ふれあう温もり

文章:久々野彰  イラスト:かにパン倶楽部様 

2000/07/21


「ちょっとぉ、あんまりベタベタくっつかないってばぁ」
「はなしません」
「もう…」


 ちょっと困った顔。
 本当は顔よりも、もう少し困っているんだろうな。


 そう思いながらも彼女の腕を取って歩く私の手は緩むことはない。
 強引に振りほどいたり、強く言えないでいるのをいいことに、このまま甘えさせてもらう。


「買い物につきあうだけって約束じゃなかった?」
「だから、これから水着も選んで欲しいんです」
「じゃあさっきのデパートで一緒に買えば…」
 そんな彼女の言葉を私は遮り、上から押し被せるように話を続ける。
「水着は水着で別にお勧めの店が有るんです」
「そうなの?」
「そうですよー、最近評判になってる店があるんです。あ、こっちです」
 私の力強い言葉にちょっと気圧されたみたい。
 その隙に私はもっと彼女の腕に自分の腕を絡ませた。
 

   

 ひんやりと冷房の効いたデパートよりも、この汗ばむカンカン照りの下でこうして一緒にいる方がずっといい。
 じっとりとした感覚が気持ちいい。
 変だろうか。


「だから腕は絡ませないでー」
 絡められた腕を引き抜こうとする腕を更にギュッと締めつける。
 やや恨めしそうな彼女の目に、
「でもそうしないと太田さん、逃げちゃうし…」
 そう答えてみせた。
「別に逃げないってばー」
「本当?」
 わざとらしく首を横に傾けて聞く。
 かなりお互いの顔の距離が縮まっている事に気付いた。


 ちょっと、ドキンとした。


「本当だって」
「本当の本当?」
「本当の本当!」
「じゃあ証拠を見せて下さい」
 香奈子ちゃんの息がかかる距離に内心満足しながらも、口ではそんな事を無理な事を言っていた。
「しょ、証拠?」
 案の上、彼女は戸惑っている。
「はい。キス、してください」
「キ、キス?」
「はいっ。そうしたら信じます」


 ニコニコと私が笑って言うと、香奈子ちゃんは本当に困ったような顔をする。
 かなり困ってる。
 意地が悪いと思うけど、そんな戸惑った顔も凄く可愛い。


「え、ええと…じょ、冗談だよ、ね?」
「えー、してくれないんですかぁ?」
「だ、だだだ、だって…」


 赤くなる。
 慌ててしどろもどろに取り乱す彼女のその表情の全てを、私は見漏らすことがないようにじっと見つめる。
 その視線に香奈子ちゃんはまた、照れる。
 だからもう少し、意地悪をしたくなる。


「馬鹿言わないでよねー、もう美和子ったら!」
 いつものような態度をとってペースを取り戻そうとしているようだったが、そのトーンがいつもより高く、声も必要以上に大きい。
 まだ、動揺が残ったまま。
 だから私はもう一押ししてみる。
「藍原さんとはできても、私にはできないんですかぁ?」
 わざとらしく口を尖らせて私が言うと、 「み、瑞穂と!? って、何言ってるのよ! そんなことしてないってば!」
 と、思った通り慌て出す。
「本当ですかぁ?」
「本当よー。美和子ったら疑り深いんだから……」
「じゃあ、信じてあげます」


 これ以上苛めると可哀相だから、私はそっと絡めた腕を放した。
 本当は名残惜しいけれど。


「じゃ、手、繋いでもいいですか?」
「え? う、うん。手ぐらいなら……」
「じゃあ、行きましょう」


 そう言って私は香奈子ちゃんの手を掴んだ。
 ちょっと汗ばんでいたけれど、気持ち良かった。
 私はもう一度ニッコリと笑った。



 私がこれだけ積極的になれたのはあの事件の後だった。
 香奈子ちゃんから始まったあの事件。



 香奈子ちゃんが突然発狂して、悲しかった。
 大好きだった香奈子ちゃん。
 それが単なる「好き」だというものじゃなかったのに気づいたのはその時だった。
 毎日のように生徒会室で顔を合わせて、副生徒会長としてリーダーシップをとっていた彼女の姿を見られなくなったその時から。
 中学からの友達だった藍原さんと仲良くしているのを見る度に、面白くなかった理由に今頃気づいた。
 香奈子ちゃんが入院してからずっと泣いてばかりいる藍原さんに対して腹が立っていた理由と共に。


 私だって悲しいのに。
 私の方が悲しいのに。


 私はただの生徒会の中での友達でしかなかった。
 もっと普段から話したかった。
 一緒に土日に遊びに行ったりしたかった。
 もっともっと仲良くしたかった。


 私は勇気が無かった。
 意気地が無かった。
 仲良くしている藍原さんと話している彼女を眩しく見るだけで、割ってはいることなんて出来なかった。


 私はただ、見てるだけ。


 ろくに声もかけることが出来ない私に、由紀はいつも呆れていた。
 彼女も香奈子ちゃんと同じ様にハキハキしていて、羨ましかった。
 私も彼女ぐらいになれたらと思っていた。


 香奈子ちゃんがいなくなった後からの記憶が私にはない。
 ううん。
 実はその前後からの記憶が私にはない。
 それは私だけじゃない。
 由紀も、その頃の記憶が曖昧ないんだそうだ。


 香奈子ちゃんが入院してから、  藍原さんは泣いてばかりいた。
 実際に毎日、泣いているわけじゃないけれども、自分一人が不幸を背負い込んでしまったような素振りを見せる彼女を、私は疎ましく感じていた。
 そしてそんな感情しか持てない自分と共に。
 ちょっと何かしては涙ぐむ藍原さん。
 香奈子ちゃんを思い出してなのだろうけど、その姿はかなり不愉快だった。
 だから彼女がいない時は何も手につかず、何も考えることが出来ずにぼーっとしていた。
 生徒会の仕事は殆ど由紀と、手伝いに来てくれた生徒会長の月島先輩がやってくれていた。
 月島先輩はもう生徒会長ではなかったけれど、色々と心配してくれて面倒を見てくれた。
 頻りに藍原さんを慰める役も月島先輩だった。
 私にも同じ様に慰めて欲しかった。


 …いや、慰めて、
 …ううん。
 …話を聞いて、
 …あれ?
 …違う。
 …それよりずっと前…
 …え?
 …由紀と一緒に先輩のところに…
 …え?
 …あれ?
 …好きだとか…
 …香奈…
 …え?
 …え?


 私は、記憶がない。
 この頃の、前の、
 そしてずっと後の記憶も……



 気がつくと病院のベッドだった。
 日付も覚えていないくらいの曖昧な時間の中で、私は自分が学校で倒れていたという事だけを知った。
 後遺症とか、副作用とか、そんな単語が朦朧とした意識の奥に残っていたから、私は自分が変なクスリに手を出したらしいとばかり思っていた。
 きっと悲しみに押し潰されて、安易に楽な道を選ぼうと、誘われたか自ら望んでかどっちかの理由でそんな行動を取ってしまったのだと。
 それくらい、自分を信用していなかったし、自分に対してどうでもいいという気分があった。


 それを否定したのは私ではなくて由紀だった。
 由紀も私と同じ様に学校で倒れているところを救急車で運ばれていたのだそうだ。
 それを聞いてかなりビックリした。
 そして由紀の否定の言葉を信じた。
 由紀も何も覚えていないみたいだったけれど、私と違って捨て鉢になる理由が彼女にはなかったし、だから彼女が言う自分達が何か事件に巻き込まれたのではないかという主張も納得できた。
 それは私にはどうでもいい事だったけれども。

 そして彼女自身が調べたり聞きまわった結果、病院を抜け出した香奈子ちゃんや月島先輩と私達が一緒に学校で発見され、この病院に入院しているのだそうだ。
 月島先輩が頭部に重傷を負い、香奈子ちゃんも症状が悪化していたことから警察も動いていると由紀から聞かされたし、私もそれらしい人から色々と記憶の残っていない判らないこと聞かれた。
 そうだったのかも知れない。
 けれども、やっぱり私にはどうでも良かった。


 ここが香奈子ちゃんがいる同じ病院だと聞いて、私はそれだけで嬉しかった。
 ちっぽけな、満足だった。
 本当にちっぽけな。







 そして今、私はこの暑い街中に元気にいる。
 私の手の中に香奈子ちゃんの手があった。


 理由は判らない。
 原因も判らない。
 何も判らない。


 香奈子ちゃんは人事不省になっていたらしい。
 実は私も、由紀もかなり危険だったらしい。
 けれども、こうしていられることになった。
 理由は全然判らない。
 特に香奈子ちゃんについては皆が驚いていた。


 そう、皆元気になった。
 何事もなかったように。
 ちょっとの空白が出来ただけで。


 ただ一人、月島先輩だけが人事不省で今も植物人間状態に近いらしいが。
 先輩には悪いけれども、私にはどうでも良かった。


 一度開いた空白は二度と埋められないけれども、途切れたとばかり思っていたものが途切れてはいなかったという喜びは大きかった。
 香奈子ちゃんが病院から帰ってきての一番は藍原さんに譲ったけれども、二番目は譲らなかった。
 皆、ビックリしたと思う。
 一緒に病院前に出迎えに来ていた由紀や他の皆、藍原さんに抱きつかれたままの香奈子ちゃん、泣きじゃくっていた藍原さんまでが驚いていた。
 当たり前だ。
 私が一番、ビックリしていたのだから。



 内気で気弱で赤面性な私は、そこにはいなかった。



「はい。こっちが太田さんの分」
「あ、ありがと。ええとお金…」
 ファーストフードの二人分のトレイを持って、席取りをしていた香奈子ちゃんの前に彼女の注文していたテリヤキバーガーとオレンジジュースの乗ったトレイを置くと、彼女はズボンのお尻のポケットから財布を取り出すべく中腰になる。
「いいんですよ。これぐらい私にオゴらせて下さい」
「でも、悪いし」
「いいんですってば」
 押し留めるように私が重ねて言うと、
「そう。ありがとうね」
 と、彼女が微笑んだ。
 笑う時だけ、彼女の頬の古傷が深くなる。
 彼女の過去の傷痕。


「はいっ」
 それを見ると私も、嬉しくなる。
 愛おしさも増してしまう。


「でも本当に今日はつき合って貰って助かりました。嬉しかったです」
「ううん、私も楽しめたし……それに丁度暇だったしね」
「藍原さんと約束があったりしなかったんですか?」
「だから私は瑞穂とは……」
「私、知ってますよ。瑞穂ちゃんにふられたんですって」
「ふ、ふられた!? あのね、美和子……」
「長瀬君とか言いましたっけ? 藍原さんの彼氏」
「え?、あ、う、うん…」
「確か太田さんのクラスメートでしたよね」
「ええ。席もすぐそこだし…」


 香奈子ちゃんの退院の日、藍原さんと彼は一緒にいた。
 理由はわからない。
 けれど私には2人がつきあっているように見えたし、実際その通りのようだった。
 相変わらずどころか、前よりも更にずっと藍原さんは香奈子ちゃんを慕っていたようだったからどういう心境の変化なのだろう。
 私の空白の間に2人に何かあったのか。
 何にせよ、嬉しいことだった。
 私には。


「二三度会っただけですけど、どこがいいんでしょうね」
「美和子。よく知らないのならそういうの失礼だよ」
「はーい」
「どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「さぁ、どうしてでしょう」
「?」
「うふふ……」
 彼がいなければ、私がこうして香奈子ちゃんと2人きりでいられる時間も違ってきただろう。
 そしてこれからも。


 …彼に、感謝かな。


 そんな事をこっそりと頭の中で思った。
 願わくば、いつまでも続きますように。
 そして今はただ、


「今度、一緒に海に行きましょうね」




 なくした時間の代わりに得た時間を楽しみたい。
 そう思った。




 ――楽しい夏はまだ、これからだ。





                                   <完>


 MIO様のサイトのお絵かきBBSで描かれていたかにパン倶楽部様のイラストに触発されて書いたSSです。
 一発目に思いついたネタはふたみ様に先に言われてしまったのではありますが。

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