初出:1999年11月01日(月) 改稿:2001年03月06日(火)

 
『温もりに甘えながら』
 




「お邪魔しまーす」
「…………」
「ほら、何してるのよ」
「え? あ、うん……」
 鋼鉄性の重く無骨なドアを開けて入った私は、続いていた彼を手招く。
 やはり少し、躊躇しているらしい。
 私は気にせずに、そのまま隅っこにあったベンチに腰をかける。

「やっぱりその、何か違くない?」
 そう言いながらも、彼も私の隣に腰を下ろす。
 今度は言葉の割に、躊躇のない動きだった。
 私が座ったからだろうか。

「そう?」
 私はとぼける。
 嘯いたと言ってもいい。
「んー、少しね」
 自分で言ったくせに、早くも語尾がぼけている。
 こちらは天然が入っている。
 ただ、起因するところはやはり私を立てた結果なのだろうが。


 私たちは学校の屋上に来ている。
 ぽかぽかと暖かい日差しが二人を包み、まるで手招いてくれているようだった。
 御都合主義かもしれないが、気にしないことにした。
 こんな気持ちの良い場所に、いていけない訳が無い。

 私がそんな意味合いの言葉をかけると、彼は口元を少し緩めて、
「不法侵入者、だけどな」
 と、言う。

 だから私も、微笑んで、
「不法侵入者だけどね」
 と言う。


 日曜日の小学校に来たのは特にそれほどの意味はない。
 私や彼の母校でもなければ、ここに知り合いがいる訳でもない。
 ただ、


 …今、野外で一番美味しくお弁当を食べられる季節かもしれないね。
 …じゃあ、出掛ける? 一番、良い場所知ってるんだけど。
 …へええ。そうなんだ。


 ダラダラと十時頃に起きだしたこいつと、いい加減低血圧も呆れ果ててくれたように続いてのろのろと起き上がった私の今日の会話がきっかけだった。
 特に何か前振りが合ったわけでもない脈絡のない会話。
 この男といる時はそういう事は珍しくないし、苛立つ時もあるけれど、概ね私はそれを楽しんできた。

 今日も、そうだった。
 服を着るのが面倒で、遂そのままシーツを跳ね上げて起きてしまった恋人を前にして、ぼけっとしたまま言う科白がこれだから面白い。
 それよりももっとこっちを見てくれてもいいと思う。
 私に見惚れて欲しいとも思う。
 同時に、これでいいのかなとも思う。
 我ながら可笑しい限りだから、複雑だ。


 その後、二人でシャワーを浴びながら生理現象を前に散々悪戯しあったりして、私は怠惰なる一日を繰り返すとばかり思っていたし、そんな起き抜けの寝ぼけ半分の言葉など、憶えている筈がないとタカを括っていたのだが、確りと憶えていたらしい。
 こういうところだけ几帳面な彼を手伝って洗濯物をあらかた干し終えた私に、昼兼用となった朝食を外で食べようと言い出したのは彼だった。
 魔法瓶と、藤蔓細工のような編籠の弁当箱を私に見せて微笑んでいた。


 そこで私が案内したのがこの場所だった。
 きっと公園や、草木の茂る芝生の絨毯のある場所を思い描いていただろう彼に、私はしてやったりと内心だけで喝采する。
 とは言っても、別に意表を突く為だけにここを指定した訳ではない。
 この辺りで一番良い風が吹き、日差しが柔らかく感じられる場所だと以前、姉から聞いたことがあったのを思い出したのだ。
 何故、姉がそういうことを知っているのか、実際に来たことがあって言うのか、何か根拠があって知り得たのかは判らない。
 ただ、私が確実に知っていることは、嘘は決して言わない人だ。
 事実、嘘ではなかった。
 そして、屋上でお弁当を食べるという行為自体が、楽しくて美味しく感じられることは言うまでもない。
 勿論、見つかったらまずいので二人でこそこそと侵入した。
 幸い、休日の小学校ということで特に人気もなく、勿論少しは教職員などが居るのかもしれないが、少なくても屋上に人が居ることも、誰か見咎めてやって来る気配も感じられなかった。
 職員室の前さえうろつかなければ、恐らく大丈夫ではあるまいか。
 私はそう思う事にした。
 彼もそれ程、依存はなさそうだ。
 他愛ない冒険だったけれども、ちょっと楽しかった。


「どうせなら、地べたに座らない? コンクリートだけど」
 見ると、ビニールシートを用意してきていたらしく、広げてから侵入してからずっと片手に持っていた靴を隅に乗せる。
 考えてみればビニールシートを持っている方が当たり前だ。
 そして折角なら、その方がいいだろう。
「そーね」
 私も持っていた靴を彼と同じ様にビニールシートの四方に風で飛ばされないように配置する。
 遠足等ではこうするものなのだそうだ。
 以前、友人達と花見をした時、誰かの靴でそうしていたのを思い出す。
 2つ用意されていた弁当箱の蓋を開けると、サンドウィッチが詰められていた。
 流石に、あの短時間ではこれが適当だろう。
 ただ、見ると、野菜サンドに卵やハム等に混じって見慣れないサンドもあった。
 聞いてみると、
「昨日の残り」
 と、にこやかな答えが返ってきた。
 成程。
 良く見れば一部のものは見覚えがある。
「はい」
「ありがと」
 市販の濡れナプキンで手を拭いて、ゆっくりと籠の中身を眺める。
 そうしてから適当に一つ、卵サンドを取って齧る。
 たっぷりとパンに塗られたバターと、塗さるように振ってある胡椒が効いていて、後を引く。
 空腹感も、味わいを深めてくれた。

「で、困っちゃうわけなのよ」
「それは気の毒な」
「そうよねぇ…私もちょっとは楽しませて欲しいなと思ってさぁ」
「いえ、相手の方だけど」
「えー、そういうこと言うんだ」
「あはは」
 二人して、サンドイッチを齧りながら、他愛もない馬鹿な話ばかりをする。
 時折啜る熱い、彼が言うところのレモネードもどきが泣けた。
 聞いたところ、調理用のレモン汁を使うらしい。
 甘みを抑えてあるから後味が良かった。
 野菜サンドもレタスキュウリにトマトでマヨネーズを使ったオーソドックスなものと、一枚香草を挟み、塩胡椒だけで食べさせてくれるものと二種類あって、即席で作ったとは思えないものがあった。相変わらず手際が良いということだろう。
 昨日のおかずの残りであるところの魚の身をほぐしたものもいけたし、鶏の唐揚げを切り分けて挟んであったものも美味しかった。
 早い話、何もかも美味しかったのだ。


「太陽の下で食べるからかもね」
 私がそう言うと、照れた様子も無く笑っていた。
 外で食べる開放感は、やはり格別なものがある。
 草木一つない、コンクリートと金網で囲まれた小学校の屋上だったが、青空と太陽だけで、満たされた気分になれる。
 姉はそれを知っているのだろうか。
 今度、お礼と共に聞いてみようと思った。


 のんびりとしながらも食べ終わるとそのままぼーっと座ったまま、空を見上げる。
 特にすることもないし、食べたからすぐに出て行くという発想にもなれなかった。
 隣も似たようなものだ。食べ終わった後の片づけを済ますと、のんびりと寛ぎきっていた。
 時折、思い出したように話し掛けたりもするが、あまりそれに意味はなかった。


「膝枕、頼める?」
 食事のお礼と言う訳でもないが、その言葉に素直にOKを出す。
「いーわよ、いーわよ。どーぞ、どーぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 ちょっとはしゃぎ過ぎたかもしれない程の私の太股の上に、彼の頭が乗る。
 正座には慣れているし、これくらいのことで参るほどやわでもない。
 それに素直に甘えを見せてくれることの多くなった彼に、嬉しさを感じていることもあった。
 私は彼の頭を撫でるように手を添えると、また、空を見上げた。
 彼も、空を見ていた。


「ほんと、良い天気だな……」
 どうでもいいことを、彼は呟く。

「ほんと、暖かいわよねぇ……」
 髪を撫でるようにしながら、どうでもいい返事を返す。



 遊びに行く訳でもなければ、充実した生活を送る訳でもない。
 たまの休みの日をこうして過ごすのも、悪くないと感じるようになったのは間違いなくこいつの影響だろう。
 のんびりとだらだらとすることが、こんなに気持ち良くなってしまったのだ。
 意味も無く、目的も無く、唯一確実にしていることである、空を見る行為にしろ、意識してやっている訳ではない。
 副次的なものだ。
 何もしないということの。
 そしてそれが、掛け替えのないものであると錯覚するようになってしまった。
 それを愛する男によって。


「責任取って頂戴ね」
 だから、そう言ってみた。
 聞かせるつもりがあった訳ではない。
 自然と口に出た言葉だった。


「ん……?」
 眠りかけていたらしい、閉じかけていた目を開いてそう聞き返してきた。
 微かに聞こえていたらしい。


「だから……」
 私は、頭を下げて抱えていた彼の顔に、唇に唇を重ねて見せた。
 繰り返すより、直接的な意思表示をしてみたくなったから。


「こういうこと」
 そしてそう言って微笑んで見せた。
 判ったのか、判らなかったのかは私には判らなかったが、彼も何か言って笑いながら目を閉じた。
 返事は聞こえなかった。
 けれど、聞き返す必要もなかった。
 私は大袈裟にため息を吐いてみせる。
 気分は悪くない。


 風が強くなり、冷たくなるまでここにいよう。
 こうしていよう。


 そう思えてしまう時点で、私はこいつが好きだったのだろうし、手放すのが惜しくなってしまっていたから。
 だから、気持ちが良かった。



 この小学校の屋上で感じる温もりが。




                             <完>




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