『LOVE…』


1999/06/18



 昼近くに起きて、昼過ぎに家を出る。
 休日とはいえ、のんびりしていると自分でも思う。

「ふわぁ……」
 欠伸と共に大きな伸びをする。
 顔を洗っても、寝癖を直しても、眠気は残ったままだ。
「ま、昨日、遅くまで描いていたからな……」
 自分にそう言い訳をすることで、もう一回、大きな欠伸をする。
「んん……んんぅぅぅ…………痛!……痛つつ……」
 気持ちよく腕を伸ばしていたら、脇腹に痛みが走った。
「そーいや、最近、運動してないしなぁ……」
 脇腹付近を手で押さえながら、前屈み気味になってその場で痛みを堪える。

 …ゲーセンに遊びに行く予定を撤回して、ジムで少し汗でも流そうか。

 このままだと、また瑞希に何を言われるかわからない。
 以前、久々に軽くテニスに付き合ったら見事にボロボロになった。
 その時、瑞希にエライ言われような様になったことを思い出す。
「いや、でも何か身体動かすゲームやればいいかな?」
 そんな事を考えながら、取り敢えず目標も決めずに道を歩いていると

 クイッ、クイッ…

 不意に背後から袖を引っ張られる。
 俺の友人知人は少なくないが、こういうことをするのは一人しか知らない。
「彩……」
 振り返ると、彩がいた。

 ペコリ

 俺に向かって丁寧にお辞儀をしてくる。

 …どーせなら、声でもかけてくれればいいのに……。

 もう、付き合っているんだし。
 そう思うが、どうも恥ずかしいらしい。
 だが、いきなり町中で後ろから服の袖を掴んでくるのは、こっちが恥ずかしい気も
しないでもない。
 なるべくその光景は考えないようにしているが。

 …しかし、相変わらず気配が薄いなぁ……。

 他のことに気を取られているならまだしも、普通に歩いていて袖を引っ張られるま
で気付かないと言うのも凄い気がする。
「どうしたの、今日は?」
 そんな全ての思いを取り敢えずどっかに押し込んで、彩に尋ねた。
「その……ガ……見て貰……て……」
 下を向き、小声でボソボソと喋る。
 勿論、言葉も不明瞭で良く聞こえない。
「え?」
「その……マン……描い……見て……」
 頭の中で同じ言葉を繰り返したと思われる彩の言葉を重ね合わせて、大まかながら
見当をつける。
 彼女は俺に自分の描いた漫画を見せに、持って来たらしい。
 電話もせずに。
 場所からして俺のマンションに向かう途中、俺を見つけたのだろう。
「漫画、描いたんだ?」

 コク…

「今度のこみパ用の?」

 ふる……コク…

 ちょっと迷ったところを見ると、まだ決めかねているのだろう。
 まだ先月のが終わったばかりなだけに、時期的にも中途半端だ。
 恐らく、描きたくなって描いただけで、どうするかは決めかねているのだろう。
 俺に見せに来たのもその辺が関係しているのかも知れない。
「そうか……じゃあ、ここじゃあ何だから、俺の家に……」

 コク…

「じゃ、早速行こうか」
「あ……」
「ほら、そのカートも持つよ」
「…………はい」
 俺が彩の手を握ると、それ程力強くはないが彩もギュッと握り返してきた。
 ゲーセンなんかより、ジムなんかより、彩といる方が数倍楽しい。
 後で運動不足を瑞希に指摘されるようなハメになっても、漫画で死ねれば本望だ。

 ……って、大志に影響されてんなぁ……俺。

 そう思いながらも、横の彩を見る。
「……あ」
 彩は俺の顔をじっと見つめていたらしく、俺が彩を見ると、顔を赤くして伏せてし
まう。
 その仕草がとても初々しくて可愛らしい。
 そして、彩は照れた赤い顔をしたまま、俺を見上げるように見て、微笑んだ。


 『LOVE』


 さっきまでいた部屋のくせに、彩といるだけで空気さえ違うような気がする。
 勿論、都合の良い錯覚だとは理解しているのだが。
「今回の話も……随分と神秘的だね……」
 生原稿のまま受け取って読んでから、彩に返す。
 まだ細かい部分で手直しをするらしく、彩はそれを持ったまま自分のキャリーを開
ける。
 相変わらず、執筆用具など全て入っていて重そうだ。
 俺の目の端に、その一番下に敷かれた大きな紙袋が入った。

 …そう言えば……。

 俺は初めて会った時、彩がそこから今までの自分の同人誌を取りだした事を思い出
した。
「彩は自分の同人誌、全てそれに入れてるの?」
 そう俺が聞くと、彩は振り返り、俺の質問と視線の先を交互に見てから納得したよ
うに、

 コク…

 と、頷く。
「たまに見かえしたり……するから……」
 小声で、そう言う。
 そう言う彩に、俺は不意に閃いたことを口にした。
「ふうん……じゃあ、最初の頃の作品も」
「……」
「もしかして初めて描いた同人誌とか」
「…………」
 俺が勿体つけたように間を空けて言うと、彩の目が迷ったように、動いた。
 あることは、あるらしい。
「見たいなぁ……」

 ふるふる……

 俺の言葉に、首を横に振る彩。
 その仕草は、まるで苛めて欲しいとねだっているようにも感じる。
 少なくても、俺はそんな誘惑が沸いた。
「駄目かぁ……」
 俺がゆっくりとキャリーの方に手を伸ばすと、彩にしては素早くキャリーを少しだ
け遠くにずらす。
「だ、だめ……見ちゃ……だめ……」
「そう?」

 コクコク…

「ちょっとだけなら……ね?」

 ふるふるふるふるふるふるふるふるふる……

 俺のそんな言葉に、過敏に反応した彩は首を激しく横に振る。

 ………とてもとても恥ずかしいらしい。

 目に一杯の涙を溜めて、首を降り続ける彩。
 この怯えた小動物のような首の動きが、それ程苛めたつもりもないのに、これ以上
は言えない気分にさせる。
「わかったよ。もう言わないから……ね?」

 コクッ…

 俺が宥めるように言うと、彩は首を一回縦に振った。

 ………。
 彩の目を見る。
 こういう時、普通なら安心したような顔をするのだが、彩の場合、いつも決まって
不安げな目を俺に向ける。
 初めこそ、警戒しているのではないかと思っていたが、そういう類ではないような
感じが今ではしていた。
「そんな目で見ないでも、本当にもう言わないって……」
「……え……その……」
 俺が安心させようとそう言うと、更に瞳が動揺したように揺れる。
 だが、そうなると俺の方もどうしていいのか判らずに困ってしまう。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「あ、ちょっとお茶、沸かすよ」
 黙ってしまった彩に、俺は場を取り敢えず納めようと立ち上がろうとすると、
「お茶ならわたしが……」
「あっと……」
 彩が慌てたようにそう言って、俺の服を掴む。
 立ち上がりかけていたのでバランスを崩し、彩の方に傾かないように体重を後ろに
尻餅をつくように倒れる。
 服を掴んでいた彩は、その反動で俺の方に倒れかかっていた。
「あ………」
「あ……悪り………」
「…………」
「…………」
「えっと……」
 かなり近い距離で見つめ合うような格好になる。
 そうは言ってもいつまでもそうしている訳にもいかないので、適当にそう言ってか
ら彩を立たそうとすると、

 ギュッ

「え……?」
 彩が腕を廻して俺を抱きしめてくる。
 身体を預けてくるような格好になったので、そのまま押し倒される格好になる。
「あ……や……?」
 彩は瞳に俺を捉えたまま、唇を押しつけるようにキスをしてくる。
「ん……」
「…………あ」
 一度だけ離すがすぐにまた押しつけてくる。
 俺はその彩のいきなりの行為に戸惑いながらも、すぐにそれに応えるべくこちらか
らも唇を押しつけ、舌を伸ばす。
 彩の口が俺の舌を迎えいれ、互いの舌が絡み合い、押しつけぶつけ合って、彩の口
蓋を撫で回し、歯を舐め回す。
「…………」
「あ……あの……」
 息継ぎも兼ねて、今度は俺の方から口を離すと、彩が俺を再び見つめてくる。
 その潤んだ瞳が、俺を惑わせる。
「ん?」
「その……わ、わたし……」
 どうやら、衝動的に起こした自分の行為に自分自身がパニクってしまっているよう
だ。
 その動転振りからも、彩の素直な気持ちが伝わった気がした。
「あー……、ちょっと驚いたよ」
「あ……そ……その……」
 更に混乱しそうな彩に、安心させるように微笑みかける。
 そして、素直に言う。
「でも、嬉しいよ」
「あ……あ……」
「俺も、彩とこうしたいから。いつでも……ずっと……」
 そう言うと、俺は彩の胸の膨らみを服の上から指で撫でるようになぞってから、軽
く揉む。
「あっ……」
「そ、その……はした……」
「思わないよ。それだけ、好きだから。それは俺もそうだし……ん……」
「あ……んん……ん……」
 彩の言いたそうな事を先回りして言葉で塞ぎ、更に唇を口づけで塞ぐ。
 キスをしたまま、身体を起きあがるように彩を抱きしめて立ち上がり、そのまま彩
の身体をベッドに運び込む。
「彩……」
「和樹さ……ん……」
 ベトベトになった口を重ね合わせながら、互いに身体をまさぐり合い、服を剥ぎ取
っていく。
 俺が彩の服を剥いでいき、彩も俺の服を剥いでいく。
 時間を惜しむように、先を急ぐように。

 互いの衣服をベッドの下に脱ぎ捨てるように放り、お互いの肌の感触を全身で感じ
取るように身体を摺り合わせ、抱きしめ合う。
「彩……彩……」
「和樹さん…和樹さん……」
 名前を呼んでいるのか、信号を発しているのか、それだけが口に出来る言葉のよう
に、唇を重ねては、舌を搦めては、そう呟き続ける。
 互いの身体が溶け合い、全くのひとつになればいいとばかりに身体を密着させ、口
と口、胸と胸、胴と胴、脚と脚、隙間さえも許さないように吸い付け合う。
 そして俺のこの思いの象徴を彩の思いの象徴に突き入れる。
 同時に、彩が啼く。
 強く、強く、大きく啼く。

 吸い付け合っていた身体を、今度は絡め合う。
 腕を、脚を、身体に、背中に伸ばして必死にしがみつく。
 力の限り、限界までの全てを締め付けに費やしているかのように、締め付ける。
 その締め付けは痛みを感じると共に、彩の思いを感じ取れる。

 ……離さない。
 俺はその拘束の中、身体に身体を押し込むように蠢くことでその存在を示す。
 俺がここにいること。
 彩の中で、彩と共にいること。
 そうして俺の思いを彩に伝える。

 ……離れない。
 これ以上ない程、近づいているくせに、
 離れていく恐怖を拭いさせず、しがみつく彩。
 彩の指先が、爪が身体に食い込んでいく。

 そんな彩に俺の答えを示す為に、
 思いを伝えるために、
 俺の全てが、彩の身体の全てに刻み込む。

 ひとつの行為で、全てを伝える。
 たったひとつの行為が、それを可能にする。

 美しくも、可憐でも綺麗でもないけれど……
 生きていた。
 今、俺は彩と生きていた。

・
・
・

「すぅ……すぅ……すぅ……」
 俺の胸の中で、彩の落ち着いた寝息が聞こえてくる。
「……」
 身体を丸めて眠る彼女を、俺は包み込むように腕を廻して抱きしめていた。
 彩の寝顔を見つめながら。
 いつの間にか、そうなっていた。

 今日も、このまま俺の部屋でこうして一緒に寝ている。
 彩のお袋さんには既に俺のことは知られているらしく、「今度連れていらっしゃい
」と言われているらしい。
 まぁ、最近の彩は、以前の何処か影を引きづった様な雰囲気より、明るい顔をして
いる時の方が多い。
 特に勘が鈍くない限り、気付かれるのも当然だろう。
 彩自身は気付いていないみたいだが、本当に彩は笑顔が似合う。
 似合うからこそ、目立つのかも知れない。

 いっぱい、いっぱい泣かせちまったけどな……。

 彩のさらさらした髪を軽く撫でる。
 それでも、起きる気配はない。
 深く、深く、眠っている。
 俺に抱かれて、全てを委ねて、安心しきって眠っている。

 その安心は、俺がここにいると言うこと。
 彩が今まで抱えていた不安がわかった気がした。
 ずっとずっと抱えていた不安だから、一度や二度では払拭できないかも知れない。
 でも、それならば更に幾度も、何度も俺は彩に伝えればいい。
 そしていつかきっと、彩は最高の笑顔を見せてくれる。
 安心しきった笑顔を。

 その幸せを願いながら、彩の頬にその日最後のキスをして俺は眠りについた。



                             <完>


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