初出:1998年06月12日(金) 改稿:2001年03月05日(月)

 
『いっしょに、過ごそう』
 




「どうして……なのかしら……?」
 最近、考える繰り言。
 いつもの、癖。
 とっくに起きなくちゃいけないだろうに、こうして寝床に転がったまま、いつまでも考えている。俯せのまま、枕に顔を埋めるようにしているので、ちょっと髪が気にならないわけでもなかったが、無視していた。
 これが今の自分であり、最近の自分の姿だった。


 不意に私は自分に正直に生きてきたのか不安になってしまう。
 今日の日までただ、流されてきた結果じゃないのかと考えてしまう。



 ――あいつの生き方みたいに……。



『いっしょに、過ごそう』




 一緒にいると安心するのに、こうして一人で考えていると、捕らわれてくる思い。



 …私は、これでいいのかしらね?



「……まぁた、うだうだ考えてる……ふぅ……」
 そのままぼんやりしたまま、手を伸ばし、時計を手に取る。そろそろ、準備をした方がいいだろう……。
「……ってもう、こんな時間!?」
 慌てて、飛び起きる。


 ――交わした約束まで、あと一時間半。


「やっばぁ〜……流石にちょっと遅れ過ぎよね……怒ってるかなぁ……」
 道を小走りに急ぎながら、ちょっぴり舌を出す。
 寝間着を脱いで、シャワーを浴びて、髪を乾かして、服を選んで、軽く化粧を済ませて、服に似合ったアクセサリーを選ぶ。そうしてから外に出たので当然ながら遅刻していた。


 …まぁ、少なくても怒ったところは見たこと、ないんだけどね……。


 ちょっと狡い考えをしている自分に気付き、チロリと舌を出す。


 …いけない、いけない……とにかく、何て言って謝ろうか……あ、いた。


 目標の公園の噴水に一番近いベンチに見馴れた男が大人しく、座っていた。
 やや、俯き加減で、どうやらまだこっちには気付いていないらしい。


「ごめ〜ん……ちょっと、さぁ……ん?」
 目の前まで来て、やや乱れた息を整えながらも謝ろうとして、おかしな事に気付いた。
「え……」
 公園のベンチにやけに行儀良く座っていると思ったら……寝ていた。


「………」
 近くまで来る。
 間違いなく、寝ていた。
「………」
 自分が待たせたことが原因なのは間違いなかったが、こうして焦って来て見た結果がこののんきな寝顔だと、ちょっぴり腹立たしくもある。その寝顔を睨み付けてみたが、当然ながら何のリアクションも起きない。
「はぁ……」
 諦めて大袈裟に肩で息をしてみせると、指を伸ばして、
「こら……」
 指で気持ちよさそうに寝ているこいつの額をつつく。
「ん……」
 眉が、動く。
「こら」
 更に、つつく。
「ん……あ……綾香……」
 ちょっと眉を顰めるようにしながら目をゆっくりと開けて、私に気付く。
「おはよう」
 そしてニッコリと私を見て、挨拶をする。
「お早うじゃないわよ全く……こんな所で寝て……風邪ひいてもしらないわよ」
「綾香が来たら起こしてくれるからいいかなって……」
 暢気そうな声を出して――いや、実際暢気そのものなのだが、こいつは言った。
「アンタねぇ、こんなトコで寝てて……もし来られなくなったりしたらどうするつもりよ。忘れてたりしたらいつまでも寝て……」
「大丈夫。綾香は遅れることはあっても、すっぽかしたりはしないから」
 こいつはそう言って再び、にっこりと微笑んでくれやがった。
「――ばーか……」
 そう言うが、かなり頬が赤くなっているのが自分でもわかる。







「何処、行こうか?」
 のんびりとした口調でそう言う。
「何処って……アンタ、何も考えてなかった訳? この長い間、待っている間……ちょっとは今日のこと……」
「寝てたからねぇ……」
 にっこりとそんな事を言ってのける。
「寝てたって……ずっとじゃないでしょ?」
「その前は…………………………………………ボーとしてた」
 かなり長い間考えていたが、そう答える。
「……はぁ〜」
 大袈裟にため息を付いてみせる。
「でも、綾香が誘ったから……何かあるのかと思っていたんだ」
 そう言って、笑う。


 …あ〜あ、これが惚れた弱みってやつなのかしらねぇ……。


 どう見てもこんないい加減な奴とつき合っている自分がおかしく感じた。
 別にこの柔らかい笑顔に絆されているつもりはないのだが、いつの間にかペースを握られているのだ。
「……どうする?」
 にこにことして、こっちの事情も察せずにいる。
 こんな男にどうして……と、やっぱり思う。
 昨日、ろくに眠れずに考えた命題だ。
 このせいで、遅刻までしたのだから、やっぱり謝る必要はなかったかも知れない。
「ふわぁ……」
 思わず、欠伸が漏れてしまった。
 なるべく抑えようとしたけれども、堪えきることができなかった。
 気が張っているならまだしも、こんな肩の力が抜けるような状態では、無理もない。
「ひょっとして、眠い?」
 さっきまで寝ていた奴とは思えないように自然に、こっちの考えをまるで察したように静かに訊ねてくる。
 その表情はさっきの顔と矛盾しているようで、やっぱり変わらない、顔。
「ちょっとアンタのぐーたらが移ったみたい……」
「ははは……」
「笑い事じゃないわよ……もぅ」


 私は、こいつが……あなたがわからない。


「だったら……寝ようか」
 唐突に、そう言う。
「え……?」


 いつまでたっても、わからない。


 そのまま、彼は私の目の前で草むらにゴロリと横になる。緑色の絨毯に寝そべる姿はまるでそうするのが正しいような錯覚をこちらに覚えさせてしまう。
「………嫌?」
 そして、私の目を見上げる。
「………」
 私は無言で、隣に腰を下ろし、彼に倣って横になった。
 夏にはちょっと早いせいか、そんなには暑くない程度の太陽の恩恵を身体いっぱいに浴びることができた。
 草の香りが鼻腔の奥をくすぐる。普段ならやれ服が髪が汚れるだとか、言い出したくなるだろうに、今はそれがどうでもいいことのように思える。
 前髪を揺らす風が午後のお昼寝タイムを演出する。
「………」
「………」
 視界に入る雲がゆっくりと流れていく。
 見渡す限り、上空には真っ白い雲しか見えない。
 そんな雲が、ゆったりとした時間を届けてくれる。
「いい天気だねー」
「それしか言うことないの?」
 苦笑する。


 ――そう、あなたにはいつも苦笑しっぱなし……。


 私と彼とのつき合いはいつもこうして適当で、漠然で、気侭なままのつき合いだった。


  世界で一番、君が好き。
  ううん、あたしこそ……あなたに会えて、本当に良かった。


 そんなクサイ科白も私達の間にはない。


  ……指輪
  今日は特別、ちょっと奮発したんだ


 そんな変わった出来事も二人の間に起きた試しがない。


 私はあなたとやりたいこと、したいことを望めば、あなたは笑って受け止める。
 何をしても、どんなことをやろうとしても、あなたはいる。
 私の後ろで見守ってくれている。
 私の前で護ってくれている。
 私の隣で微笑んでくれる。
 不器用な私の言葉も、あなたの微笑みが飾ってくれる。
 悪戯な私の気持ちも、あなたの優しさが包み込んでくれる。


 …あなたは気付いてくれていたのかしら?


 ちょっぴり横を向いて空を見つめているあなたを見る。するとそれに気付いたのか、私の方を見て、静かに聞く。
「――ん?」
 その様子はまるで父親が娘に問いかけるように――ううん、違う。
 まるでお祖父ちゃんが孫に笑いかけるように見える。
 私とそれほど違わないくせに。

 年の差以上に離れたつき合い。
 いつだって私とあなたの関係はこんな変な距離があった。
 そして、毎回思ってた。


 私の不安や混乱を、あなたは本当に気づいてないのか。
 気づいてて、惚けてるのか。
 もしかして、私がどんなことに対しても私が自分で解決するまで、無関心のふりをしながら遠目で見守るだけで押し通すつもりだったのか。


 全然あなたは私に気づかせはしなかった。


 …参るわよ、あなたには。


 時には泣きたくなるような事もあるのに、どうしてあなたの前まで来ると、こうして落ち着いてくるんだろう。


 ――心地いいし、気持ちいいから


 あまりのニブさに、普通の関係を羨んだこともあったけど……


 ――普段着のまま、かわらない安らぎが


 こうした気分を味わえる今となっては、俄然今のままがいい。
 私たちの身体を爽やかに吹きつける風が、強くなれば自然に庇ってくれる。
 その時にいつも、


 …あなたがいて……よかった。


 そう思える。
 いつの間にか、思ってる。

 ズルイと思う。
 理不尽だと思う。


 でも、駄目なの。
 私の、負け。


「気持ちいい……よね」
「ん――? ああ……」
 馬鹿みたいに、日曜日のひとときを昼寝で過ごす。
 映画館のチケットも、
 人気のあるレストランの予約も、
 このひとときには、代えられない。


 あなたが、ここにいる。
 何ものにも代え難いもの。


「綾香……」
「ん……?」
「……いや、何でもない」
「何よ……言いなさいよ……」
「うんにゃ、何でもない」
「そう言われれば、気になるじゃないのよ……」
 私があなたの身体を揺すろうと身体を起こそうと腕を伸ばすと、その手が急に掴まれる。その顔が、近づく。


 ………!?


 不意打ち。


「………」
「びっくり……した?」
 掴まれていた腕を振り解くと、あなたは意味ありげに、笑う。
 きっと今の私の顔……かなり驚いたままの顔で固まっているんだろう。
 これをあなたは見たかったのだろう。ちょっと悔しい。


 だから……


「したいならしたいって言えばいいのに……」
 そう言って、こちらから、お返ししてやった。


 再び、触れ合う。


「どう? 満足した?」
「……ああ、満足した」
 こんどはこちらがあなたの顔を見つめる番。
 でも、やっぱりあんまり変わらない。
 かなり、悔しい。
 悔しいけど、笑みが浮かぶ。


「寝ようか」
「うん……」
 柔らかい草のシーツと暖かい風の毛布に包まれながら、私は目を閉じた。
 気怠いこの季節の午後、中途半端な暖かさが二人の微睡みを演出する。



 あなたは何もしてくれない。
 でも、決して私から目を離さない。
 よそ見をしているフリをしてても、いつでも必ず見ていてくれる。


 例え私が転んでも、簡単に手を伸ばさない。
 私が自分で立ち上がろうとしない限り、立ち止まったままでいる。
 そして、私が立ち上がるのを待ってから私の頭を撫でるのだ、こいつは。


 だから、私は歩く。走る。飛ぶ。
 失敗は恐れない。
 どうなろうとも、見捨てないでいてくれる彼がいるから。
 誉めてくれなくても、最後まで見守っていてくれる奴だから。


 私はそんなあなたが好きになってしまった。
 悪趣味だと思う。
 でも、好きになってしまった。
 変わり者のあなたを。


 それはきっと――


「………」
「……ねぇ、寝ちゃった?」
「………」
「………」
「………」
「……ん?」
「遅い!」
「へ?」
「もう良いわよ。何でもないわ」
「そう?」
「ええ。そうよ」
「………そっか」
「ええ……」



 …一緒にいて、最高に心地がいいから……。



 そしてやっぱり今日も私は誤魔化されるのだ。
 そんなあなたに。
 その、穏やかな微笑みに……。






                           <完>




戻る