初出:1999年11月18日(木) 改稿:2001年03月05日(月)
『今日も一緒に』
ベッドに横たわった自分の姿。
鏡があれば判るだろうけど、生憎というか、当然というか、そんなものはない。
だから、自分からはどうなっているのか、どう見えているのか、全く判らない。
…貴方からどう見えているのか、判らない……。
横向きになっていた顔の視界からは、シーツの上に自分の髪が広がっているのが判った。
同時に投げ出されたままになっている自分の腕も確認する。
それだけが、見えた。
「あっ……」
その私の顎を、彼の指先が掴み、正面に引き寄せる。
引き寄せられた瞳で、近づいて来る瞳を見た。
「……んっ…………」
重ねられる、唇。
体勢の都合上、体重が少しだけかけられているのか、強めに押し付けられながらもキチンと重なり合うという訳にはいかなかった。
その分、こちらから舌で招き、催促する。
児戯。
覆い被さるのではなく、隣に手を付いて観察するように見つめている。
微笑んで、またキスをする。
唇に。
頬に。
額に。
髪の毛に。
首筋に。
舌は使わずに、唇だけで肌をなぞるように、滑らすように、咥えるように、嬲っていく。
そしてシャツのボタンがひとつひとつ、上から順に丁寧に外されていく。
右手は自分の体重を支えているので、左手ひとつで。
片手で外しているくせに、引っかかることなく簡単に外されていく。
シャツを挟みながらボタンを外していく指使いが、とても上手い。
自分のふたつの膨らみが露わになった。
微かに上下しているのは呼吸の為。
…大きいね。
そう、店先の果物でも見ているように、いつか言われた言葉を思い出す。
十何年も付き合ってきた自分の双房だけに、そのような評価は今までも受けてはいたが、目の前で悪戯っぽく微笑んで言われると、また少し恥ずかしい。
初めて会った頃には考えもしなかった事が、今では当たり前になっている。
それを求めることも、受け入れることも。
…かなり、焦った時期もあったけど……。
今から考えると、気になって、気がかりで、あれこれと思い悩んだり思考を凝らしたりしていたのが、馬鹿馬鹿しかったような気がして恥ずかしい。
そう打ち明けても「そういう経験があったからこそ……」と言ってくれるが、やはり恥ずかしい。
人を好きになったことへの戸惑い。
それを相手に伝えたいが言えない照れくささ。
それがどこまで通じているのか知りたい当然の悩み。
何も起こらないことへのじれったさ。
自分から求めに行くことの恥ずかしさ。
それに気付くこともなく、気付いても何もしてくれるでもなく、
そのくせいきなり唐突に受け止める鷹揚な人。
考えていても、考えていないように見せ、
考えていないくせに、考えているような見せかたをするいい加減なヤツ。
それが、彼の器用であり、不器用だと気付いたのは、いつ頃だっただろうか。
そう心の中で苦笑していると、身体にそっと触れてきた。
「……ぁっ!」
いつも、初めは臆病にそっと指先だけで触れてくる。
この方が敏感になっている触覚を刺激すると判っているからだろうか。
「……っ!」
そして掌の熱さを、自分の肌全てで感じ取る事になる。
すぐに。
胸を吸われる。
片方の乳房に頬を押し当てたまま、手で持ち上げた乳房の先を、口に押し当てるようにして唇に含んでいる。
舌で乳首の先からその周囲を舐め上げられ、吸いたてられている。
むずむずとくすぐったいようで、ぞくぞくと面映ゆい気持ちになる。
覆い被さるようにして、抱きしめられる。
自分の肌が紅潮しているのがわかる。
心地いい事。
気持ちいい事。
高揚し、穏やかになれる事。
満たされる事。
たまに顔を見る。
それに気付くと、照れくさそうに微笑む。
そして、行為に戻る。
特にどうではなく、何も説明が要らない、ただ、一つのこと。
私が貴方を好きだから。
貴方が私を好きだから。
貴方が私に抱きしめられることが好きで、
私が貴方に撫でられることが好きなように
理由はいらないから……
だから、繰り返す。
・
・
・
「あぅ……」
低血圧にとって朝は厳しい。
寝不足では尚更だ。
「あ……ん……」
働かない頭ではあったが、時計を見る行為と、時刻を知る術と、その時刻が指している意味だけは、時間をかけながらも理解することができた。
寝ていたい誘惑に負けないように、上半身を起こすぐらいの理解は。
「ん……ふぁ……ぁ……」
新たな命の息吹が誕生。
ではなく、隣で寝ている彼も起きたようだ。
「あー……ん……はぅ……」
横で、こっちと似たような顔をしているだろうトーンの声が漏れてきた。
そして寝たまま顔をこっちに向け、目だけ動かして見上げてくる。
「……おはよう」
「あ、うん……」
重い瞼同士の挨拶。
ずいぶんと間抜け顔だった。
「ん……着替えないとね……あ、シャワー借りるわよ……」
「うん……こっちはもう一眠りするから……」
「……駄目」
「……そう?」
「ええ……」
のんびりした口調での言葉のやりとり。
欠伸を交えながら、うつらうつらしながら言い交わして立ち上がり、屋台をはしごする酔っ払い達のように、ふらふらしながら浴室へと入っていった。
「!?……冷てっ!!」
「ガスつけてないでしょっ!!」
目が覚めてからは身体が迅速に動いた。
昨日の名残を洗い落とし、制服に着替えつつ、身だしなみを整える。
「何か食べてく?」
「いい。あんまり、時間ないし」
洗面所の鏡を使って髪を梳かしながら、朝の慌ただしい空気を感じていた。
時計を見る限り、時間の余裕はあまりない。
鏡から見える彼の姿は朝食の用意ではなく、洗濯の準備をしているようだった。
見る限り髪はまだ乾ききっていなく、服も取りあえず着たという程度のようだ。
「準備できた?」
「うん」
私がシーツやらカバーやら剥がされた状態になっているベッドの上に腰掛けて、鞄の中を確認していると、そう聞いてきた。
どうやら、近くまで送ってくれるようだ。
めぼしい物を洗濯機に放り込んだところで、私を見ていた。
私も、ある程度の身支度はし終えたのをもう一度だけ、確認して肯いた。
「……じゃあ行こうか?」
差し出される、右手。
私はその手を見て、手繰るように視線を上げて、その手の主を見る。
笑っていた。
――そう、いつでも貴方は笑っている。
ただ、その笑みが変わっていたのはいつからだったのだろうか。
「ええ」
私はその手を掴み、握ってから立ち上がる。
「よっ……」
「……っと」
お互いに力を入れあったので、勢いがついたままの私の身体が彼の身体のもたれ掛かるように傾いた。
「……」
「……」
――一緒に……いつでも……一緒に……。
慈愛の篭もった老成した笑み。
彼の微笑みをそう感じられなくなったことに気付いたのは、いつだったのだろう。
詳しい時期など判らないし、判る必要も無い。
ただ言えることは……
「ん? どした?」
近付けたのか、引き摺り下ろしたのか……どちらにしろ……
「何でもないわ。じゃ、行きましょ」
「……? あ、そだね……」
私はずっと、彼の横で一緒にいる。
そんな毎日を今、送ろうとしている。
そう。
「んじゃ……」
「ええ」
――今日も一緒に。
<完>