『カレー食べたし』
長瀬祐介君がいきなりウチに来た。 聞けばカレーを食べたいという。 偶然にもカレーを作っていた私は、味見代わりと言う訳でもないが、出来立てのカ レーを食べさせることにした。 「旨いっ!! 旨いよ、太田さん!! 太田さんはカレー作りの天才だっ!!」 長瀬君は、スプーンでガツガツとカレーを喉の奥にかっ込みながら涙を流し絶叫し ていた。 「そんな……大袈裟な、ただのカレーじゃない」 実際、市販のカレールーを使っただけのごく有り触れたポークカレーだ。 入っているものは人の好みがあるし、ルーにはその人その人の拘りがあるかも知れ ないが、そんなに大差がある物でもない。 旨さに喜び咽び泣く程のものではない。 私が、そう言うと長瀬君は大きく首を横に振った。 彼が言うのはここ数日、辛いカレーを食べていないのだと言う。 ・ ・ ・ 始まりは一昨々日、新城さんの家で食べたカレーだったそうだ。 「沙織ちゃん。このカレー、甘いよ。甘すぎるよ」 「そんなことないよ。だって……普通のカレーだよ」 「だからって……そんな……あっ!? どーして苺が!?」 「苺のヨーグルト使ったからかな?」 「なんでっ!?」 「だって、インドカリーにはヨーグルトを入れるって……」 「そんな「カリー」なんて言葉使っても……香辛料とか何も使ってないじゃん」 「でも、砂糖と塩は使ったよ」 「あのね……んっ!? なっ……蜂蜜がモロに!? げほっ!! げほほっ!! 気管に……ゴホゴホっ!!」 「コマーシャルで確かあったじゃない」 「だがらっで、わざわざべづに入れなぐでも……しがも容器一本分も……」 「林檎がなかったから二倍入れた方がいいかなって……」 「あ〜の〜な〜」 「で、祐くん。美味しい?」 「んな訳あるかぁ〜っ!!」 そして一昨日。 今度は瑞穂の家でカレーを御馳走になったのだそうだ。 「藍原さん……これ、カレー……だよね?」 「はいっ!! お口に合うといいんですけど……」 「この黒い固まり……が……かぁ……まぁ……んげっ!?」 「ど、どうしました!?」 「に、苦いっ!! これ、やっぱり見た通りの炭じゃんっ!!」 「え!? そんな……ただ一晩煮込むといいって本に書いてあったから……」 「強火で煮込んだんかいっ!! これは既に別のもんになっとるがなっ!!」 「どらい……かれー……ってありましたよね」 「違うぞっ!! 断じてこれじゃねぇっ!!」 「それでその……美味しいですか?」 「アホンダラァ!! 出直して来い!!」 で、昨日。 月島瑠璃子さんに招かれて、やっぱりカレーでもてなされたのだと言う。 「長瀬ちゃん。食べて」 「うわぁ、美味しそうな匂い……嗚呼、なんかやっと「カレー」と呼べそうな食べ物 を見たよ」 「?」 「いや、実は昨日、一昨日とカレーもどきな物体を食べさせられてね……」 「ふぅん……」 「あ、いただきまーす………ん…………んー……………………」 「どう、長瀬ちゃん?」 「あ……その……えっと……」 「瑠璃子、カレーだって?」 「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい」 「ん、長瀬祐介か。何故、ここに……」 「あ、その……」 「私が呼んだから……あ、手洗った?」 「ああ、勿論。いっただっきまーす」 「…………」 「…………」 「旨いっ!! 流石は瑠璃子!! な味が最高だよっ!!」 「ありがとう、やっぱりカレーなら な味でないと……」 「えっと……あの……」 「僕の大好物んだからなぁ……」 「長瀬ちゃん。美味しい?」 「これが な味だとして……どう表現したらいいのかわからないよ」 ・ ・ ・ そんな挫折と苦難の繰り返しで、無性にカレーを食べたくなったそうだ。 私の家に来たのは換気扇からの匂いにつられて来たらしい。 「ふぅん……」 「やっぱり、カレーは辛くないと……んぱぁっ!! 御馳走様でした!!」 皿まで舐めて、スプーンを置く長瀬君は心から満足したような笑みを浮かべた。 よっぽど、カレーに餓えていたみたいだ。 「お粗末様……」 だから私は苦笑するしかない。 「ねぇ、太田さん」 「何?」 「お願いがあるんだけど……」 長瀬君は目をキラキラさせている。 「?」 「また、今度、カレー食べに来てもいいかな。太田さんのカレー、食べたいんだ」 まるで小学生みたいに純粋な物言いだ。 「……え……まぁ……別に、いいけど……」 「やったぁっ!! ありがとう、太田さん。じゃあ、また今度食べに来るね」 長瀬君はそう言って、私の家を出た。 本当にカレーだけが目当てだったようだ。 「カレーかぁ……」 長瀬君が去った後、私は一人でカレーを食べながら知らず呟いていた。 ・ ・ ・ ピンポーン 「はい……」 「あ、太田さん!!」 あれから数日後、何処で嗅ぎつけてくるのか、私がカレーを作り終わった頃、丁度 また長瀬君がやってきた。 「カレー、食べたいんだけど……」 「いいわよ」 「ありがとうっ! 太田さん」 本当に嬉しそうだ。 カレーがよっぽど好きなのだろうか。 「はい。どうぞ」 「あ、いっただっきまーすっ!!」 皿を置くと同時に、長瀬君はカレーをスプーンですくう。 意地汚い気もするが、私は黙って彼を見守る。 「……ん……………んー…………………………………」 「どう?」 「太田さん………これ……?」 「うん。 な味にしてみたの。月島先輩が好きだって言うから」 この日以来、二度と長瀬君はうちに来なくなった。 <おしまい>