『夏の追憶』
1999/06/14 




「貴方が……好きです」


 彼女は、そう言った。
 俺の目をじっと見つめて。


 精一杯の声を振り絞って。


 そう、彼女は俺に言ったのだ。
 柏木楓が、柏木耕一に愛の告白を。


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「うっ……ううぅ〜ん……」


 ベランダを占拠する雀の鳴き声に起こされた格好で、俺は目を醒ました。
 既に日はすっかり昇っていて、布団の中が少し蒸し暑い。



「う……ふわぁ……」



 大きな、欠伸を一つ。
 両手も、伸ばせるだけ伸ばして身体を起こす。



「また……あの夢か……」



 先日まで、俺は従姉妹の住んでいる田舎へと、帰郷していた。
 そこで、俺は自分の生い立ちから、先祖伝来の由来に、親父達の死の真相まで、本
当に目まぐるしい色々なことを体験し、様々なことを知った。


 そして、俺は一人の少女に出会った。


 いいや、出会ったという言い方はおかしい。


 その少女は前から知っていたのだから。


 数年ぶりに出会ったその少女は、俺の記憶にあった少女とは別人のように変わって
いて、初めの頃はかなり面食らっていた。
 他の姉妹達は全くと言って言い程、変わっていなかっただけに、その変わり様には
驚かされた。
 初音ちゃんの言うところによると、親父の死に起因があるらしい。
 そして、彼女自身が言うには、前世の血と、その伝来の呪われた運命がそうせざる
を得ないと言うのだ。



 彼女の話は、ちょっと信じられなかった。



 俺はきっと初音ちゃんの言う事の方が近いと思い、前よりも少しだけ親父を恨んだ。
 不甲斐ない死に様をした親父を。



 それが、間違いだと千鶴さんから聞かされた。
 親父は、ギリギリの決断をしたのだと言う。
 そして、彼女の話も限りなく事実だと言った。


 ただ、こうも言った。


「前世の部分の話が……ちょっと……」



 千鶴さんは言った。



「次郎衛門は貴方……耕一さんのことなんです」



 それは、彼女から聞いていた。
 が、


「多分……エディフェルは……私なんです……」



 と、言った。


・
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 それからが大変だった。

 今までのは猫かぶっていたのだろうとばかりに、楓ちゃんが飛び出してきて、やか
ましいばかりに、千鶴さんに異議を唱えた。
 私が、エディフェルだと。
 無い胸を反らして、必死に抗弁する楓ちゃんを見て、俺は「もう大丈夫。親父の死
を乗り越えられたんだ」と思った。

 だが、千鶴さんも「証拠は!?」とばかりに言い募り、楓ちゃんと組んず解れつと
バタバタと暴れ回った。
 俺は「ああ、会社のストレスもこれで発散しているんだ」と、仏壇の前でノイロー
ゼみたいな顔をして座っていた千鶴さんを心配することをしないで済んだ。

 そんな二人を眺めつつ、「二人とも、困ったお姉ちゃんだね」と、初音ちゃんと遊
びながら俺は言った。それに、ショートカットの女が加わった。胸がなければ女だと
気づかなかったかも知れない。いや、騙されるな耕一。一応、(仮)を付けておけ。
 その時、初めて俺はこの家お抱えのシェフが彼女(仮)なのだと知った。何故か丁寧
に挨拶したら殴られた。彼女(仮)は一方的に俺を知っているらしい。最近では社会現
象にもなったストーカーらしい。近松門左衛門の時代、心中が流行ったのと同じ理屈
だろう、きっと。流されやすいヤツだと判断する。

 取り敢えず、俺は初音ちゃんとシェフと三人とで神経衰弱をした。
 何故か年下の初音ちゃんが一人勝ちしたのがちょっとショックだ。


 殴り合いが一区切り着いた時点で、千鶴さんと楓ちゃんは俺を見た。
 その人とは思えない力で殴り合ったお互いの顔は、多分、一生忘れないほどの顔だ
った。隣にいた初音ちゃんは、その顔を見て気を失ってしまった。


 二人はそんな初音ちゃんを無視して、どっちを選ぶとか、選ばないとかまるで俺が
この中からしか選べ無いみたいな二択を押しつけようと迫ってきた。
 シェフは、初音ちゃんを看護していたがこの二人の言い方が癇に障ったのか、使用
人の分を弁えずに、二人に文句を言い放った。多分、解雇されるのは覚悟していたの
だろう。人間自暴自棄になれば強いものだ。


 そして、諍いは二人から三人になった。
 こんな事を親父の前でも繰り返していたのかと思うと、俺は少しだけ親父を許す気
になった。
 親父も親父なりに人には言えない大変さがあったんだなって。

 俺が、初音ちゃんの部屋で二人で難を避けるように大人しく……まぁ、ちょっとだ
け忙しかったが……まぁ「初音ちゃんを護ってやるぜ」とか約束したし……で、寝た
訳だが、罵り合う声と殴る音は深夜遅くまで続いた。


 そして心地よい疲れからか添い寝から一眠りしていた俺が深夜、トイレに起きて通
りがかりに居間をチラリと覗いた時、冒頭の夢の部分の出来事が起こったのだ。


 いきなり背後から俺の服を掴み、振り返った俺に彼女は、紫色に腫らせた顔を心な
し歪めたように微笑んで。


「貴方が……好きです」


 彼女は、そう言った。
 俺の目をじっと見つめて。


 精一杯の声を振り絞って。


 そう、彼女は俺に言ったのだ。
 柏木楓が、柏木耕一に愛の告白を。


・
・
・


 あれから……かなりの月日が過ぎた。
 以来、あの家には訪れては居ない。



 …俺は、正しかったのだろうか……。




 俺は自分の手をじっと見つめた。
 握り拳を作ってみる。



  あの時、咄嗟に拳を彼女の顔面に振り下ろしていた。
  そしてそのまま自分の布団に潜り込んだ。
  ガタガタと震えながら。
  悪い、夢だと固く信じることにした。






 …俺は、正しかったのだろうか……。




 ――本日の教訓――


 笑顔も時と場合による。



                         <おしまい>


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