『ハッピーバースディだよ、初音ちゃん』
1999/02/26 




「あ、耕一お兄ちゃんっ!」
「よぅ、初音ちゃん!」


 前触れもなく、家に耕一お兄ちゃんが家にやってきた。
 少しも変わりないお兄ちゃんを見て、わたしは嬉しくなった。
 それは嬉しいんだけど……



 肩に何故か鮫が担がれていた。



 結構大きい。
 しかもビチビチ暴れている。



 …………生きてる。



「どうしたの突然!? しかもサ……」
「はっはっは……初音ちゃんは可愛いなぁ」


 わたしは二重の驚きを口にするが、耕一お兄ちゃんはいつもながらの暖かな微笑み
を浮かべて頭を撫でてくる。
 でも、肩に鮫を担いでいるのでちょっと鮫臭い。
 しかも跳ねる尾っぽから飛ぶ飛沫が気になる。


「あっ!? お兄ちゃん、鼻血。鼻血だよっ!!」
「はっはっは……平気さ。これくらい」


 何故か鼻血。
 お兄ちゃん曰く当然なのだそうだが、わたしにはわからなかったのでオロオロする
ばかり。取り敢えず居間へ行ってティッシュを持ってお兄ちゃんに渡す。


「ありがと、初音ちゃん」
 丸めたティッシュを鼻に詰めて喋るお兄ちゃんの声は少しだけくぐもっている。
「それで……どうしたの突然?」
「いや、初音ちゃんの顔を見たくなってさ。いてもたってもいられなくなっちゃって
……」
「本当!?」
「ああ。勿論だよ」
「嬉しいっ!」
 思わずはしゃいで飛びつくようにしてお兄ちゃんに抱きつく。



 こんな時のお兄ちゃんは膝を少しだけ曲げて腰を落として、わたしが首に抱きつき
やすいように、してくれる。


 広くて
 おっきくて
 あたたかくて


 そんなお兄ちゃんの胸に飛び込むのが昔っからわたしは大好きなんだ。
 だから今もとっても幸せ……でも、



 しゃめが臭ひゃひ……。



 何か台無し。
 少し興ざめ。
 ううん。かなりかも。



「ね、ねぇ……お兄ちゃん。この鮫はどうしたの?」
「ああ。コイツ? 昨日岩手の宮古湾で揚がったホオジロザメの「ハイデルン君」」



 …んなコタァ、聞いてねーよ。



 はっ!?
 わたしの中のわたしでないわたしが心の奥底で呟いてるっ!?


「どうしてそういう名前かって言うとホラ、この目にある古傷が似てるだろ?」
「……だから聞いてねえってんだよ、このスカタン」
「え、何か言った?」
「ううんっ!!」

 慌てて首を横に振る。
 いけないいけない、思わず外に這い出てきちゃったよ。
 わたしでないわたしが。
 これってあの日以来の後遺症? 



 ………お姉ちゃんの馬鹿。



 ちょっとだけ、長姉を恨む。
 こんな気持ち、生まれて初めてかも。



「ところで……梓のヤツ……いるか?」
「うん。いるけど」
 ちょっとだけ、声を落として訊ねるお兄ちゃんに答えると、
「そっか。じゃあ、伝えてくれ。今日は俺が料理をするって」
「え……え……料理ってひょっとして……」
 びちびち暴れる鮫が気になる。
 でもお兄ちゃんはニコニコ笑って何も言わない。



 わたしはすぐに台所にいってその旨を梓お姉ちゃんに伝えると、
「はぁ?……耕一のヤツが料理を作るだぁ!? 何、考えてるんだ、アイツは?」
「さ……さぁ……わたしに言われても……」
「ったく……前触れもなく勝手にやって来られただけでも迷惑だっていうのに」

 そう言いながら、梓お姉ちゃんは台所に山のように積まれた食材を渋々冷蔵庫に戻
し出す。
 すごく残念そう。
 さっき来たばかりでまだ誰も知らない筈なのに……。


 そんなことを考えていると家に入ってきたお兄ちゃんが台所にまでやってくる。
 勿論、鮫は担いだまま。
「よぅ、梓。久しぶりだな」
「あ、耕一……どういう了見だぁ。自分で料理を作るなんて言いだしやがって」
「はは。ちょっと……な」
「あ……そっか……」

 お兄ちゃんと梓お姉ちゃんはいつもこんな感じだ。
 ツーカーな仲と言ったらいいのか、サブダチと言うのか、あ、マブか。
 何だかんだ言いながらも、お兄ちゃんと話す時はいつも楽しそうな梓お姉ちゃん。


「ほら、格好いいだろ、このハイデルン君」
「へぇ……意外と耕一もセンスいいじゃない」
「ははっ……まーな。わざわざ岩手から取り寄せた甲斐があるってものだ」


 そんな感じでお兄ちゃんの担ぐ鮫にも驚かないで会話を弾ませて、料理に取りかか
るというお兄ちゃんを残して、梓お姉ちゃんは台所を出る。

 そこで、わたしは出ようとしていた梓お姉ちゃんに聞く。
「ねぇ……梓お姉ちゃん」
「ん?」
「耕一お兄ちゃん……センスいいの?」
「さぁ?」



 …このお調子者の二股膏薬が。



 心の中で次姉を嘲ってしまう。
 まぁ、これはいつものことだけれども。
 この時は心の中のわたしでないわたしも深く頷くだけで何も言わない。


・
・
・


「カ――カッカッカッ!! 俺様の料理は勝負だぁっ!!」


 お兄ちゃんはまるで人が変わったように中華包丁を持って、鮫のハイデルン君を捌
いていく。
 見る見るうちに皮を剥がれ、内蔵を取り出され、鰭も切り取られるハイデルン君。


 あ、エルクゥな力を感じる……。



「カ―カカカ 真の強者の前では友情など無力なものよ!」


 いつの間にかアシュラマンな科白に変わっている。
 流石はお兄ちゃん。
 きっと誰にもわからないよ、わたし以外。



「かっかっか……蚊にはキンチョーマットです」


 棒読み調なこの喋り口は掛布?
 こんな時のお兄ちゃんにはもう誰もついていけない。



「うりゃぁっ!!」


 そのまま鍋にかけられる鮫のハイデルン君が暴れ出す。
 うわぁ……生きてるよ、ねぇ。


「鮫は死んだ瞬間からアンモニア臭を発するからな……」


 きっと立ち読みで済ませた少年王者な説明をしているお兄ちゃん。
 でも……なんか、格好いいな。
 何かを一生懸命にやってるのって……いいよね。
 何をしているかはさておいても。



「耕一さん……凛々しい……」


 あ、楓お姉ちゃん。
 わたしと同じ様に台所のお兄ちゃんを見つめてる。
 ちょっとジェラート。もとい、ジェラシー。


 でも……わたしの両脚の間から覗かなくても……。


・
・
・


「ふぅっ……出来たぁっ!! 料理は心だね、やっぱり」
「お兄ちゃん。お疲れさまっ!!」
 わたしは額に汗をかくお兄ちゃんにタオルを差し出す。
「ありがとう、初音ちゃん」

 大粒の汗をタオルで拭きながら、お兄ちゃんはわたしに笑いかける。

「今日は初音ちゃんの為に最高の料理を作ったよ」
「え……」

「だって……今日、初音ちゃんの誕生日だろ」
「え……あ……うんっ!!」


 そうなのだ。
 今日はわたしの誕生日。
 知っていたけど、こうして直接言って貰えるとやっぱり嬉しい。



 そして、千鶴お姉ちゃんも仕事から帰ってきてからの夕食。
 皆がいてくれるだけでとても嬉しいお誕生日。
 千鶴お姉ちゃんや、楓お姉ちゃんからはプレゼント貰ったし、梓お姉ちゃんはケー
キを焼いてくれた。
 そして耕一お兄ちゃんの……メインディッシュ……。


「どうっ!? 美味しい!?」
「う……う〜ん……まぁ……」


 返答に困る。
 所詮、鮫は鮫だし。
 やっぱり料理途中で河内屋菊水丸(「カーカキンキンカーキンキン」)にまで成り下
がったのがいけなかったんじゃ……。



「ところでお兄ちゃん」
「なんだい、初音ちゃん?」
「どうして鮫だったの?」
「ええっ!?」


 思い切り驚いたような顔をするお兄ちゃん。
 そんなに驚くことかな。
 あ、ひょっとして東京じゃ今、鮫が一大グルメブームだったりするのかな。
 恐るべし、大都会。クリスタルキング改め高津臣吾。



 でも、お兄ちゃんは予想外な事を言いだした。



「だって……初音ちゃんって、鮫って大好物じゃ……?」
「え? え? え?」
「違う……の?」
「ど、どうして?」
「こないだ、それとなく楓ちゃんに聞いたら……」




 わたしはこの日の夜、生まれて初めて姉に手をあげた。
 幾度も幾度も。
 きっと一生分。


 両方の頬を水疱瘡か林檎病のように腫らした楓お姉ちゃんはただ一言呟いた。




「見たかったの……耕一さんが鮫を捌く姿が……見たかったの……」
「何じゃあそりゃぁっ!!」




                         <おしまい>


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