『旅先の読書』
1999/03/23 




 カンカンカンカン
 ガタンゴトン ガタンゴトン


 いつ頃からかこの形になったのかわからない在り来たりな踏切の音、車窓から覗く
その風景はあまりにも平和そのものだ。
 それが実際の世相とかけ離れていたとしても、どうしてもそんな発想しか出てこな
い。
 都会の喧噪とはかけ離れたのどかな田園風景。
 それが列車から見ることの出来る全てで、それ以外はたまに開けた駅前付近の何処
か薄汚れた疲れた感じの景色しかない。

 …普段、暮らしていると感じないものなのだがな……。

 俺は柄にもなく、感傷的になる。
 時代の流れに取り残された世界だと、改めてこうして外から見ると思う。
 だが、俺はそれで構わない。
 それを望んでいたのだから。

 俺は大きい地方都市と呼べる駅で列車から降り、新幹線に乗り換える。
 ここから、東京に行く。

 東京で捕まったこちらで指名手配していた連続窃盗犯の証拠品の搬送と、警視庁へ
の事情説明を兼ねた出張と言えば聞こえが良いが多寡がちんけなこそ泥一人相手だ。
 そんなに物々しいものではない。言ってしまえば体の良いお使いでしかない。
 しかもこうしてわざわざ出向くことはない。
 だが、ここが公務員の公務員たる所だろう。
 無駄を無駄と思わない。
 誰か目端の利いたヤツが現れて、指図しない限り慣習として続くのだ。
 未来永劫と。

 俺は正義感を持っているわけでもないし、将来的な野望があるわけでもない。
 俺一人税金を無駄遣いしないようにしたところで、その分、他のヤツが多めに無駄
遣いするだけだ。
 遠慮なく、グリーン車を遣わせて貰う。

 今まで乗ってきた列車のシートとは格段に違うグリーン車の座席に寄りかかる。
 隣の席に座ったのは、世間話が好きそうな中年の女だ。
 俺は煩わしさを予感していたが、意外にもその女は俺の事を気にした様子もなく、
女性週刊誌を開きながら窓の景色を見ていた。
 安堵すると同時に、何か物足りなさも感じる。
 我ながら、馬鹿馬鹿しい感情だ。
 苦笑するしかない。

 座り直しながら、顔を上に向けると、雑誌が目に付いた。
 俺は暇だったので、暇つぶしがてらにその雑誌を拾い上げる。

 が……俺が手に取ったのは少年雑誌だった。

 俺は少し失望し、周囲の荷物棚を見渡すが、それぞれ荷物が乗せてある以外、他は
何も無さそうだった。

 俺は漫画を読む習慣など無い。
 子供の頃も、漫画など読むことはなかった。
 誰かに貸して貰って読んだことがあるが、どうしてそんなに笑うのか遂に理解でき
なかった。
 絵が下手くそでないのはわかるが、愛だの友情だのが全ての事柄より強かったりす
る話は白々しかったし、馬鹿馬鹿しい話は、馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。

 そんな訳で、俺は十数年ぶりに漫画雑誌を手に取った訳だ。

 職場でもいい年した大人が読んでいるのを見かけるが、俺には理解できない。
 上司の長瀬も、何とかとか言う、漫画雑誌を愛読していて、毎週火曜日の出勤には
小脇に挟んでやってくる程だ。

 …どうせ一時間ぐらいだ……。眠るような気分にも慣れないしな……。

 そう言うわけで読んでみた。
 暇つぶしのつもりだった。
 それで駄目なら、仮眠でも取るつもりだった。


「………………」
 俺は震えていた。
 怒りが沸き上がっている訳ではない。
 寒いわけでも無論ない。

 笑いそうなのだ。
 この俺が。
 ギャグ漫画で。

 だが、考えてもみろ。
 クールで売ったこの俺様がギャグ漫画を読んで「ぎゃははは」等と笑ってみろ。
 イメージぶち壊しではないか。

 チラと横を見る。
 幸い、外を見ていて気付いていない。
 この中年女性がいくら話好きでないにしろ、隣に座った男が雑誌を読みながら笑い
出したりしたら、どう思うだろうか。
 その経験を誰にも語ることなく、墓に入ることは……考えにくい。

 捲らなければいいのだが、先が気になってしょうがない。
 俺は、心の中で葛藤と闘っていた。

 …この先さえ読まなければ、笑い転げる危険性は少ない。忘れろ、全てを忘れるん
 だ!!
 …このまま閉じてしまって良いのか? きっとお前は先が読みたくなって気になる
 ことになるぞ!!

 …お前は誰だ!? クールなエルクゥで鳴らした柳川祐也だろ?
 …ここはお前の知る人の少ない場所じゃないか。喩え笑っても地元で知れ渡る事は
 ないっ!! 心配するなって

 じゃ、じゃあ……ここはこの雑誌を持って、人目のない所で読む……というのはど
うか?

 …だめだって!!
 …だめだって!!

 ハモられた。

 …それを持って歩き回るというのは致命的だぞ。人目を憚らずに済まないぞ!!
 …そうだとも。全てがぶち壊しだ

 じゃあ、俺様はどうしたら……


 ポクポクポク………… ポーン


 閃いた。
 小坊主の頓知ではなく、秀才の英知から導き出された結論だ。
 口の中を噛む。
 これで笑いを噛み殺せばいい。
 子供の頃、覚えた高等テクニックだ。
 唇を噛むと外から判るから、分かりにくい頬の内側を軽く噛み締める。

 ふふふ……これで完璧だ。
 備えOK。
 準備万端。

 …よし……それでは。

 おもむろに頁を捲った。
 先を知りたくてむずむずしていたのだ。




「んぷっ………うぐぐぐぐぐ――――――――――っ!!!!!!!!!!!」




 俺は思わず、口に手を当てそうになる。
 だが、寸での所で踏みとどまる。
 それをしたら笑いを堪えているように見えてしまう。


 ……頬の肉を噛み切ってしまった。笑いを堪えるために。

 チラリと横を向く。
 俺の気配に気付いたのだろう。ジロジロと見てはいなかったが、意識は俺の方に向
いているようだった。
 脂汗をダラダラと流す俺が、その女に不審に見られていたかどうかは判らない。
 確かめるわけにはいかないし、下手に言い訳をするのもドツボに填る気がする。


 ……柳川祐也、一生の不覚。


 敗北感を胸に、座り直した俺は、残りの時間を長く感じながら座り通した。
 口の中はヌルヌルとしていて気持ち悪かった。
 血は飲み込みにくい。


・
・
・


 東京駅からは山手線で行けば問題ないだろう。
 俺は吊革に掴まりながら、目的地まで漠然と立っていた。

 が、

 見てしまった。
 丁度俺の目の上の棚に、雑誌が。


 …こ、今度は……。


 慌てて目を逸らす。

 駄目だ。
 自制するんだ、柳川祐也。
 あれはさっきの少年雑誌みたいな代物じゃないぞ。
 ふん、くだらん。
 そうだ、いつもの自分を取り戻せ。
 さっきはたまたまだ。

 …ふん。どうかしているな……ん?

 だが、俺はその雑誌の表紙に貴之そっくりな美形な男が描かれているのを見てしま
った。


 ……気が付いたら、その雑誌を持っていた。


 開く。


「………………………………………………………………」
 必死に自制する。
 開いた雑誌、レディスコミック。
 しかもちょっとだけ俺似なナイスガイと……している貴之!!


 …堪えろ、堪えるんだ、柳川祐也。


 今度は緩みそうになる顔を必死に取り繕う。


 …この俺がニヤニヤしたらどーなる、日本の未来は真っ暗ではないかっ!!


 何か、頭が支離滅裂になってきたが、何とか堪える。
 歯を食いしばり、鋼鉄の意志でその雑誌を棚に戻す。
「つまらんものをみてしまった」と言う顔を作って。


 雑誌のタイトルは記憶した。
 後で買おう。
 それでいいじゃないか。
 大丈夫。
 俺、生きていける。


 …ん……?


 ひそひそと内緒話をしている女子高校生が二人……何だ、俺様に何かあるのか。
 俺の方を見ているようにも思える。


 馬鹿な。
 表情の緩みは防いだ筈だっ!!
 偽装工作に不備無しっ!!
 従って完全犯罪に等しいっ!!
 それなのに、何故だっ!!


 その一人が俺の方に近寄ってくる。


 く、来るなっ!!


「あのう…………」


 な、何だよっ!!
 男がレディイスコミック立ち読みしちゃいけねぇのかよぅ!!
 そ、それも、わざとじゃねぇっ!!
 わ、判る筈がねぇだろぅっ!!






「……鼻血、出てますよ」





 そう言ってその女はハンカチをくれた。




 俺様、憤死。



                         <おしまい>


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