初出:1999年11月18日(木) 改稿:2001年03月04日(日)

 
『Step by step』
 




「――はいつでも受け身だから……」
「それを逃げてるって言うのよ」
「んー。そうかも」
「それを、開き直りっていうの」
「それも、そうかも……」
「で、恥知らずなわけね……」
「結構、手厳しい……」
「誰がそうさせたの?」
「生まれつきとか?」
「違うわ」
「………」
 そう言い切ると、微かに苦笑を返すだけ。
 反論はしてこない。
「まぁ……貴方とつき合っていれば、多少はその性格にも慣れるし、対応の仕方ぐらいは身につくわよ……」
「…………そう?」
「ええ。諦めと共にね」
 そう言って、大袈裟にため息を付いてみせる私に対して、笑ってみせるだけ。


 …いつも、こうよね……。


 私はコイツの怒った顔を、見たことがない。
 ついでに言えば泣いた顔も見たことがない。


 そして、それに慣れきっている自分も自覚している。


 …これってやっぱり……根比べで負けたようなものかしら……。


 彼の流儀に流されて、押し切られたような気がする。
 たまに、それで満足している自分に気付くと。



『Step by step』




 偶然、昔の男にあった。
 まだ高校一年の、ほんの短いつき合いだった。
 あの頃はお互い、「恋人」というものを持ってみたくてつき合いだした関係だった。
 自分とその周りには持っていないものを互いの姿に見つけた気がして、嬉しくて飛びついてみただけだった。
 別に今、偶然に出会ってももめるほどではない。
 執着することがない。
 それぞれ、相手に対して求めていたものと違ったと判ってしまった今では、興味の範疇外でしかない。
 互いに驚いた顔をして軽く挨拶を交す程度のつき合いだった。


「本当、つまらない男だったのよ」
 けれども、こうして彼に挨拶だけで別れたその男について聞かれもしないうちに弁明している。
「…………」
 彼はそんな私をいつも通りの、何を考えているのかわからない顔をして見つめていた。
「だからね、私、今考えると……何か、焦ってたのかしら……ちょっとねぇ……その……」
 言葉に詰まる。
 元々、わざわざ話したい類のことじゃない。
 説明したいわけでも、求められてもいないのだったら、何故私は延々と喋っているのだろう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………悪いヤツじゃなかった。それだけは、間違いないわ」
「……だろうね」
 そう言って、優しく微笑むの余裕だろうか。
 私は、ちょっとそう考える。
 無論、横を歩く彼が何か焦ったり、私に追求したりしてくるタイプではないのは判っているがが、そのあっさりし過ぎている態度が判っていても不安になる。
「……で、その結果が……ねぇ……」
「で、見るか……こっちを……」
 悔しいのでそう突っ込んでみると、彼は困ったような顔をした。
 その苦笑を浮かべる顔は、見ていて心地が良い。
「一応、喜んでおこうかな?」
「感謝すべきなの! ……なんてね」
「物好きな姫君にって」
「ふふふっ、ま、そーね」
「やれやれ……」
「ふふふふふ……」
「?」
 今の関係――何か、試行錯誤した結果の関係だけに、複雑だ。
 互いに、こうなる可能性をあまり考えなかっただけに、複雑だ。


 私は、彼――コイツを恋愛対象とは捉えていなかった。
 初めはちょっと普通じゃない、変わった男だと思った。
 危険な感じは全くしなかったし、飄々とした部分は老成した感じがあった。
 惚けているようで、結構鋭いところを付く、油断ならないヤツだとは思ったが、それも、年功者のような錯覚があったからだ。
 年齢で言えば、それ程離れていないのに関わらず、そう思えてしまった。


 私はコイツを――歳が離れすぎているだけに全てに於いて安心できる相手として捉えていた。
 安心。
 そう、安心だ。
 コイツの底の第一印象は。
 だからこそ、色々なことを話せて、相談が出来た。
 それこそ、恋愛相談も含めてだ。


 そんな私に、コイツは時には気障ったらしく、時には皮肉気に、時には実直、愚直に、時には建前の正論で、色々な言葉回しを使ってきた。
 そしてその言葉全てに彼自身は距離を取っていた。
 初めは気付かなかったが、相談事に対してはいつも、私が決めるように話を持っていっていた。特に、私自身の答えが初めから出ていることに関しては。
 私にとっての出来事全てが彼にとっての他人事だというスタンスに、私は妙に安心出来た。
 必要以上に近づくことなく、必要以上に親身にされることなく、取り入れるにしろ捨てるにしろそれなりの意見を吐いてくれる有り難い存在として。
 便利な存在として。


 他の人のように私を甘やかしてもこなかったが、かといって威厳も無かった。
 初めは意識してそうしているのかと疑った時期もあったが、その考えを持ったことが馬鹿馬鹿しい事だと気付いたのは、あっと言う間だった。
 意識して生きている人間としては、彼の日常はあまりに無防備だ。


 そんなコイツにちょっと謎めいたところがあるのに、興味を惹いた。
 いつもこっちの方には、まるで何でも知っているのではないかと思うぐらい落ち着いているので悔しかったせいか、一度、その謎を暴いて慌てさせたい気分になった。
 が、結局の所はあまり、深く突っ込んでいない。
 何となく、無粋な気がした。
 同時に、それを知ったら彼が私にとって便利な存在でなくなるという危惧があった。
 いつでも近づき過ぎない程度に使い倒せるだけの存在に留めておきたい、今考えると不遜ともとれる考えが私の中にはあった。
 彼の全てにおける客観視する態度に苛立ちを覚えながらも、私自身がそれを求めていたという奇妙な関係が続いた。

 そのうち、私自身に余裕が出てくるとようやく、彼の存在を見る目が変わった。
 便利な存在としてそのままでいて欲しいという願望よりも、彼の余裕ある態度の裏を知ってみたいという欲求が上回りはじめていた頃だった。
 かと言って特に問いただしてみたり、調べたりする気は今更起きなかった。
 自然に彼から聞けるような関係になりたいと、いつの間にか思っていた。
 いつもこっちが色々と話したり、聞いたりするのではなく、色々な話を聞けるような話して貰えるような……いわば、対等な関係になりたいと思った。
 向こうはそう考えていなくても、今までの自分達の状態は、こっちがあれこれと一方的に色々なところに引きずってまわったり、色々な話をしたり、悩みを打ち明けたり、相談事をしてみたりする……対等な関係とは言い難かった。
 こっちが向こうを必要とするだけの関係は、面白くなかった。
 たまには必要とされてみたかった。


 それが後で考えると……恋みたいなものだったのだろうか。
 背伸びしようとして、爪先立ちでもいいから同じ高さになりたがったことが、そうだと言うなら間違いなくそうだったのだろう。
 そして、自分の気持ちがそう傾いてきた時、改めて向こうの気持ちが気になった。
 前からも気になっていたが、ちょっと意味合いが違った。

 私との付き合い――遊び仲間、相談相手としての付き合いを、彼は一体どう思っているのか。
 彼はいつも面白がっているようで、楽しんでいるようで……。
 それ以上は、今までは考えなかった。
 考える必要がなかったせいもある。
 今までの関係のままでいいのなら、そっちの方がいい。


 だから、自分を見ているくせに、たまに違う方を見ているような気がする時、今までは気にならなかったのに、気になり始めた。
 自分を、見て欲しくなった。
 自分がいる以上、自分を見て欲しいと思うことがどういう意味を持っているのか、わからなかったが、そう強く思った。


   I look at you with a steady gaze.
   Look at me, please.


 もやもやが晴れた時、改めて彼の側にいることに気を使わなくなった時、
 今までに見えてなかったものが、見えてきた。


 彼の意地悪さが、暢気さが、筋金入りだということ。
 天然と計算が都合良く入り交じっていて、その上使い分けていること。
 それがきっと彼本来の臆病さだと知って、可笑しかったこと。

 初めはひどく遠く感じて、大人びていた筈だったのに、
 都合の良い存在でしかなかった筈だったのに、
 とても、嬉しくなった。
 そして、好きになった。
 改めて。


 I like you.


 アイライクから、アイラブへ、そしてまた、アイライクへと進んでいった。アイラブの中のアイライク。
 ずっと、ずっと好きになった。


 だから今日、その好きをぶつけてみる。
 もう一度。
 もう一段階。


 だからこそ私は焦っていたのだ。
 偶然、彼との出会いのきっかけになった男に出会ってしまったことに対して。


「ふぅ……」
 彼に部屋に辿り着き、ベッドに座ると彼は大きく溜め息を吐いた。
「疲れたの?」
「ん? それ程ではないけど……習性かな」
「習性ってねぇ……年寄りじゃあるまいし……」
「まぁ、これくらいは大目に見て……お腹減ってない? 冷蔵庫にある物で良ければ、何か作ろうか?」
 今日の約束であったところの夕飯は食べたけれども、ちょっと量が少なかったことを気にしているのだろうか。
 物足りなかったことは事実だけれども、改めて何か食べたいと思うほどでもない。
 それよりも今は、今日の本当の目的に向けて神経がいっていた。
「…………いい」
「そう?」
 何か食べながらする話じゃない。
 それに、さっきのアクシデントが結果的に程よい緊張を私に与えてくれていた。


 今しか、ない。


 そう腹を括った。
 決断は早い方だ。
「ねぇ……」
「ん?」
 ベッドの上に座ったまま、私は言う。
 きっと今までで一番真剣に彼の顔を見ていたと思う。
 それなのに彼の表情が見えなかった。
 でも、躊躇いはなかった。
 迷いは捨て去れる方だ。



 …今日、言おうと思っていたことを一言で、



「あのね……その……いてくれる?」
 そう言って、私は彼のシャツの裾を軽く引っ張っていた。





                             <完>




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