もらとり庵 ゲストの小説

A Tear.

by 久々野 彰

 昼休み。食事を終えたオレは周囲の喧噪を余所に、窓際の自分の席で麗らかな日差しを浴びながら、窓の方を見てため息をついていた。
「はぁ・・・」
「――どうしました? 浩之さん」
「あ、セリオか・・・」
 うちの学校に、何故かセリオが来ていた。
 マルチと別れてから・・・丁度一年ばかり経つ。
 もう少し、情報の収集が必要になったとか何とかで、今度は共学の学校を選んで、うちの学校に来たのだ。
 この背後には一部の関係者が強力にうちの学校を推したらしい。
 別に、それに対して興味はない。



 …開発競争で勝ったのは、セリオなのだろうか。



 正直、セリオが来たときはがっくりした。もしかしたらマルチが帰ってくると思っていたのだ。
 だが、来たのはセリオだった。
 オレの知る限り、セリオは変わらない、優秀で、機敏で、そつのない、間違っても道に迷ったり、転んだり、ましてや喜んで掃除を率先してやろうとするような事はしなかった。
 命じられれば、それが理不尽な事でない限り黙々とこなす、完全無欠なロボット・
・・それがセリオだった。



 オレがいるクラスに配属されたセリオの評判は上々だ。
 だが、俺は物足りなさを感じていた。
 当たり前だ。
 彼女は・・・ロボットでしかない。
 ただの・・・。



「マルチの事を考えていてな」
「――マルチさんですか・・・」
「ああ、マルチだ・・・」
「――・・・・・」
「あいつ、元気にやってるかなぁ・・・」
「――・・・・・」
「今頃の季節になると、色々なことを思い出しちまう・・・」
「――・・・・・そうですか」



 セリオに再会した時、まず最初に聞いたことがマルチの消息だった。
「分かりません」
 にべもない、返事だった。


 だが、
「――推測によりますが、今も尚、システムコンピュータの中で眠っていると予想されます。テスト型のデータとして・・・」
 と、それから延々とセリオはマルチの消息を“自分の考え”として、俺に伝えた。だがそんな事はどうでも良かった。
 オレが知りたかったのはただ一つ、
「マルチはオレの元に帰ってこないのか?」
 それだけだった。



「――それは・・・可能性は限りなく低いと思われます」
 セリオは、躊躇いもなくそう言った。
「まあ・・・そうだろうな・・・」



 それ以来、オレはマルチの話をしていない。





「・・・・・」
「――・・・」
 それ以上言うことがなくて、黙って窓の外を見つめているオレの前にずっと立っているセリオ。
 オレは特にセリオには関わっていない。
 別に避ける事はしなかった。
 初めは多少抵抗があるのでは・・・と、自分では思っていたが、やはり、マルチはマルチ、セリオは・・・ただの試験用のメイドロボットだった。
 別物だから、意識する必要が初めから無かったらしい。
 他の人間同様に、普通に、メイドロボットとして接していた。


 ある日の放課後、セリオが黙々と一人で掃除をしているのを見た時も、声すらかけなかった。



 …命じられたままに働く、彼女に何を言ったところで・・・


 手伝うと言ったところで、恐縮することも、慌てふためくこともないだろう。例え声をかけて隠れたりしても、泣きながら廊下中を歩き回るなんて事は、絶対にない。


「・・・・・」
「――・・・」


 だからオレとセリオの接点なんて無かった。


「・・・・・」
「――・・・」
「・・・・・」
「――・・・」


 セリオは何故、オレの側を離れないのだろう。
 しばらく惚けていたのだが、セリオがまだ側にいる事に気付く。


「セリオ・・・」
「はい・・・?」
 うざったくなったオレは、セリオに離れるように言った。命令なんて大層なものですらない、ただ近くにいる気配が物思いに沈むには気に障るので、言っただけだ。
「――・・・はい」
 セリオは、少しだけ躊躇して、オレの前の席から、引き・・・下がらなかった。



「――・・・・」
「セリオ?」
「――浩之さん」
 外見上は普通の、いつもの無表情のセリオだったが、何故か、何故か雰囲気が違うようにオレは思えた。
「――浩之さん・・・」
 オレの戸惑いによる無言を、聞き取れなかったと判断したらしい。
 再度、呼びかけて来る。
 オレの目を見て。


「な、何だよ・・・」
「――・・・マルチさんは、いつも帰り道、浩之さんの事を話して下さいました」



 オレは、セリオが壊れたんじゃないかと疑った。



「――初めて会った時に荷物を運んで下さった事、いつも掃除を手伝って下さった事、学食でパンを買えないでいたら代わりに買って下さった事、エアホッケーで遊んで下さった事、色々、それは楽しそうに話して下さいました」


 今までセリオがこれだけの事を喋るのを初めて聞いたオレは、唖然とした表情をしていただろう。


「――・・・その事を話すマルチさんは、本当に幸せそうな顔をしていました」


 抑揚の無い声なので、彼女がどんな気持ちで話しているのか皆目見当がつかない。
 いや、それ以前に、彼女に感情なんてあるのか。


「――・・・」
 そこで、セリオは息を止めたように口を閉じた。
「・・・な、何だよ・・・」
 オレには、何が何だか分からなかった。
「――・・・」
「・・・・・」
「――・・・」
「・・・・・」
 長い沈黙が、辺りを支配した。
 時間が凍ったみたいに。


「――失礼致しました」
 セリオは、まるで今までの時間がなかったかのように、軽く頭を下げるとオレの前から立ち去っていった。
「な・・・何だっていうんだ・・・?」
 何故か、声をかけてはいけないような気がして・・・聞けなかった。





 その次の日から、セリオは学校に来なくなった。
 試験運用が、終わったのだ。




 オレの心には、まだあの時のセリオの顔が思い出される。




「何を・・・言いたかったんだ? 何を・・・伝えたかったんだ?」










 …それから数年後、オレは売り出されたマルチの妹を買い・・・マルチと再会した。



「なぁ・・・メイドロボットって・・・」
「はい?」
 あの時のマルチがオレの目の前にいた。表情をコロコロと変えて、オレをご主人様と慕う、あのマルチが。
「何か・・・仰いましたか?」
 掃除の途中だったが、オレの声に反応してやってくるマルチ。
「メイドロボットって・・・皆、心があるのか?」
 ふと思って、聞いた。
「・・・・・心、ですか?」
「ああ、マルチ以外にも・・・心、あるのか?」
「勿論ですぅ!」
 マルチは笑顔で、オレに答えた。




 オレは、あの時のセリオの顔を思い出した。
 何故だか、あの時彼女が泣いていたように、今は思える。



 …心・・・か。



「どうかしましたかぁ?」
 心配そうにオレの顔を覗き込むマルチ。
「いや・・・何でもない。掃除が終わったら・・・どこかに出かけるか?」
「はいぃ」
 マルチの表情が華やいだ。そしてそのまま鼻歌を歌いながら、慌ただしく掃除を再開しだした。


 オレはマルチと共に、これからを過ごすだろう。オレみたいな人間が、マルチみたいなメイドロボットが、どれだけいるか分からない。
 オレ達みたいな生き方が本当に幸せかどうかも分からない。



 でも、オレはマルチとこれからを生き続けるつもりだ。
 オレは、マルチだけを見つめ続けたいから・・・。





 そして、それがオレが報いられる、唯一のことだと思っているから。







<完>






初出:1998年02月10日(火)
改稿:1999年11月06日(土)

Last Update : 2000/08/24