お題 “バレンタインデー”
 

「細かい事は気にするな」


Written by 久々野 彰


「ふわぁ・・・」



 眠い。
 眠過ぎる。



 調子が良いまま、つい徹夜してしまった。




「こんなの瑞希が知ったら、また健康管理がどうこうって文句を言うんだろうなぁ・
・・」




 俺は千堂和樹。
 ひょんな事から現役大学生のプロ漫画家になってしまった。


 きっかけは悪友の誘いを断れずにズルズルと『こみっくパーティー』と呼ばれる月
一の同人誌即売会に、毎回同人誌を描いては売っていたところをコミックZの編集長
に見込まれ、誘われたことから始まった。
 そして俺をこの道に引き込んだ悪友、初めは文句ばかり言っていた幼なじみ・・・
じゃなくて高校からの同級生、即売会のスタッフの女性や同人作家の知り合い達、そ
して大勢のファンに支えられながら、今、俺はこうして漫画を描いている。
 大学に入った頃、目標を見失っていた俺には思いも寄らない状況だった。



 そうしてプロになって一年が経とうとしている。
 小説の挿し絵やら代稿の4コマやらを経て、読み切りのデビュー作がなかなか好評
だったお陰で今、『岡田、吉井の事情 〜私たちが松本を埋めたワケ〜』という連載
を持つに至った。このまま順調に行けば単行本化もありえるのだという。



 そうなれば、自然と張り切るのは新米漫画家としては当然な訳で、
 徹夜の一つ二つもなんのそのな訳である。



「ふわぁ・・・」



 とは言え、やっぱり眠い。
 今日は平日だが、大学生だから休んでも大丈夫。
 朝日が登ってから起きだして、夕陽の前に寝てしまうこともだってOKだ。
 星の全ては俺の夢だし。
 


  カタン…



 ん?
 扉の新聞受けに、何かが入れられるような物音がしたな。
 新聞は取っていない。
 俺はTV欄さえあれば問題無いのだ。
 アニメの放送枠さえ把握していれば。



  ガチャ…



 新聞受けを開けて中を覗くと、中から綺麗なリボンとラッピングがほどこされた箱
が出てきた。



「こいつは・・・?」



 ぱたぱたぱたぱた…



 誰かが走り去る物音・・・誰だ?



 慌ててドアを開けて周囲を見回すが、誰もいない。



 誰なんだ、一体。
 郵便物じゃないよな。


 ドアを閉め、鍵を掛けてチェーンも下ろす。
 そうしてから改めて箱を眺める。



「ん? 中身は・・・」



 カサカサカサ・・・



 まさか、開けたら爆発しないだろうな・・・



 シュルルッ・・・



 リボンをほどいて箱を開け・・・






「あぶなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!!!!!!!!」




「うぐぉっ!?」


 いきなり背後から何者かに突き倒される。
 そしてその何者かは後ろからもぎ取るように箱に入っていた手作りと思われる綺麗
にトッピングされた何かを奪うと、



「相良軍曹・・・危険物を爆破処理しますっ!!」



 そう言って、紙粘土の様なものを押し付けて窓の外に放り投げると、



「爆破っ!!」



 手に持ったスイッチを押す。




  ドォォォォォンッ!!




 窓の外で重い音がした。
 部屋が爆風で振動する。
 窓に微かにヒビが入る。



「和樹、危なかったね」
「・・・み、瑞希?」



 煙が入ってくる窓から外を一瞥し、こちらを向いた彼女は俺の隣の家にす・・・も
とい近所のマンションに住んでいる友人兼同級生、高瀬瑞希だった。
 元気一杯、爽やか三郎太な微笑みだ。



「もう、外から入ってきた物を不用意に開けたりしたら駄目じゃない! 何の仕掛け
がしてあるか判らないのに・・・」



 いや、判らないのはお前だ。



「み、瑞希・・・いつから部屋に?」



 さっき、チェーンロックまでかけた筈なのに。
 彼女の背後のドアを窺うように目を凝らす。
 確りと鍵はかかっているようだった。
 もしかして壁抜け?



「いつって・・・昨日の夜から。和樹、コンビニに行ってたでしょ? その時」
「き、昨日の!?」



 記憶を手繰ってみると、あの時も鍵はかけた筈だが。
 普通、そうだろ。



「うん。あのクローゼットの中で和樹の事を見てたんだよ」
 瑞希が洋服箪笥を指差す。飛び出してきたらしく今は、扉が開いている。
「は、はぁ!?」
「怪しい奴に狙われたりしたら大変だから・・・ちょっと待っててね」
「あ、おいっ・・・」



 瑞希はそう言うと、俺の言葉も聞かずにさっさとドアを開けて外に出ていってしま
った。



 怪しい奴・・・って今のお前以上に怪しい奴はそうそういないぞ。




 そう言いたかったが、本人は外に出ていってしまっていた。
 何故かついて行く気になれずに、そこで待っている。
 その場で立ち尽くしてしまっていたと言う方が正しいか。



 瑞希は初めこそ、文句ばかり言って俺を困らせたりしていたが今は立派なオタ・・
・いや、理解者だ。
 今描いている漫画に関しても、
「こことここ、わかんないわよ これじゃあ」
「もっとこのコマにギャグを入れなさい」
「この原稿のここ、ホワイト漏れ直す!」
「ユ○ケル、半ダースで買っておいたからね」
 等と生意気にも・・・いや親切にも色々と助言してくれるまでになった。
 今では遠慮したい・・・もとい、無くてはならない掛け替えの無い相方だ。
 あの大志でさえも、「邪魔だね、こいつ。支配者はただひとりで十分だよね」とか
言って屠った女。
 高瀬瑞希。
 誰か何とかしてくれ。
 頼む。



「ほら、やっぱり思ったとおり・・・」
「え?」



 暫くして瑞希が戻ってくると、手にしていた黒焦げになった紙片を俺に見せる。
 良く見ると、何か付着している。


「あれ・・・これって・・・」



 焦げてはいるが、この甘い匂いはチョコ・・・そういや今日は、バレンタインか。
 ん? もしかしてこれは・・・カード?



『あなただけ・・・


 後半は炭化してしまっていて読めない。
 名前は書いてあったのかもしれないが、これではどうしようもない。


「・・・」


 でも、この字には見覚えがある。今や見慣れたこの字・・・


「アヤ=スタンフォード」
 CV久川綾の為に拵えられたキャラクター。ブリード加賀とくっつくらしい。
「・・・でね、ダメだよ! もっと自覚を持たないとっ!!」
「じゃなくて長谷・・・って、え?」
「和樹、聞いてなかったの?」
 そう言って、瑞希は目を細める。ジト目ってヤツだ。
「え、あー、すまん・・・」
「だから、和樹を狙っている組織は多いんだからもっと身辺に気を使わないと駄目だ
って言ったの」
「は・・・はぁ・・・?」


 そんなもの、無いと思うが・・・。


「和樹ったら人がいいから「君、プロの仕事する気ない? ページ4千円出すよ」と
か言われてホイホイと・・・もう、やっぱり和樹には私がついていないと・・・」
「あのぅ、もう俺デビューしてるんですけど・・・」


 そう良いながら、満更でもないのか嬉しそうな顔をしている瑞希。
 いや、それはそれで可愛いのだが、その前の発言とか行動とかが気になって今はそ
んな気分になれない。



 ピンポーン。



 瑞希が更にあれこれと熱弁していると、インターホンが鳴った。
「あれ?」
 誰か来たみたいだな。
「は〜い」


 ガチャッ


「ちわーっ!」
「あ、あれ?」
 蒼い髪が爽やかなお目めぱっちりのいつもの運送屋さんだった。
 どうでもいいが、この地区を担当しているのって、この人しかいないのか。
「お届けもの持ってまいりましたあ。ハンコ、お願いしま〜す」
「あ、どうもごくろうさまです。ええと、ハンコは・・・」



「ファイナルパニッシャーッ!!」



  ズゴゴゴォォン



「わぁぁっ――!!」
「ぬぉぉぉっ――!?」



 俺と運送屋さん改め風見鈴香さんとの間に閃光が走り、その光に包まれて彼女が消
えて行く。
 俺はコロニーレーザーに灼かれていく名も無きティターンズパイロット達の様に手
をかざして光を遮る。



「ほら、言ってる側からっ!!」
「あー、す、鈴香さんっ!・・・」



 暫くして光が収まると、俺の前にはプンプンとちょっとおかんむりな瑞希が立って
いて、渡り廊下の隅で、ボロボロになって鈴香さんが倒れていた。
 意味も無く半裸なのは昔のシリーズを意識したのか、単に双六クイズの科白が気に
なったのかわからない。



「でも、まさか組織の手がここまで伸びているなんて・・・」
「だからな、瑞希・・・」
「ハ、ハンコをお願いします・・・」
「うわぁっ!?」


 自らはボロボロになりながらも、何故か無傷の伝票を差し出す鈴香さん。
 セールスドライバーとしてのプロかも知れない。
 でも縞の服着てないしな。


「な、何のこれしき・・・優香ちゃんの奥義究極鬼吼弾に比べたら・・・」
「・・・それ、ウエイトレス」
「2以降、原則あってないようなものですし・・・」


 まぁ、そうだけど。


「何、二人して訳の判らない暗号を交しているのよっ!? アナタもオタクね! だ
からオタクって嫌い!! もぅ、姫神舞闘譚なんて、全然意味不明っ!!」


 知ってんじゃん。


「いやぁ・・・もぅ、カーセン○ー様々って感じですよー」
「まーねー」
 鈴香さんに対して何か偉そうに鼻をさすっている瑞希。
 何か二人してチラチラと物欲しげに横目で俺を見ている。




 ・・・ええと、ツッコまなくてはいけないのか?、俺。




「あー、ハンコ。商品は焼失したけど・・・」
 敢えて無視して、判子を鈴香さんに渡すと、あっさりと演技を止めて
「どうも。それじゃあ、毎度ありがとうございましたあ!」



  バタン。



 フラフラになりながらそのまま帰っていった。
 で、残されたのは相変わらず俺と瑞希。
 後、焦げた臭いのする何かって言うより炭。
 廊下から閉めたドアを伝って臭いだけが漂ってくる。


「・・・」
「・・・」


 さっきの荷物、やっぱり立川郁美ちゃんからだったんだろうなぁ。
 この事知ったら、雄蔵さんに殺されるかもしれない。
 一体、何だったんだろ。


「大丈夫よ、和樹」


 俺の不安そうな顔を察したのか、その原因が俺を励ましてくれる。


「あの前に寄越してきた差し入れのクッキー見れば判るじゃない。あたしは和樹を食
中毒の危機から守ったのよっ!! もっと感謝しなさいよっ!!」


 これ雄蔵さんに聞かれたら、もっと殺されそうな気がする。
 しかも何となく、その殺意を俺に向けて来そうだし。
 でもどうしてLeafゲームの兄妹の兄ってシスコンしかいないんだろ。
 かなり謎だよな。



「しかしまぁ・・・ちょっとこれじゃあどうしようもないな」



 一眠りしようにも、朝食を食べようにも、漫画の続きを描くにしてもこの状態では
出来そうに無い。
 第一、このマンションの他の住人、押しなべ俺の両隣の部屋の住人とかは何も感じ
ないのか?
「和樹の邪魔にならないように・・・
「言うなーっ! 俺は何も聞かないぞーっ!! だから関わり合っていないんだーっ
!!」
 耳を押さえて絶叫する。
「もう、和樹ったら。大丈夫。和樹に迷惑だけはかけないから」


 今更、言うな。
 何か手後れだし。



「あたし、和樹になにもしたげられないけど、さぼったり、いじけたりしちゃ、ダメ
だからね。応援してるよ、あたしは。これからずっと・・・」


 いや、だから本当に応援だけで留めてくれ。
 なにもしないでくれ。



 そう言いたかったが、


「取り敢えず、メシでも食いに行くか・・・」



 ほら、やっぱり俺も命惜しいし。
 大志の横で眠りたくないし。



「外食よりもあたしが作ってあげるのに・・・」
「いや、いいって。ほら、気分転換って意味もあるからさ」
「Dr中松の頭が良くなる食品シリーズで・・・」
「さーて、今日は何処で何を食べようかなー」



 朝早かった筈だが、色々あって昼近くになってしまっていた。
 もう既に大学に行くという選択肢は消失していた。
 今更無駄だし。



「千堂クン」
「あ、和樹さん」
「あ、どうも・・・」


 駅前で出会うは編集長と南さんだ。
 町中でこの二人を見るとは珍しいな。


「原稿、はかどってますか?」
「まぁ、何とか」
「千堂クンもお昼?」
「ええ、朝食も兼ねているんですけど・・・なぁ、みず・・・あれ?」
「どうかしたんですか、和樹さん」
「いや、瑞希・・・さっきまで横にいたのに・・・」
「え? あの喜怒哀楽が人一倍激しい思い込みの強い面倒な性格な彼女?」
「え”・・・」
 編集長こと、澤田真紀子さんの言葉に絶句する俺。
 何か全てにおいて容赦無い人だとは思っていたけれど、ここまでとは。
「私、才能のない人には・・・ほら、少し厳しいから・・・」
「人の心、読まないで下さい」
「一庶民の代表として!! 家計を預かる主婦の代表としてっ!! 父、角栄の娘真
紀子ではなく、新潟の一人の国民として私は訴えますっ!! 国の大事を永田町の論
理で振り回されていいものでしょうかっ!!」
「モノマネしても駄目です。しかも似てないし」
 あの声は真似しようと思って出来るものじゃない。
「あのう、私たちが見つけた時から、和樹さん一人でしたけど・・・」
 その南さんの言葉が終わるや否や、


「回旋風神脚!!」



  ドガガガガ・・・キュイィィCCCン・・・ズガガァンッ!!



 風に飛ばされる紙切れの如く、マッキーが右から左へ横スクロール。
 僕の背中は自分が思うより正直だったみたいだし。



「げ・・・ごぼ・・・」
「あらあら、まぁまぁ・・・」



 血の海に沈む真紀子さんに、何故か笑顔の南さん。
 あんたら、先輩後輩の仲だったんじゃ。



「先ぱーい。生きてますか〜」
「南さん、それ電柱」
「あらあら〜、どうしましょう。こんなに血で赤く染まっちゃって・・・」
「それは郵便ポスト」
「ええと、どうしましょうか、サンデーさん」
「ポストに聞くなっ!!」
「じゃあ、兆治さん?」
「もうどっからツッコんでいいのかわからないッス」
 ポストを撫でながら聞く南さんに俺げんなり。
「ごぼ・・・ごぼぼっ・・・」
「もう。いけませんよ、お姉さんをからかっちゃ。先輩もこんなに真っ赤になって怒
っているじゃないですか」
「あのですね・・・」
 言葉の代わりに血の固まりをごぼごぼと音を立てて吐き出す様は何だか怖い。
 しかものほほんとしている南さんを上目遣いで睨んでるし。


「やっほー、千堂クン」
「あ、れ、玲子ちゃん」
「あのさぁ、今日バレ・・・」




「大蛇狩りッ!!」





  ズゴゴォッ!!





 おおぅ、玲子ちゃん。
 空、舞ってるよ。
 空。




 ・・・って、オイッ!!




「あは、あはあは〜、しょ、翔さまの技だぁ〜っ☆」



 数メートル先で脳天から着地し、その頭から血を流して笑う彼女は何か爽やかだ。
 清々しい。
 やや顔が青ざめているのはこちらも失血しているからなのだろうか。
 そう言えばと振り返ると、もう真紀子さん達はいなかった。
 しかし、血溜りすら残さないのはどうしてだろう。


「そ、それじゃあ、あたしバイトがあるから帰るね〜」
 足取りが非常に不安定だ。
「き、気を付けてね・・・」
「うん。じゃ、じゃあぁ〜ねぇぇ〜」
 前歯が一本、無いのは見なかった事にしよう。
 ホラ、一応女の子だし、気にするといけないから。
 俺って何て優しい親切なナイスガイなんだ畜生め!



「・・・で、おーい瑞希っ!!」



 技は出せども姿は見せず。
 一体何処に隠れたんだ。


  ガサッ


 その声に反応したのか、駅前に植えられている大木の枝が揺れた。



「何隠れてるんだ、オマ・・」


 木の前に来て見上げると、


「あ、あのあの・・・その・・・」


 そこにいたのは瑞希ではなくて、あさひちゃんだった。
 何故か忍者の装束・・・ではなくてザ・ニンジャの王位争奪超人タッグトーナメン
トverのコスプレをして。
 でも、それは確かこんなピンク色ではなかった気がするのだけれども。


「あたし、そ、その・・・あ、あ、あがりしょうで・・・ひ、ひ、人前に出るの苦手
で・・・で、そ、その、頭の中、真っ白になって・・・」
 それ以前に言う事があるだろ。
「あ、あさひちゃ・・・」



「千手菩薩掌!!」



  ズゴゴォッ!!



 さらば、あさひちゃん。
 そして、ありがとう。
 おしまい。
 チャンチャン。



「・・・ってなぁ、瑞希ぃぃぃっ!!」



 もう許しちゃおけない。
 これ以上、好き勝手させてたら、俺まで同類視されてしまう。
 共犯もいやだが、下手すると主犯扱いされかねん。


「いたっ!! 瑞希、お前なぁっ!!」
 少し離れた所、割れたショーウインドの側に瑞希はいた。
 さっきまではガラス割れていなかった筈だし、割れた音も聞こえなかったのだが。
 まぁ、あれだけ爆音やら波動音やら続けば、気づかないかもしれないが。


「待って・・・」


 瑞希はそんな俺をチラリと見て、片手で制した。


「ふみゅーん。許して〜、見逃して〜」


 もう片手・・・
 瑞希が首根っこ捕まえて、揺さぶっているのは・・・詠美か。
 全く、制服姿で街をフラフラ歩いているからこんな目に遭うんだ。


「うきゅ〜ん、そんなこといわれてもぉっ」
「おい、何してんだよ・・・瑞希っ!!」
 今更だが、取り敢えず訊いておく。
「誰が24時間ノンストップライブよっ!!」
「何時の話だっ!?」
 もう「誰の話だ?」とは聞かないのは、俺が大人になったからだろうか。


「今、訊問しているんだから邪魔しないでっ!!」
「だから、それって・・・」
「もう和樹一人の問題じゃないわ。巻き込まれた私自身の闘いでもあるのよっ!!」
 巻き込まれたのは俺であって、お前じゃない。
「パパァ〜 ママァ〜 もう二度と我侭言わないから助けて〜っ!!」
「うるさいっ!!」
「ふへぇぇぇん・・・」


 瑞希は泣き喚く詠美を一喝すると、


「やるなぁ・・・瑞希ちゃん」


 ずれた眼鏡を中指で押さえながら、突然由宇が現れた。
 辛うじて割れていないショーケースに寄り掛ってポーズを取っているのは何か意味
があるのかどうか。


「ゆ、由宇!?」
 何だか嘘くさいが、改めて驚いた声をあげてみせる俺。
 瑞希に至っては手にしていた緑色の襤褸雑巾を地面に投げ捨てて――あれ? 元は
なんだったっけ?――叫んだ。
「出たわね、秘密結社『青白い姉妹』!!」


 何だよ、それ?
 第一、由宇のサークルは『CAT OR FIS・・・



 ベシィッ!!



「ドアホっ!! それはそこで泣いてる大庭カ詠美のサークルや!! ウチのは『辛
味亭』やっ!!」


 どっから出した、その鋼色に輝くハリセン。
 さっきは持っていなかったのに。



「関西の乙女の身だしなみや。あ、因みにコレは名前を『くるみ』っちゅうんや。仲
良うしてやってや。特に和樹とは深い付き合いになりそうやしな」


 ハリセンと深い付き合い・・・かなり嫌だ。


「あーっ!! やっぱり和樹を悪の道に引きずり込もうとしていたのねっ!!」
 涙にくれるアオミドロ(太眉)を締め上げながら言う台詞じゃないぞ。
「人聞きの悪い事、言うんやない。これは人助けや」
「・・・そーよそーよ。このパンダはともかく、アタシは・・・」



 メキッ
 ピシッ



 ・・・二人共さぁ、せめて最後まで科白言わせてやろうよ。



 心の中でしか言わないのは、口に出せば詠美(元人型)と同様の運命を辿る事を自覚
しているからだ。



「今日のところは、瑞希ちゃんの頑張りに免じて、退散したる。だがな、言うとくで
・・・今日の勝利はつかの間のもんや。最後に笑うのは・・・」


 そう言って、自分を指差す。


「ウチや」


 そしてニヤリと笑う。


「ま、今から寒中水泳の練習でもしときぃ。淀川の水は冷たいでー」
「そっちこそ、次に会う時までにはペンギンの着ぐるみでも用意しておきないさいよ
っ! 神田川の水温だってそこそこのものなんだからね。マミコちゃん」
「マ、マミコって誰やねんっ!! ウチは由宇っ!! 猪名川由宇やっ!!」


 何か瑞希、強くなったよなぁ・・・。
 昔は由宇と張り合うだなんて、考えられもしなかった。
 俺はしみじみと昔を思い出して感慨に耽った。
 現実逃避とも言えなくもない。


「あーら、御免遊ばせ。淀川さん」
「猪名川っ!!」
「武庫川?」
「いながわやっ!!」
「神崎川?」
「いーなーがーわっ!!」
「そっか。猪苗代湖さんか」
「「いな」しかあっとらんわっ!! しかもそれは湖やんっ!!」
「イジリー岡田」
「おいっ・・・って、いい加減、アンタも見とらんでツッコめやーっ!!」


  ドカッ!!


「うごぉっ! い、いたい・・・」



 やっぱりとばっちり。



「みずきっちゃんは友だちやから加減してあげようと思うてたけど・・・そう思って
いたのはウチだけのようだったな」
「いったい、いつ友だちになったのよ・・・あたしは一度もそのつもりはなかったわ
、自称友人さん」



 燃えている。
 燃えているぞ、二人共。




「あの・・・お兄さん」
「ん・・・?」
 ちょいちょいと後ろから袖を引っ張られる。



「あ、つかちー」
 俺が振り向いて、引っ張っている主こと千沙ちゃんを確認すると、


「何や、つかちーやないか?」
「どうしたのよ、つかちー」
 睨み合いを続けていた由宇と瑞希も千沙の方を見る。



「にゃあっ!? 何か皆して千沙の事、渾名で呼んでますぅっ!!」



「だってなぁ、つかちーはつかちーやし」
「つかPだとあやPとまちがえるといけないじゃないの」
「千沙ちゃんだなんて、横山智○を思い出して、何か嫌っ! オタクっぽいしっ!」



 詠美まで復活してショックで白くなる千沙ちゃんを囲んで、それぞれの思う所存を
好き勝手に話し出す。



「それで、つかちーはどうしたのかな〜 またパパやママのお手伝いかなー?」
「にゃああっ!? しかも子供扱いっ!?」
「そうよ、和樹。つかちーに失礼じゃないっ!」
「そうや、この年頃の子供は傷つきやすいんやから、もっと気をつけなあかんで」
「そーよ。レディーへの扱いがなってなーい。背も胸も金もないびんぼーにんだから
ってみ、み、み・・・めくじっちゃいけないんだから」
「ごめんでちゅー。それで今日はどうしたんでちゅかー? 今日もアルバイトでちゅ
か〜? お兄ちゃん、感動でちゅう」
「にゃあああんっ!?」
「馬鹿ねー、ポチ。こういう時はまず、またたびを用意して・・・」
「アホ。和樹も詠美もまだまだやなぁ。まずは猫じゃらしで油断させて・・・」
「だーかーらー、縁結びの鈴なんて要らないんだってばっ!!」
「み、み、皆さん酷いですーっ!!」
「あ、つかちーっ!!」
「どうしたんや、つかちーっ!!」
「こらぁ、あたしに挨拶もしないで逃げる気ぃ〜っ!!」
「猫八ちゃーんっ!!」




「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・行っちゃった」
「全く、和樹も罪作りな男やなぁ」
 俺だけのせいっすか?
「このはくじょーもんっ!!」
 そりゃ、全く責任が無いとは言わないけれどさぁ。
「猫間の中納言・・・」
 瑞希、さっきからもう何がなんだか判らないよ。



・
・
・



「何だか今日はとてつもなく大騒ぎした一日だったな」


 既にもう、日は暮れてしまっている。
 あれからまた口論となった瑞希と由宇の戦いは、大庭詠美が何故か悶絶した事でひ
とまず落ち着いた。



「本当、今日は何だかとっても疲れちゃった・・・」



 そりゃ、そーだろ。
 しかも何だかんだで今日一日、何も食べていない。



「そうだ・・・和樹、これ、食べる?」
「え・・・?」


 そう言って瑞希が差し出したもの。



 それは、カラフルな包装紙と色鮮やかなリボンで綺麗にラッピングされたハートの
形をしたものだった。
 今日、2月14日にだけ、特別な意味を持つもの。



「何とか、間に合ったよね」



 そう言って、瑞希が照れくさそうに笑った。
 公園の時計を見ると日付が変わるまで、あと15分ぐらいの所だった。



「サンキュー、瑞希」
「ううん、いいの。今日は和樹に最初に受け取って貰いたかったから」
「最初?」
「うん。和樹の最初のチョコにして欲しかったから」
「瑞希・・・」



 そう言う瑞希の頬は街灯の光から見るだけでも真っ赤になっていた。



 そう、真っ赤だった。




「あ・・・」



 鮮血。



 驚いたような、間の抜けたような顔。
 見開かれた瞳。
 何かを抱え持っているように止まった手。
 動かぬ身体。
 そして、突き出ている刃先。



 出刃。



「ゆ、許せない・・・こんなハッピーエンド・・・許せない・・・」



 包丁を握っているのは、最初に出たきりすっかり存在を忘れていた彩ちゃんだった。
 正確に言えば、出てはいなかったのだが。



「私のチョコ・・・爆破しておいて自分のだけだなんて・・・許せない・・・私は結
城ゴモラを許せない・・・」




 結城某はさておいて、それはいい。
 それは、仕方が無い。






 けれど・・・






「どうして、俺を刺す・・・」





「か・・・」





 俺の腹から吹き出す血に頬を染めて、瑞希が叫んだ。






「和樹ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――――っ!!!!!!!!!!!!!」






 そして俺の身体は、ゆっくりと傾いていって・・・






「・・・はっ!?」



 カクンと顎から落ちかけた頭を慌てて戻す。
 気が付けばそこは自分の部屋のいつもの机。
 右手にはGペンを持ったままだった。



「寝てた・・・んだ」



 どれくらいの時間が経っていたのだろう。
 徹夜で原稿を書き続けてしまっていつしかウトウトしていたようだ。



「ふわぁ・・・」



 眠い。
 眠過ぎる。



 時計こそ朝を指しているが、いつ頃まで原稿を描き続けていたのか記憶が無い以上
、徹夜に近い事は間違い無い。




「こんなの瑞希が知ったら・・・って、何か変な夢を見たなぁ・・・」




 一人苦笑しながら伸びをする。
 今日は平日だが、大学生だから休んでも大丈夫。
 一応、代返もしてくれる便利な友人やノートを写してくれる有り難い友人がいる人
に限るが。
 でないと、後で慌てる事にならないとも限らない。
 


  カタン…



 ん?
 扉の新聞受けに、何かが入れられるような物音がしたな。
 新聞は取っていない。



「・・・・・・」



 ぱたぱたぱたぱた…



 ドアの向こうで遠く聞こえる誰かが走り去る物音・・・





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて」






 ・・・ど、どうする?






                        <NeverEnd>