『由美子さんと俺』
1999/03/05 




「あ、柏木く〜ん」
「あ、由美子さん……」


 手を元気良くブンブンと振りながら、同じゼミの小出由美子さんが小走りで俺こと
柏木耕一の元にやってくる。


「久しぶりね」
「え……うん。ちょっと親戚の方でゴタゴタが長引いちゃって……」


 由美子さんは大きい眼鏡の奥にある人なつっこい笑みに騙される諸君はご愁傷様な
程の、歴史怪奇オタクだ。


「ねぇねぇ……この宇佐の黒男神社に出てくる仲哀天皇怨霊伝説なんだけど……」

 いつもこんな感じだ。
 それも筋金入りに調べ上げ、自分なりの結論もまとめあげてしまうのだから凄い。
 ただ、それをやたらと人に聞かせようとするのが難点だ。
 それも長々と。延々と。絶え間なく。
 聞き手の反応は押して知るべし。


「……うへぇ」


 しかも俺は以前、迂闊にも「また聞かせてよ」という社交辞令を言ってしまったか
ら溜まらない。
 だからこそ、由美子さんは俺を見つけると犬が尻尾を振って駆け寄るみたいに近づ
いてきたし、回りも「柏木、頼んだぞ」とばかりに押しつけてくる。


 顔はそこそこ悪くないし、性格もこれさえ除けばいい人なのだが。



「……うへぇ」



 ……かれこれ数時間。


 勿論、とっくに講義は始まっている。
 出席日数危ないのに、俺。
 途中、缶ジュースを買うという口実で逃げ出そうとしたら、常備しているらしい魔
法瓶を取りだした。
 それで喉を潤して喋る喋る。



 ……まぁ、それはいつものことだからいいとして。



 …いいのか!?

 俺の中のエルクゥがツッコミを入れる。
 克服どころか自家薬篭中してしまった。
 結構いい加減だな、俺もヤツも。

 話もようやく終わろうとしかけた時、由美子さんは「誰にも内緒ね」と前置きをし
て驚くべき発言をした。


「私、結婚することにしたの」


「え……マジ」
「そう。学生結婚ってワケだね。あ、私だけね……相手の人は違うけど」
「へぇ」
「公務員よ公務員……この不興のおりでも安全確実、親方日の丸」
「はぁ」
 そのまま由美子さんはその相手の警察官との衝撃的な出会いと訪れた激烈な体験か
を語り出す。
 昼休みも挟み、午後の授業ももう諦める時間までそれは続く。
 兎に角話を要約するとお互いの愛情を身体の後で感じたらしい。
 何か大人だ。
 考え無しとも、なし崩しとかそう言う事を飾った言葉が「大人」と言うならば。


 …所詮は動物だな。


 そーだな。
 反論できないよ、俺には。


「それがね……彼、凄いの」
「凄いってどう?」
「やだぁ……柏木君。そんな恥ずかしいこと、乙女に言わせないの」

 照れながらばんばんと俺の背中を叩く由美子さん。


 …乙女の発想じゃないぞ。


 俺もそう思うよ。


「ちょっと扶養家族っぽいのがいるのが気にかかるんだけど、なんか長くなさそうだ
し、それよりもまず、安定した収入! 美形で体格も立派! ついてるものも立派!
 相性もばっちし! あ……えと……コホン。それは兎も角、合ったのよ。お互いに
ね……うふふ……くすくす……良かったなぁ……」

 何かちゃっかり計算までしてるし。
 思い出し悶えまでついてきてるし。

「……そ、それよりも何よりも彼ったらもの凄い特技あるのよっ!!」
「へぇ」
 遠くで俺達を見ている人影は、今日最後の時間の講義担当の教授だ。
 確か今日来ないと単位やらんって言っていたとかいないとか……。
 怖いから忘れよう、そんな事。
 少なくても「A」はくれないだろーし。


 …いや、単位そのものくれないと思うが。


 何でわかるんだよ、エルクゥのくせに。


「何と聞いて驚け! 見てびっくり!!」
 そんな俺の葛藤を無視して由美子さんは燃え上がる。


「一瞬にして獣っぽい怪物に変身できる芸を持っているのっ!!」


 由美子さん……それ、芸じゃないっす。
 多分。
 いや、きっと。


「それでやるとこれまた燃えるんだよね……えーい、もぅ、ったら」

 いやんいやんと頬を押さえて身もだえする由美子さん。
 見ているこっちがおかしくなりそうだ。



 ……このままじゃ、いけない。



 このまま彼女の都合の良い話し相手改めのろけ相手になっていられない。
 俺だって男だ。
 エルクゥだ。
 久しぶりに出ようとしていた授業全てを台無しにされたまま、黙っているのは何か
いけない気がした。
 教授は既にもういないし。


 だから俺は意を決して言うことにした。



「由美子さん……」
「何?」


 由美子さんは顔を赤くしたまま、俺を見た。





「その芸、俺も出来ますよ」






 柏木耕一、留年決定。




                          <おしまい>


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