『誕生日には赤い花束を』


1999/09/13



 高校生になって初めて喫茶店に入った女、大庭詠美。
 いくらゲーセンに入り浸っても一向に上達の気配すらない女、大庭詠美。
 自分の服を自分で一着も買ったことのない女、大庭詠美。
 アニメソング以外の曲を一曲も知らない女、大庭詠美。
 中学生までサンタクロースを信じていた女、大庭詠美。
 誰からも電話の掛かってこない女、大庭詠美。
 近郊のキャラクターショップの場所は全て場所を知っているくせに、近所の店の並
びも知らない女、大庭詠美。

 ……大庭詠美はそういう女だ。


『誕生日には赤い花束を』


 俺は大庭詠美の家に来ていた。

「ようこそようこそ、和樹さん。いらっしゃいませ」
「あ、ど、どうも……」
 インターフォンを鳴らすと同時に、ドアが開く。
 ドアの前で待っていたのだろうか、満面の笑みを浮かべた女性が俺を出迎えていた。
「初めまして。私、詠美の母でございます」
「は、はぁ……」
 いつもは仕事かパートにでも出ているのか、今まで一度も顔を合わせた事がなかっ
たが、大変明るい性格をしているらしい。
「和樹さんのことは詠美から聞いております。本当に本当にどうも……なんとお礼を
言ったらいいのか……」
「お、お礼?」
 お礼を言われるようなことをしただろうか。
 勉強をみてやったり、夏休みの宿題を手伝ったことはあるが、それくらいだ。
「和樹さんがいなければ今もきっとあの娘は……」
 彼女はハンカチで目尻の涙を押さえるようにそっと交互に拭く。
 化粧が濃いらしく、絹のハンカチはほんのりと肌色の染みがついていた。
「あの……そんな大層な……」
「いえいえいえいえ、娘の恩人なのですから……」
「えーと……その……」

 …困ったな。

「ちょっとママァ!!」
 奥から聞きなれた声がする。
 ドタドタと足音高くやってくるのは勿論、詠美だ。
「あら、詠美ちゃん。着替えておかないと駄目っていったじゃない」
「あんなの着れる訳ないじゃないのよぅっ!!」
「お母さんが見立てた服よ。今まで一度だって断ったことなんかないじゃない」
「だからって……その……ぴ……ぴ……ぴ……」
「ピンクのキャミなんて今時珍しくないわよ。詠美ちゃんくらいの女の子なら皆、着
てるわよ」
「これ、下が透けるじゃないのよっ!!」
 手にしたキャミソールは確かに生地が薄く下が透ける。でも、それは単体で着るも
のではないからなのだが。
「それくらい、サービスしないと……ねぇ、和樹さん」
「え?……あ……はぁ……」
 怒っているのか、照れているのか詠美は真っ赤になっている。
 俺はどう返事をしていいのか分からずに、曖昧に返事をする。
「か、和樹っ!?」
 今頃、俺に気付いたらしい。
 真っ赤な顔が更に赤くなった。
「ど、どうしてここにっ!?」
「ここにって……待ち合わせに自分の家を指定したのお前だろ?」
「そ、それはその……」
「ほら、詠美ちゃん。和樹さんをお待たせしちゃ悪いわ。早く着替えてらっしゃい」
「え、で、でも……」
「あ、その……俺は……」
「デモも、体験版もないのっ!! ほらっ!!」
「う、うきゅーん……」
 何だか簡単に言いくるめられてしまった。
 詠美って弱弱だからな。
「御免なさい、あの通り、至らないガサツな娘で……」
 詠美が再び奥に引っ込んでいくと、母親が俺を見てホホホと笑う。
「本当にあの娘ったら、和樹さんが家に来てくださるまでは、友達も連れてこない、
勉強もしない、将来のことも考えずにただただ漫画ばっかり書いて暗くいじけたうじ
うじしたどうしようもない娘だったんですよ」
「は、はぁ……」
「それが、最近になって急に今まで話したことも無かった同人誌……って言うんでし
たっけ? その即売会の話をしたり、妙に楽しそうな顔をして電話を待ってたり、そ
していつも和樹さんの話を私にしたりするんですよ。そのくせい途中まで機嫌良く話
しているうちに、急に照れくさくなるんでしょうね。真っ赤になって部屋に篭もっち
ゃったりして……」
「は、はぁ……」
「誕生日だって今まで一度だって自分の時は勿論、友達から呼ばれたことも……」
「…………」
「それが、今年に限って……」
「………………」
「以前は変な手紙とか結構届いたこともあったんですけど……実際に家に行き来した
りするような付き合いはずっとなかったあの娘がわざわざ家に招いたりして、それも
私のいない隙を狙ってるみたいだから、今日は絶対に和樹さんに会ってお礼を言わな
いとって……」
「は、はぁ……」

 …それで「お礼」か。

 納得した。
 彼女は母親としてずっと娘を心配していたのだろう。
 普段の彼女は自閉症気味の赤点大王なのだから。
 そして唯一のめり込んでいるのが漫画では、心配の一つや二つ、当然だろう。
 しかもそっちの方でも友達がいない。
 不器用で変に強情な性格だから。

 …それが今年に限っては……か。

「和樹さん」
 急に今までよりトーンが落ちた、落ち着いた声。
「は、はい」
「……ありがとう、ございます」
「……え、いや……」
 わざわざ改まって丁寧に頭を下げられるのは正直、戸惑う。
「それでこれ……」
 そして近づくと、そっと何かを手渡される。
「え?」
「若いから……気を付けないと……」
 そう言われて、俺は手にした物を見る。
 何か書いている。

 ……『超薄々の素肌感覚』。

「あ、あの……」
「ほほほ、宜しくお願いしますね」
「お、お願いしますって……」
「今日は泊りでも構いませんよ」
「そのですね……」
 まるでさっきの雰囲気が嘘だったようだ。
 どっちが地なのだろう。
「ううぅぅぅうううぅぅぅ……」
「ん?」
「あら?」
 奥から唸るような声が聞こえてくる。
 勿論、詠美の声だろう。
「詠美?」
「どうしたの、詠美ちゃん?」
「うううぅぅぅぅぅ……」
「詠美ちゃん。着替え終わったならすぐに来なさい。どうしたの?」
 母親はそう言うと、俺に
「ちょっと御免なさい」
 と断って、奥にいるらしい詠美の所に行く。

 …もしかして、今の話を聞いていたのかな。

 だとしたら、出てこられないのも無理はない。

「着替え終わったんじゃない。どうしたの?」
「だってぇ……」
「何?」
「こんな格好、恥ずかしくて……」
「どこが恥ずかしいのよ。可愛いじゃない」
「で、でも絶対普通じゃないしぃ……」
「普通よ。ほら、詠美の好きな……えっと、なんて言ったっけ。カードマスターピン
キーとか言うアニメの女の子、あの娘みたいでとっても可愛いわよ」
「アニメと現実の区別ぐらいつけてよぉっ!! それにあれは小学せ……」

 …ピンキー……もしかしてお母さんも普通の人ではないのかもしれない。

 頭の中でピンク色をして動きの素早い蟹がモモの格好をしている姿を想像しようと
して止める。
 賢明だ。
「ほら、和樹さんもずっと待ってるわよ」
 催促する。
「で、でもぉ……」
 逡巡する。
「ほらほらほら……」
 後押しする。
「ちょ……ちょっとぉっ!!」

 その声と共に、背中を押し出されてきた詠美は……

「おー」
 思わず、そんな声を漏らしてしまう。
「あ……そ……やっぱりっ!!」
 見とれている俺に、恥ずかしがりまくっている詠美は逃げ出そうとするが、
「ほら、逃げない。逃げない。可愛いですよねぇ、和樹さん」
 と、母親は彼女の腕を掴んだまま放さない。

 もがくことも出来ず、あうあう唸っているだけの詠美を改めて見る。
 さっきのは違って、萌黄色のワンピーススタイルのキャミソールに、一昔に流行っ
た造花が頭に付いている。
 正直、どんな格好をしてくるのかと思っていただけに、普通で安心する。
 と、同時にその格好で顔を真っ赤にして俯いている詠美はとても可愛いと思った。

「詠美、可愛いよ」
「…………」
「ほら、和樹さんもそう言ってるわよ」
「なっ、そ、そりゃぁママの前だもん! そう言うに決まってるじゃないのっ!!」
「もう、この娘ったら照れちゃって……」
「ははは……」
「って、和樹、いつの間にママのげぼくに成り立てた訳ぇ!?」
「成り下がる……だろ。それを言うなら……」
「ほらほら、そんな顔しちゃ、折角のおべべが汚れちゃいますよ〜」
「あう〜っ!!」
 詠美が口で他人に勝てる事が今後一生あるのだろうか。
 俺はない気がする。
「それじゃあ、邪魔者はこれくらいで退散しますね」
「もうっ、とっとと行きなさいよっ!!」
「ほほほ……詠美ちゃんったら」
「絶ぇっ対にっ!、ついてきたりたりしないでよっ!!」
「はいはい。それじゃあ和樹さん。詠美を宜しくお願いしますね」
「あ、はい」
「早く行きなさいてばぁっ!!」
「はいはい……」
 結局、俺たちは玄関前の通りでこれから仕事だと言う母親を見送る格好になった。
 わざわざ仕事を遅らせてまで、俺に会いたかったのだと考えると、
「…………」
「な、何よ。ここでボサッと突っ立っててもしょうがないでしょ!」
「あ、ああ……」

 …大切にしてやらないとな。やっぱり。

 駅前まで歩く道中、詠美は自分の服装のことばっかり気になるらしく、下ばかり見
ている。
「こんなのやっぱり恥ずかしぃ……」
「折角、お母さんが選んでくれたんだろ?」
「でもぉ……子供っぽくない?」
「いーや」
「本当?」
 どうも、それを気にしていたらしい。
 俺、個人的に服よりも花の方が気になる。
 が、服にばかり目が行くのは、花は頭の上にあって目に入らなくて、服は自分で見
えるからだろう。
「あ、そうそう……改めてだけど……」
 馬鹿で、本当に子供っぽいままで成長していないヤツだけど……な。

「誕生日、おめでとう、詠美」

「……で?」
 その言葉を聞き、詠美は何かを思い出したような顔をして急に立ち止まる。
「ん?」
 俺も立ち止まり、詠美を見る。
「で、どぅしてあんな真似したのよぉっ!! 新手の嫌がらせ!?」
「嫌がらせって……別に、普通だよ」
「フツーってぇ!? 朝早くいきなりあんな物届けておいてぇ!?」
「ははは……驚くかと思ってさ」
「驚くって…そ、その……あれのせいでママもパパも……だからママがはしゃいじゃ
って……」
 成程。でも、狙った部分もあるんだよな、少し。
 ただ、行き過ぎた詠美のファンとかと混同されるとどうしようとか思ったけどな。
 今ではどうだか知らないが。
「……悪かったか?」
「…………」
「だったら謝るけど……」
「…………わよ」
「ん?」
「嬉しかったわよっ!! 馬鹿ぁっ!!」
「…………そっか」

「…………ありがと」
 顔を真っ赤している。
 今日の詠美はそれこそピンキー顔負けで赤くなりっぱなしだ。
「じゃ、行こうぜ。今日は遊び倒さないとな」
「うん!」

・
・
・

「あ、大庭さん。おはようございます。今日は遅かったですね」
「御免なさい。ちょっと立て込んじゃって……」
「……いいんですよ、あれ、それどうしたんです?」
「あ、これ……?」
 職場の自分の席に着くと同時に、ハンドバッグから一輪の薔薇を取り出して机の隅
にある花瓶にさす。
「おすそ分けに貰ったの。娘の誕生日プレゼントにね」
 詠美の部屋の真っ赤な薔薇の花束の山の上に白いカードが置いてある。

『
 Be in love with you.


  誕生日おめでとう、詠美
                               和樹   』




                            <完>


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