『けろぴーまっしぐら』
原作『栞まっしぐら』 By芥様より


 日付は日曜日なものの時間的には土曜深夜。
 俺は寝つけない夜を過ごしていた。
 理由はひとつ。
 真琴の毎晩仕掛けてくるいたずらのせいだった。
 どうしてそんなにもあいつが俺を憎んでいるのかは知らないが、いたずらは昨日も
一昨日も一昨昨日も行われている。
 今晩だけ何もおきないことなんてあるだろうか。
 いや、ない(反語)。


 一昨昨日は顔に卵とキャベツなどを落とし、その上丁寧にソースまで満遍なくかけ
られ顔面もんじゃ焼かずにされていた。
 食べ物を粗末にしてはいけないと秋子さんにたしなめられるように怒られた。
 俺のせいじゃないのに。

 一昨日は北川に借りた阿刀田ひかるのCDの中身と、俺がこっそり中古で買った触
手物のエロDVDと摩り替えられていた。
 気付かずに返してしまったのだが、その後なんべん言っても北川はとぼけて、未だ
に返してくれない。
 DVDプレイヤー持ってないくせに。

 昨日は俺が古文の授業中かけて作成した俺作詞、俺作曲、俺振りつけの名雪音頭の
詳細を裏に書いた白紙のプリントを秋子さんに渡しやがった。
 お蔭で今朝からずっと水瀬家一同名雪音頭を踊らされた。
 真琴も死ぬほど後悔していたようだったが。
 というか、どうして名雪はあんなに喜んでいたんだ?


 そんなモヤモヤした気分を抱えたまま眠ることもできず、暗闇の部屋の中をボーっ
と天井を見上げていると、


 トタトタトタトタ


 人間のものにしては非常に軽い足音が廊下から聞こえてくる。
 奇妙に思ったが、その足音は俺の部屋の前で止まったので俺は布団をかぶり、目を
閉じて襲撃者を待つことにした。


 ガチャ


 ゆっくりと開かれるドア…………



 俺は薄目をあけてそのシルエットを見る。



 ――って、へっ!?



 ドアを開けて入ってきたのは、カエルのぬいぐるみ――けろぴーだった。



「おーっす」
 何故かけろぴーはいかりや長○風に挨拶をした。
 けどその声は何故だかこおろぎ○とみだった。

「………」
「元気がないぞー! もういっちょ、おーっす!」
「………」
「もう、お兄ちゃんったら起きているんでしょ、ノリが悪いゾ♪」


 そんなこと言われても。
 それ以前にお兄ちゃんちゃう。


「じゃあ義兄ちゃん♪」
「いや、血縁関係ないし」
 十二パターンの流行の方向の呼び方に逃げなかったことは評価したい。
 俺的にマル。


「オマエ……一体なんだ?」
 何者だ、とは聞きがたい。
 どう見てもそれは、名雪の持つ巨大なカエルのぬいぐるみだった。
 二足歩行で歩き、こ○ろぎ声で喋っていること以外は特にいつもと変わりがない。


「けろぴー」
「いや、それは知ってる」
 散々見てるし。
「だったらもう十分だよ」
「どうして!?」
「あ、今日のことは名雪には秘密だよ。わたしの我が侭で今の円滑なこの家の人間関
係を崩したくないし……」
「どこをどうツッコんで良いのやら」
 頭が痛いので、これ以上は考えることを拒否した。
「それで一体なんで俺の部屋に」
 何か芸なら見せたいなら舞か佐祐理さんにでも見せてやれ。
 彼女たちならきっと何の疑問も持たずに喜ぶだろうから。
 本当はそれはそれで十分に問題ありだがこの際構わない。


「その、突然おしかけて申し訳ないんですけど……祐一さんにお願いがあってやって
来ました」
 急に丁寧な口調になる。これが地だったのだろうか。
「お願い…? 悪いが今月はあまり余裕がないぞ」
「いえ、そんな非現実的な話をしにきたわけじゃないです。祐一さんにしかできない
事をお願いしに来たんです」
「俺にしかできない事……なんだ、それ?」
「はい……」
 そこでけろぴーは大きく息を吸って答えた。



「わたしに子供を産ませて下さい♪」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  けろぴーまっしぐら

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  ガンッ  夢。  夢を見ている。  きっと。  たぶん。  だといいなぁ。  ボクのことわすれてください。  あははー。  嫌いじゃない。  わたしにいもうとなんていないわ。   「あ、何だか祐一さんが遠いところに……」 「しってますかゆういちさんたまごをでんしれんじにいれるとばくはつするんですよ」 「随分とマニアックな抽出してるし……」 「くー」 「いい加減誤魔化すのは止めてください」  俺は壁に頭をめり込ませたままの姿勢で涙する。 「くっ、この怪奇現象から目を離すことは許されないのか!?」 「そんな人を化け物みたいに……ひどいです」 「化け物でなくてなんだ!」 「こんなに可愛いのに」 「可愛いとかじゃないだろうがっ!」 「二次元の女の子よりも、立体的です! 萌えですっ!!」 「何か敵を増やしそうな発言だな」 「そんなことはどうでもいいんです。所詮はモニターの中の戯言。箱庭的思考空間の 電子サイバーネット型アウストラロピテクスの針ねずみのジレンマですし」 「訳わからん」 「流石は祐一さん。知識がなくも経験で全てをわかっていらっしゃると……と持ち上 げてみたところで、早速お願いします」 「お願いって……なにを?」 「子づくりですっ♪」  …父さん、富良野の雪はお元気ですかとか言ってみるわけで―― 「還ってきてください」 「うわぁっ!?」  目の前に光るは黒いプラスチックの丸い瞳。  怖い。  怖すぎる。 「この部屋の隅っこにわたしが卵生みますから、祐一さんはその上にパパッとかけち ゃってください♪」 「何をだ!!」  生態的に微妙にリアル。  ぬいぐるみのくせして。 「ぬいぐるみが卵生めるわけないだろうがっ!! それに生んでどうするっ!?」 「ゆ、祐一さんがそんな偏見を持った差別主義者だっただなんて、けろぴーかなりシ ョック!!」 「もう何が何だか…」 「わかりませんねぇ」 「オマエが言うなっ!!」 「一体、祐一さんはわたしのどこが不満なんです! 顔ですか? スタイルですか?  それとも歳の差ですか!?」 「それ以前だっ!!」 「がーん」 「大体、一体なんなんだよ。それはっ!!」 「実はですね……  そう、あれは七年前、祐一さんが名雪ちゃんの雪うさぎを叩き落して愉悦の表情で 彼女を見つめていた――    「そんなことはしていないっ!!」  確か、その後数年経った頃でしょうか……    「しかも全然関係ないしっ!!」 「遅刻〜 遅刻しちゃうよ〜」  わたしが餌を探しに路地裏を元気に飛び跳ねていると、曲がり角の向こうから女の 子の声が聞こえてきて…… 「もういい。そして名雪とぶつかって転んでとか言うんだろ?」  オチが見える作り話は聞きたくない。 「やっぱり理解が早いですね」 「もーうんざりだ」 「そこで「パンツ見えてますよ」「キャッ、やだH!」という会話の後にわたしの転 校先の学校の教室で……」 「だからもういいっていってんだろーがっ!!」 「残念です……」  わざとらしいほど落胆して見せるが、すぐに顔を上げると、 「というわけで祐一さん、ヘイ、カール♪」  何故か部屋の隅で手招き。 「誰の言葉だっ! ――というか、なんか今までと違うしっ!!」 「もうこうなったら仕方がありません。実力行使です」 「はあ?」 「殺戮殲滅爆裂咆哮激烈躊躇憂鬱薔薇―― 「後半は難しそうな漢字並べてるだけだし」 「えぃ♪」 「んなっ!?」  クロロホルムでも染み込ませたのか、花柄のハンカチを口に押し当てられた。  そのあとの記憶は、全くなかったわけで――― 「ってなってたまるかぁ――――――っ!!」  俺の上に馬乗りになってハンカチを押し付けているけろぴーを両手で思いきり突き 飛ばす。  手応えが無茶苦茶軽い。  まぁ、ぬいぐるみだし。 「あらあら」  勢い良く壁にぶつかってから、床に落ちたけろぴーだったがすぐに何事もなかった ように起きあがる。  まぁ、ぬいぐるみだし。 「もっと驚けっ!!」 「夜中に大声を上げるなんて皆に迷惑ですよ」 「俺は最初から迷惑だっ!!」 「そんな身勝手な理屈を捏ねられても」 「どっちが身勝手だぁ〜!!」 「ひたひれしゅ〜」  つまんだ部分は頬か顔かわからないが、名雪やあゆや真琴や舞にやるように両手で 左右に引っ張ってやると、けろぴーは顔の形を変えて抗議してくる。 「はぁ…、はぁ… 全く……」 「そんな乱暴で我が侭な貴方がステキ」 「やめーいっ!!」 「ぶって! もっとわたしをぶって!」 「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜」  頭をかきむしる。  このままでは本当に狂ってしまいそうだ。  俺の目の前にはけろぴー。  けろぴーは名雪の持つ大きいカエルのぬいぐるみ。  どこで買ったかは知らないが、既製品のはず。  そう、それだけだ。  たったそれだけのはずなのに俺はどうしてこんなにも苛立っているのだろう。 「さぁ、そろそろベッドの上でわたしと貴方でエンジェ○ック・レイヤーごっこをし ましょう♪」  俺のベッドの上に乗り、バンバンと手でマットを叩くけろぴー。  こお○ぎ声で喋りつづける。  動くことが変なのか。  喋ることが異常なのか。  いや、動く玩具もあるし、喋るぬいぐるみも珍しくはない。  だとしたら俺はどうしてこんなにも憤っているのだろう。 「あ、そーか………」  目の前にあるのは当たり前のことなんだ。  そうなると、おかしいのはけろぴーじゃなくて、それを疑問に感じる俺のほうがお かしいのだろう。  納得した。  納得すれば全てがわかってくる。 「祐一さん……」 「けろぴー……」  見詰め合う目と目。  彼女の瞳は純粋なほど黒く、俺の戸惑う表情を歪めて映し出す。 「卵生むから、少し待っててね」 「ああ……って、それがおかしいんじゃ――――――っ!!!!!!!!!!!」 「あ、術が解けた」 「解けたって――――なに、さっきまで納得してんだ、俺!!」 「チッ」 「舌もねーくせに舌打ちなんかしやがったな、オマエ!!」 「往生際が悪いなぁ、いい加減諦めよろ」 「なに、急に口調変えてんだ、こら」 「いいか、祐一。よく聞けよ」 「しかも呼び捨てだし」 「これは夢なんだよ」 「夢?」 「そう、夢だ」 「………そっか」 「な、納得しただろ?」 「ま、まぁな……」  ちょっと疑問もあるが、夢だというなら納得できる。  第一、ぬいぐるみが喋るということ自体、夢でなければおかしい。 「オマエは、真琴の悪戯に備えて起きつづけているつもりでもうとっくに寝ちまった んだよ」 「あ、そうか」 「そうだろ? ほら、それで全て解決だ」 「あー、そっかぁ」  良くわかった。  これなら全ての辻褄が合う。 「じゃあ、俺は寝ているんだな」 「まーな。でも夢の中でも起きているのは大変だろ。ほら、眠り薬やるからこれ飲ん で寝ろ」  けろぴーはそう言って俺に錠剤と水を手渡した。  さっきまでそんなものは何処にもなかった。  やっぱりこれは夢なのだろう。  都合が良すぎる。  そう思いながら俺はその薬を口に含んで水を飲んで流し込んだ。 「んじゃ、俺は寝るわ」  布団を被って横になる。  散々さっきまで暴れていたせいか、すぐに心地よい睡魔が襲ってきた。 「ああ、お休み」 「ん……」 「いい夢を♪」  夢の中でこれ以上、いい夢もないだろうと思いながら、俺は眠りについていた。  ―――あれ? ひょっとして俺、言いくるめられた?  そんな疑問は瞬時に混沌の闇の中に消えていった。  日曜日の朝。  結局、起きたのは昼を回ろうとしていた時間だった。  ボーっとした頭を抱えつつ、ゆっくりと階段を降りる。  微かに夢の記憶がよみがえる。  気分が悪い。  俺は顔を洗って居間に入ると、絨毯の上で寝そべっていた真琴が起きあがって俺に 突っかかってきた。 「祐一。昨日の夜は何してたのよ!」 「何だよ、真琴」  昨日はオマエが来ないから変な夢を見ちまったじゃないか。 「ドアから覗いたら祐一、名雪の持ってるぬいぐるみ抱いて部屋の隅っこに――  だからそれは夢だって。 「ねぇ、祐一」  真琴を適当にあしらっていると、二階から降りてきた名雪がやってきた。 「何だ?」 「けろぴー、部屋に持っていった?」 「いいや」 「じゃあ何で祐一の部屋にあるの?」 「歩いてきたんだろ。けろぴーが」 「もぅ、祐一ったら……」  まぁ、夢だしな。 「祐一さん」  ずっと探したんだよと名雪に文句を言われつつ、ソファーに座って新聞を読もうと する俺に今度は掃除の途中だったらしい秋子さんが声をかけた。 「何ですか、秋子さん?」 「この小さなカエルのぬいぐるみは祐一さんのですか?」 「………」 「部屋の隅にあったんですけど」 「………」  夢、だよな。 「わぁ、かわいいー」 「えー、これのどこがよー」 「ねえ祐一。これ、クレーンゲームでとったの?」 「………」 「あれ、祐一どうしたの?」 「祐一、でかけるの?」 「………」 「あら、祐一さんおでかけですか?」 「ええ、ちょっと旅に」  ちょっとぬいぐるみのいない世界まで。                                     <おしまい>