『いただきます』
1999/05/17 



 柏木家。
 地元では知らぬ人はいない程の規模の大旅館を経営する一族のくせに、その実家の
慎ましさは古き良き旧家を連想させそうな佇まいだ。


 そんな家に住む地元ではこれまた有名な美人四姉妹が、今日も今日とて仲良く朝御
飯を食べていた。


「そういや、千鶴姉。もうすぐ誕生日じゃねーか?」


 無言で差し出された楓の茶碗に山盛りのご飯を盛って戻ってきた梓が、思い出した
ように切り出した。


  ピクッ


 その瞬間、千鶴の箸が止まった。
 初音の箸も止まった。


「………………」


 楓の箸は止まらない。
 梓の手から茶碗を受け取ると、残った味噌汁を掛けておかずの残り物と共にかっ込
んでいく。


「……そう言えば……そうよね」
 随分と勿体つけたように、千鶴が口を開く。

「あ、も……もぅ……そんな季節なんだ」
 初音が困ったような、取り繕ったような笑いを浮かべた。

「えっと……確か去年は……ゲッ!?」
 言い出しっぺのくせに梓は今頃になって思い出したらしい。
 顔面蒼白になる。

「………………」
 楓は他の三人のおかずを自分のお茶碗の中へと次々と入れていく。



 去年の千鶴の誕生日。
 それは辛くて、切なくて、涙ちょちょ切れの思ひ出。
 翌日、彼女を除く姉妹は病院で朝を迎えた。
 ただ、それだけのこと。


「ち、千鶴姉……ほら、ケーキでも焼くからさぁ……何がいい? 料理も北京ダック
でもローストビーフでも豚の丸焼きでも赤犬のステーキでも鯨の刺身でも革靴の丸か
じりチャップリン仕立てでも蠍の丸飲みでも何でも用意するから……」
「わ、私もほら……何でもプレゼントするよ。クマの縫いぐるみでもアクセサリーで
も車でもマンションでも女性用ダッチワイフ金剛クンでもクラスメイトのレオ様っぽ
い綺麗処数人見繕ってもいいし……」

 二人とも必死なのか、無茶苦茶なことを言いだしている。


「………………」
 楓は放ったらかしにされている三人の茶碗からご飯を自分のに移し替え、焙じ茶を
注いで流し込む。


「もぅ……そんなに気を使ってくれなくてもいいから」
 千鶴はそんな二人を困ったような顔をして見つめる。

「で…でもさぁ……」
「そうそう……折角のお姉ちゃんの誕生日だし……」
「ありがとう……でもね、そりゃぁ……私だって、折角の二十歳の誕生日だもの……
ようやく大人の仲間入り出来る歳だから……一度はゲイバーとか、ホストクラブとか
、男性ストリップ劇場とか行ってみたいと思うのは良家の淑女として可憐な乙女らし
い気持ちだとは思うけれど……」
 ハンカチを取りだして目尻を押さえる千鶴に、
「って、それ全部昔から行ってたじゃない。ジョン君だとかジェフ君だとか言うのに
入れ上げて、旅館で雇う雇わないで騒いで困ったって叔父さんボヤいてたよなぁ……」
「でも、それでも去年は十六歳の誕生日って言ってたもん。まだ言うことに常軌が残
ってる分、マシだよ……」
 と、こそこそ言う梓と初音。

「でもね……気持ちは嬉しいけど今、不景気なのよ。そんな私個人の事で皆にお金を
使わせるわけにはいかないわ」

「じゃあ、あの健康器具の山は何なんだ? 英語版ビデオもそれぞれ大量についてた
けど」
「目的がはっきりしてるものならまだいいよ。あの透視眼鏡とか水晶玉とか室内移動
用ミニ自転車とかカッパーフィールドのビデオとかHMX−12とか役に立たないモ
ノや何に使うのかわからないものなんか置き場に困って……」
「最後のは何か優越感を養うのにいいとかいって社長室に飾ってあるとか……」
「人的被害を考えればそっちの方がマシかも……」

「だからね……私の誕生日とはいえ、質素に普通でいいの……そぅ、高級ホテルの最
上階の夜景が綺麗なロイヤルスイートで、ギンギンに冷えたユルトン・シャルルマー
ニュの77年もの辺りの白ワインを滝沢君っぽい半裸の美少年に注いで飲みながらブ
ラビと一夜を過ごす程度の慎まやかさでいいの……♪」
 千鶴は掌を合わせて片方の手の甲を頬に付けながらうっとりして言う。

「さて、あたしは洗い物してから学校に行くか……」
「あ、私も急ごうっと……」
「もぅ……梓に初音ったら……冗談よ、冗談。だってねぇ、賎しくも旅館経営者が余
所様のホテルに夢見るなんて真似はしないって……ここで充分よ」
 顔に縦線を入れた二人を引き留めようと、千鶴がそれぞれの腕を掴む。


 根本的な訂正はなされていなかったが、それは当然ながら諦めていた。
 楓は既に学校に行ったのか、姿は見えなかった。




「手料理さえ、作れれば」



・
・
・


 ………と、言うわけで耕一、すぐにウチに来てくれ。


「断じてイヤだっ!!」


 電話越しに聞こえる従姉妹の声に、俺はきっちりきっぱりと返事をした。
 俺は千鶴さんが嫌いなわけではないが、好きこのんで窮地に立つ趣味もなければ、
愛のために死ねるようなお調子者でも、知っていても騙されるようなお人好しでもな
かった。


 …なんだと、千鶴姉の手料理が食えないってのか!! 


「当たり前だ!!」


 あれは食べ物ではない。
 例えるならエボラウイルスとか、放射能汚染物とか、核廃棄物とか、地球外物質と
か、と比類すべきもの。
 人間如きが口に出すのも憚れる……千鶴さんの○○○。



 …じゃあ、アレをあたしらが喰えと言うのか……いや、アタシはまだいいさ。死し
 て拾う屍無し。誰にも哀しまれることなく、悶え死んでしまうのが相応しいただの
 ガサツ女かも知れないよ……あーあー、そうだよ、コン畜生っ!! 


 かおりちゃんが拾うだろ、その屍。
 そして彼女の肉人形として新たなる人生を歩めばいいじゃん。



 そう言いたかったが、流石にそこまでは言わなかった。
 人間出来てるじゃん、自分。



 …だがな……それをあのいたいけな初音に食べさせるのを見過ごせるのかよ、お前
 は!!

 …お姉ちゃん……生きるも死ぬも一緒だよ。

 …は、初音……!?

 …大丈夫……喩え私たちが死に絶えても……お兄ちゃんは……お兄ちゃんだけは私
 たちの墓石に花を供えてくれるよ……きっと……白百合の花を……

 …馬鹿!! 初音……あんただけは……あんただけは死なせやしないっ!!

 …梓お姉ちゃん……また、生まれ変わっても……私たち、姉妹でいようね。

 …初音!! 馬鹿……当たり前だろ。あたしら……家族じゃねぇか!!



  ……ガッチャン



 と、電話でこちらに聞こえるように代わる代わる交代で受話器を持って喋っている
らしい会話をする二人を無視して、俺は電話を切った。


 冷酷?
 非情?


 何とでも言えばいいさっ!!

 そうさ、俺は卑怯者だ!!
 自分だけの命が惜しい臆病者だよ!!


 だがな……だがっ!!


 のたうち回って……それだけならいいっ!!

 生きながらにして生皮を剥がされ、爪を捲られ、歯を抜かれ、目をくり抜かれ、骨
を一本一本折られていくような……そんな苦しみで死んでいく恐怖を考えれば!!


「俺は……そんな死に様だけはしたくない!!」

 俺は思わず、握り拳を天井に突き上げていた。

「そうです……耕一さんには私がいます」

 その拳にそっと手が添えられる。

「そうだよな、楓ちゃ……なぬぅ!?」

 驚いて飛び退く、俺。
 目の前に、セーラー服姿の楓ちゃんがいた。


「か、か、か……楓ちゃん……!?」
「一足早く、魔の巣窟から逃げてきました」
「ど、ど、どこから……」

 俺の質問に、楓ちゃんは黙ってキッチンを指差した。
 開け放たれた冷蔵庫。
 食べ物のカスとラップやら、発泡スチロールの皿やら、冷蔵庫の中身だったものが
転がっている。中を覗く勇気はない……っていうか、そこから来たのか?

「さぁ、耕一さん……愛の逃避行のお時間です……」
 よく見ると、カップラーメンやら、焼きそばやら、カレーうどんやらの容器や袋も
台所に転がっていた。楓ちゃんのぷっくりしたほっぺに青ノリのカスが。
「あ……いや……ああ……」


 ふと、前世の事が思い出される。
 最近になって知ったことだ。
 歴史は繰り返す。
 理由は違う気もしないでもない今日この頃。



 そういう訳で俺達は手に手を取って逃げ出した。


「こっちです……耕一さん」
「え? あ……ああ」

 楓ちゃんが俺の腕を取って導いていく。


「あ……れ……?」

 そこは銭湯だった。


「さぁ……どうぞ」

 楓ちゃんがいつの間にか用意したらしい、洗面器とシャンプーとリンス、ひげ剃り
に石鹸のワンセットを渡してくる。


「あのぅ……楓ちゃん……」
「さぁさぁさぁ」
「あ……ちょっと……あのぅ……」

 俺は楓ちゃんに押し込まれるように男湯に放り込まれた。


「よく身体を洗って下さいね……」

 隣の女湯から楓ちゃんの声が聞こえてくる。
 何でだか、貸し切りだった。
 何となくだが、隣もそうなんだろう。


「あの……楓ちゃん……一体……」
 楓ちゃんは神田川宜しく、先にあがって待っていたのだろうが状況に流されたまま
だった俺は、取り敢えずそう聞いてみた。
「耕一さん」
「何?」
「塩胡椒と醤油、どちらが好みですか?」
「……おい、宮沢賢治かよ?」
「食べたいのに……」
「食べるな!!」
「冗談です」

 そう言って、楓ちゃんは大きなリボンを俺に見せた。
 真っ赤だが……本当に大きなリボンだった。

「な、何だい?」
「これを……」
「あ、ちょっと……」

 俺がどうと言う間もなく、楓ちゃんは俺の頭にそのリボンをくくりつけた。
 そして……



   「ハッピーバースデー、千鶴姉さん         楓より」



 そんなカードを俺の懐に入れた楓ちゃんは、水色の包装紙にくるまれた俺を近くに
停めてあったハイヤーの後部座席に投げ入れた。



「ありがとう、楓っ!! ……私には最高のプレゼントよっ!!」




 ……こんなんでいいのか、オイ。




 俺のそれからの記憶、フェード・アウト





                          <おしまい>


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