『ビジュアルの勝利 〜百聞は一見にしかず〜』


2002/01/15

「はぁ……」
 あたしは今日何度目かのため息をついていた。

『千堂先生のとこから出て行け。ブス!』

 あたしなりに和樹の役に立とうと、和樹の本の売り子を始めてからの中傷。
 和樹はまだ気付いていないだろうけど、ここのところこみパの度に色々な形で続いている。
 和樹に対しては気にならないと言ってきたけれども、あたしも木石ではない。
 正直、堪える。
 嫌がらせを受けることがではない。
 それだけならあたしは我慢できるし、平気でもいられる。
 あたしが堪えているのは今の自分と和樹との立場。
 身近に接するあたしに対して嫉妬する人も出るくらいに、沢山の人が和樹と和樹の漫画を好きでいる。
 それに引き換え、あたしはどうなんだろう。
 それらの人達ほど、和樹の漫画を好きでいるのだろうか。

 始めに漫画自体馬鹿にしていたあたしだし、和樹が漫画をやるなんてと、反対し続けてきたあたしだ。
 今でこそ和樹の少しでも力になればと自分にできそうな僅かなこととして、売り子をやらせて貰っているけれども、あたしは和樹の漫画に対して人を憎むほど和樹の漫画を愛していない。和樹の漫画の価値がわからない。
 だからこそ、中傷される言葉の端々に対して、否定する力が沸いてこない。
 そして、その言葉言葉があたしを苛ませる。

―――あたしは和樹の何なんだろう。
 やっぱり「好き」なんだろうなって思う。
 でなきゃ、こうまで和樹ののことを気にする筈がない。
 それは頭では判っている。
 けれども、どうする事も出来ないでいた。
 今更。
 そう、今更何て顔をして言えばいい。
 下手に付き合いが長くなると、却ってそんな事は言えなくなる。
 少なくても、自分自身の性格からして、言い出す事が出来なくなっている。
 難しい。
 とても、難しい。

 たった一言。
「好き」と言う事が。


「あーあ、どうしてこんなことになっちゃったのかしら」
 あたしはそう呟く。
 勿論、独り言のつもりだ。
 だが、まるでそれが当然のように返事が返ってくる。

「そりゃやっぱり、生まれ持った業のなせる技であろう」
「業……ねぇ……」
「そうだ。まいしすたー瑞希。こうなることはもう既に紀元前の昔より定められてたことなのだよ」
 そう腕を組みながら偉そうに宣うのは九品仏大志。昔は和樹共々、あたしの青春の邪魔者で、今も尚邪魔者でしかない男だ。
 こいつが居なければ……いつもそう思ったものだ。
 そしてその図々しさと堂々とした態度はいつもあたしを苛立たせた。
「それはジェラシーという奴だな」
 認めたくない。
「吾輩と同志和樹と非常に仲が良いのを妬んでおるのだろう」
 それは、ある。
 こいつ程、あたしは和樹との付き合いは長くない。
 あたしは高校の三年間だけ。
 比べてこいつは小学校からずっと一緒だったと言うのだ。
 忌々しい程、和樹の事を良く知っていた。
「そう落ち込む事はない。同志和樹がプニ萌えメイドさん好きだということはもう既に世間一般に広く知れ渡っておる。最早吾輩だけが知る真実とは言えなくなってきている」
「ふぅん……ところで、さ、大志」
「何だ、同志瑞希」
 踏ん反り返っている。
 その落ち着き払った態度が非常に見ていて腹立たしい。
 けれども、今はその正当な理由があった。
「ここ、あたしの家なんだけど」
「確かに。が、それは些細な事であろう」
 眼鏡を中指で直す仕種だけを見れば非常に知的な感じもしないでもない。
 これで口を開かなければ。
 実際、信じられないがこんな男がもてたりもするのだ。
 勿論、見た目に騙されているだけなのだろうが。
「更に言うなら、ここお風呂場なんだけど」
「うむ。世間一般にはそうも言うようだな」
 胸を張る。
 そして更に続ける。
「気にするな。吾輩は特に気にする事はないぞ」
「あたしが気にするのよ。このボケェェェェェェェェェェェ――――――ッ!」
 あたしはシャワーで大志の頭を強打すると、そのまま窓を開けて大志の身体を投げ飛ばす。柔道の腰で投げる要領を憶えたのは最近だ。
 え、恥ずかしくないのかって。
 大丈夫。入浴中じゃなくて、掃除中だから。

「全く、まるでゴキブリの様に侵入しているんだから」
 鍵は掛けた筈だが、そんな常識が通用する相手ではない事はこの不幸な付き合いの長さで骨身に染みるほど知っていた。
 ユニットバスの掃除を終えると苛々を押し隠すように、冷蔵庫に入っている飲み物でも飲もうとキッチンに行く。
「あれ、無い……おかしいわね……」
 冷蔵庫を開けたまま、中を覗き込むがそこにある筈の缶ジュースがなかった。
 一応、ごそごそと他の食べ物の奥に隠れていないか探すが、元々一番手前に置いた事を憶えているだけにある筈も無い。
 すると、その缶は手の中にあった事に気づく。
「あ、戴いとるで」
 勿論、あたしの手ではない。
 声は後ろから、居間の方から聞こえてきた。
「もう、人の物、勝手に飲まないでよ」
「悪いなぁ、瑞希っちゃん」
 ソファーで寛ぎながら、TVを見ているのは猪名川由宇という娘だった。
 娘と言うのが適切かどうかは微妙なところだ。
「失礼なこと、言うとるなぁ……」
「あなたに言われたくないわ」
 呵呵と笑っている彼女に、人として何か倫理とかそのようなものが欠けている気がしてならない。
「それに、勝手に人の家の冷蔵庫を漁らないでよ」
「気にせんといてや。ウチと瑞希っちゃんの仲やないか」
「気にするのよ、普通は!」
 彼女と知り合ったのは本当につい最近のことだ。
 特に親しくなったつもりはこっちはこれっぽっちもない。
 ただ、和樹との仲は良かった。
 和樹とも、本当にごく最近知り合っただけだと言うのにタメ口の仲だ。
 ちょっと羨ましい気持ちもあった。
「大体、どうしてあなたや大志があたしの家に勝手に入りこんでいるのよっ!」
「蛇の道は蛇っちゅうてな。それにこの世の中、玄関や窓の鍵は一つじゃ危ないで」
「そんなこと聞いてないわよっ! 不法侵入したワケを聞いてるの! 警察に電話するわよ!」
「それについては吾輩が説明しよう」
「大志!」
 窓から放り出したはずの大志が、何事もなかった顔であたしの隣に立っていた。
「同志瑞希! 最近のおまえの身の回りに起きているトラブルは吾輩達も承知している」
「え?」
「そこでな、和樹もこういう問題には、どう対処していいのか判らないらしくて……随分と悩んでいるようやったで」
「和樹が……」
「ああ、随分と心配してたで。ええ恋人持ったな」
「え、そんなあたしは別にそんなんじゃ……」
 あたしが慌てて言いかけるのを遮るように二人は揃ってあたしの正面に立った。
「名づけて……」
「吾等」
 二人の眼鏡が同時にキラリと光る。
「「高瀬瑞希を助け隊っ!」」
 そして各々妙なポーズを取って固まる。
 ネーミングセンスどうこう以前の問題だった。
「そ、それってどういう……」
「だからなあ、ウチら和樹に頼まれたんよ」
「そうだ、まいしすたー瑞希。おまえと同志和樹の関係は吾輩は知らん。だが、おまえの身の回りに起きていることでおまえが悩み、それに同志和樹が心配するようでは吾輩の野望に支障がおこる。それは避けねばならん」
「ま、和樹も瑞希っちゃんもダチやしな。困っているのを見過ごせへんのや」
「ふ、二人とも……」
「気にすることはない。吾輩らが好きでやっていることだ」
「そうそう。お礼なんて水臭いで」
「靴、履いたまま……」
 二人は靴を履いたままそこにいた。どういう侵入経路だか知らないが、手口は泥棒と変わりがない。
「あっはっは……お約束なボケだな」
「ホンマ、ええツッコミや」
「………」
 頭、痛いかも。
 あたしは高笑いを浮かべる二人を前にして、ため息をついた。
「では早速調査開始といくか」
「そやな」
「ちょ……ちょっと待って」
 靴を履いたまま玄関から出ていこうとする二人を慌てて呼びとめる。
 何がどうなるのかあたしには全然わからない。
「ん?」
「何や?」
「調査開始って一体何をするつもりなの?」
「………」
「………」
「な、何で二人とも急にそこで黙るのよっ!」
 不意に近付いてきた大志がポン、とあたしの肩を叩く。
「同志瑞希……何もそこまで……」
「そや。汚れ仕事はウチらに任せとき」
「な、何をする気なのよっ」

―――この二人には任せて置けない。
 あたしの直感はそう告げていた。

「これがイベントホールの壁に貼られていた誹謗中傷の張り紙」
「これは牧やんから貰ったこみパ会場でばら撒かれたビラの一部や」
「う……」
 流石に名指しされないまでも、自分のことをこうして誹謗したものを見るのには勇気がいる。
 そのどれもが派手な原色に過激な文章で埋められている。
「………」
「瑞希っちゃん。大丈夫か?」
「え、ええ。平気よ」
「あまりに非道いものは出さぬから心配するな」
「え?」
「馬鹿っ!」
 猪名川さんが罵るが、大志は気にした素振りも見せない。
「も、もっと酷いのあるの?」
「うむ」
 仰々しく頷く大志。
 その表情にあたしはやや不安になる。
「ま、まー、あまり気にすることないで。最近の若いもんは限度っつーか慎みがないっちゅーか……気にせん方がええで」
 そう言われると更に気になるが、確かにわざわざ見て愉快なものでもないと思う。
「因みにどんなの?」
「吾輩が確認したものではビジュアルならヌードモデルに猟奇殺人のコラージュ。文章なら肉体改造系官能小説のヒロイン。動きものなら取り込みのガンアクションのラスボスあたりだったかな」
「え? えーと……」
「瑞希っちゃん。世の中には知らない世界もあるということや」
「は、はあ……」
 イマイチ判らなかったが、知らない方が良さそうだ。
「それで話を戻すが、このビラなどを印刷している印刷所を吾々は遂に突き止めたのだ」
「え?」
「ああ。まさかウチらもここまで相手が大掛かりだったとは予想もつかへんかったわ」
 大志の言葉を猪名川さんが継ぐ。
「そ、そんなに大勢の人からあたし……」
「ああ。ちゃうちゃう」
「その点は心配するな、同志瑞希。相手は大掛かりではあるが、大勢ではない」
「え? じゃ、じゃあ……」
「ああ。かなりの大物だ」
「潤沢な資金に大掛かりな組織力。相手はただものやないで」
「え、えーと……どうして?」
 どうしてそんな大物にあたしが狙われなくてはならないのだろうか。
「和樹ってもしかして隠し子とかでどこかの御曹司?」
「「そんなわけないない」」
 大志どころか何故か猪名川さんまでが否定する。
 何故。
「おっと……ここやな」
「うむ。吾輩もここが敵の前線基地だったとは……」
 いつの間にかあたし達は、平凡な住宅街のちっぽけで良い感じで寂れてて穴場のようなちょっとちゃちい小さな印刷所の前に来ていた。
「『塚本印刷』 ……ここって」
 ここは確か和樹も利用する印刷所だったはず。
 まさかここで……。
「灯台下暗しとはこのことやな」
「まさかこんな近くに相手の息の掛った存在があるとは……うむ。吾輩も驚きだ」
「とにかく、ここで間違いはないんや。早速乗りこむで」
「うむ」
 頷き合って踏みこもうとする二人に思わず慌てる。
「え? ちょ、ちょっと……」
「瑞希っちゃん。ここで怯んだらアカン」
「そうだぞ、同志瑞希。ここで引いたら何にもならぬぞ」
「でも、カギが……」
「カギ?」
「そんなのはこの「バールのようなもの」で壊せば…『にゃあ!』」
 猪名川さんの言葉を被せるように中から声がした。
「ふっふっふ……」
 その瞬間、猪名川さんの眼鏡がキラリと光ったのをあたしは見逃さなかった。
「千紗ちぃ、いるんやろ。ちょい開けい」
『にゃにゃあっ! た、たとえ由宇のお姉さんの言葉でも従えないですぅ!』
「いくら積まれたん?」
『………』
「ほ〜お。だんまりか。千紗ちぃも随分と偉くなったもんやなぁ。ま、それもエエ……無理に聞こうとは思ってへん」
「どうする気だ、まいしすたー」
「ウチにはこの「バールのようなもの」があるさかい」
 手にしたバールで掌を叩く仕草をしている猪名川さんの言葉の後、数秒の沈黙と共にガラガラガラとゆっくりと中から引き戸が開かれた。
「ど、どうぞ……」
 そこから中学生みたいな背丈の女の子がこそこそとしながらも顔を出す。
「うむ」
「邪魔するで」
 開いた戸に手をかけて猪名川さんと大志は足音荒く中に踏みこむ。
「あ、ちょっと待って……」
 あたしも慌てて後に続こうとしたその瞬間、
「罠にかかったでござるな!」
「と、とったんだな」
「何?」
「何の真似や!」
 見ると大志と猪名川さんがそれぞれ何者かに取り押さえられていた。
 一瞬のことであたしは唖然としてしまう。
「ご、ごめんなさいです!」
「その方らがここを突きとめることは先刻承知済みでござるよ」
「だ、騙されたんだな」
 中を覗くと泣きそうな顔をして謝っている千紗ちゃんとは別に、何だかどこからどう見てもヲタクとしか思えない連中がそれぞれ猪名川さんと大志を捕まえている。
「は、はなさんかいっ!」
「くっ、貴様達はどこの手のものだ!」
「それを言うわけにはいかんでござるよ」
「お、大人しくすれば痛い目はみないんだな」
「あ、そうか」
「では手加減はいらぬな」
 二人はそれぞれ押えつけていた相手の手を引き剥がす。
「「へ?」」
「えーとさ、取り敢えず……」
 あたしは仕方なく、口を挟むことにした。
「そういうことするのなら、もう少し身体、鍛えた方が良いと思うわよ……」
 その後のそいつらの運命は決定付けられていたというのは言うまでもなく…。

「で、どういうことや?」
「千紗が……千紗が……」
「泣いていてはわからんぞ?」
「大志。アンタは黙ってなさいよ。怯えてるじゃない」
 あたしは千紗ちゃんに詰問する二人を押しのけ、泣いている彼女の涙をハンカチで拭う。
「御免ね。恐がらせちゃって」
「でも、千紗……瑞希お姉さんに酷いことを……」
「いいのよ。どうせあいつらが無理矢理やらせたことなんでしょ? 千紗ちゃんが気にすることはないわよ。あたしだって別に千紗ちゃんのこと怒ってなんかいないし」
「瑞希お姉さん……」
「フ、落とし方が上手いな。まいしすたー瑞希」
「ホンマやな。まずは優しい言葉で相手を安心させる。一度喋らせたら後は煮ても焼いてもOKってわけや」
「あんたたちは黙ってなさいっ!」
「でも千紗は……」
「安心して。千紗ちゃんが悪いなんて思ってないから。それで犯人はどいつなの?」
「そ、それがその……あっ!」
「へ?」
 急に何かの影になった千紗ちゃんが驚愕の表情を浮かべるのを見て、慌てて振りかえる。
「えっ!」
「ふん……のこのこ現れたか。貴様等は、つくづく愚かなだな……」
「むぅ! 貴様は!」
「あんたは!」



「『あたしたちの背後にいたのは想像を絶する威丈夫だった』……と」
 オレはそこまで描いたところで千堂和樹は筆を置いた。
「ふぅ………」
 そして椅子の背もたれに寄りかかって大きなため息をつく。
 充実していたからでも、熱中していたからでもない。
「飽きた」
 そう、描くのに飽きてしまった。
 読みきりマンガのネタが尽き、〆切も差し迫ってきていた為、窮余の策として内輪ネタのマンガを描くことにしていた。
 これははっきりいって最低の策だが、落としてしまうよりはマシと思いこむことで自分を誤魔化しながら描き続けていたが、やっぱり限界だった。
 元々、ネタがベタベタ過ぎる上に展開が読め過ぎだ。
 これでは絵だけで買っていく連中は別として、目の肥えた人達や澤田編集長などプロデビューできそうな人材を探しているような人達には見向きもされない。
「それでもなあ………」
 落とせば大志に罵られてゲームオーバーだ。継続こそ正義とでも言うのか、単なる何かの都合か知らないが、それよりはまだ描き上げた方がマシだろう。
 最初はこみパのマナーを説いた教育系漫画を狙い、自分のガラではないとそのままお約束のギャグに逃げようとして行き詰まってしまった。
「だったらイラスト本とか言う逃げ道とか……許されないんだろうなぁ……やっぱり」
 そう呟いてから和樹は大きく首を振った。
「駄目駄目駄目だ! こんな調子じゃどうしようもねえ!」
 財布を持って、近くのコンビニで買い出しと立ち読みでもして来ようと、立ちあがると、そのまま和樹は原稿を机の上に置きっぱなしにして外に出ていった。

「ポチー」
 ほぼ丁度入れ替わるようにして、和樹の部屋にやってきたのは詠美だった。
「ポチ〜、かずポチ〜」
 散々インターフォンを鳴らした後、ドンドンとドアを叩く。
「何よ、いないの? 折角このあたしがわざわざこんなところまで来てあげたっていうのに! …って開いてるじゃない」
 そう言うと、ドアを開けて、
「ポチー しんみょーにしなさいっ! ……やっぱりいないの?」
 おずおずと部屋の中に入る詠美。
「何よこれ?」
 机の前に無造作に置かれた原稿を見つけ、手にとって読み出す。
「何よ、このちょーへぼへぼなマンガ? それにどうしてこの詠美ちゃん様がでてないわけ? うきーっ! へたくそ! へたっぴ! さいてー!」
 そう言うと、机の上に投げ出されていたペンと消しゴムを掴むと、そのまま勢いのままに描き出す。


「最早、これまでか!」
「ああ、ウチは何て無力なんや!」
 くほんぶつと温泉パンダはなすすべなく、そのなぞの男にひねられていた。
「ぐはははは、おのれの無力さをのろうがいい」
 だ目だ。
 この二人では何の役にもたたない。
 ああ、こんな時に、こんな時にそーめーで美ぼうのくいーんがいてくれたら。
「弱いものイジメはやめなさい!」
「だれだ!」



「ここはこうっ! で、こっちのコマはこう大見出し入れてこう!」
 下書きもせずに消した先から直にペンを入れていく。
「ここでためを作ってから、次ページでどーんと必殺技で一撃!『こうして謎の美少女仮面詠美ちゃん様はさっそーとあわれな小羊たちを救い、愛する人の元に戻るのであった』と、やっちゃうのよ!」
 最後のコマで夕焼けをバックに颯爽と立ち去る、仮面の上からでもわかる眉毛の凛々しい美麗ヒロインと彼女を出迎えるように立っている和樹らしき男性を、ボロボロになった由宇達が涙ながらに見送るシーンを一気に描ききると、ようやくペンを置いた。
「ふぅ……こーんなヘボマンガもあたしの手にかかればこんなにすごいモノになっちゃんだから、ほんと、あたしってばちょー天才!」
 腕を組みながら原稿を前に自画自賛するが、一人きりの空しさにばつの悪さを覚えたのか、
「一体、ポチのやつどーしちゃったのよ。もう…早く帰ってこないと宿題が片づかないじゃないの」
 詠美はドアを開けて、キョロキョロとその辺りを見まわす。
「ちょっと探してみようかしら……」
 そう言って彼女はそのまま和樹の部屋を後にした。

「あれ?」
「ん、どうしたのまゆ?」
「美穂、少しドア開いてない?」
「あ、本当だ。無用心だよね」
 入れ替わるようにして、和樹のドアの前で複数の声が聞こえてくる。
「じゃあ、いくよ」
「こっそり、こっそりね」
「うん。せ〜の」
 騒ぎながらやってきて今更こっそりもないのだが、特にツッコミを入れる存在もいなかった。
「「「「こんにちは〜! おじゃましま〜す!」」」」
 思いきりドアが開き、四人並んで大声でそう叫ぶ玲子達四人。
「「「「…………」」」」
 四人の見つめる室内に人の気配を感じ取ることはできなかった。
「あれ?」
「ちょっと、千堂クンいないの?」
「もしも〜し」
「ちょっと美穂、電話じゃないんだから」
「うわー、何かボクたち馬鹿みたい」
 まゆが大袈裟に頭を抱えて見せながら笑うが、
「でも、じゃあ何でドアが開いてるの?」
 玲子の疑問にちょっと考える素振りを見せる。
「んー」
「無用心ということで」
「うん」
「えー それで解決?」
 元々、ここにちょっと寄ろうと言い出したのは美穂だったのだが、それも玲子と和樹をからかう為であって、肝心の和樹がいないのでは意味がない。残り2人の興味もそれのみだったので、玲子の抗議も彼女らには届かなかった。
「だってしょうがないじゃない。ちょっと近くに出ているだけかも知れないし」
「もしかしたら犯罪に巻きこまれているとか……」
 そうボソッと夕香が言うと、
「………」
「………」
「………」
「………」
「じゃあ、さっそく部屋の中を捜索だー」
「「「おー」」」
 緊張感の欠片もなかった。
「おじゃましま〜す」
「お、早速手がかり発見!」
 TVの近くにいた美穂が声を上げ、玲子が近寄る。
「なになに?」
「ほら、ゲームキューブの新作ソフト。こないだCMやってたヤツ」
「あ、ホントだ」
「これは後でもっと良く調べないと……」
「…って、懐に入れて良いの?」
「後で玲子から返しておいてね」
「えー。ちょっとそれひどい」
 玲子が美穂に抗議していると、
「見て見てー」
 まゆが机の上に放置された原稿を見つけて声をかける。
「それ、今度の新刊用の?」
「さあ? ゲーパロじゃないみたいだからちょっとわかんないけど」
「ええと……あれ、夕香?」
「ひゃいっ」
 美穂が一人離れて箪笥の中を漁っていた夕香の背に声をかける。
「?」
「あ、な、何ですか」
「なんか懐にしまった?」
「何のことです?」
「………」
「………」
「………」
「まあいいか」
「いいのっ?」
 玲子の抗議にも気にせず、原稿を読み始める美穂とまゆ。
 何かを誤魔化すような愛想笑いを浮かべる夕香と、釈然としない顔をしている玲子もその後ろから首を伸ばすようにして読み始める。


「ま、まだ勝負はついていない……」
「もうよすんだ! どうしてこんな……こんな真似をしたんですか、雄蔵さん!」
「わかるまいっ! 今の貴様には……その曇った目でしか物事を捉えられない貴様には……」
「どういうことだ?」
「つくづく俺も……男を見る目がない」
「………」
「俺はそんなどうしようもない貴様を放っておくことができなかった」
「ゆ、雄蔵さん……」
「千堂和樹! 俺と共に来い! 俺が世界の果てを見せてやる」
「世界の、果て……」
「そんな同人界、漫画界なんて狭い範囲じゃない、世界の広さを貴様に見せてやる」
「………」
「来るんだ、千堂和樹! ……俺が貴様を……本当に貴様を愛している者が誰かをだ! ……愛してるんだ……貴様を!」
「雄蔵さん、俺……」



「こんな感じでどうかな?」
 美穂が中心になって原稿を書き足していく。四人掛りなのでだからか、趣味の世界を描いているからか、そのペースは速い。
「えー、でもやっぱり千堂さんは大志X和樹でしょう?」
「ボクはこだわらないけどな。ここは話の流れから言っても……」
「いっそ3Pというのは?」
「ヤダ、夕香ったらすごいこと言っちゃって」
「あははー それいいかも」
「だったら……って、玲子! もうこんな時間」
 まゆが腕時計で時間を確認すると、玲子が慌てた声を出す。
「え? あ、本当だ。バイトの時間にあともうそんなにないや」
「じゃ、ボクたちも撤退しようか」
「そうだね」
 熱い抱擁と口付けのシーンを書き終えたところで、四人はそそくさと和樹の部屋から撤退する。

「和樹さんはどこ行っちゃったんでしょうねぇ」
「鍵もかけないで、本当に無用心ったらないわね」
 四人が階段から降りていくのと入れ替わるようにエレベーターの乗って南と真紀子が、開けっ放しの和樹の部屋にやってきていた。
「あら?」
「どうしたの、南」
「机の上にあるのって和樹さんの原稿かしら?」
「ふうん、どれどれ」
 まるで自分が読むのが当然のことのように、手を伸ばして原稿を拾い上げる。
「あ、先輩。いけませんよ、勝手に人の作品読んじゃ」
「何言ってるの。読まれたくないのなら、こんなところに放っておく方が悪いのよ」
「でも……」
「ふうん……内輪ものね」
 パラパラと捲りながらざっと内容を確認するように速読していく。
「本当。最初のこの人って瑞希さんのことですね」
「あなたも興味津々のくせに」
「………」
「………」
「………」
「あらあら、随分と個性的な漫画ね」
「……その一言で片付けていいのかしら?」
 真紀子と南が立ったまま原稿を読んでいると、玄関の方からガサガサとビニール袋の音を立てながら話し声が聞こえてくる。
「じゃああがってって……って、あれ?」
「あら、ようやくお帰り?」
「え? 編集長と南さん。どうして?」
 部屋の中にいる二人に驚く和樹。
「千堂君。プロを目指す目指さない云々よりもまず、社会常識をきっちり身につけなさい。ドアの鍵、開いていたわよ」
「げっ、ま、マジで?」
「あの……」
「あ、ご、ごめん……」
「いえ……」
「あら、彩ちゃん」
 南が和樹の後ろにいた彩に気づくと、
「こんにちわ」
「ええ。こんにちわ」
 のほほんと笑顔で彼女に挨拶する。
「あら、鍵もかけずに家を飛び出してって彼女とデート?」
「ち、違いますよ。丁度コンビニで立ち読みしてたら偶然会って…そ、それで……」
 慌てて真紀子に弁明する和樹。
「別に、私は確りと原稿を書いてくれる人であれば、どんな生活を送っていようとも干渉はしないけど……」
 そう言って玄関先に突っ立ったままの和樹に近付く。
「原稿を放ったらかしにしたままでいるのは感心しないわね」
「す、すみません……」
「こんなお遊び程度のものだからまだいいけど、将来プロになったとして週刊連載の大事な原稿を、こんな風に雑に扱うようじゃ駄目よ」
「はい……」
「まあ、でも今回はもうこみパ用の原稿も仕上げちゃってるみたいだし、こんな遊び原稿描けるぐらいだから余裕あるのかしら?」
「あ、いえその……」
 真紀子は今、自分が持っているものがこみパ用原稿とは全く思っていないらしい。
「それだったらいつ話が来ても良いように、逆に機会があればいつでも持ちこみができるように読みきりを二三本書いておいたほうがいいわよ。チャンスはいつどこであるかわからないんだから」
「はい……」
「もう、先輩ったら」
 お説教モードに入っている真紀子をやんわりとたしなめる南。
「あ、ごめんなさい。本当はこんなことを言いに来たんじゃなかったんだけど」
「い、いえ……」
「この話はまたにするわね。今日は折角可愛い彼女も連れてきているみたいだし」
「あ、あのその……」
 彩を見て真紀子が微笑むと、彼女は照れたように俯く。
「それじゃあ、南。帰りましょうか」
「ええ」
「あ、どうもわざわざすみませんでした」
「いいのよ。それよりも、本当に戸締りぐらいはキチンとしてしなさいね」
「じゃあ和樹さん、彩ちゃんまたね」
 真紀子は持っていた原稿の束を和樹の手に乗せるようにして返すと、ひらひらと手を振る南と共に帰っていった。
「一体……何しに来たんだろ? それにこれ、こんなに分厚かったかな?」
「あの、わたし……」
 幾分頁数の増えている原稿を片手に首をひねる和樹に、彩がおずおずと声をかける。
「あ、ああ。御免。あがって」
「でもご迷惑じゃ……」
「迷惑? そんなことないって。だったら始めから誘ってないし」
「………」
「それとも、嫌?」
「いいえ、わたしは……」
 フルフルと首を横に振る。
「だったら入った入った」
「……はい。お邪魔します」
「うん。今、お茶を煎れるから」
「それでしたらわたしが……」
「わっ」
「きゃっ」
 二人で台所に行こうとして、ぶつかって重なるようにして倒れこむ。
「あいたたた……彩ちゃん、大丈夫」
「は……はい」
「御免ね」
「和樹さんが……庇ってくれましたから」
「え」
 気がつくと抱き合うような格好で、息がかかるぐらいお互いの顔が近付いていることに気付く二人。
「………」
「………」
「………」
「……和樹さん」
「彩ちゃん……」
「………」
「………」
 絡み合う手と手。
 期待に潤む瞳。
 高鳴る胸。
 そして重なり合う唇。
 若い二人はもう止まらない。
 愛し合う二人に障害は何ひとつなかった――――


「……『こうして和樹と彩の二人は末永く幸せに過ごしましたとさ おしまい』」
「…………」
「…………」
「どうでしょうか……」
 彩ちゃんの新刊を彼女のブース前で読んで絶句する南さんと俺。
 ここはこみっくパーティー会場。
 彼女の本は色々な意味で衝撃だった。
 第一、どうしてここまで俺と俺の周りの関係を彼女が詳しく知っているのかがとても謎だ。
 気づくと何故か数歩後ずさり。
 自然、俺の中では彼女に警戒心というかヤバそうな予感が沸いてくる。
「………」
「あの……」
「はい」
「えーとその、何で俺が……」
 本のチェックに来た筈の南さんが固まって動かないので、代わりにかろうじて俺はそのことだけを聞く。
「ご迷惑でしたか?」
「いや、その迷惑というか……何で?」
 何とも言いようがない。
「そんな夢を見たから……」
「夢?」
「はい。和樹さんが原稿に苦しんでいる夢。そんな和樹さんを……」
 そのまま俯き、小声でわたしがどうしたとかこうしたとか言っているのが聞こえる。
 その仕草だけでヤバそうな気配は何故か瞬時に吹っ飛んだ。
 かなり可愛い。
 萌え。
「………」
「え、ええと………」
「………」
「あらあら、仲良しさんですね」
「み、南さんっ」
 いつのまにか立ち直っていたらしい南さんがニコニコと横から見つめていた。
 かなり気恥ずかしい。
「あ、えっと……」
「………」
「若いっていいわねぇ………だから二人の未来を祝福して……はい、これ」
 お互いに赤面して何も言えないでいた俺たちの前に、にこやかに販売停止カードを下さった。
 南さん萎え。
「でも、これが正夢になれたらそれだけでわたし……」
「あ、え……」
「はいはいはい。そういうのは隅っこでちゃっちゃとやってくださいね」
 未来を祝福された俺達二人に、そんな雑音が聞こえることはなかった。


 その頃、本人のいない和樹のブース前では複数の女性が言い争っていた。

「あ、あたしは和樹さんが画家を目指していた頃からのファンだから!」
「あ、あたしだって……和樹さんの最初のマンガの頃からのファ、ファンだから……」
「あ……あたしなんて、和樹が平凡な一高校生からのファンよ!」

―――世の中、所詮は直接迫ったもの勝ちなのであーる。

 そんなキート○山田風のナレーションが、彼女達の耳に届くことも、

「この本は、わたしと和樹さんだけの……」
「あ、そ、そうだな……」
 術中に填まった和樹に届くことは決してなかった。

「…ぶい」
 和樹の死角でこっそりピースサインを出している彼女以外は。


                              了

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