『消えゆく夜の灯火の光 〜Never ending ghost story.』
 


このSSは初音のないしょのおまけノベルの設定に位置づいております。

「今夜、藤田君に来て貰ったのは他でもないのよ……」

 オレの前にうちの学校の制服を着た女がいる。

 だが、彼女は普通の人間ではなかった……。



『消えゆく夜の灯火の光 〜Never ending ghost story.』



「しかし……誰だよ一体……」
 オレは夏も終わり、そろそろ夜の寒さがこたえそうになりそうなこの季節、何者か
にこの深夜の学校に呼び出されていた。いや、本当に呼び出されていたのかどうかは
分からない。

 だが、確かに今日の午前中に誰かが、


 ――藤田君。今日の夜9時に部室で待ってるから……絶対に来てくれる?


 と、寝ているオレの耳元で呟いてきたのだ。


 勿論、その声にすぐに起きて顔を上げたのだが、周りには誰もいなかった。
「あ、委員長。今、ここに誰かいなかった?」
 オレは丁度、トイレにでも行っていたのか隣の席に座ろうとしていた委員長に訊ね
る。今の声は、委員長の声ではない。
「はぁ……。藤田君、寝とったやないの?」
「いや、だから寝てたオレに誰か……」
「今って……今、顔をあげたあんたが分からんのに、私がわかるわけないやろ」

 もっともだ。

 オレは声がした途端、顔を上げたのだから。

「あ……でも、委員長それって……」
「ただ、目に入っただけや!」
 オレがちょっと思い付いたことを口に出そうとしたら、委員長は照れたような怒っ
たような赤い顔をして机の中から次の授業の教科書を取り出す。オレのこと、見てた
のか。
 でも、そうすると……ますます……。


 …今の声は……?


 寝ぼけていた脳に直接響くような声。
 あんな声は聞いたことがない。


 女性の声。
 あかりでもない。
 志保でもない。
 マルチでも、ない。
 レミィでも、理緒ちゃんでもない。
 葵ちゃんでも、琴音ちゃんでもなし。
 芹香先輩でも、綾香の声でもなかった。
 坂下や岡田達の声でもない。

 間違いなく、初めて聞く声だった。


 …でも……一体誰が?

 さっぱり心当たりがなく、気がつくとオレは学校での残り全ての時間をその疑問に
費やしていた。
 まぁ、元々授業に熱心だった訳ではないのだが。

「今日の夜の9時……?」

 この学校で……部室?

 オレはどこの部にも所属していない。
 いや、葵ちゃんのエクストリーム同好会には一応所属しているが、部室など存在し
ない。神社のあの敷地内が唯一の練習場であり、部室だった。
 オレが部室などと呼ばれるところに関係など……


 あった。


 一つだけ、存在した。
 オカルト研究会。
 そう。芹香先輩とオレが結ばれた……場所。


 …だとしたら今のは、先輩の声だったのだろうか?


「いや、そんな筈はない」
 オレは小声で否定していた。先輩はここ数日、家の事情で学校を休んでいた。表向
きの理由は病欠だが、本当の理由は留学先の下見に連れて行かれたのだそうだ。
 オレとの関係上、当然断る筈だったのだが、旅行の準備をしてしまったのだからせ
めて見るだけ見なさいと言い含められたらしい。
 綾香の話だと先輩の意志は強く、両親も尊重する素振りなのでそれほど心配するこ
とはないそうだ。オレを安心させる為の詭弁だとしたらと思うとちょっと怖いが、心
配していてはきりがない。戻ってきてから考えることにしていたのだが……。
「あれは、先輩の声じゃない」
 何といってもオレは例え両親や綾香でさえも聞いたことがないだろう先輩のよがり
声まで聞いてしまった男なのだ。先輩の声を間違えるはずがない。
 だとしたら……。


 …一体、何処なのだろうか? 誰なのだろうか?


・
・
・


 そして夜も立派に更けた頃、オレは学校に来ていた。我ながら馬鹿馬鹿しいと思う
が、どうしても夢とも空耳とも思えなかったのだ。
「取り敢えず……思い当たる全ての部室に行ってみるか」
 文化系と体育系に大まかに分かれているが、それぞれの系列の部室はマンションの
部屋のようにズラリと並んでいる。だから文化系部室のあるクラブハウスの前の廊下
まで来てしまえば、一つ一つ確かめる事はそれ程面倒な事ではない。
 それに、誰かが来ていれば、オレの来たことに気付いて向こうからやってくるかも
知れないし。
「お〜〜〜〜い……誰か、いるのかぁ〜〜〜〜?」
 小声で、廊下を歩きながら呼び掛ける。横一面に並んだ部室のドアの脇を一つ一つ
ドアをノックしながら通り過ぎていき、その途中で、オレは出来ればあんまり近付き
たくない場所に近付いていた。ここは最後の最後に取っておきたかったのだが……。
 深夜の学校。嫌でも思い出されるのは。


 ――たったったったったったったっ!  きいぃぃぃ……バタンッ!


「………………………………………………………………」


 帰りたい。
 今すぐ帰りたい。


 そう、この考えに至らないわけがない。考えたくなかっただけなのだ。
 オレに囁いたのが……幽霊?
 嫌だ、絶対に嫌だ。


 だが、行かなければ済むという問題ではあるまい。また、同じようなことが起きる
だけだろう。いつ来るか、来るか来ないか分からないそれを待つ勇気など無い。
 だからオレは仕方なく来たのだ。


 このオカルトの世界に。


「こんばんわ〜っす」
 そんな思い切り後ろ向きな気持ちを抑えるようにオレはわざと明るい口調で部室の
ドアを開けた。鍵は一部の部室と同様に開いていた。
 だからこそ覚悟を決めたわけだが……


「いらっしゃい。待ってたわよ」


 無造作に置かれた机、先輩が儀式に使う為に黒い布で覆ってあるその机に女生徒が
座っていた。長めの髪をポニーテールでまとめ、ちょっとつり目がちだが十二分に美
人と呼べる類の顔だ。制服は同じだったが、見たこともない生徒だった。そのスカー
トから伸びたおみ足は黒のストッキングだから、脚を組んでいるのがとても様になっ
ている。しかし、オレはそれを見て安堵した。
「ふぅ……」
 脚は、あった。
「どしたの? いきなり溜息なんかついちゃって?」
 初対面だというのに、意外と馴れ馴れしい。ややつり上がり気味の目が容貌をキツ
そうに感じさせないのはその瞳が大きいからだろう。
「いや……ちょっと安心して」
「ふぅん」
 オレの安堵の言葉に、彼女は分かったような分からないような、曖昧な返事を返し
てきた。
「それで……一体あんた、誰なんだ? オレに何の用が有るんだ?」
 内心で今までビクビクしていた分、態度が大きくなるオレ。
「誰って……初対面じゃあるまいし」
「初対面じゃないって……今まで会った事、あったっけ?」
 驚いたようにいう彼女に、オレはちょっと驚きながら考える。


 …はて……こんな美人が学校にいるなんてオレは知らなかったし、会ったのなら覚
 えていないってことはない筈だ。


 オレがそう考えていると、頬を細くしなやかな指で掻くような仕草をしながら、
「まぁ、話とかするのは初めてだけど…………あ、そうか。貴方、見えてなかったん
だっけ?」
 と、言った。
「え……?」
「そう言えば、そうね。芹香と違って……」
「おい……」
 一人で納得したように彼女は頷くと、机から降りてオレに自己紹介をしてきた。
「私は、ここの部長よ。オカルト研のね」
「……部長?」
 部員って先輩一人の筈じゃ……。
「そう。正真正銘の」
 オレの疑問が分かっているように、言葉を加える。そして、


  ピシッ


 聞き覚えのあるラップ音に、オレは思いだした。
「げ……」
「――来たれ若人、科学に埋もれた秘術的学問の復興を目的とする……」
 ちょっと芝居がかった口調で、新入部員勧誘の科白を読み上げる彼女に、
「じゃ、じゃあ……あ、あんたが……その霊界や黒魔術に詳しくて、日夜研究を重ね
ているとかいう……」
 と、問い質す。
「そうそう……芹香から聞いたのね?」
「………ひょっとして……」
「ひょっとしなくても……幽霊部員の部長よ」
 そう言ってケラケラ笑う彼女。悪戯っぽい笑い声だが、それほど耳障りでもない。
「じゃ……冗談言うなよ」
「ホレ」
 論より証拠とばかり、彼女の身体が徐々に透明度を増して、オレの目からは見えな
くなっていく。まるで空気に身体が溶けていくような……そんな感じだ。
「げ……」
「私の姿、見たことなかったっけ……失敗失敗」
「ちょっと待てっ!! 幽霊なんて話、ずるいぞっ!!」
 天然なのか、狙っていたのか分からないが、オレは取り敢えずそんな彼女に怒鳴って見せた。
「ず、ずるいって何よ……それは……」
「オレも最初はそう恐れてたけどよ……脚、あるじゃねえかよっ! 卑怯だぞっ!
騙しやがったなっ!!」
「消したきゃ、消すわよっ!! 誰も騙してなんかいないわよ。あんたが勝手に誤解
したんでしょうが……」
 律儀に脚だけ消してみせる。これなら、オレだって最初から幽霊だってわかったん
だって言っても……通じそうもないか。
「じゃ……じゃあ、あんた達が先輩が言ってた他の部員って訳か。部長ってそうか…
…先輩の話だと随分年寄り臭い奴に感じていたけど……まぁ、仮にも高校の部の部員
だもんな……」
「そう言うこと。芹香とはこれでも親友のつもりよ。私たちは基本的にこの学校に在
中してるからね。自縛霊って訳じゃないけど……まあここほど幽霊にとって格好の住
処ないからね。だいだい、ここにいるわ。………あの時もね」
「え" ……」

 あの時って……
 その……
 まさか……

「その、まさかよ」
 オレの心を見透かしたように、彼女はクスリと笑う。


 数秒の沈黙。噴き出した汗が首筋から下へと落ちていく……すると――


 ピシッ、ピシッ…。


「オレの芹香を〜〜」
「芹香、芹香、芹香ぁぁぁぁぁぁぁぁ〜」
「僕らの女神様を〜」
「なっ!?」
 いきなりの乱入。
「あら、もう……二人だけで話そうと思ったのに……」
 そう言って苦笑する彼女。オレには何が何だか分からない。ただ、人が湧き出てき
たような錯覚を覚えた。声と共に。


 確かに――――いる。


 彼女と違って見えないが、感じる。多くの人の気配を。
「芹香ちゃぁぁぁぁぁぁん、グスグス」
「どうして、どうして、こんな……」
「あ〜五月蠅い、五月蠅いっ!!」
 その幽霊部長とやらが身悶えしている幽霊部員の頭をペシペシ叩いていく――よう
な仕草をした。オレには彼女以外見えないのだ。声は聞こえるが。
「御免ね〜、先に二人で話を通しておこうと思ったんだけど……」
「うぐっ、うぐっ……えぐえぐ……」
「畜生、諦めてはいたさ……だがよぅ……」
「くぅぅぅぅぅ……しくしく」
 彼女の言葉の合間にも勝手に喚いている声が聞こえる。ひょっとしてそれだけ思い
が強いと言うことか?
「こいつら、芹香以外、誰もろくに気付いてくれないから……彼女のこと……」
 先輩は幽霊のアイドル……って訳か。そのアイドルを……見ている前で……その…
…………………………………よく祟り殺されなかったな、オレ。
「まぁ、皆、せいぜい16、17ぐらいで死んじゃった奴ばっかだからね。大目に見て挙
げてよ。第一、未練有るからこーして幽霊やってる訳だし」
 そう言ってケラケラ笑う。
「……その話はもういいっ!! で、呼び出したのは一体何なんだよ。まさか、恨み
言を言いに呼び出した訳じゃないんだろ?」
 多分、赤くなっているだろう顔を自覚しつつ、自棄気味に叫ぶ。ところが、急に彼
女は冷静な顔をして、
「問題は、そこなのよ」
 そう宣った。
「え?」
「実はね、私たちの仲間……つまりは幽霊部員の一人なんだけど、その娘がね……」


「あの日以来……ずっと行方不明なの」


 話は、面倒な方向にいっていた。あれ以来飛び出していった幽霊の一人が未だに帰
ってこないらしい。別にそれでどうなる訳でもないが、あてもない浮遊霊になってし
まうと、それだけ悪霊になったりする可能性も少なくなく、放って置けないらしい。
「お前らの仲間なら、お前らの手でなんとか出来ないのかよ……」
「それが……」
「それが?」


「彼女の弱点は……お化けとか幽霊なのよ」


「………はぁ?」
 真面目な顔をしている彼女に、オレは思いきり怪訝な顔を向けた。


「だから、私たちが見つけても、下手に関わると動揺しちゃって……」
「関わるとって今までは関わって来たんだろ、部員として」
「まぁ、私と芹香が何とかしたからね。こいつらだけじゃ、どうしようもなかったで
しょうけど。元々、生前から内気なタイプみたいだったし……で、彼女、自分が死ん
だのは辛うじて自覚しているんだけど……元々弱いものは弱いからって……」
「おいおい……」
「まぁ、私たちみたいに明るく楽しく生きられないのよね〜」
「死んでるんだろ、あんたら」
 お約束のボケにツッコミを入れるオレ。まさか本当にこんな事を言うとは思わなか
ったが。
「だからあんまり私たちともそれほどうち解けてないの」
「あっそ……」
「だから、唯一芹香には懐いていたのよ」
「ふんふん」
「で、貴方が現れて……」
「愛しの先輩を奪った憎い奴……ってか?」
「それはこいつらの言い分よ」
 と、苦笑して周囲でまだ喚いている霊達を指差す。
「それでオレの責任だって言うのか? 冗談じゃ……」
 そこまで言いかけたオレを制するように、
「理由は分からないけど……彼女、貴方にホの字だったみたい」
 そう言い放った。
「はぁ……?」
「貴方が入学してきた頃からずっと、見続けてきたみたい」
「ま……まじかよ?」
「安心して。見てただけみたいだから」
「でもよ……」
「で、芹香ちゃんと貴方がこの部室で……まぁ……その……なんだ。しちゃったじゃ
ない」
 流石に照れているのか、言葉遣いが曖昧になる。


「まあ……な」
 オレだって、恥ずかしい。


「で、彼女、混乱しちゃって……」
「あんたらは?」
「私は兎も角……」
 彼女はそう言って、背後の部員一同の方を見ると、その視線に気付いた一人――オ
レには見えない――が、
「出歯亀に夢中でね……気付いたらいなくなってたんだよ」
 と、臆面もなく言い放った。
「おまえら……」
「はぁ〜〜〜〜〜気が利かないわよね」
 ニヤニヤ笑う。この女だって本当にどうだか怪しいものだ。


「兎に角、行方が知れないのよ。成仏したならいいけど、その可能性はちょっと……
ねぇ……」
 困ったような顔をする彼女にオレは当然の疑問を口にする。
「でもそれだったら、どうして先輩に……」
「言える?「彼女の好きな男と貴女がHしている所見て、ショックのあまりどっか行
っちゃいました」って」
「…………………言えないかもな」
「でしょ。それに第一、私たちはあれを芹香には「見てない」で通したのよ」
 成る程、幽霊部員全員が見ている前でやっちゃいましたでは、先輩が……その、照
れるだろうな。オレでさえ、考えれば……その……何だ……大いに照れる。
「「二人だけの儀式のお邪魔しちゃ悪いと思って席を外してあげた」そう言っておい
たから……まあ芹香の事だから皆が覗いていたの、気付いていたかも知れないけどね」
「…………」

 …おいおい……。


「兎も角、オレはどうすればいいんだ?」
「きっと……彼女、いずれ貴方に会いに来るわ。これは……私の感だけど」
「感……ねぇ……」
 幽霊の感とはどれくらいの信憑性があるのだろうか。
「ええ。……自分の心のけじめを付けるためにね」
「そっか……」
 オレはそう言う彼女の横顔が、寂しげに見えた。さっき言った事を思い出す。

 ――皆、せいぜい16、17ぐらいで死んじゃった奴ばっかだからね。大目に見て挙げ
  てよ。


 …何の、経験もしたことなかったのかもな……。恋すら……。

「もし、私が先に見つけてもそう薦めるつもりだから間違いはないわ。何かのきっか
けをあげて……ね」
「って……おいっ!!」
 そのまま、とんでもない事を言い出す彼女に、オレは慌てる。
「そうそう。取り敢えず……彼女、極度の恐がりだから……どんな形で出会っても優
しく接してあげてね」
 まるで、いや予定通りと言わんばかりにすらすらと話を続ける彼女に、オレは呆れ
てしまって、呻くだけで反論すら言い出すきっかけが掴めなかった。どうやらハナか
らオレに押しつけるつもりで呼び出したようだ。
「お前な……」
「出来る限り、こっちで何とかするようにはするからさ……そんな顔しないの」
 話では自分たちの立場についていくら納得させようとも、答えを自分で分からせる
ようにしなければいけないらしい。だからこそ、オレにその手助けをして欲しいと言
うのだ。彼女自身の為に。
「………………………………………わかったよ」
 まるで言い含められるように説得されてしまったオレは不承不承頷く。見通しのな
い話で限りなく不安だが、やはりわざわざオレを頼ってくれたのだから、オレにも関
わりがない事ではなかったから……。
 ……そして、かいま見られた彼女達の気持ちが痛く感じて――頷いていた。

「うん。お利口お利口」
 と、彼女はオレの頭を撫でる。親が小さな子供を褒めるみたいにだ。
「や、やめろよ……」
「クス。芹香にやられたら喜んでいたくせに」
「う……」
「この学校の出来事で私が知らないことなんて、ないのよ」
「そりゃ、嫌な話だな……!?」
 その言葉を言った彼女は、顔を上げたオレが予想した顔ではなかった。

「皆この時期に悩んで、苦しんで、傷ついて……そして楽しんで、喜んで、笑って、
はしゃいで……この学校にいる時期、この時期に人は大きく変わっていくもの……」
「………」
「一番輝ける、時期。私たちはただ……それを見ているだけ。悩んでみたり、恋して
みたりは出来るけど……成就なんてしない。ハッピーエンドなんてない。私たちはも
う、死んでいるから。人じゃないから。ただ、未練という妄執を糧に縛り付けられた
さまよえる……って、あ、御免、御免……愚痴になっちゃったわね」
 オレの表情に気付いて、慌ててそう言うと、ペロリと舌を出した。
「でも、君はよくやってるよ、藤田君。芹香もだけど……色んな人、助けてるよね、
君は。私もだけど……その彼女も見てたよ」
「そんな大袈裟な……オレは……」
「そんな所がきっと……好かれたのね」
「え……」
「彼女によ」
 そう言って、クスリと笑った。
「まあ、それ以外にもいっぱい貴方を好きになった人いるみたいだけどもね……」
「………」
「でも……芹香を……彼女を幸せにしてあげてよね……誓ったんでしょ?」
「あったりめえだ。オレは……」
「うん。信じてるから」
 そう素直に言って彼女は、オレの正面に立つ。
「まぁ……そう言うことだから、芹香への気持ちを持ちつつ、彼女が現れても何とか
してあげて頂戴」
「何とかって……」
「普段の、君でいいから……それで……いいから……」
「え……あ、ああ……」
 終始、すっかり向こうのペースにはまっているオレ。だが、何だかそれが心地いい。
「そうね……これは私からの報酬。前払い、しとくからね」

 そう言って近付いてきた彼女はオレの顎を掴んで……

「!?……ん……」
 まるで本物の唇が触れ合うような感触。いや、間違いなくオレは……

 離れた唇に、余韻が残る。呆然と立ち尽くすオレに、
「ふふふ……私のファーストキスだからね……高くつくわよ。もし、彼女を泣かした
りしたら……芹香にもだけど……許さないからね」
 悪戯っぽく、笑ってくれた。オレは、馬鹿みたいに、
「あ……ああ……」
 と言うしかなかったのだが……。

 ――その瞬間、

「ぬぉぉぉぉぉぉ!!」
「部長の……部長の……!!」
「くぅぅぅぅぅぅぅぅ、卑怯なり!!」
「そんな事があっていいのかぁっ!!」

 一時、沈静化していた周囲が騒ぎ出す。ラップ音どころか室内の物が揺れだして完
全にポルターガイスト現象が起きていた。
「えぇ〜〜〜いっ!! 五月蠅いぞ、外野っ!!」
 かなり照れたように赤くなりながら、周囲を宥める彼女にオレは一つだけ尋ねた。

「……部長」
「ん……?」
 オレの問いかけに、どうも誰かを捕まえて叩いていたらしい手を止めて、こっちを
見た。

「あんたの名前……聞かせてくれないか?」
 行方不明の彼女の事も気になるが……オレがまず聞きたかった事だった。
「おいおいおい……部長まで、誘惑しようってんじゃねーだろーな」
「違うっ!!」
 まとわりついて冷やかしてくる――多分、幽霊部員に向かって怒鳴りつける。

「ふふふ……」
 赤くなっていた顔を納めて、ひとしきり可笑しそうに笑うと、

「――幽霊はね、名前なんかない方がいいの。……本当よ」

 そう言って口元に笑みを残したまま彼女は姿を消した。何だかそれがオレには彼女
が照れていたように見えた。

「やれやれ……」
「こいつの何処がいいんだろうなぁ……」
「どうしてモテないんだろ、オレ……」
「その顔じゃな……」
「なにぃっ!!」
「やめとけ、やめとけ……」
 他の幽霊部員達の気配も次々と消えていった。
「……………………」
 まるで公演終わった舞台に取り残されたように、オレは感じた。


「……私のことは「部長」って呼んで頂戴。じゃ、後は頼んだわよ」

 最後に彼女の声だけが、残されたオレの耳に届いた。軽い調子のノリだったが、オ
レには凄く……嬉しかった。

「また、会おうな……」

 オレは蝋燭の光すらない部室を、ゆっくりと後にした。まるで皆に見送られている
ように。オレは、その暖かな、ちょっぴり羨望の混じった大勢の視線を背に、静かに
帰っていった。


 そして10月25日。あの事件は起きた……。




                          <完>