『瑠璃子さんが風邪を引いた』


1999/02/22




 ……瑠璃子さんが学校に来なくなってからもう三日がたつ。


 初めは努めて気にしないでいたけど、あの純真無垢な瞳に暫く覗き込まれていない
事に耐えきれなくなって、僕はどうしても落ち着かないまま、遂には彼女のクラスに
までやってきていた。


「あの〜」
「あ、祐介さんじゃないですか」


 藍原瑞穂さんだ。
 なんだ、瑠璃子さんと一緒のクラスだったのか。
 これは話が早い。


「あの、実は……」
「そんな、祐介さん……私……香奈子ちゃんと……で、でも、決して祐介さんの事が
嫌いな訳でも、レズでもなくて……だから……その……」


 何を勘違いしたのか、真っ赤になって身を捩って弁明を始める。
 そして周囲の注目の自然に集まり出す。
 参ったなぁ……。


 ヒソヒソヒソ


『おいおい……あの藍原に男かよ』
『知ってる、あの人、二つ隣のクラスの長瀬って人でさぁ……国語の長瀬先生の親戚
なんだって』

『趣味悪ぅ〜』
『ほら、あれだよ……眼鏡さえかけていればいいってヤツ……そんな趣味のヤツだろ
、きっと』

『あっそぅなんだぁぁぁぁぁぁぁぁ…………』
『だからさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………』

『見て見て、長瀬祐介君だよ』
『格好良いなあ』

『どこか知的なものが滲み出てるよね』
『彼女、いるんだろうなぁ……きっと』


「……で、瑠璃子さん、知らない?」
「カゼデヤスンデルミタイヨ」
「そっか。邪魔したね」
「ウン。長瀬クン」


 僕は瑠璃子さんのクラスの教室を出ると、自分の教室に戻って鞄を取る。
 早退することに決めた。
 たった今。



「おぃ、長瀬……これから授業だぞ」

 チャイムがなり、一階に降りて職員室の前を通り過ぎようとした時、運悪く次の授
業の教師に見つかる。

 が、


「行ってらっしゃいませ、長瀬様」


 気持ちよく、送り出してくれた。
 心の広いいい先生だ。


・
・
・


 僕は瑠璃子さんの家の前にきた。
 彼女の叔父さんがやっているという医院の横だ。
 なかなかいい暮らしをしている。


  バチンッ


 あ、近くの電信柱から火柱が。
 まぁ、昼だし……停電しても平気平気。


 それに将来は僕の家だし。
 気にすることナッシング。



  ピンポーン



 インターホンを押す。

『はい。月島ですが?』


 月島さんの声だ。
 あ、学校サボったな、いけないんだ。
 いくら進路が決まっているとは言え、いけないんだ。



 それは兎も角、心に少しもやましいものがない僕は正々堂々、

「……ごめんぐださい。佐○急便のものですが、小包です」

 と、鼻をつまんで話し掛ける。



 ほら、相手はキチ○イだし。



「……はい。印鑑はこれで……あれ?」


  ゲシッ


 ドアの死角に回り込んでいた僕は不用意に開けた月島さんの後頭部に、玄関に飾っ
てあった犬の置物を叩き付ける。



 ほら、相手はキ○ガイだし。



「おじゃましまーす」


 取り敢えず危険人物を、いつも鞄に入れて持ち歩いている先っぽを輪っかに結んだ
ロープで縛り付けてから、靴を脱いで家に上がる。
 おっと、ドアの鍵をかけておかないと、チェーンもしっかり……うん。
 これでこの家は安全だ。


 目指す先は瑠璃子さんの部屋だ。
 二階に上がって目当ての部屋を見つけ、ドアを軽くノックする。



「……長瀬ちゃん?」


 部屋の中からか細いながらも、心地よい瑠璃子さんの声がする。
 それにしても、僕だとわかるところにそこはかとなく愛を感じる気がする。
 照れちゃうな。ちょっぴり。


「うん。瑠璃子さん……開けるよ?」


 そう言いながら、ドアノブを捻って、室内に入る。

 瑠璃子さんの部屋は僕の想像とは一部だけだが、ちょっとかけ離れていた。
 ドアを開けるとすぐ手前に学習机、そして本棚が3つ、洋服箪笥……そこまではい
いとしても…………壁に貼ってあるのが何故か矢沢○吉のポスター。
 今度、CD借りてみよう。瑠璃子さんが好きならきっといいに決まってる。
 あ、机の上に写真立て…………プ○ンス?。
 しかも瑠璃子さんと一緒に写ってる。二人でピースまでしてる。
 今度、CD借りよう。瑠璃子さんの知り合いならきっといいに決まってる。
 部屋の隅に販売促進用の中嶋美智○の等身大の立て看板がある。
 今度、100円均一の中古SCD売場を捜そう。瑠璃子さん以下省略。
 そして部屋の三分の一を占めていそうなベッドに瑠璃子さんが寝ていた。


「長瀬ちゃん……」
「瑠璃子さん……風邪だって、大丈夫?」
「うん。インフルエンザじゃないから……コホッ」
「大丈夫!?」
「うん……大丈夫だよ。長瀬ちゃん」

 咳をしながらも、身体を起こそうとする瑠璃子さんに僕は慌てて、手で制す。
 近寄ったら、ほのかな匂いがする。
 甘い匂いが僕の鼻孔をくすぐって心地いい。


 瑠璃子さんの肌の匂い……瑠璃子さんの匂い……ルリコサンノニヲイ……。



「長瀬ちゃん?」


 おっと、いけないいけない。
 甘酸っぱい青春が滾っちゃったよ。


「御免ね、長瀬ちゃん。折角お見舞いにい来てくれたのに……何もしてあげられなく
て……」
「そんな、病人は早く病気を治すのが一番だよ……えっと……」
 絨毯の上に洗面器があり、額にはオレンジ色の濡れタオルが張り付いている。
「お兄ちゃんが先にしちゃったから……」
「はは……それじゃあ……」
「温度計はさっき、お兄ちゃんが……」
「くす。そうじゃなくて……」
「お粥ならさっき、お兄ちゃんから」
「仕方ないな。僕は……」
「お兄ちゃんが「僕に感染してくれていいよ」って言ってさっき……」
「……瑠璃子さん。トイレ何処かな?」
「下だよ、長瀬ちゃん」
「ちょっと待っててね」


・
・
・


「長瀬ちゃん、拳が血塗れだよ」
「僕の血じゃないから大丈夫だよ、瑠璃子さん。それより、タオル……もう一度冷た
くした方がいいんじゃないかな?」
「うん」



 台所に行って氷を替えようとしたら、冷蔵庫の氷は溶けていた。
 気付かなかったけど、どうも停電らしい。
 昼だからいいものの、困ったものだ。
 すぐ隣は病院な訳だし、色々と困る患者とかいなければいいけど。



  ジリリリーン



 あ、電話。
 僕は躊躇しながらも受話器を取る。
 瑠璃子さんは寝てるし、僕以外いないし、仕方がないよね。
 居留守使って、大事な用だったら困るし。


「はい、月島です」

 って、何か新鮮だな。僕が婿養子になったらこう言うのが自然になったりするのか
な。なんて、将来を考えると照れちゃうから押さえておこう。


『ゲホンッ!! ……あ、繋がった。祐くん、祐くんっ!!』


 ……あれ?


『きっとここだと思っ……ヘッブシッ!! ゴホッ! ゴホゴホッ!!』


 この声は……出川哲○じゃなくて……えっと……誰だっけ。


『あ、あのね……祐く……ゴッホッ!! ゴホゴホッ!!』


 ……電話回線の繋がりが悪いのかな?。


『御免……ちょっと、待ってて。 チィィィィンッ!! ンベッ!! でね…』


  チーン


 ……うん。きっとそうだから切っておこう。


  ジリリリリリ――ンッ!!


 二階へ上がろうとすると、すぐさま再び電話が鳴る。
 電話回線が悪いみたいだし、無視しようかとも思ったけど万が一違う人だったら悪
いと思って、もう一度だけ出る。


「はい、矢島です」

『あ、祐くん……ゲホッ、あのね……私、風邪引いちゃったみたいなの…』


  ガチャーン

  ジリリリリリ――ンッ!!



 ……ま……もう一度だけ……。


「Hey ! I like steak well done on the outside but rare on the inside.」

『ゲホゲホゲホッ!! でね、お見舞いに来て…』

「長葱をケツに入れるといいみたいだよ」


  ガッチャン!


 電話はやっぱしおかしいみたいだから受話器外しておこう。
 これで安心だ。



『わたしが、わたしが異能者であったなら!! 私が異能者であったなら!!!』


 っ!?
 一階の部屋から、銀河万○さんの声がっ!?



 書斎らしき部屋に付けっぱなしのパソコンがある。
 どうも、メールがきたみたいだ。
 これだけは停電対策してあったらしい。



『
  祐クン、私、風邪引いちゃったの。お見舞いに来てくれると嬉しいな

                            SAORIN
                                    』


 来てくれると嬉しいな……か。
 この人はそんなに来て欲しいのか。
 でも、来ないと嬉しくないとは書いてないし、別に行かなくても構わないだろう。
 第一、誰からで誰宛だかもわからないし。


・
・
・


「御免ね。遅くなっちゃった」
「…………ZZZ」
「?……あ……」

 寝てる。
 瑠璃子さんが寝ている。
 気持ちよさそうに寝ている。


「ふぅ……」


 ちょっと拍子抜けしちゃったけど……、でも瑠璃子さんの寝顔も可愛いな。
 そのつぶらな瞳が見られないのが、ちょっぴり残念だけど、でも可愛いな。
 ……無茶苦茶、可愛いな。


 僕は気持ちよく寝ている瑠璃子さんを起こさないように、布団をかけ直す。絞った
タオルを額に乗せる。そして静かにキスをする。ちょっとだけ舌でかさついた唇を舐
める。うん、これで万全。


 ……オヤスミ、瑠璃子さん。


 早く良くなってねと願いながら、僕は瑠璃子さんの部屋を出た。


「はぁ〜あ……」


  ゲシッ!!


 玄関を出た僕の脳天に、不意に衝撃が襲った。



「このキチガ○めっ!!」



 家を出ると男には七人の敵がいるって言うけど……。
 やっぱり、外は危険だったね……。


・
・
・


 数日後、頭に包帯を巻いたままながら退院して、学校に行った僕の前に元気になっ
た彼女が現れてにこやかに笑った。


「祐くん、ありがとうっ!! あの処方……すごく効いたよっ!!」



 あのう……マジでやったんスか?



                         <おしまい>


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