『どうする! 宗一?』
 




 デートの途中、俺はゆかりと一緒に、この界隈で一番の時計店にやってきていた。
 ゆかりの父親にプレゼントするという時計を探し、そのついでに二人で店内を冷やかしに回る。
 街一番の大店舗だけあって最新鋭のブランド物や超高級品のアンティーク、その一方でキャラクター物のデジタル時計に使い捨て価格の目覚まし時計に千円時計など、ありとあらゆる時計があって見ていて飽きない。時計に対して少しでも関心がある人間にとってはただ回って見るだけでも楽しい場所だ。
 それに今日はゆかりも一緒だ。
 日頃する機会の無いウンチク話をして、素直に感心したり喜んでくれたりするので非常に気分が良かった。
 そうして回っているうちに俺達はいつの間にか、特別豪華な作りになっている店内の奥まった高級品のコーナーに足を運んでいた。薄暗い照明に映し出されたショーケースが否応なくそれらしい雰囲気を醸し出していた。そして実際、飾られている時計はどれもが実に大したものだった。
「ふわー……こうなると時計も芸術品だねー」
「もちろんだ、何をいまさら。何十年も修行を積んだ熟練の職人でしか創れないモノ。それはもうそんじょそこらのいい加減な現代芸術なんかより、何倍も芸術だ」
 別に俺が携わっているわけでもないし、現代芸術を馬鹿にしているわけでもないがこういう時にこういう場所でこういう話をしている時は自然、そうなってしまうものだ。まるで自分の手柄のように誇ってしまう。
「うん……わ。ほらこれ、150万円だよ」
 値段に驚いているらしく、あまり聞いていないゆかりは「わ、わ」と言いながら一つ一つの品を順に見ながら驚いていた。
「こっちは200万」
「うにょにょにょにょ」
 目を丸くしつつ意味不明の言葉を発して、どうやら驚いているらしいゆかりを見ていると心が和む。
 ああ、こういうのやっぱりいいなあ。
 彼女と二人で気侭に出歩くひと時、しかもその彼女は性格も体型も良くトビキリの美少女ときている。
 彼女という言い方はとはつまるところ、俺の、彼女。
 うわぁ、なんかスゲェ恥ずかしい響き!
 俺の女とか言ったりしたらもっと恥ずかしいに違いない。
 流石に、これは想うだけで留めておこう。何せ今、俺の横にいる方はそういうのに無茶苦茶喜びそうで却って恐い。
 伏見ゆかり。
 通称子タヌキ。
 頭脳明晰、学年で一二を争う天才だ。
 その丸い童顔と朗らかな微笑みで醍醐隊長でも癒してみせらぁ。
 でも手料理だけはかんべんな。
 う、ヤなこと思い出してしまった。
「コホン……」
 俺が脱線し過ぎた思考を無理矢理元に戻していると、ゆかりは一つのショーケースの前で固まっていた。
「……どれ、お気に入りが見つかった?」
「うん。これ、特に綺麗……」
「ほお」
「これだったら、お皿洗ってもいいな……」
 まあ今日は買うことは無いだろうが、もしよっぽど気に入ったものだったら後で何かの理由をつけて買ってもいい。お金で買えない幸せはそういう方向で努力することにしてもお金で買える幸せがあるなら買ってもいい。ここは柔軟に優しく気前の良い彼氏っぷりをひとつ見せるのも悪くは無いだろう。
「どれどれ、ゆかりのお眼鏡にようやくかなう逸品は……」
 そんな軽口を叩きながら、ゆかりが見ている一際大きいショーケースの前に行き、彼女の横に立つ。
「……?」
 ひとつ、妙に目を引いたものがあった。
 綺麗に飾られた幾つもの豪奢な時計はあるものの、真っ先に目に付くのはそれだろう。
 人が一人、体育座りをしてショーケースの中に座っていた。
「あれ?」
 それは目を閉じ、膝を抱え、丸くなってまるで眠っているようだった。
「これこれ、この、真ん中の」
 ゆかりが指差す先など目に入らない。
 俺はそれに囚われていた。
 耳を見ればわかる。
 間違いなくこれはこの御時勢、特に珍しくないメイドロボットだった。
 腕につけられた腕時計のマネキン代わりとして入っているのだろう。
 そしてその腕につけている時計は、これまた他に引けを取らない逸品だ。
 だから本来は最初こそ、おやっと思ってもメイドロボット自体に対してはそれほど気にはならないはずだった。
 だが、俺は何故かそれに目が離せなくなっていた。
「何故、だ……」
 本来なら時計の方に注意が向かないといけない。それなのに、俺はそのロボットの方に強く惹きつけられた。
「? どうしたの?」
「……っ!? こ、こいつは!」
 あまりの驚きに、ゆかりより低く、のめり込むようにショーケースに顔を近づける。
 恥も外聞もなかった。
「……な、長瀬源五郎の『HM−12』! これ、いつ製だ!? 来栖川エレクトロニクス第七開発室の初代『HM開発課』ものならもう世界に何体もないはずだぜ!? こ、こんなものがこんなところに……」
「……お客様、よくご存知ですね」
 顔を上げると厚化粧な美人の店員さんが微笑んでいた。
「店員さん、これ……」
「ええ。ご推察の通り、全てのメイドロボットの父こと長瀬源五郎氏が、来栖川に所属していた頃、最初に手掛けたメイドロボットの一体ですわ」
「そうか……そりゃあすごい……まだ日本に残っていたんですね」
「店主の私物でございます。日本どころか世界にただ1体」
 ショーケースに入っているそのメイドロボットの胸は、その圧倒的な精度と工作技術を誇示するかのように小さく、薄い。
 半分が人工筋肉やウレタン樹脂で人そのもののように見せつつ、その中にはこれでもかと詰め込まれた機械達が、渾然一体となっていることだろう。
 今のメイドロボットはこの頃に比べると高機能高性能になりながらこの見栄えや雰囲気は相当メカメカしい。この頃のように「まるで人間のような」とはというものは失われていた。
 それだけにショーケースの中のそのロボットには得体の知れない迫力が、あった。
「……うふふ。お客様、ご覧になられますか?」
「はっ!?」
 もし本物なら、相場5000万はくだらない。
 それを取り出して見るかという。
 どこをどう見てもそこいらの学生への対応ではない。
 この店員……アホか、あるいは俺から金の匂いを嗅ぐことのできる天才商売人かの、どちらかだ。
 どちらにしろ……ただ者ではない。
 というか、アンタ時計屋の店員じゃないのか?
 商品はメイドロボットじゃないだろ?
「その目を見ればわかります。あなたも『ロボッ娘萌え』ですね」
「なっ!?」
 ますます驚いた。いや、どうかしている。
「お、俺はそ、そんな特殊な性癖では……」
「ではまだ目覚めていらっしゃらないだけですわ」
 そう決め付けるように言うと、彼女は戸惑う俺を余所に片膝をついてショーケースの鍵を開ける。
 ガチャッ……
 ガチャガチャガチャッ……
 ガラガラガラッ……
「どうぞ……」
 ショーケースの引き戸を開けて手招くお姉さん。
「これは邪魔になりますね」
 うわっ、メイドロボットにつけてた時計投げ捨ててるよっ!
 いいのかよっ!
「さあ、貴方も彼女でハァハァしましょう……」
 い、息荒っ!
 目もなんか潤んでるし。
「え、ええと……」
「ご遠慮なさらず……さあ。さあ」
 掴まれた腕を振り払うこともできず、引かれるままでショーケースの中のメイドロボットの頭に掌を乗せた。
 ズキュ――ン!
「っ!?」
 その瞬間、俺の中に雷が走った。
「こ、これ……」
「ふふふ、如何ですか?」
 ……た、たまんねえ。
 なんていうんだ、これ。
 うわ、もう、我慢できねえ。
「ぅ……ぁ……」
 俺はまるで魔に魅入られたかのように、手をゆっくりと動かしていた。
 なでり。
 なでり。
 なでりなでり。
「ぁ……ぁぁっ……ぁぁあ……」
 掌から伝わってくる感触。
 身体の奥底から、心の全てが震えてくる。
 何か泣きそうだ。
「ぅあ……」
 お姉さんに手首を掴まれて手の動きを止められた時、不覚にも俺は人間性の全てを喪失しかかっていた。
「どうですか、お客様」
「さ、最高です」
 思わず答えていた。
 頭を撫でるだけでこんなになってしまうなんて、思いもしなかった。
「とってもよくお似合いです」
「マジで!?」
 世辞かどうかもわからないのに、心の底から悦んでしまった。
「お、俺もちょっとそうかなーなんて。あはははは」
 浮かれてしまっているのが自分でも判る。
 どうしてしまったというのだ、俺は。
 こんなに取り乱し、自分を見失っているなんて。
「お客様、とても純情な方ですから……大変よくお似合いです」
「またまたそんな……あはははは……」
 お、落ち着け俺。
 でも普通騙して買わせることもできん金額だ。
 お姉さんも、マジでそう思っているのかもしれない。
 いや、きっとそうだ。そうに違いない。うわぁい。
「きっと彼女も喜んでいると思いますよ。お耳をお近づけになられると」
 お姉さんが、HM−12の口元に耳を近づける。
 それにならう俺。

『はわわー』

 はわわー
 はわわー わー わー わー
 耳元で、彼女の声がエコーのように鳴り響く。
 うわ、たまんねぇ。

「ふふふ……本当によくお似合いです。もともと、このメイドロボットを所持していらした方に似ていらっしゃるからかもしれません……」
「?」
 そう言えばゆかりはどうしたっけ、とか思って周囲を見回しているとお姉さんが気になることを呟いた。
「ん? これは、由来のある品ですか?」
「ええ。ここだけの話ですが…… 実はその品、長瀬源五郎氏が、藤田浩之氏に贈られたものなのです」
「『HMX−12マルチ』!? うっそだあ」
「本当です」
 お姉さんは、ちょっとムッとしたような顔で俺を睨む。
 だが、それはいくらなんでも、嘘だ。
「だって『人権をかけた、世紀の恋人達』のあのマルチだろ?」
「ええ。ただの高校生だった藤田浩之は、一週間だけ学校へ試験運用でやってきたメイドロボット、マルチと恋に落ちました」
「で、一度は別れたものの藤田浩之が大学生になった時に、涙の再会を果たす訳だ」
 小説や映画にもなった話だし、理工学に進めば教科書にさえ載っているほどなので特にメイドロボットに詳しくなくてもある程度は知っていることだ。
「喜び勇んだ藤田浩之は彼女と幸せに暮らそうとしますが」
「彼の幼馴染の少女が大騒ぎ。人間と機械との恋愛はおかしいと世論に訴え出る」
「精巧に作られていた女性型ロボットに対して不満を抱いていた婦人団体やその力を背景にしていた政治家達が中心になって、国会にまで持ち上げて社会問題に」
「藤田浩之は決断を迫られたんだ。人権か、はたまた」
「恋人か。そして彼は」
「……人権を、捨てたんだ」
 当時のことは映像や資料でしか知らないが、結局その後に彼の毅然とした態度に惚れ込んだ賛同者も多く、議論百出して収拾がつかなくなった為に来栖川という財閥の影響力やそれら利権問題が絡んだ結果、この国らしく全てが有耶無耶のままに終わってしまっていた。
 英雄となった藤田浩之とその妻マルチの伝説だけが残り、それからのメイドロボットがメカメカしく、人間らしさを失くしていって今に至っている。
「ふふふふふ……お客様、本当によくご存知ですね。お若いのに」
「お姉さんこそ」
 時計よりも詳しそうだ、この人。
「ふふふ……一人の男に人権まで捨てさせる。私も、そんな魅力的なロボになりたいものです」
「いや無理」
 あんた人間でしょ?
「うふふふふ……ありがとうございます」
 しかも聞いてねえよ。
「だがHMX−12型は門外不出のはずだぜ!? 藤田浩之が死んでから、マルチ自身が自らも機能を停止して彼と共に眠りについたはずだ。そいつがなぜ、ここに!?」
「……人の世は、世知辛いものです」
 お姉さんは大きくため息をついた。
 芝居がかっていつのか、マジなのか、区別がつかない。
 くそ。
 そのための厚化粧か。
 食えない女だ。
「HMX−12型マルチはその直後、掘り返されて中古部品屋に送られたのです」
「なんだって!? パーツショップに!?」
「手も、足も、もちろん耳飾りも、全てバラバラに解体されました。いえ、バラバラにされたものを売り飛ばされたということです。件の元幼馴染の女の手によって」
「なんてこった……確かに、ヤな世の中ですね」
 というか、恐い女だ。
「ええ。でも、一ロボッ娘萌えとして言わせてもらえれば、これほど素晴らしいメイドロボットが、墓石の中で眠っているのは我慢できませんわ。お客様のような性衝動著しい方の側にあってこそ、メイドロボットも萌えるというもの」
「あははは……」
 随分とと買いかぶられたものだ。
「身体のひとつひとつのパーツをそのショップから辿っていって探し集め、粉々に砕かれた彼女の記憶の詰まったDVD−ROMを最新の技術で復元し、残念ながら消耗品などは取り替えましたが、出来る限り当時のものを当時のままに再現した至高の逸品です。これに比べればこの店内全ての時計なんて塵です! 屑です! 滓です!」
「お、お姉さん!」
 興奮してとんでもないことを言い出したお姉さんを宥めようとすると逆に睨まれる。
「いいですか、お客様!」
「は、はいっ!」
 思わず背筋を伸ばす。
「振られ女の見苦しく情けない嫉妬の行為のお陰で、危うく我々の宝を失うとことでした。ですが折角全てを揃えた彼女を手に入れながら、こんなところに閉じ込めておくような馬鹿店主の私物になっており、更にどこぞの金持ちがそれを買い取ろうとしている危機なのです!」
「は、はあ……」
 後半は兎も角、前半は安易に同意できなかった。
「うふふふふ……いかがですか? お客様」
 口だけで笑っているお姉さんの目が恐かった。とっても。
「……買え」
「命令形かよ! ……ちょ、ちょっと待ってください」
 時計店である以上、このメイドロボットは売り物ではないのだろう。
 しかもさっき私物とか言っていたし。
「いいから買え。今直ぐ即刻直ちにご購入して下さい」
「そんないくらなんでも……」
「はわわー」
「!?」
『はわわー』
 はわわー
 はわわー わー わー わー わー

 ――俺の名前は那須宗一。
 どこにでもいるごく普通の学生……韜晦はもうやめようか。
 またの名を『NASTYBOY』。
 お仕事は『エージェント』。
 こう見えても世界で何本かの指に入る、トップクラスのエージェントだ。
 いや、だった。
 恐らく次のランキングでは相当下に落ちることだろう。覚悟はしている。
 こう言っては何だが俺の腕は以前から少しも落ちていない。
 だが、この凄腕エージェントの俺と、敏腕ナビのエディの二人をしても適わないものがいる。

「ソーイチ! 今度という今度はオレ、降りさせてもらうゼ!」
「ま、待て。落ち着けエディ!」
「ず、すびばせーんっ! またやっちゃいましたーっ!」

 人間の彼女を捨て、機械の女に走る人生。
 博物館級のポンコツを最前線で使用しようとする無謀行為。
 学校を追われ、職を失いかねない状況下でも、迷わず彼女を選ぶ心境。
 だが俺の名前は那須宗一。
 人呼んで、無茶苦茶小僧。

 後悔は……していないっ!

「マルチ、そこで転ぶな!」
「は、は、はわわーっっ!!」


                          <おしまい>
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