初出:1999年01月31日(日) 改稿:2001年03月04日(日)
『あなたを、待っていました』
…側に、いるだけで……。
「恋ってなんだろーねー」
「な、何よ、いきなり……」
教室を飾り付けしただけの簡単な喫茶室。
そこそこに賑わっている中、店側のこの学校の女子校生達――クラスメートの一人の女の子が、そうため息混じりに呟いているのを耳にする。
「あ、知ってるわよ、恵美……川口君とデートしたんでしょう?」
「え、そうなの!? で、で、どうだったの?」
「べつにぃ……ただ、一緒にいくつかお店回っただけだからぁ……」
「だって、川口君、絵理奈との約束破ってまで来てくれることになったってあんなに喜んでたじゃないのよ……」
「それは、絵理奈の方が急に予定に入っただけだったのよ……」
きゃいきゃいとはしゃぎ出す。
少し離れて、頬杖をついたままの私を除いて。
「はぁ……」
いつもは日の当たる存在として注目されるのに、
誰も、こんな私には目もくれない。
気付かない。
それが、今日という日。
文化祭。
…去年と、あんまりかわんないわねぇ……。
「こちら、お父様の会社に勤めている折原さん」
「……あの光岡学園の崇君」
「こっち、コージ。今、バンドのリードやってるんだけど……隣がジュン」
女子校の文化祭は彼氏自慢大会だ。
彼氏がいる娘に限った話だが。
一時期は男子立ち入り禁止だったりした時期もあったが、今は生徒側の反発もあって一人につき一人なら招待してもいいことになっていた。
親兄弟を含めた枠なだけに、限りなく男は少ない。
「こちら、私のお兄さまの……」
「有田明仁です。いつも、妹がお世話になってます」
「明仁さまでいらっしゃいますか……お噂はかねがね……」
「やだぁ……さっちゃん」
至る所で、その数少ない男にこのお嬢様な女子高生達が囲むように集まっていた。
脇にそれぞれ、自慢するような彼女を連れて。
「あ……空穂様……いらして下さったのですね」
「空穂様よ、空穂様がいらしたわ!!」
「水穂様も一緒よ……」
パタパタと複数の生徒が校門の方に向かって走っていく。
「空穂様……私がご案内しますわ」
「いえ、私が……」
「私が今日、焼いたばかりのクッキーがあるのですが、食べて戴けないでしょうか」
「……あ、あの……おい、ミズ、鈴音……何とかしてくれ」
「兄貴……それくらい何とかしなさいよ、情けない……」
「水穂様、あの……これ、宜しければ受け取って下さい」
「あら、ありがと」
「オ、オニネエちゃん……」
「鈴音ちゃん。人前でその呼び方止めてって……鬼姉って読まれるから……」
「すまないけど……今日は、鈴音のクラスに行くから……」
「あ〜ん……」
「そこまで、一緒に……」
「鈴音……私たちで先、行こうか?」
「うん……そだね」
「お、おい……ちょっと……待て……」
スラリとして無駄のない肉付きをした長身の男と、これまたヒールの低い靴なのに170近くありそうなスタイルの良い女性がこの学校の女生徒4人に囲まれて立ち往生しているのが見える。
「清花お姉様ぁ〜」
「ミミ、来たわよ」
「お姉様、嬉しいですぅ〜」
その一方で、まるで場違いなほど着飾った大人の雰囲気を思い切り漂わせた女性と抱き合う女生徒がいる。
「うげぇ……なに、アイツラ……気持ち悪り……」
「涼子ちゃん。そんな目で見ないの……ほら、聞こえたらどうするのよ」
「でもさぁ……真樹」
その横を、違う学校の制服を着た口の悪そうな女生徒と共に、眼鏡をかけた利発そうな女生徒が通り過ぎる。
学校という閉鎖された狭い場所でも、多種多様な人間がいる。
外部と繋がり、外に晒されるこの日ほど、それが実感できる日はないのかも知れない。
だが、私にとってはそんな事は考えたこともないし、目にもあまり入らない。
「……どこ、行ったのかしら?」
ただ、カップルを眺めさせられ、ノロケ話を聞かされる場所でしかなかったクラスの出し物だった喫茶店も、ようやく交代の時間が来て解放されると、私は一目散に校門の近くを歩き回っていた。
待ち合わせの時間は、少しだけ過ぎていた。
「あ……」
――見つけたようだった。
彼女の視線の先にある、誰の寄付だかで作られた大きい噴水広場のように設えられた一角で、その噴水の淵の縁に一人、腰掛けて座っている男がいる。
目立つようで、目立っていない。
誰の目にも入っていないような感じだ。
…うっ……。
見ると、考えると、ちくりと胸の奥が痛むような錯覚が起きる。
だが、あれは自分ではない。
自分ではないのだ。
そう言い聞かせ、軽く深呼吸をしてからいつもの調子のまま、話し掛ける。
「もぅ……こんなトコにいたの」
「よ……綾香」
軽く手を挙げて、笑いかけてくる。
さっきの気持ちが霧散する、気持ちのいい笑顔だ。
私は、なかなかこうは笑えない。
だから、適当に文句を付ける。
「「よ」じゃないわよ。何処に行ったのかと思ったじゃない……」
「この賑わいだろ……うろうろしているより、ジッとしている方がいいと思ってね……」
「自分の横着にそれらしい理由をつけないの」
そう言いながら、彼の横に座る。
喧騒が水の音でかき消されているのか、不思議な感覚がする。
「…………」
私はまた、思い出す。
こんな感覚を。
思い出を。
「ねぇ……」
「食べる?」
スッと目の前に差し出されるたこ焼きの皿。
「………」
「ざっと適当に食べ歩いてみたんだけど……結構、旨いよ」
「そー言えば……私の所に数回、確認の連絡が届いたんだけど」
暢気そうに指先で爪楊枝を弄くっているのを、ジト目で見つめる。
「ああ。どーも、場違いらしくてね……何回か、巡回の教師に呼び止められた」
「招待状、持ってるんでしょう?。渡したヤツ」
「でなくちゃ……入れても貰えないよ……ただ……」
「ただ?」
「偽造の疑いを掛けられてたみたいだったな……毎年、あるらしい……」
「貴方が挙動不審だったんでしょ、多分」
「う〜ん……かも知れない」
別段、服装が変なわけでもないし、容姿風貌が異形だとか派手派手しいとかでもない、ごく普通の大学生らしい雰囲気だ。
ただ、今日ここに来ている男の中だと、それが浮いて見えるが。
パリッとしたスーツでもないし、ブランド物でもない、ごくごく普通の格好をしている人間はやっぱり少数の部類に入る。
大部分は制服姿で占められているのだが。
「……はぁ……」
大袈裟にため息を付いてから、爪楊枝の刺さっているたこ焼きに、端にあるマヨネーズを絡ませてから頬張る。
「しかし……エライ騒ぎだね……もっと静かかと思った」
水音の奥から聞こえてくる周囲の喧騒に、ぼんやりとしたまま呟く。
「驚いた? イメージと違って」
ちょっと意地悪っぽく笑ってみせるが、
「女子校なんて……行ったことないからなぁ……」
と、関心無さそうにあっさりと言われ、
「まぁ、そりゃそうでしょーが……」
疲れたような顔になる。
「……何か、面白い出し物でもあんの?」
「えっと……華山雄三のギターの弾き語りが三時から……」
ふと思い付いてスカートのポケットに丸めてつっこんであったプログラムを広げて、読み上げてみせる。
「……へぇ?」
「もっと驚きなさいよ。「冗談だろ!?」とか「感性狂ってるのか!?」とか」
「冗談なのか?」
紙コップに入ったレモネードを飲みながら平然と聞いてくる。
相変わらず間が抜けた会話だ。
彼と話していると、大概こんなテンポの落ち着いてしまう。
それ自体いやではなかったが、場所にもよる。
「ううん。ただ、終わり間近になったら、会場の電気全て消してカツラ剥ぐことになってるだけ」
「……ふぅん……変なこと、するんだな……」
「もー少し、驚きなさいよ……張り合い無いわねぇ……」
「でも、そーゆーの良くないぞ、綾香」
「アタシがするんじゃないわよっ!!」
思わず立ち上がりかけるが、
「そりゃま、そーだな」
そう言ってクスクスと笑われてしまい、気が萎える。
…まーた、してやられたわ。
結局はからかわれるかあしらわれるしかないのだ。
この男にかかっては。
暫く、二人が他愛もない話をしているところに、横から声が掛かる。
「あら、綾香さんじゃありませんこと?」
「あっ……」
「……ん?」
胸を張り、両腕を組んだポーズをしたこの学校の制服を着た女が、何か間違えたぐらいに白のラインが縦に入った黒のスーツを着た男を脇に従えて私達の前に現れる。
あまり、会いたくない人間だった。
「………」
普通なら、浮いているように感じる筈の彼女だが、何故だかここでは違和感を感じない。
この学校こそ彼女のフィールドなのだろう。
同じクラスではないが、よく声を掛けられる。
因縁を吹っ掛けられているとも言える。
彼女にとってどーも気になるらしい、私の存在が。
だから今日も彼女は制服からはちきれないばかりの胸を、それを誇示するように反らしていた。
「………」
チラリと隣を見るが、私の横に座ったまま、顔を微かにあげるだけで彼女には大した興味も無さそうに見上げていた。
「…………まぁ、中の上って所かしら」
彼女はそんな彼を大仰に見下ろすようにして、即席で評価を付ける。
割と高評価だった。
ただ、彼女の感性は人並みというより人外のそれに近い。
あまり喜べるものではない。
「この方がアナタのカレシですの?」
そしてアクセントはしっかりと下につけて私に訊ねる。
予想された質問だ。
これが彼女以外の人間に聞かれたのだったら、笑いながら実状に近い言葉で否定するのだが、彼女になら下手なことを言うよりも適当にあしらった方が良いだろう。
そう判断して私はやや挑発的に答えて見せた。
「……ええ、そうよ」
そう言いながら、もう一度チラリと横目で隣の様子を盗み見るが、私の言葉に反応した気配はない。隣は脚を組み、その上に肘を乗せて、顎を掌で支えるようにして相手の方を見ていた。さして関心なさそうにして。
予想はしていたが、まるっきり部外者の顔をしているのがやや憎たらしい。
…もぅ……。
「ふぅん……綾香さんのことだからてっきり柔道か相撲でもやってる人でも連れてくるかと思ってましたけど……意外でしたわ」
――私がいつからデブ専になった。
が、特に言わなかった。面倒臭いから。
「それはお生憎様。ご期待に添えなくてね。で、そっちが貴女の連れ?」
「あら、紹介が遅れましたね。こちら、私と正式なお付き合いをしている藤原浩平さん。お父様の取引先で、綾香さんもご存じでしょうが九条家の正式な流れをくんでいる藤原財閥の……」
「ええ、知ってますわ。ウチとも深いお付き合いをしていますから……」
「じゃあ、先日、珠算の大学生の部で世界チャンピオンになったのも、ご存じですわね」
こういうところが彼女の感性がよく判らない瞬間である。
「…………凄いんだか、凄くないんだか」
…多分、凄いのだろう。そこそこには。
どちらにしろ、どうでもいいことだ。
「何か、仰有いまして?」
「別に」
わざとらしく、妖艶な笑みを作ってみせる。
「まぁ、色々と今までに言い寄って来られる方はいなかったとは言いませんですけどね……これも、困った悩みでございますわ。綾香さんもこの気持ち、おわかりになられますわよね……男女の違いはあっても変わりませんもの」
あてこすり。そりゃあ、女子校だから同性にもてることは否定しないが。
「生憎、貴女程もてないから……」
「またまた……お上手でございますこと。今日も、きっと可愛らしい女の子を連れてくると皆様と噂してましたのよ」
それも結構否定できない。
「あら、それは御免なさい」
が、別に深くつっかかることもない。やり過ごすことだけを考える。
その私の態度に気付かずに彼女はなおも言葉を重ねる。
「いえいえ……そう言えば、去年は姿を見ませんでしたし……てっきり……
――……っ!!
「……いい、アクセサリー持ってますね」
「え?」
話の方向が嫌な方向に行きそうだと思った瞬間、隣から彼が不意に彼女の発言を遮るように呟いてきた。
それまで彼女の眼中に入っていなかったものが急に割り込んできた――そんな構図だった。
「……あ、あら、お分かりになります? これはロマノフ王朝ゆかりの品を模した特注品のネックレスですの」
いきなり割り込むように呟かれた発言に、彼女はちょっと気を削がれたような顔をしていたが、自分に向けられている柔らかそうな微笑みにつられて、すぐに気を取り直して笑顔を向ける。
彼女の笑顔は、さっきまで私に向けられていたものとは違う、異性に向けることに慣れた笑顔だった。
どっちにしろ彼女の本当の笑顔ではない。
それは私も彼も、彼女の連れもきっと、同じだろう。
ここに本当の笑顔を浮かべているものはいなかった。
……けど。
どうも彼の最初の発言の視線からして、発言対象が彼女のネックレスではなく、彼女の脇に控えている男に向けられていたように思えたが、無論黙っていた。
…いい根性してるわ、こいつ。
多分、気づかれないと踏んでの上の発言だろうが、いい度胸をしている。
だが、そうまでして発言した意図がわからなかった。
皮肉家でないこともないが、わざわざ自分から波風を立てるタイプではない。
気付かれる可能性がなかったにしろ、敢えて言う必要はないように感じたのだが……。
…まさか、ね……。
話題を逸らしたのではないかと仮定し、すぐに否定する。
「雅美さん、そろそろ……」
視線に気付いた訳でもないようだったが、彼女の後ろに従っていた男が、彼女に近付いて時計を見せる。彼は場が動き出したことに少しホッとしているようだった。
「あら、もう……」
さして気のない声を出してから、見せられた時計から目を上げる。
「じゃあ、私達はそろそろ……」
「ええ」
返事をする私を無視して、彼の方に顔を近付けて、
「貴方…………よく見ると優しそうなお顔をしてるんですのね」
と、言ってくる。
彼女の感性は変わっている。
もしかしたら気に入られたのかもしれない。
彼は相当の変わり者だし。
「どーも」
彼が軽く目を閉じるように笑みを作りながらも、声は無機質に平然として返事を返すと、彼女は微笑んだまま身を起こす。
「まぁ……お転婆の綾香さんには相応しいかも知れませんね、では、今日はこれで……ご機嫌よう」
最後に捨てぜりふにしてはあまりに妙な言葉を残し、クルリと背を向けると連れの男が軽く私たちに頭を下げるような真似だけをして、付き従う。
「………」
呆気にとられていた訳ではないが、それに近い状態で人の賑わいの中に去っていく彼女の後ろ姿を見送った後、私は隣を見る。
どうも、去っていく彼女らを見るでもなく、何か物思いに耽っているような顔をしているようだった。
「………」
「何、考えてるの?」
「……お転婆って、懐かしい響きだなぁ……って」
「そーね」
「………」
「………」
「………」
「……そう言えば、貴方の紹介、し損なったわね」
「縁があればまた会うでしょう、多分」
「ま、そりゃ、そーだけど……」
何だか、圧倒されたと言うのか、面食らったと言うのか、毒気を抜かれたまま、二人してぼんやりとしたまま動かなかった。
「ここ、やっぱあーいう人、多いの?」
彼なりに印象には残ったようだった。
「特例だと、思うわ」
特殊に閉鎖された空間である女子校とは言え、中身は今時の人間が通っているのだ。
そう変わってはいない筈だ。
「そう? でも、結構、ブラついてみると多いような気も……」
「そーゆー人が、一番はしゃいでいるから目立つのよ」
「いや、認識を改めないといけないかなって思って……」
「頼むから、止めて」
「でも、面白いじゃない」
「それが延々三年間付き合わされると考えても、そう言える?」
「うーん……ま、一人ぐらいならいてもいいかな」
「あ、そう……」
「…………」
「…………」
ジト目を作って睨んでみる。
隣ではそんな私の素振りを面白そうに、微笑んでいる。
そうしてまた、暫く沈黙が続く。
「…………」
「…………」
「…………」
「で、どーする。これから?」
「あ、傘持ってる?」
これからのどう回るかとか、予定を聞こうとしたのだが、予想外の返事がかえってきた。
「え、何よ……いきなり……」
「夕立……って、まだ昼だけど……来るみたいでね」
彼がそう言って指差す先に、遠くの方から青空には似つかわしくない灰色掛かった帯状の雲が流れてきているのが見える。
………あら?
「……多分、一時的にでも降るだろう」
「天気予報、言ってたかしら?」
「一部の気象予報士だけ……ね」
そう言うと、近くに立て掛けてあった傘を取り出す。
抜け目ないような気もするが、単なる偶然だろうと思った。
…これも一種の気まぐれ、なんでしょうね……。
そう思う私の顔に、雨粒が落ちてきた。
・
・
・
「用意がいいと言うか……変なことに鋭いと言うか……」
「………」
「ひょっとして……さっき、ずっと天気見てた?」
「ずっとではないけどね……」
厚い雲に太陽が隠れ、薄暗い空の元、降り注ぐ雨を大きい草色の傘で遮りながら二人は、学校からの道を歩いていた。
別に残っていても良かったが、雨に降られて多くの生徒、外来者が右往左往と大騒ぎになっているなかではのんびり散策も出来ないし、模擬店も畳まれるだろうから、校舎内に人が殺到するだろう。
それだったら、早めに帰った方がいい。
私は騒がしくなっていた教室に戻り、自分の鞄だけを持って校舎の中に駆け込む生徒達とは反対に、傘をさして待つ外へと出た。
歩道では慌ただしく駆けていく人が、のんびりと歩いていく私たちの横を通り過ぎていく。もう少ししたら、車も多く来るだろう。
ちょっと時間的には早いが、寄る予定の場所もあったから丁度良いかも知れないと思う。
「先に帰っていーのかしら?」
「今頃、言われてもなぁ……戻る?」
「色々手伝われそうだから、嫌」
「どーせ、暫くすれば止むだろうけどね」
傘を差していて、空など見えないくせに上目遣いをしてみせる。
そんな様子を見ながら、私は一つのことだけを考えていた。
…前もっては言わなかったけど……
向こうは気付いているのだろうかと、綾香は考える。
今日と言う日を。
この、日を。
「………」
「………」
「………」
「………」
「……はぁ……」
「……ん?」
…無理、ね。きっと……。
相手はこういうことには無頓着な性格だと、改めて思い直す。
ただ、さっきの発言が意図したものならば、彼も憶えていなくないかも知れないとは思う。
だが、だからと言って、「じゃあ、記念だし……」とか言い出すタイプでもない気がした。
そんな事を頭の中でぐるぐると考えていくと、見馴れた景色が、このまま行けば駅前に近くなっている事を私に知らせてきた。
「あ、あのさ……」
「そうだ。ちょっと立ち寄りたい所があるんだけど、いいかな」
「……え、ええ……いいけど……」
言おうと思っていたことを、先に言われてしまった。
機先を制させた。
そのまま駅に向かうのではなく、そのレール添いの道路をのんびりと歩き続ける。
初めは彼自身の家にでも寄るのかと思ったが、曲がるべきところでも曲がらず、そのまま隣の駅のある方に歩いていた。
「あ……」
綾香はついて行くだけだったが、歩いていく方向、道順で気付いた。
何処に向かっているのか。
何処を目指しているのか。
自分と、同じだったから。
思っていることが、考えてたことが。
隣町の大きな駅前の噴水広場にたどり着く。
さっきの学校の噴水よりも遙かに規模は大きい。
「覚えてたんだ……」
「………昼、待ってるときに思いだした」
「……正直ね」
「それだけが取り柄だから」
「嘘ばっかり」
その物言いに、吹きだしたように笑う。
あの時と、同じだ。
「なーんとなく、行きたそうな顔してたし……」
「私が?」
「違った……かな?」
「さ、さぁ……どうかしらね?」
「まぁ、改めて見てみるのも、いいかなって……思わない?」
「…………」
…ただ、降り続ける雨が違うだけ。
一年前と同じように、噴水の水が勢い良く吹き上げている。
…噴水の元、待ち続けた自分。
…すぐ近くで、座り続けてたあなた。
…あそこで、始まったのよね……。
あっさりと言い当たられて悔しいが、やっぱり来て良かったと思う。
特に意味などないのに、必要性なんかないのに、来てみたかった。
あれ以来、来てなかったこの場所に。
暫くじっとあの時の光景を思い出しながら、見つめていた。
すると、不意に囁かれる。
「…………「メシでも、食いに来ません?」」
「……デートのお誘いと考えて、いいかしら?」
そう私が応じると、
「……食材の買い出しからだから……デートと言えなくもないかな」
心得たように答えてくる。
一年前と同じ科白。
時間も、天気も、違うけれど。
気持ちも、全然、違うけれど。
「ふふふ……」
当時を回顧しながら笑い出す私に、向こうも静かに微笑みを返す。
「あの時……やっぱり振られたんでしょ、貴方」
「振られて泣いてた人と一緒にされてもなぁ……」
「「観察してた」って方が不自然よ……正直に言いなさいよ」
「ん……そろそろ……傘いらないかな……?」
小雨になってきたのを見て、傘を傾けて掌をかざして出してみる。
惚けたように。
「もぅ……」
わざとらしく視線を逸らしたのが悔しくて、その隙を突くように身体を寄せる。
そして、こっちに顔を向けた瞬間、爪先立ちで背伸びをした。
「ん……」
触れ合う、唇と唇。
一瞬の出来事。
「あの時は、なかったね……」
「そーよ」
もう一度、キスをする。
雲が晴れてきたのか、徐々に空が明るさを取り戻してくる。
「……正直に、言いなさいよ」
そうしてから、今度は目を逸らさせないようにそのままの距離でもう一度訊ねる。
「実はね……」
すると、向こうは勿体つけるように溜めてゆっくりと口を開いた。
「ええ」
「………………一目惚れとか言ったら、信じる?」
あくまで、惚けけるつもりのようだ。
「…………バカ」
足を踏みつけながらも、まんざらでもない気分になった。
あの時、私が、あなたと知り合えたことを、
今、私が、あなたを好きでいることを、
今までも、そしてこれからも嬉しいことだと心から思っている。
視界に映る揺れる景色は、雨のせい。
あの時、降っていなかった雨のせい。
光を取り戻した空を、雀が鳴きながら飛び出していた。
取り戻した暖かさを、喜ぶように。
だから、傘を歩道方面に傾けたまま、もう一度、私は彼の唇の端っこにキスをした。
<完>