『走るリアンとイワトビペンギン』
 





「姉さんはどこっ!?」


 山を越え谷を越え、何処かの街にリアンはやってきていた。
 元々は異世界からやってきた彼女の目的は只一つ。
 先にこの世界に降臨した姉を探し出す事だった。
 探し出してどうするとかそんなものは考えていない。
 朝起きた時も姉がいない。
 昼敷地内をふらつく時も姉がいない。
 夜寝る時も姉がいない。
 姉がいない世界。
 そんなのはリアンは真っ平ごめんだった。
 パパもママもおじいちゃんもいらない。
 欲しいのは姉だけ。
 自分よりも頭がお子様な割には頭脳明晰で成績優秀、運動神経抜群な彼女の偉大な
るビックシスターなのだ。

 そんな私だけの姉を探して三千里。
 そんなんじゃ済まないが、兎にも角にもリアンは探し続けた。
 闇雲に探すにはこの世界は広すぎたけど、それでもリアンは一生懸命探し続けた。
 砂だらけの暑い場所に迷い込んだ時はその熱さでリアンは死にかけたが、背中に異
様な盛り上がりを背負った恐持ての顔をした奇怪な生き物がそんな彼女を救ってくれ
た。

 ――そっか。
 ――あんたもにげてきたのか。
 ――オイラもそうさ。ラクダ焼き屋の親父から逃げ出した。

 そんな彼の身の上話を聞くこともなく、オアシスに顔を突っ込んでがぼがぼとリア
ンは水を啜る。
 生き返る――文字通り命の水である。
 そして共に魔王退治の旅に出ようというそのラクダの申し出を断り、リアンは再び
旅を続けた。
 次に辿り着いたのは一面氷の世界だった。
 リアンは寒かったことと、冷たかったことを覚えている。
 そこにいる動物はペンギンだった。
 イワトビという名前を貰いながら飛べない自分に意味はあるのでしょうかと自問自
答しながらみゅーみゅーと鳴いている彼とリアンは親友になった。
 その時に彼女はそのイワトビペンギンにこの世界のことを沢山沢山学んだ。
 言葉は通じなかったので身振り手振りと手旗信号で会話した。
 短い間だったけれども、これはリアンにとって実に有意義な時間だった。
 アメリカ合衆国の大統領選挙の方法なんて、彼に五回も説明してもらわなければ全
く理解することなんてできなかっただろう。
 残念ながらフジモリ大統領の無実は最後まで理解できなかったようだが。
 和牛のオーナーにならないかと誘われた時は正直迷ったけど、姉の捜索が先だった
ので泣く泣く断念した。
 姉こそ我が命。
 姉こそは私。私こそは姉よ。
 ううん、妹なんですけど。


「王城には比べ物になりませんけど……」
 人の住む街のひとつに来て数日。
 なかなかゴージャスでリッチな雰囲気のお屋敷をリアン発見。
 姉の仮住まいとしては妥協できるところだろうと、一人で納得するとリアンは早速
侵入することにした。
 正門には黒いスーツを着た怖そうなお兄さんが二人立っているので、壁からお邪魔
する事にする。
 こういう時、魔法は便利。
 ルリルリルンのルリルリラ。
 魔法の原理は簡単に口では言えない程面倒な割りには、呪文は実に簡単。
 でも、これが使えるのはリアンの国の人達だけ。
 この世界の人達使えない。
 だからこそ、魔法途上世界に対して先進国のリアン達王族は、色々と魔法援助して
あげないといけないのだ。
 さしずめ、姉は魔法大使。
 豪奢な服を着て平気でドブ川に身を浸すのを厭わない、心の豊かな持ち主でないと
勤まらない。
 天真爛漫で人種差別を嫌う、小犬にも小猫にも優しい姉だからこそ出来る大役。
 表向きは修行とか言っているけど、それは施しを与える側の与えられる側への配慮
でしかない。
 だからリアンもその事には触れず、黙って姉を探す。
 探してどうするのか何て考えてはいない。
 姉の顔が見たい。
 毎日毎日毎日毎日、見飽きる事なんて決してない姉の百面相を眺め続けて静かに歳
を取って過ごしたい。老後の楽しみではなくて、一生涯の楽しみとして。


「そういう訳で、私は姉さんを探しているのです」
「………」
「………」
 庭でゴツイ体格の恐持てのお兄さんの一人に足首を掴まれて逆さに持ち上げられて
いるリアン。
 あっさりと捕獲状態。
「訳わかんないこと言ってますが、どうします?」
「一応、執事長にお伺いを立てて……」
 顔は厳ついくせに言葉は丁寧。
 更に口も臭くない。
 身だしなみも整のっていた。
「あの……」
「ん?」
「チチンプイプイ プッチンプリン」
「……んがっ」
「あぐ……」
 大鼾が二つ。
 脱出成功。
 魔法使える人エライ。
 使えない人エラクナイ。
 ここ、その瞬間。


 しかし油断したとは言え魔法で侵入したこのリアンを見つけるとは――と彼女に戦
慄が走っていた。
 魔法を使ったのは侵入時に宙に浮いて壁を乗り越えただけだったことを綺麗に忘れ
ながら、彼女はこの屋敷の厳重さに危惧を抱いていた。
「もしかして姉さんはここで監禁されているのでは?」
 仮定から確信へ。
 何か違う気がしたが、リアンはそんな思いをその小さい胸の中で膨らませていた。
 魔法も使えない人々が住むこの世界でこれだけの警備は尋常じゃない。
 彼女の住む王宮の兵隊など、門番に対して残業手当、昼寝時間、おやつタイム、絵
本時間があるのだ。
 魔法学校の初等科では立ったまま居眠りが出来る魔法を会得する。
 その時間は皆、ぐぅぐぅ寝れるのだ。
 先生も級友も苛めっ子も皆。
 寝顔は皆天使様。
 魔法を失敗してしまった生徒はさぁ大変。
 苛めっ子の顔に落書きをするとか、好きな子の笛を舐めるとか、憧れの先生のスカ
ートの中を覗くとか、そんな事でもして皆が起きる時間まで過ごすしかないのだ。
 リアンはいつも失敗ばっかりしていたせいか、その授業の始めには椅子に縛りつけ
られていた。
 閑話休題。
 きっとここに姉が捕まっているに違いない。
 そして無理矢理毎日魔法を使わされているに違いないのだ。二千円札を毎日2枚ず
つ偽造させられていたり、既に別の場所で掘り起こされていた発掘品を遺跡に埋めて
掘り出させていたり、自○党加○派を分裂させられたり、そりゃもう散々に。
 言う事をきかないと手込めにされてしまうのだ。
 いや、勝ち気な姉のことだ。きっと初めは散々抵抗したに違いない。
 そしていたぶられ、痛めつけられ、陵辱の限りを尽くされた後に屈服してしまった
のだろう。姉は我慢することが大の苦手だ。
 嗚呼、可哀相な姉さん。
 でも、大丈夫。
 私がきっとそんな姉さんを助け出して見せる。
 そう、助け出すのだ。


 ――もし、ここに姉さんが囚われているのなら。


 自分はさしずめ囚われのお姫様を颯爽と助け出す騎士。
 ナイト。
 見つめてナイト。

 そして勇者とお姫様は末永く二人で過ごしましたとさ。
 めでたしめでたし。


 でへへとリアンの口元から零れ落ちる大量の唾液。
 性別の溝なんて魔法でいくらでも埋められる。
 多分。
 勿論、それ以前に姉妹ということなど綺麗サッパリ忘却の彼方。
 一人は私の為に。私は一人の為に。
 気分はカーボーイハットに二挺拳銃。
 何か違う。


 リアンは壁を背にしながら、辺りの様子を窺いながら屋敷に侵入する。
 抜き足差し足忍び足。
 気分は名泥棒。
 無機質無感情無表情な量産型13日の金曜日ではなくて3世の方。
 リアンめ、まんまと盗みおって。
 奴はとんでもないものを盗んでいきました。
 それは、あなたの心です。
 うっひゃ〜。
 スフィー姉さんLOVE。
 いつの間にか私の心は姉さんの虜。
 あれ? 何か立場逆。


 気が付くと目の前に怪しげな扉を発見。
 ゴツイ錠前がドアについている。
 ビンゴ!
 きっとここに、この屋敷のお宝が眠っているに違いない。
 ここ掘れワンワン。
 ポチが鳴く。
 正直リアンが掘ったなら大判小判がザックザク。
 大判小判はこの世界の通貨のことだ。
 まだ見た事はなかったが、500円玉よりは大きいのだろう。
 ザックザクの方は残念ながらまだ見たことがない。
 1/144で出ていたりするのだろうか。
「開け、ホラ!」
 リアンの魔法はスキトキメトキス。
 どんなに難解な鍵でさえ、簡単に開いてしまう。
 どんな秘密でさえ、名探偵リアンの手から逃れる事は出来ないのだ。
 その眼鏡は伊達じゃない。
 サッカーボールも必需品。


「地下室……?」
 階段を見てリアンがっかり。
 でも、地下室にあるのは三角木馬か金庫と相場が決まっている。
 まだだ! まだ終わんよ!!
 ク○トロな思いと共に、リアンは慎重に階段を一歩、また一歩と降り出した。
 階段を降りた先にはまた頑丈そうな鉄の扉。
 象が踏んだらひしゃげそうだが、象はここには入れない。
 またしてもリアンは魔法を使う。
 今度は小声で。
「開けて下さい、12の切なさの扉を」
 何故か鉄の扉はサラサラと砂のようになって崩れ落ちてしまった。
 流石魔法。
 魔法万歳。
 魔法最高。
 魔法は文化だ。
 そして物音を立てないようにしたまま、リアンは部屋の中へ踏み入った。
 川口隊長の如く。
 勝利のポーズ決めっ!
 ちょっと早い。しかも隊長違う。


 部屋にはいきなり衝立てで遮られており、リアンの姿は向こうから発見される事は
なかったが、リアンも中の様子を知る事が出来なかった。
 しかし、奥でブツブツと小声で呟く人の声がリアンの耳に届いてきた。
 リアンイヤーは地獄耳。
 100kmの核爆弾投下の衝撃波でさえ聞き逃さないし、女子トイレの隣の個室で
のお姉様と牝奴隷の愛らしい会話でさえも聞き漏らすことがない。
 魔法のチカラ身につけた正義のヒロインリアンならではの芸当である。
 リアンは低い背を一層低く屈んで衝立ての隅まで忍び足で辿り着き、ゆっくりと中
を首だけ出して覗き込んだ。

「っ!?」

 家政婦市○リアンは見てしまった。
 この屋敷の女主と思われる若い女が、壮大な魔法陣を床に描き、オドロオドロしい
呪文を唱えながら、凶凶しい魔法を駆使している瞬間を。
 リアンはショックのあまりその場から動けなかった。
 成人の儀式を迎えておいて良かったと心の奥底で感謝しながら。
 でなければ、お漏らしをするところだった。
 大人で良かったと万歳三唱。
 大人だから頑張れる。
 大人はつおい。
 きぃぃぃぃん んちゃんちゃ私○巻リアン。


 明らかに邪悪の臭いを漂わせながら、魔法儀式を続けるその若い女の様子を窺いな
がらリアンは震え続ける。
 格下だと思っていたこの世界の人間も魔法を操れたという事実。
 彼女の操る魔法がリアンの想像も付かない、ただ「怪しそう」と思えるものだとい
う状況。


 助けて! 助けてよ、姉さんっ!


 さっきまでナイト気分だったくせに既にリアン半泣き。
 でも泣かない。
 泣いたらそこで負けだから。
 負けたら明日は来ないから。
 負け犬に生きる価値無し。
 鉄の掟だ。
 組織に入る時はそんなのないくせに、何故か負けた時にそんなものを振りかざされ
て処分されてしまうのだ。
 昔は良かった。
 おしおきで済んだのだ。
 それも爆発するだけの簡単な。
 しかも服がボロボロになる程度で済む。
 いつもドリ○ターズは負けていたっけ。
 あれ?
 あの5人組をおしおきするボスって誰?
 ○ジテレビがいるよ。
 どこかに。


「……」
 彼女は何か囁いている。
 何だろう。
 リアンイヤーでさえも聞き取れない呟き。
 リアン、首伸ばす。
 二人の距離縮まる。
 少し聞えるかもしれない。
 縮まっただけ。


「………」


 聞こえない。
 聞こえないのは悲しいこと。
 悲しいのは寂しい。
 寂しいののは嫌。
 リアン一人ぼっち。
 この世界で、誰とも仲良くできなくて一人ぼっち。
 姉とも会うことが出来なくて一人ぼっち。
 一人きりは嫌。
「………」
 お友達が欲しいのですか――そう聞かれる。
 ううん。違うんです。
 リアンは姉さえいてくれれば、姉さえ見ていればそれだけでご飯三杯はいけます。
「………」
 お姉さんを探しているんですか――そう聞かれる。
 そうなんです。
 ずっとずっと探しているんです。
 この世界の何処かにいるもう一人のわたしを。
 わたしは姉さん。
 姉さんはわたしですから。
 さっき決めた科白を繰り返す。
「………」
 よくわかりません――そう言われた。
 ごめんなさい怪しいお姉さん。
 でもわたしはあなたの方がよっぽど………よっぽど……あれ?

「っ!?」
 リアンが気が付くと目の前にあの女がいた。
 ぼーっとした目をしてこちらを見詰めている。
 リアン吃驚。
 いつの間に。
 これが彼女の魔法だったのかと理解した。
 リアンに気づかれることなく、リアンの目の前に現われることが出来る魔法。
 その為にあんな大層な魔法陣を――
「………」
 違います――そう言われたが騙されない。
 何せ相手は私をも凌駕する怪しき魔法使い。
 ここで誑かされると魂を吸い取られてしまいかねない。
 それとも縛りあげられて吊るされて浣腸実験されたりとか。
 もしくは解体されて身体各パーツ毎にホルマリン漬けとか。
 客観的にこの部屋を判断するとあながちその想像が間違っていない所が悲しい。
 リアンちんぴんち。
 逃げよう。
 逃げるが勝ち。
「………」
 しかし目の前の垂れ目はその怪しき魅力でリアンを金縛りにして捕えて離さない。
 メデューサ・ザ・ゴルゴン。
 美人結婚詐欺三姉妹。
 彼女らは可笑しく楽しく世の金持ちのボンボン達を騙しては石像にしてお金を巻き
上げて日々暮らすのだ。そして一番頭の良い地味めの末娘に真摯なお付き合いの話が
出るものもそいつも結婚詐欺のバジリスクだったりして、逆に騙されて石化現象の後
に一文無しに逆戻りして三人で一杯の掛け蕎麦を啜る生活に戻るというこの世界のど
っかの神話な羽目に陥るのだ。因果応報。天網恢恢其にして漏らさず。でも、最初の
被害者はただただ被害者のままだったりして人権が蹂躪されてしまっていてだったら
加害者の少年少女の扱いの方がマシというのはどうなっているんだこの世界と歯ぎし
りして取り敢えず本なんか出してみて印税生活でウハウハリトル西村京太郎気分。
 混乱しつつもリアンは魔法を唱える。
 例え相手が自分を上回る使い手だとしても、リアンには魔法しかないのだ。
 勝てなくても、その力を出し切ってこそ美学があるというものだ……などというこ
とを考えたわけではなくて、ただ単に取り乱したリアンが魔法を適当にいい加減に唱
えただけなのだ。
 逃げたい。
 敵の手の届かない遠くへ。
 遠いのは高いとこなんかいいかも。
 高い所にいくには飛ぶものが必要。
 翼なんか格好良いかも。
 ボールは友達。にはは。
 翼を持つのは鳥さん。
 大きな翼で空高く逃げよう。
 そうそうそれがいい。
 お父さんお母さんリアンは鳥になります。
 そして遠く遠くどこまでも逃げます。
 これで敵の魔女もびっくり。
 リアンちんと遊んでおけば良かったーって。
「とりになれー」
 魔法一閃。

 なった。
 鳥だ。
 鳥………ペンギンさん。
 ペンギンは鳥、だよね。

 でも、ペンギンじゃ飛べないッス。
 前にトモダチに聞いたから。
 タキシードリアン。
 あ、取り敢えず逃げるのだ。
 飛べなくても逃げられれば一緒。


 イロイロ考えた挙げ句、リアンは目の前の鳥――ペンギンを抱えてその場から逃げ
ることにした。
 目の前にいた筈の敵の魔女から逃れる為に。


「あら? あなたこんなところで何を――
 逃げる。
「――……?
 逃げる。
「こらっ、そなた一体っ
 逃げる。
「うーん。よく寝た……んぎゅ!?
 逃げる。

 背に腹は変えられない――リアンはそう思いながらありとあらゆる力の限りに逃げ
続けた。
 タイムサービスです。
 ご覧の魔法、大安売り。
 鳥と逃げる為に。
 何故かペンギンで飛べないから逃げられないから。
 だから走って逃げなくては。


 ドタドタドタドタドタドタ


 走る走るリアンは走る。
 君は行くのかこんなにしてまで。
 立ち塞がる障害物は魔法で削除。
 行く手を阻む邪魔者は魔法で滅殺。
 手にした飛べない鳥になったわたしを守る為に走って逃げる。
 抱えるはわたしが変身したペンギン。
 まるでラグビーボールのように小脇に。
 じゃあ小脇に抱えている私は誰?
 抱えているのも私。こうして考えているのも私だから。ペンギンを見るこの視線も
私だし。


 ――分身の術?


 えっとじゃあ、このペンギンは?
 ってイワトビ君?
 でも、微妙に彼とは違うような……でもイワトビ。
 イワトビ君トモダチ。
 じゃあこれもともだち。
 えっとペンギンがいたってことはあそこも南極のどっか?
 リアン結局南極大冒険?
 混乱しながらリアンは歌い出す。


 走れ走れリアン太郎。
 目指すは姉のいる何処か。
 走れ走れリアンタロー。
 追いつけ追い越せ姉の胸。


 ――あ、それは無理かも……。


 妙にこんなトコで醒めてみたり。


「スフィー姉さん……」
 逃げながらリアンは姉の名前をそっと呼ぶ。


 いつしか姉の会える日まで、リアンは逃げ続ける。
 ペンギンを抱えたまま。


 ――姉さんに、会いたいっ!


 ただそれだけを願いながら。


                            <おしまい>