『長谷部家の人々』


1999/07/05



 Part1 『母親』


 俺が駅前に行くと、彩の姿があった。

「こんな所でめずらしいな。どうした?」
「お母さんと…お出かけ……」
「へぇ、お袋さんと。で、お袋さんはどこだ?」
「え…?」
「いや、彩のお袋さんって見たことないから」
「だ、だめ……見ちゃ…だめ…」
「え? 何で?」
「は…恥ずかしいから…だめなの……」
「ハハ…まあ、気持ちはわからないでもないけどね」
 俺がそう言っていると、俺の視界の先で何かが蠢いているのが見えた。

 …ん?

 駅前のビルの壁に、何かが張り付いていた。
 黒い、そして青黒い塊。
 壁に出来たこぶのようの異様に盛り上がり、そして異様な形で広がっている。
 その物体の無数のひだから――冷たくぎらついたふたつの眼球と、細く伸びた白い
指だけが覗いている。
 その物体が、くぐもった声を発していた。

「…………彩ぁぁぁぁぁ…………彩ぁぁぁぁぁ…………」
 そんな風に聞こえた。

「……………………」
「あの…お母さん…待たせてるから…」
「あ…………ああ、それじゃあな」

 ペコリ…

 丁寧に頭を上げる彩にそこそこに挨拶を返すと、ぐるりと、回れ右をして一目散に
駆け出していた。

 …は、恥ずかしいっ……。


 Part2 『父親』


 彩に誘われるまま、前日設営を終えた俺達は近くの縁日に来ていた。

 へぇ…結構にぎわってんな。夜店もいっぱいあるし、人も多い。
「……………」
 心なしか、彩も嬉しそうだな。多分…
 それにしても、彩がこんな賑やかな場所に来たがるなんて意外だな。人が多かった
り騒々しい所は苦手なのかと思ってた。
「彩は何で縁日が好きなんだ?」
「…………」
 黙り込んだ。
 聞いてはいけなかったかな?――そう思ったところでようやく彩が口を開く。
「子供のころ……お父さんが…よくつれてきてくれたから……だから……」
「へぇ……優しそうな親父さんだな」

 コクッ……

 ん?
 何だ? 今、彩の表情が曇ったような……どうかしたのか?

「さ…て、どこから見てみるかな。彩は、どこから見てみたら……あれ?」
 隣りに彩がいない。
「彩?」

 シーン

「おーい、彩」

 シーーン

 や、やばい…いつの間にか、彩とはぐれちまったよ。
 どこだ? どこへ行ったんだ!?

「おーい、彩!」

 シーーーン

 まいったな、どこ行ったんだんだよ…

 クイッ…

 ん?

 クイッ、クイッ…

 このそでが引っ張られる感触は…
「彩……探したんだぞ。一体どこ行って……ん?」
「………」
 彩が俺に、水を入れた風船をゴムひもでぶら下げたモノ……はやい話が水ヨーヨー
を差し出してる。
 何だこりゃ…って、水ヨーヨーだよな。
「これを…俺に?」

 コクン…

「ありが…とな」
 何で俺にこんなモノを?
「………」
「………………」
「もしかして、俺にこいつをやってほしいのか?」

 コクッ…

「まあ…別に構わないけど」
 どれ……
「よッ…」

 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ…

 ま、この程度なら簡単だな。
「これでいいか?」
「………」

 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ…

「こんなモンかな」
「これ…」
「ん?」
 すると、彩はもう一つ、別の水風船を差し出した。
「これもくれるのか?」

 コクコクッ…

「ああ……ありがとな」
 何で水風船なんかを2つも?
「………」
 ふと見ると、彩が何かを待っているような…期待してるような目で俺を見ている。
「………」
「もしかして、こいつも?」

 コクッ…

「もしかして、両手で…ダブルでやってほしいとか?」

 コクコクッ…

 両手ねえ……
 変なことを頼むんだな。何で俺にこんな事をやらせたがるんだ?
 いまいちよく分からん。
 ま、別にいいけど……
 にしても両手でか。これはちょっと難しいかもな。
「ほッ……」

 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ…

 お? 結構何とかなるもんだな…
「…………」
「…っと、こんなもんでいいか?」
「もっと…」
「は?」
「もっと……して下さい」
「もっとやるのか?」

 コクッ…

 仕方ないな。ま、乗りかかった船だ。
「じゃあ、いくぞ」

 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ…
 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パ
シュ…
 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パ
シュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ…

「お父さん……」
「?」
「………」
 お父さん?

 パシュ、パシュ、パシュ、パシュ、パシュ……

 うわっと!? あ…あ、絡まっちまったか。
「………」
 彩?
「しかし、俺に水ヨーヨーなんか持たせて、何か意味でもあるのか?」
「ごめんなさい…」
「あ、別に責めてるわけじゃないって。ただ、理由が知りたかっただけだから」
「…………お父さんが」
「お父さんが…上手だったから……」
「親父さんが?」

 コクッ…

「……………」
 うつむいたまま黙りこくる彩。
 これ以上、この話はしない方がいい……そんな気がする。
「………」

 …ん?

 彩がまた何か差し出してきた。
 綿飴だ。

「くれるのか?」

 コクッ…

「サンキュ」
 ううーん、そうは言ったものの喉がカラカラだから食べ辛いな。
「これ…」
「ん?」
 すると、彩は生ビールの大ジョッキを差し出した。
「あ、丁度良かった………ってもしかして一緒に?」

 コクッ…

 …う……。
 綿飴を食べながらビールを飲む……ううむ。

 次に彩は、焼きそばの大盛りに杏飴を絡めた物を差し出してくる。
「あ……いや………俺…………」
「…………」
 そんな目で見るな。
 食べりゃ、いーんだろ、食べりゃ。

 今度は普通にフランクフルトを持ってきた。
 ただ、十本は多い気がする。
「その………ちょっと………量が………」
「……お父さん………」
「食べたの?」

 コクリ…

 …畜生!!

 その後、俺は彩曰く「お父さんがよくやってくれました」な金魚の躍り食い、口で
射的、賽銭泥棒等をさせられた。
 その合間には、お好み焼き、たこ焼き、今川焼き、焼き玉蜀黍、最後に林檎飴と食
べさせられた。
 かなりの悪食で大食漢だったのだろう。

「ゲェップ………ウプ………彩は楽しかったか?」
「はい…」
「そっか、そりゃ良かった」

 …これで楽しくなかった何て言ったら泣かす。

 俺は中身が出そうになる口を押さえながら、そう言うと彩も嬉しそうに頷く。

 コクッ…

「だけど、本当にここまででいいのか? もう遅いから、よかったら家まで送るけど
?」
「大丈夫…ですから……」
「そうか…それじゃあ気を付けてな」

 コクッ…

「おやすみ…なさい……」
「ああ、お休み」
 腹を押さえながら家に帰った俺はその後三日間、胃腸薬のお世話になった。

 …彩のお父さんって……強い。


 Part3 『本人』


 色々あって、再び一緒に俺の家で原稿を書くことになった彩に俺は思い付いたこと
を尋ねた。
「そういや彩って、どうして同人誌を描いてるんだ?」
「……?」
「好きだからってのは分かるけど、やっぱマンガを描き始めるきっかけとかはあるの
か?」
 俺の質問に、彩が下を向いて黙ってしまう。
「………」
「まぁ、無理に聞いてる訳じゃないし、言いたくなければ別にいいけど」
「………お父さんが……」
 そこで、再び間が空く。
「お父さんが…喜んでくれたから……」
「親父さんが?」

 コクッ…

「子供の頃…お父さんに見せたら……ほめてくれて……とっても……うれしかったの
………」
 そう彩が言うと共に、回想シーンが入る。

 病院の一室。
 入院している彩の父親の元に、子供の頃の彩が寄り添っている。

『おとーさんっ』

 ぽふッ!

『うおっと。ハハハ、よく来たなぁ彩』
『ダメよ彩。お父さんは具合が悪いんだから、もっと大人しくしてないと』
『いいじゃないか。子供は風の子、元気の子。元気なのが一番だ』
『もぅ、あなたったら…』
『おとうさん、おとうさん。彩、おみやげもってきたの』
『ほう、何だいこれは? おっ、マンガか』
『うんっ、おとうさんのために彩がかいたの』
『どれどれ……』
『…………』
『ハッハッハッハ。うんうん、面白いじゃないか』
『ホント? ホントにホント?』
『ああ、本当だとも。う〜ん、こいつは面白いぞぉ』
『…じゃあ、こんどはもっといっぱいかいてくるっ』
『そうか、そいつは嬉しいなあ』
『おとうさん、うれしいの? 彩、おとうさんのうれしいこと、もっともっといっぱ
いしたいの』
『彩は本当にいい子だな。彩はパパの大事な大事な宝物だ』
『あはっ…おとうさんの手って大きい…』
『そりゃそうだ。お父さんの手はな、彩やお母さんを包み込むために大きいんだから
な』
『おとうさん……だいすき………』
『お父さんも、彩が大好きだ……』

「は……なるほどね。そんな事が…」
 しかし彩の性格のギャップが今と比べて激しいような…
「優しい、いい親父さんなんだな」

 コクッ…

「そうか。そんな親父さんなら会ってみたい気がするな。いつか、会いに行けたらい
いけど……」
「あ……」
「ん? どうした?」
「お父さんには…会えないの……」
「会えないって…何で?」
「遠くに…行っちゃったから…」
「遠く? 今、どこか出張に行ってるとか?」

 ふるふる…

「お空の上……なの……」
「空の上って、飛行機のパイロット?」

 ふるふる…

「もっと…もっと……高いとこ……」
 まさか宇宙飛行士なんて言わないよな。いや待てよ…空の上って…まさか……
「天国…」
「…………」
「そ、そうか…ごめんな、変なことを聞いて…。俺もどうもトンチキなことを……」
「………………」
「彩?」
「お父さん……」
「ごめんな…辛いこと、思い出させちゃったか…」
「あ……」

 ふるふる……

「子供の頃だから……もう……平気……だから……」
 必死に何かを堪えているような顔を浮かべる彩。
「だから………」
 そうは言ってるけど、無理してるんだろうな……
 よしッ!
「彩、おいで」
「えっ?」
「ほれ、こっちに来なって」
「……?」
 俺はそばに寄ってきた彩を、そっと抱き寄せる。
「あっ……」
「いい子だな、彩は…」
「俺はそんな彩が、世界で1番大好きだぞ…」
「…………」
「和樹さんの手…大きい……」
「ああ、俺の手は彩を包み込むために…大きいんだ」
「……………もう…さみしくないの……」
 そう言い切る綾の声は、小声ながら確りとした意思が込められていた。
「だって……そばに和樹さんが…いてくれるから………」
 そこまで言って、ほんのりと頬を染める。
「だから……だから…………」
 俺は彩の頭を、そっと、そっと、撫でてあげた……
 彩が安心して眠るまで…いつまでも……いつまでも………

 ――後日。

「ところで、お父さんの病名は………?」
「盲腸」
「は?」
「笑いすぎて………傷口………開いちゃって…………」




                          <おしまい>


BACK