『編集者がやってきた』


1999/09/27



 いきなりだが、俺はプロ漫画家千堂和樹だ。
 まだ成り立ての新人だが、プロはプロだ。
 そこいらの太眉万年同人漫画家なんかと比べられちゃ困るよ、チミィな存在だ。
 あの超有名漫画雑誌『コミックZ』の澤田真紀子編集長に魅入られた………もとい、
見初められたのがきっかけで、いつしか二人は手と手を取り合いゴールイン

 ………しちゃあ駄目だろ!!、俺!!

 まぁ実際、マッキーが南さんの回想シーンくらいの歳だったらなぁ………。
 良かったのになぁ………。

「はぁ………」

 ………じゃなくて!!
 そーゆー経緯を経て、俺は雑誌で短編を描いたり、小説のカット絵を描いたりしな
がら真面目に漫画を描き続けてきたら遂にとうとう決まったぜ。
 来たかチョーさん待ってたホイってヤツだ。
 これを麻雀でリーチの牌が来た時に口ずさむ奴は、絶滅種だ。きっと。

 決まったのは雑誌の本格的連載………印税長者生活の輝ける第一歩。
 やったぜ、ベイベー。
 電話口でその話を聞いた時は思わず気分は三笠音頭を踊りながら博多どんたく祭り
でも俺一人のベリーダンスな腰の振りをしていたんだがマッキーは気づいてくれただ
ろうか。

 そして今日、俺の編集者が俺の家に来るのだ。
 今。
 これから。

 わくわくしちゃうなー。
 女性かなー。
 女性だったらいいなー。
 勿論美人でー、スタイル良くてー、優しくてー、勿論厳しいんだけど最後は俺の我
が侭を多少は聞いてくれるぅー

「早く来ないかなー」
 俺が金持ちになる第一歩の使者。
 ルンルン気分、ハートはゴーゴー、オーイェー♪

・
・
・

 あたしは和樹のこ、こい、こここここここ………こけこっこー。
 あ………こほん。その、えっと………幼なじみではないけど和樹と付き合ってる。
 だってあいつ、言ってくれたもん。あたしが欲しいって。

 ………………………………………………………ポッ。
 何か今、凄い恥ずかしいこと言った。あたし。キャーキャーキャー。
 えっと、色々あったけど、やっぱり今、あたし、充実してる。
 だって………和樹のこと、こんなに好きになれたんだもん。
 凄く好きになったカードマスターピーチのモモちゃんの次に。

 今日は遂に和樹が連載を持つことになって、担当に決まった編集者が打ち合わせに
ウチに来る。
 だからあたしはお茶を和菓子を買って帰る途中。
 やっぱり気の利かない同棲相手だと思われたりすると、後々和樹が困るかもしれな
いし、締め切りを守らない立派な一流漫画家になったりしたらその人がウチにずっと
泊り込むような事にもなったりしたら、私が話し相手になったりしないといけないし
………あ、格闘ゲームは接待が出来るレベルまでやりこんだから大丈夫。きっと。

 そして、編集者はやってきた。
 あたしが帰って来た時には、既に編集者は家に来て、和樹と話していた。
 美人で知的な雰囲気の漂うその女性編集者と和樹は意気投合したようだった。
 美人で知的な部分で和樹の条件の殆どを満たしていたらしい。
 まぁ、あたしは別にどうでもいいんだけど。

 そして順調に打ち合わせも終わり、執筆意欲に燃える和樹を残してあたしはその女
性編集者を見送りに外に出た。
「今日はどうもお疲れ様です…」
「高瀬さんでしたかしら?」
 乾いた眼差しであたしを射る彼女。
 一体、あたしのことを和樹からどの程度まで聞いてるんだろう。
「あなた、和樹さんと一緒にいるそうですね?」
 わざわざ聞くことだろうか。
 今の一言はちょっとむっときた。
「…あ、はい。私、少しでも和樹の力になれたらと思って…」
 だけど彼女は全く気にしていない様子で腕を腰に当て、見下すような眼差しであた
しを見た。
 同性のあたしから見ても、ぞっとするほど美しい仕草だ。
「あなたは何も判っておられないのですね」
 な、何よ突然…?
「今、和樹さんがどんな時か、本当に判っておりますか?」
「…知ってます」
 あたしは和樹が今、いかに成長中か判ってるつもりだと説いた。
 彼女は黙って聞いてたけど、突然、
「それで?」
 溜息とともにあたしに訊き返した。
「それで…って?」
「自称恋人のあなたはどうなさるべきなのかということですわ」
 自称とは何よ。
「あなたは和樹さんに何をして差し上げられるのです?」
 え…。
「自称恋人のあなたは、和樹さんをどんな風に手助けして下さるのでしょう?」
 いちいち自称自称って、なんて嫌な女なの…。
「それは…」
「彼に甘い言葉をかけたりして、彼を勇気づける? そのくらいですかしら?」
 馬鹿にしたような口調で、あたしに切り込んでくる。
「それでどうなります? 彼はあなたをますます想うようになるでしょう。ネームや
絵コンテやペン入れに上の空で身が入らないまでに」
「か、和樹はそんな風には…!」
 あたしは思わず声を張り上げる。
「はっきり申し上げます。高瀬さん、あなたに、千堂和樹に必要以上につきまとわな
いで欲しいのです」
 パーキングまで来ると、彼女は自分の車のキーを弄びながらあたしに言った。
 街灯だけが照ってる、暗い路上に彼女の声は静かに響く。
「…つきまとうだなんて…」
 強く言ってやろうと思ってたあたしも、思わず怖じ気づいたみたいに弱々しい声に
なる。
「和樹さんの為でしょう? お判りになりませんか? 『恋人』さん?」
「…和樹の為?」
「やはり考えたこともないようですね」
 違う…。
 以前、そんな風に悩んだことがあった。
 あたしは、和樹の為に何をしてあげられるのかと…。

 …だけど結局、和樹は………。

 ――いいよ、それで……。瑞希がいてくれるだけでいいよ。ほかにほしいモノなん
  て、なにもない
 ――俺は瑞希を選んだんだ。俺が瑞希を……。瑞希のいいところも悪いところもみ
  んな……
 ――んっ! あ……んっ! いやぁ……ああっ! んっく!

「………ゲホッ、ゴホゴホ」
「風邪ですか?」
「い、いえ」

 …い、言えない。

 あたしはそう思った。
「なにも、別れろとは申しません。ただ…」
 彼女はここで静かに笑った。
 初めて見た彼女の微笑み。

 …なんて冷酷な笑顔なの…。

「和樹さんにとって、あまりに大切な存在になって欲しくはないのです」
 彼女の微笑みにあたしは自分の身体が凍り付くような錯覚を憶えていた。
「確かに、あなたに励まされることは和樹さんを大いに勇気づけます。そのことは過
去の似たような経験からも私にも判ります」
 そこで、一息いれる。
「あなたが突然いなくなってしまったら、彼も仕事どころではなくなるでしょう」
 彼女は馬鹿にしたように一言一言、ゆっくりとかんで含むように言う。
「ですが、その段階で終わっていていただきたいのです」

 何が言いたいのよ…?

「実質的に和樹さんがあなたを頼るようになってしまうと、あの人はその時点でお終
いなのです」
「そんな…和樹は…!」
「あなたが実質的に何かをして差し上げられるというのであれば、それはそれで良い
のでしょうが…」
 そして再び、あの無機質な笑い…。
「まして、下らない男女関係のことで騒がれたりするのは、どう考えても彼の才能に
は釣り合いません」
 確かにその通りだ…。

 …悔しいけど…。

 彼女はあたし以上に和樹のことをよく判ってて、そしてシビアに考えてくれてる。
「あたしに、和樹のコンパニオンかカウンセラーになれと…? …恋人じゃなく…?」
「そういうことになりますね」
 問題を解いた生徒に向かって言うように、彼女はあたしに言う。
 一体、どうすることが和樹の為なのか、あたしにはもはや判らなかった。
 和樹の為に、真摯に偽った気持ちで和樹に接する…?
 まるで詭弁だ。
 言葉の迷宮だ。
 彼女は軽く腕を組んだまま、あたしの答を待ってる。
 この恐るべき女性は、その回答をあたしの口から言わせるつもりなんだ…。
「あなたは、今あなたの偽らない愛情で彼を喜ばせることで、彼の将来を潰してしま
うおつもりですか、それとも?」
 勝負はついた。
 あたしは完全にとどめを刺された。
 生暖かい季節の変わり目の風があたしを縛りつける。
 逃げられない。
「……………」
 涙が出てきそうだった。
 和樹に対してどうすればいいのか、あたしの頭の中はそれだけだった。
 しかしそれを考える能力はとうに麻痺してしまったみたいで、その疑問だけが凝り
固まっていった。
 よくできました、という風に彼女はあたしの方に近づいてきた。
 彼女の手が、あたしに触れる。
 あたしはびくっと手を引っ込める。
 だけど彼女の手はあたしに追いすがり、逃がさない。
 彼女の手が怯えたあたしの手をしっかりと握りしめる。
「あ…」
 滑らかだけど、どんな温度も感じられない手だ。
 あたしの手は意気地なく震え出す。
「とは申しましても、あなた方の心を抑えるなんて口約束じゃ難しいのでしょうね」
 彼女の瞳があたしを捕らえる。
 まるで霧がかったような、何も読みとれない瞳だ。
 人が霧の中に迷うのは、その奥が深いからじゃなくて、その奥の深さが判らないか
らだ。
 その瞳に飲み込まれたあたしは、さながら小動物だった。
 彼女はあたしの手を両手で包み、顔のあたりまで持ち上げる。
 言いようもない温度、温かくも冷たくもない空気に完全に包まれる。
「いつでもおつきあいいたしますわ。和樹さんの代わりに」
 彼女は平気でそう言ってのけた。
 そして音もなく手を離して、車の中に身体を滑り込ませる。
 あたしはただ怖くて、少しも動けなかった。
 彼女は一仕事終えたとでもいうように、すぐにいつもの無表情に戻り、そして車を
走り出させ

 ………なかった。

「待て待て待てぇっ!!」
 車を遮る男が一人。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ、悪を倒せと唸りを上げて叫んでる!!」
「た、大志!!」

 いつも変わらないメガネ。
 いつも変わらない服。
 いつも変わらない頭。
 いつも変わらないその口調。

 紛れもなく九品仏大志だ。

「同志瑞希よっ!! この我輩が来た限りはもう安心だ!!」
「そ、そう…?」
「聞いて驚け!! この女は以前、某芸能プロダクションのマネージャーで自分とこ
のアイドルに手を出して首になった女だっ!!」
「ええっ!?」
「そんな女の言うがままになって見ろ!! 一週間で裸に首輪と言うSEEKな日々
が手招きして待っているぞっ!!」
「そ、そんなものに手招かれたくないなぁ………」
「………随分好き勝手な事を言ってくれますね」
「ははは、真実の語り部は何時の世もかならず居るものだ。見よこの正義。見よこの
義心。そして後々の世にも語り継ぐがいい。この世紀末の救世主の言葉を………」
「………ていっ」
「ぐぇっ!!」
 そのまま女性編集者の車は前にいた大志を轢き、夜の闇の中に消えていった。

「あたし………きっと、忘れるよ……大志のこと………」
「ふははは………最後に笑うのはいつの世も不死身のヒーローと相場が決まっている
っ!!」
 地面に潰れた蛙のようになっていたくせに、ペロリと紙人形のように立ち上がる。
「ふふ。まぁ、いい。邪魔者は消えた。新たなる漫画新世界の扉は今、我々の前にあ
る。大衆雑誌に真実の未来はない。今こそ、我々の手で、我々の未来と人類の為の漫
画を創ろうではないかっ!!」
「え? え?」
「新世紀を迎えられるのはヲタクのみっ!!」
「そ、そう?」
「リストラサラリーマンが公園の屑籠から拾い上げられるような雑誌になど、同志和
樹の原稿など、載せる必要はないっ!!」
「え、でも………」
「心配はいらん。我々の手で、時代は切り拓いていくのだっ!! その為には同志瑞
希っ!!」
「な、何よ………」
「我々は地球の支配者に………いや、全銀河に轟く神々となるのだっ!!」
「だから何よ」
「その為には漫画だ!! 同志和樹の漫画を我々がサポートせねばならないっ!!」
「………結局、そこに行き着くのね」
「我輩が編集をやろう。何、心配はいらん。あんなHMXな女よりもよっぽど魂の籠
もった作品に仕立て上げて見せるっ!! そして同志瑞希!! お前はその魂を全人
類に伝える重要な役目を与えてやろうっ!!」
「………」
「そして、世界は気付くだろうっ!! これからの時代をリードするのが誰であるか
を!!」

「それって………つまり、同人誌時代に戻るってこと?」
「そうとも言うっ!!」
「………………」


 一年前にもどれ



                          <おしまい>


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