょう。
 住み込みで働いていたので、今まで考えたこともありませんでしたが、私には住む
場所すら持っていないことに気付かされました。
 愚息を頼るという手もないではありませぬが、あやつもあの歳にして未だに会社の
寮暮らし。迷惑をかけるわけにはいきませぬし、何か悔しい感情も無くは無かったで
でしょう。潔しよしとはいきませんでした。


 住むところよりもまず、働く場所でございます。
 蓄財になど、縁がなかった私にはまず、収入の道を捜さなくてはなりませぬ。
 最近ではカプセルホテルとか申す、安宿があるとか耳にしたことがございますので
、そっちは何とかなると思ったのと、何よりも身体が働くことを欲していたのでござ
います。


 私は、職業安定所へと、向かいました。
「う〜ん……この不景気ではねぇ……」
「そこを何とかなりませぬか」
「第一、中高年でさえ、再就職は難しいのにその年齢では……」
「まだまだ若い者には負けませんぬ」
「皆、ここに来た人はそう言うんだけどねぇ……相手さんが取ってくれないことには
……」
「身体が、働きがっているのでございます。宜しく、お願いできないでしょうか」
「あの、貴方。今までずっと働いてきたんでしょう?。ここは素直に、ゆっくり休む
のが一番ですよ」
「し……しかし……」
「まだまだ、本当に若いのに職が見つからない人も多いんですよ」
 この私に、職は見つかりませんでした。
「………」
 こんなにも世間が厳しいものだとは迂闊にも気付かなかったのでございます。


 …私はこれからどうしたら……。


 途方に、くれてしまいました。


 その時、
「あっ!?」
 あの姿は紛れもなく芹香お嬢様。


 そのまま商店街を歩いていた私でしたが、確かにここは芹香お嬢様が古書を捜され
る古本屋が存在する場所。
 せめて朝、出来なかった挨拶をするために私は近付きました。
 すると、

 スッ……

 そんな私の前に機械人形の娘、セリオとやらが割り込んでくるではありませぬか。

「な、何をする!?」
「――これ以上、芹香様にお近づきになられないように……」
「な、なんじゃと!?」

 セリオはそれがしを通そうとはしません。私が右へ行くと右、左へ寄ると左、フェ
イントをかけても全く通用しませぬ。

「私はただ、お嬢様に最後の挨拶を……」
「――申し訳ありません。一応、お嬢様の身の安全の為に、不用意に近付けさせる訳
にはいきません。お諦め下さい」
「何をっ!?」
 遂、カッとなった私でしたが、セリオのガードは堅く、それがしはすぐ近くで立ち
読みをなさっている芹香お嬢様に近寄ることが出来ない有様です。情けない事でござ
いました。


「……」
「お、お嬢様っ!!」
 その時、外の騒動に気付いたのでしょうか。芹香お嬢様が私たちの事に気付いて下
さりました。
「……」
「――は? ですが……」
 お嬢様はセリオを手招きすると、何やら一言、二言話しておられます。
「……」
「――わかりました。なるべくお早くお済ませ下さい」
「……」
 芹香お嬢様はセリオを引き下がらせると、私に近寄って下さり、


 なでなで


 今までの事を、感謝して下さりました。そして、私の事を察して下さったのでしょ
う。更に仰有られました。
「……」
「……何と「私が何とかします」。そ、そんな勿体ないお言葉……」
 私は即座に断るべきだったのでしょう。ですが、途方にくれていた私は遂、お嬢様
の優しさに甘えてしまいました。



「…………」
 芹香お嬢様は私をここで待たせ、近所の八百屋に入って行かれました。まさかあの
店で……などと言うのではと危惧いたしました。いきなりこんな老人を雇ってくれと
言うのでは、無理がありすぎます。
 ですが、芹香お嬢様はすぐに出てきました。セリオに何かを持たせています。


「こ、これは……」
 私が唖然とする前で、芹香お嬢様はその物を置きました。
「――用意できました」
 そして布団屋に行っていたセリオは毛布を運んできました。
「……」
「なっ!?」



『なまえは「セバスチャン」です。かわいがってあげてください』



 と、その毛布を敷き詰めたダンボールには書かれておりました。


「くぅぅぅぅっ!!」


 私は泣いて走り去る事しか出来ませんでした。





 そして、私は……


「理奈、今日からお前のマネージャーをかえたぞ」
「え?」
「セバ……いいえ、長瀬源四郎と申します。精一杯理奈お嬢様をお守りいたす所存。
宜しくお願い致します」
「兄さん……また、変なの拾ってきて……」

 芸能人のマネージャーを努めさせて戴くことになりました。




                           <おしまい>